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小倉百人一首 返事のない恋でした  作者: まりり


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3番 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む

[あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む]


<長く長く垂れ下がっている山鳥の尻尾のような秋の夜長。あなたを思いながら、私は1人寂しく眠ることになるのでしょうか。>





少し冷たい澄んだ空気と、ぼんやりとした月の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。


「仕事が長引いてるから今日も遅くなる、ごめん」


「分かった。ご飯は食べる?」


いつまでも既読のつかないメッセージを、じっと見つめた。



社会人2年目の美穂は、大学の頃の同級生で付き合って4年目になる浩人と、小さなワンルームで同棲している。


浩人は大学生の頃からよくモテた。

いつも場の中心にいるくせに周りをよく見ていて、美穂のように飲み会で端っこに座って俯いているような子にも、人懐っこい笑みを向けて声をかけてくれた。


そんな彼を好きになるのに、時間はさほどかからなかった。


そして何の奇跡か、浩人は美穂をデートに誘い、5回目のデートで告白してきた。

当時の美穂は、人気者の浩人が取り柄のない自分を選んでくれたことが信じられず、何かのゲームに巻き込まれているのではないかとさえ思った。


しかしそんな不安を消し飛ばすほどに、浩人は美穂を大切にしてくれた。


美穂が風邪を引いた時には授業を休んで甲斐甲斐しく看病し、申し訳ないと言う美穂に、


「美穂ちゃんが元気になってくれる以上に大事なことなんてないよ」


と爽やかに微笑んだのだった。


大学卒業のタイミングで自然と始まった同棲生活は2年が経つ。

付き合いたてのような燃え上がる関係ではないが、これまで大きな喧嘩もなく、平和に過ごしてきたつもりだった。


しかし、美穂にとって安心できる場所だったワンルームの小さな部屋は、浩人にとっては息苦しいものになっていたのだろうか。


4ヶ月ほど前から、浩人の帰りが遅くなった。

最初のうちは遅くても日付が変わる前には戻ってきたのに、最近は美穂が早朝にふとベッドの隣を見ても空っぽのままのことが増えた。


そんな夜が続いて2ヶ月ほど経った、まだ暑さが残る日曜日の午後。

大学時代の数少ない友人から「相談がある」と呼び出された。


「彼氏に浮気されたの。帰りが遅いなーとは思ってたけど、全然気づかなくてさ……ほんっと頭にくる!!」


「え、あの優しそうな彼氏さんが浮気?」


「そーそー。会社の後輩と飲みの流れでそういう関係になって、ズルズル続いてたんだって。偶然スマホが見えた時に気づいたんだけど、会社帰りにその女の家でイチャイチャしてから帰るのがルーティンだったらしい。まじでキモすぎる!!」


「そうなんだ……同棲してたんだよね?」


「うん、1年くらいかな。今はアイツを追い出して1人で住んでるけど、胸糞悪いから私も引っ越す予定」


怒りを爆発させる友人を慰めつつも、美穂は胸の奥に小さな不安が芽生えるのを感じた。


(浩人を疑いたくない。でも、こんなに朝帰りが続くことなんてある?帰ったら聞いてみようかな)


帰宅してすぐ、ソファに寝転んでいた浩人に声をかけた。


「大きい仕事があってさー、昇進もかかってるから頑張らなくちゃいけないんだ」


頭をかきながらどこか照れたように言う浩人に、美穂は言葉を返せなかった。


美穂は知っている。

浩人が頭をかくのは、何か隠し事をしている時だ。


他にも疑いを深める出来事はいくつかあった。

美穂が話しているのにぼーっとして聞き返してくることが増えたり、休日は一緒に家で過ごすことが多かったはずなのに、最近はジャケットを羽織ってどこかへ出かけるようになったり。


極めつけに、帰宅後のズボンを洗濯しようとポケットを探ると、高級アクセサリーブランドの名刺が出てきた。浩人はアクセサリーには全く興味がないはずなのに。


(浩人に限って……いや、でも)


不安は膨らむばかりだった。


(今日こそ聞く。他に好きな人がいるんじゃないの?って)


そう決意していた夜。


「仕事が長引いてるから今日も遅くなる、ごめん」


いつもと変わらないメッセージに、美穂は思わずため息をついた。


「分かった。ご飯は食べる?」


そう送ってから風呂に入り、髪を乾かし、今日こそは遅くなっても起きていようとコーヒーを淹れようとした時――。


スマホが震えた。


液晶には知らない番号。


警戒しながら電話に出ると、少し焦りを含む声が聞こえた。


「お電話失礼致します。〇〇病院の救急外来です。三島浩人さんのご家族でしょうか?」


「え、恋人ですけど……浩人がどうかしましたか?」


「三島さんが職場で倒れられて救急搬送されました。現在、意識がない状態です。緊急連絡先にこの番号が登録されていたため、ご連絡いたしました。今すぐ病院に来ていただくことは可能でしょうか?」


「えっ……」


そこからどう病院へ辿り着いたのか、美穂は覚えていない。


寝巻きにサンダルをつっかけただけの姿で案内された病室で見たのは、この世のものとは思えないほど白く美しい浩人の顔だった。


ベッドに横たわる浩人の隣で半狂乱になって泣き叫ぶ美穂を、医師が悲痛な表情で見つめる。


「長期間にわたる時間外労働が原因と考えられるくも膜下出血です。手は尽くしましたが……」


美穂はその言葉を受け入れたくないというように、首を振りながら涙を流し続けた。



いつもより広く感じるワンルームで、美穂はスマホを見つめていた。


黒い服に身を包んだ彼女の左手首には数珠、薬指には可愛らしい指輪。どこかミスマッチだった。


浩人の葬式は、亡くなって2日後。秋の冷たい雨の中、粛々と行われた。


そこで浩人の同僚だという藤沢が声をかけてきた。


「この度は、心よりお悔やみ申し上げます

どうしても貴女にお伝えしたいことがあって……」


「なんでしょうか」


美穂は俯いたまま、小さく答えた。


「これ、浩人が会社のロッカーに入れていたものです。あいつ、美穂さんのために張り切って選んでましたよ。アクセサリーショップなんて行ったことないから緊張するって、一張羅着て気合い入れてました」


「指輪……?」


「会社で大きなプロジェクトが始まって、浩人もメンバーに抜擢されたんです。でも上手くいかなくて……。それでも美穂さんにプロポーズするには、それに見合う男にならなきゃって、ものすごく頑張ってました。プロジェクトを成功させることが昇進への近道だから、って。だからって、こんなことになるほど頑張らなくて良かったのに……」


藤沢の涙声が、遠くから聞こえてくるように感じた。


(全部……全部、私のために頑張ってくれてたってこと?)


美穂の頬を涙がつたった。


藤沢の手を借りながらタクシーで帰宅し、部屋に入っても何もする気になれず、ただ座り込んで最後に送ったメッセージを眺めた。


「浩人、疑ってごめんね。お願いだから帰ってきてよ……」


一人で過ごす秋の夜長は、まだまだ終わらない。


どこかで、鳥の声が聞こえた気がした。


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