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12 探す心、見つける瞳


 今日も訓練を終え、アレクは灰簾宮かいれんきゅうへ足を向けた。

 静けさに包まれた廊下を、オズワルドの後ろについて歩く。


 途中、執事補佐のシリルとすれ違った。

 柔らかい物腰の男で、宮内の実務はほとんど彼が担っている。

 アレクが胸に手を当てて礼をすると、シリルも穏やかに笑みを返し、道を譲った。


 灰簾宮に常駐しているのは、オズワルド、シリル、ヴェラの三人のみ。

 あとは年配の下男下女が通いで来る程度で、エレノアと同年代の使用人はいない。


 人の気配の薄い廊下を、橙のランプが淡く照らしていた。

 灰銀色の壁がゆらりと揺れ、アレクの規律正しい足音だけが石畳に響く。


 エレノアの私室の前でオズワルドが立ち止まり、珍しく口を開いた。


「殿下からの言伝でございます。“好きに歩いているから、探せ”とのことです」


「……探せ?」


「はい」


 アレクは仮面のような微笑を保ったまま扉をノックしたが、返事はない。

 オズワルドが無言で頷いたので、覚悟を決めて扉を開ける。


 音のないティーサロン。

 テーブルの上には戦術盤だけがぽつりと残り、主はどこにもいない。

 魔導ランプの青白い光だけが温度なく落ちていた。


 背後で扉が静かに閉まる。


「……お転婆か?」


 小書斎の扉をノックしても返答はなく、アレクはそっと扉を開けた。

 そこは明かりも灯されず、夕暮れの赤紫だけが床を淡く染めていた。


 机の上には整えられた紙束。

 一瞬迷いながらも手に取る。


 几帳面な細字と、大きく迷いのない自信に満ちた字。

 セドリックとエレノアの筆跡だ。


 二つの筆跡が重なり、訂正と追記が繰り返されたメモ。

 互いに語り合いながら作り上げた痕跡がそこにあった。


 ――自分の触れられない領域。


 アレクの唇が固く結ばれる。


 ――悔しいと、思ってしまうのか。


 エレノアは、この文字を書いているときどんな表情をしていたのか。

 きっと楽しげに、瞳を輝かせていたのだろう。


 ――その瞳は、自分には向かない。


 ハッとして、慌てて紙束を机に戻した。


 ――嫉妬……?

 ――殿下を独り占めしたいなどと……?


 魔導工房へ続く隠し扉へ視線が移る。


 ――殿下は、あれほどの自己開示をしてくださった。

 ――それだけで十分だ。

 ――これ以上を求めるなど、分不相応。


 そう言い聞かせながら、アレクは隠し扉へ歩み寄り、エレノアがしていたのと同じように押した。

 扉が静かに開き、細い通路を抜けると、魔導工房へ出る。


 ランプは落とされ、闇に近い薄明の部屋。

 魔導液が流れる音がかすかに響き、青い光が配管の内側をさざめかせている。

 魔導炉の魔導陣が淡く明滅するだけ。


「……いないのか。弱ったな。ほかの部屋には入ったことがない」


 額に手をあて、ため息をひとつ。


 そして、アレクは来た道を戻り、ティーサロンへ引き返した。


---


 アレクはティーサロンの中央で、拳を腰に当てて立ち尽くしていた。


 灰簾宮の構造は把握している。

 任務では門前を守るのみだが、緊急時に踏み込む可能性があるため図面は叩き込んであった。


 ティーサロンに続く部屋は、小書斎と寝室。

 さらにその奥がドレッシングルームであるはずだ。


 ――だが、案内もなく王女の寝室へ入るのはさすがにためらわれる。


 灰簾宮には、王女専用の謁見の間もある。


 ――とはいえ、そこへ“散歩”に向かうだろうか?

 ――“好きに歩いている”とは、“好きに過ごしている”という意味であって、俺をからかっているわけではあるまい。


 侍女の待機部屋や調理室、食糧庫もあるが、王女としての矜持を持つエレノアがそこへ赴くとは思えない。


 ――いや、あの方は自力で魔導工房を造るような人だぞ? 本当に“有り得ない”と言い切れるのか?


「……我が王女はお転婆だからな……」


 アレクが肩を落とした瞬間、寝室へ続く扉が音もなく開いた。


「お転婆とは、私のことか?」


 振り返ると、ヴェラを伴った王女が立っていた。

 灰紫の地味なドレスはいつも通りだが、前髪は編み上げられ、額がすっきりと出ている。


「魔導工房にいるつもりだったがな。“おめかし”をするとアレクと約束していたことを思い出した。

 手間を掛けさせたな」


「いえ……光栄です」


 アレクが微笑むと、エレノアは片眉をわずかに上げた。


「その笑顔は、本物か?」


 問いは鋭いが、声は柔らかい。

 アレクは苦く笑い、跪いて差し出された右手に口づける。見上げた先には、まっすぐな青紫の瞳。


 ――この瞳を独占することなど、生涯叶わない。


 胸の奥がきゅっと痛み、アレクの碧の瞳が細められる。

 エレノアは驚いたように目を見開き、そっと指先をアレクの顎に添えた。だが結局何も言わずに手を引き、踵を返す。


 ソファに深く腰掛けると、対面の椅子を示した。


「さぁ、タクティカをやろう」


---


「こういうときは魔導障壁を張るんだ。少し時間が稼げる」


「……なるほど」


 アレクが術士の駒を持ち上げながら眉をひそめると、エレノアは呆れたように息をついた。


「……アレク。お前は本当に……」


「……なんですか?」


 不安げに視線を向けると、エレノアは不敵に笑った。


「実戦でもそうなのか?

 お前はいわば華形のエースだな。司令官の指示を受けて前線を切り開くタイプ。

 だがゲームでは、プレイヤーが司令塔にならねばならない」


 アレクは素直に頷いた。


「……おっしゃる通りです」


「なら、その術士の駒は置け。“騎士”と“兵士”を使いこなすことに徹しろ」


「……それでセドリック殿に勝てますか?」


「すべてを使いこなしたところで、“アルトルミナの頭脳”に勝てるわけがないだろう」


「……そうでした」


 項垂れるアレクに、エレノアは声を立てて笑った。


---


 駒を箱にしまうアレクの横に、ふいにエレノアが立った。


「アレク」


 振り向くと、彼女の手のひらの上には真鍮の箱――魔導式オルゴール。


「これをやる」


「……よろしいのですか?」


「お前が勝つことは期待していない。

 だが、楽しめ。

 私がお前に望むのは――心の底から笑ってくれることだ」


 エレノアはアレクの手から駒を取り、代わりにオルゴールをそっと乗せる。

 華奢な手が、大きな手を包み込んだ。


「私の騎士。頑張れよ」


 ふっと笑う。

 その瞳は淡く光り、夜明け前の空のように澄んでいた。


 アレクは一瞬手を伸ばしかけ、拳を握りしめて膝に戻す。


 ――触れてはならない。

 ――だが、誰よりもその心に触れてみたい。


「……ありがとうございます」


 手のひらの真鍮は、ひんやりと冷たかった。


 ――“力がない”から選ばれた婚約者。

 ――こんな俺では、殿下と並び立つことはできない。


 それでも。


 青紫の瞳がわずかに揺れたその一瞬に、アレクの心は静かに落ちていた。



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