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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

深夜の山中。私たちの驕り~濡女の開き~

作者: 空つねり
掲載日:2026/01/08

 どうやら、日常の外側に踏み込み過ぎたらしい。そんなことを考えながら、私――赤池あかいけ茉離まつりは目の前の化け物に相対する。


 この場、この時は、深夜の山中である。目前の巨体の存在により、夜の不気味な空気は更に重さを増している。


 人魚の一種、なのだろうか。夜の闇に隠れてしっかりとは見えないが、凶悪な形相の顔が、にょろりとした長い胴体の先にあるのはわかる。人に近しいのが頭だけである点と、波打つ胴体の異常な長さ、加えてこの場が山中であることを考慮すると、人面犬ならぬ人面蛇とでも呼ぶべき存在なのかもしれない。


 目に理性の色はなく、襖に空いた穴のようなボロボロの口からは、鋭い牙が覗いている。他の動物に比べれば人に近しいだけで、決して人の顔ではない。元人間などという可能性を考える必要性がないという意味では、まだ救いがあると言える。


 もっとも、例えこの異形が元人間であり、今後人間に戻る可能性があるとしても、私が取るべき行動が変わることはない。


 知識を刺激するだけして噛み合わぬ、既知の存在の混ぜ物ですらない、この化け物を殺す。それ以外の選択肢はなく、それ以外に気を配る余裕もない。


 何せ私の背後では、愛おしき妹とその親友が――誇らしき私の戦友たちが、死の危機に瀕しているのだから。




 私の愛おしき妹、赤池湖巻こまきは、正確には私の義理の妹である。


「よろしくね、茉離お姉ちゃん!」


 孤児院で育ち、赤池家に引き取られた私を、湖巻は満面の笑みで迎えてくれた。体全体で喜びを露わにするその姿は、まるで太陽のように眩しかった。


 当時、私の年齢は九歳で、湖巻は八歳だった。一歳年下の義妹に対して私が抱えていた不安を、湖巻は一瞬で吹き飛ばしてみせたのである。


 もしその後、私が衝撃を処理しきれずに、ぼーっと日々を過ごしていたのなら、すぐに目を焼かれ、湖巻の心を見る機会を失っていただろう。表面の理解で満足せずに更なる理解を追い求め、光り輝く笑顔の奥に潜む期待に早々に気づくことができたのは、私の今までの人生における一番のファイルプレーだったと、今でも思う。


 小さな体に秘められた、爆発を繰り返すエネルギー。湖巻を分かりやすく表現するならば、そんな言葉が適切だろう。


 好奇心旺盛で、文武問わず何にでも興味を持ち、そして何でもできる。暇を持て余すことこそなかったが、共に歩める者はおらず、湖巻は孤独だった。


 その事実に気づいた私は、何とかして湖巻の期待に応えたいと思った。損得勘定抜きで、ただ純粋に、湖巻には自分を解放し、もっと輝いてほしいと願ったのだ。


 湖巻の眩い輝きに、目が焼かれることはなかった。しかし、それはそれとして、私の心は焼かれていたのである。


「姉ちゃーん! こっちこっちー!」


 そんな風に呼ばれては、湖巻の元へ駆け寄り、彼女の期待に全力で応える。赤池家に引き取られてからの日々は、常にそんな調子だった。大変だったし、苦しくもあったが、いつであろうと湖巻の笑顔を見れば頑張れた。


 私が湖巻の期待に応える度に、湖巻は更に輝きを増し、活動領域を縦横無尽に広げていった。個人単位での取り組みから飛び出し、多くの人を巻き込んだ取り組みにも手を伸ばしていった。苦労がますます増えはしたが、望んだ通りの状況に、不満などあるわけもなかった。


 一年近くが過ぎた頃には、私は湖巻にとって唯一無二の立ち位置を確固たるものにしていた。そんな時だ。


「姉ちゃん姉ちゃん! 今日、面白い子を見つけてさー!」


 湖巻がそんなことを言ったのは。




 湖巻の親友にして私の戦友、雨山あまやま気夏きなつに対する私の第一印象は、端的に言えば泥棒猫である。


 一歳の年齢差がある以上、学校の授業中などでは、私と湖巻は一緒にはいられない。私が湖巻の隣にいるのは、あくまでそれ以外の時間帯だ。

 

 不満はあったが、仕方がないことだと割り切れていた。ただしそれは、私以外に湖巻が執着するような相手がいなかったからに過ぎない。


 私に続く、二人目。湖巻が興味以上の感情を抱く存在が、湖巻と同じクラスに、私にはどうしようもない場所に現れたともなれば、冷静ではいられなかった。


 そんな気夏の最大の特徴にして、湖巻の目を引いた要因。それは、明確に普遍的人類から逸脱したものである。


 五感のどれにも分類できない第六感。気夏は、物理法則の範疇では説明ができない異能を持っていたのだ。


 本人曰く、それは因果を見る力である。ただしその力には、因果の見方までは含まれない。


 能力自体は、世界の形を別の側面から認識することができるというだけ。複雑怪奇なそれを読み解くには、五感で認識した世界との比較を繰り返し、何がどのような意味を持つのかをゼロから調べる必要があったのだ。


 それが容易いことではないのは、想像に難くない。一切の誇張なく、先駆者の存在しない道を歩くことに他ならないのだから。新たな学問を確立するようなものである。

 

 にもかかわらず、気夏は九歳にしてその難行に区切りをつけていた。五感と第六感、二つの世界のざっくりとした対応付けを終え、第六感の感度の限界を把握し、その範疇で第六感の使い方を体系立てていたのだ。


 因果の歪みに着目することで、日常を侵す非日常を感じ取る。その上で、歪みにより引き延ばされた因果が詳細まで認識しやすいことを生かし、いつどこで何か起こるかといった、具体的な情報を抽出する。ただ形になっているという程度ではなく、実用的なレベルでの構成である。


 異変に関する情報を獲得する能力――それによって感知した異変について気夏が湖巻に相談したのが、二人の出会いのきっかけだった。


「いいとこもあるし、悪いとこもある。そういう意味では、他の人の個性と変わらないと思うよ。私としてはね」


 初対面の際、気夏は第六感の説明を終えた後、そんな言葉で締めくくった。皮肉と共に、私に対する共感を超えた理解の色を込めて。


 まず間違いなく、気夏はそんなことを本当に思っていたわけではない。自分の才能が特別であることは、十分に理解していたはずだ。


 ただ、それが理由で自分の努力が軽んじられることは、気夏には許せなかったのだろう。弱冠九歳にして一つの学問を確立した者として矜持が、そこにはあった。


 話を聞き終えた時には、私が気夏に抱いていた悪感情は消え去っていた。どんな理由があろうと消すことができない、努力の重さを知る身としては、気夏には好意しかなかった。




 かくして、私と湖巻、気夏の三人は繋がりを持ち、共に行動するようになった。


 はっきり言って、かなりの問題児トリオではあった。私たちが興味を持つような問題はそうそう起こらないため、私たちの活動は能動的なものが大半を占めた上、三人とも大分派手好きであるため、周囲に与える影響も大きかった。


 周りの人からの私たちに対する良印象と悪印象は、おそらく半々といったところだろう。当然、最初の頃は問題になることもあったが、諦められたのか、その内声は小さくなっていった。


 大きな問題にされることがなかったのは、私たち三人が確かな功績を上げてもいたからだろう。決して簡単ではない問題に立ち向かい、解決に導いた実績は、誰にも否定できるものではなかった。


 そんな私たち三人が、今まさに死の危機に瀕している。周囲に人がいるわけもない、真夜中の山中で。


 私こと茉離、十七歳。湖巻と気夏、共に十六歳。


「因果の歪みがぼやけている。初めての感覚だ」


 気夏がそう呟いたのが、今回の事態の始まりだった。


 因果が歪んでいる、すなわち異変が起こることは分かる。しかし、その詳細がぼやけており、場所と時間は辛うじて分かるが、それすらいつもほど正確ではないと、気夏は言った。


 私たちはすぐに行動を開始した。因果の歪みが示す場所へ向かい、そこで起こる異変に対応するために。


 いつもと違うことを理解していなかったわけではない。それでも、私たちの行動に迷いはなかった。


 今思えば、私たち三人全員に驕りがあったのだと気づける。冷静なつもりで、判断力を欠いていた。長い間苦境に直面することがなかったせいで、危機管理意識が薄れていた。


 故に、私たちはその代償を払うことになった。


 初めに狙われたのは、私だった。油断していたつもりはなかったにもかかわらず、気配を殺した闇からの襲撃に、私は気づくことができなかった。


 その失態の代償は、気夏によって奪われた。トラックほどに大きい躍動する何かから私を庇い、衝突による衝撃で、気夏は重傷を負った。


 私だけでなく湖巻も、襲撃には気づけなかった。なのに、気夏は気づいた。ここには明確な理由がある。


 気夏の第六感は、気夏自身との関りが強い因果であればあるほど、正確な認識ができるのだ。すぐ先の自分の未来など、その最たるもの。そのため、私たちの中で一番危機察知能力に優れているのは、気夏なのである。


 闇の中に戻っていこうとする、場の暗さ故に姿がよく見えないそいつに、湖巻は飛びかかった。ここで湖巻が武器を持っていなかったこと、そもそも私たちの誰一人として武器を持っていなかったことも、驕りの現れだと言えるだろう。


 湖巻の掌打は、巨体の中心付近に命中した。明確に後退していたため、衝撃がしっかりと伝わったのは間違いない。


 にもかかわらず、巨体の様子に大した変化はなかった。巨体は軽く体を動かし、湖巻を吹き飛ばした。


 地に伏した二人は動かなかった。大事な骨が何本も折れて、内臓にも損傷が及んでいるのは、予想に難くなかった。


 私のそばに重体の二人を残して、巨体は闇の中に消えた。初撃と同じように、再び闇の中から襲いかかってくるつもりなのは、明らかだった。三人中二人を打ち倒しても、謎の巨体には驕りがなかった。


 その時点で、私は変化を許容することを決めた。今まで恐れていた、先の見えない変化を。


 湖巻と気夏という明らかな異才と並び立っておきながら、凡人などと自称する気はない。私もまた、ある種の異端である。


 私という存在には、得体の知れない力が宿っている。最古の記憶、孤児院で生活していた頃から、私にはその自覚があった。おそらくは、二人と同様に生来のものだろう。


 力が宿るのは私という存在の奥底とでも言うべき場所だったが、逆に言えばそれ以外に封などはなく、力の余波とでも言うべきものは常に溢れ出していた。私はその僅かな力を最大限活用することで、常識という壁を超えてきたのだ。


 しかし私は、その力を真に開放することだけは避けてきた。理由はシンプルに恐怖である。もし開放すれば、今の私は失われるという確信があった。根拠はなく、ただ確信だけが。


 そして今、そんな変化を私が許容すると決めた理由も、同様にシンプルだ。私自身を失うことよりも、湖巻と気夏を失うことの方が、遥かに恐ろしいと感じたからである。


 周囲の環境に、全力で意識を広げる。葉と葉が擦れ合う僅かな音まで、全てを取り逃がさないように。


 あれほどの巨体を動かすともなれば、音は立てざるを得ない。巨体の動きを捉えるのは、さほど難しいことではなかった。それだけ私たちが、驕っていたということでもあった。


 私は注意を糸のように張りつめながら、細かく経ち位置を調整した。二人を守れるよう、巨体の位置を正面に据え、二人を背後に隠し続けた。


 短くも長い時間を経て、巨体は再び姿を現した。その瞬間に、私は自身の奥底から、力を引き抜いた。


 その力は、輝く光の形をしていた。私は導かれるように、光を右手で握りしめた。


 光は、右手を中心に収束した。やがて光は、刀のような形を成した。片手で振るうには少しばかり大きすぎるが、両手で扱うには丁度良い大きさだった。


 その光を見て、巨体は動きを止めた。光に照らされ、明らかになった巨体――人と蛇の混ぜ物のような化け物の概観を認識して、私は確信した。


 驕りは確かにあった。しかし、それ以上に。


 どうやら、日常の外側に踏み込み過ぎたらしいーーと。


 


 光の刀を手に、私は化け物に近寄る。右手だけで握っていた柄に左手を加え、両手で大きく振りかぶる。


 不自然なほどに重さは感じないのに、体中の骨が軋んでいる。血肉が震え、心臓が激しく鼓動しているのを感じる。


 私の感覚が正しいとすれば、それは歓喜の声だ。力の解放を受け、全身が喜びに震え、私の制御から外れようとしているのである。どうやら私の身体は、私の味方ではなかったらしい。


 力の解放によって起こったのは、分かりやすい肉体の変化だけではない。精神、意識にも望まぬ変化が起こっている。


 知らない観念、思想、感情が、私の意識を蝕んでいく。昔から確信していた通りに、不可避の変化が私を襲う。脳味噌がかき混ぜられるような感覚が、今までの私の終わりを告げる。


 今、私はこれまでの人生で一番無理をしている。自分自身に、無理を強いている。


 一太刀で、この化け物を仕留めなければならない。切った張ったの戦いができるような余力はない。


 そんな私の状況に気づいたのか、あるいは単に光の刀に怯えてか。ともかく怪物はじりじりと後退し、再び後方の闇に逃げようとする。


 闇の中に追っていく余裕だって、当然私にはない。もしここで化け物を逃がせば、私たちは一貫の終わりだ。


 だが、そんな未来は訪れない。


「私ばかり、見過ぎだよ」


 言葉が通じたら儲けものだと思いながら、私は言った。ほぼ確実を完璧にするための、ローリスクハイリターンな一手。駄目だったとしても何とかはなるはずだが、それを理由に細やかな仕掛けを怠るような驕りは、もう捨てた。


 人に似た顔だけあって、意味を理解してくれたらしい。望み通りに、化け物の視線が私の背後にズレる。


 見なくても分かる。私の背後にいるのは、もう気夏だけだ。


 予想外の状況を認識し、警戒しながらゆっくりと後退していた化け物の意識に、切れ目が生まれる。例え一瞬であろうと、これほどの絶好の機会はない。


 化け物が隠れようとした背後の闇の中から、湖巻が飛び出す。私に向かって、化け物を蹴り飛ばす。


 死の危機に瀕しても、一分足らずで動ける程度の肉体を取り戻す。そしてすぐさま闇に身を隠し、奇襲の機会を伺う。湖巻なのだから、それぐらいのことはする。


 目前、すぐそばの位置で化け物が無防備な姿を晒す。これほどまでに好都合なのは、湖巻が単に蹴り飛ばすのではなく、化け物の隙を突いたおかげであり、ひいては私の一言があったからだ。近くにさえ来てくれれば何とかするつもりだったが、安全で余裕があるに越したことはない。


 化け物の敗因。それは、湖巻と気夏の両方を殺し損ね、あまつさえ意識から外したことである。


「もう少し、右だ」


 後ろから聞こえた気夏の声に従い、私は切っ先を少し右にずらしてから、光の刀を一気に振り下ろす。


 断面が滑らかだったのは、瞬きの合間の僅かな一時。血肉が零れ落ち、生々しい鉄錆の臭いが鼻を突く。

始めまして。作者の空つねりです。


お察しの方もいるかもしれませんが、これはプロローグというか、登場人物紹介というか、要するに第一話です。長く書くことを想定しているので、この話だけだと宙に浮いている要素が沢山あります。


この後の話はもちろん書くつもりですが、しばらく忙しいことが予想される上、いつ執筆に力を入れられるかという見通しが立っておりません。そこで、一旦短編として投稿して見ることにしたわけです。


長編として一話だけ投稿する、という選択肢を選ばなかった理由としては、頂いた意見次第では、本格的に書き始める際に大きな変更を加えることも考えているためです。短編として投稿した方が目に付くだろうな、という目算もあります。


ということで、評価はいいので、コメント・ご意見を何卒宜しくお願い致します。

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