宝石箱には、君の笑顔
風間 陽翔と如月 澪は、隣同士に住む幼馴染。
小さな頃から、朝の登校も、帰り道も、ずっと一緒だった。
澪は今、高校一年生。
陽翔は、中学三年生。
小学校も、中学校も、当たり前のように同じ時間を過ごしてきた二人。
——でも、それは澪が中学を卒業する日までの話だった。
2月13日。日付が変わる少し前。
今年も、結局こうなってしまった。
「……こら陽翔!いつまでやってるの!徹夜してまで“逆チョコ”に情熱注ぐ男子って、さすがに澪ちゃんにも引かれるわよ?」
陽翔の母は小さくため息をつきながら、泡立て器を持った息子の背中に声をかける。
けれど彼は、「気にしない気にしない」と肩をすくめるだけで、手を止める気配はない。
「俺の名誉のために言っておくけど、これはあくまで澪姉が料理壊滅的だから参考にしてもらうために作ってるだけであって、澪姉に渡す為ってわけじゃ……ねーし」
「……陽翔って、ほんと女子力高いよね」
母の言葉に、陽翔はにやりと笑ってみせる。
「だろ?明日びっくりさせてやるんだ」
時計の長針と短針が12時を過ぎ去り、今年もバレンタインがやってきた。
世の中の女子が気になる男子へ秘めた想いと共にチョコレートを渡す、一大ビッグイベントの日。
去年が土曜日と被ったせいでチャンスを逃した女子が、今年こそはと力作を仕上げようとキッチンで奮闘し、翌日へ備えて眠ったであろう14日の夜中。
そんな夜に彼、風間陽翔は黙々とチョコレートを仕上げていた。
今年のテーマは宝石箱。
正方形の箱に升目状に厚紙の敷居を作り、9つの装飾の凝ったチョコレートを慎重に並べていく。
ハートや花の形のチョコ、丸いボンボン、金箔で飾り立てた生チョコ。
ミルクにホワイト、見た目だけでなく味にももちろんこだわった自信作だ。
ふぅ……と深く息を吐き、凝り固まった肩を鳴らしながら揉んで解していく。
気が付けば時計は1時を過ぎていたが、夜更かしは若者の特権。このまま仕上げさせてもらう。
「今年こそ……今年こそは言うんだ」
瞼の裏にチラつくのは、隣に住む幼馴染の如月澪の笑顔。
甘いものが好きな澪姉の為なら、これぐらい何てことない。
「もー、ハルったらまた甘い物持ってきて!」
なんて怒ったフリしながら、目を輝かせて俺の作ったお菓子を嬉しそうに食べる笑顔が好きだ。
思えば、小さな頃から朝の登校も、帰り道も、ずっと一緒だった。
澪は今、高校一年生。
陽翔は、中学三年生。
物心つくまではいつも泣きながら澪の後をついて回っていたらしいが、今はもう違う。
俺はもう、一人前の男だ。だから……もう、澪姉の後ろじゃなくて――隣に立ちたい。
恋心を自覚したのは、俺が小学校5年生の時だった。
澪姉とは毎日家を出たら一緒だった。
帰った後だって、二階の自室の窓からいつも手を振って笑顔を向けてくれていた。
――そんな澪姉が同級生の男子に告白された。
きっかけは、澪の下駄箱に入れられた一通のラブレター。
クラスメートの男子に煽られ、澪が校舎裏へ行くところを、陽翔はこっそり後を付けた。
相手は運動が出来て人気者の男子だった。
まっすぐな好意を伝える言葉と、深々と頭を下げる潔さ。
相手としては悪くないだろう。
黙りこくった澪の背を見て、陽翔は胸のモヤつきを覚えていた。
――澪姉はどうするんだろう。
澪の笑顔は、陽翔だけのものではない。そんなことは幼いながらも分かっていた。
しかし、友達に向ける笑顔と自分に向けられる笑顔が少し違う事に……その時になって気付いたのだ。
――澪姉を渡したくない。
そう思った陽翔は、物陰から飛び出してまっすぐ澪へと駆け寄り、その手を取った。
「澪姉は俺のだから!」
その時の男子は、あっけにとられたような顔をしていた。
そして、何だコイツと苛立ちを隠さない顔へと変わっていき、舌打ちを一つ。
ヤバいと思った。でも、ここで退いたらダメな気がすると、その場でぐっとお腹に力を込めて男子を睨み返した。
「ぷっ……あはは、ごめん。そういうわけだから!」
明るい澪の笑い声。
そしてグイッとつないだままの手を引き、その場から走り出した。
俺は転びそうになりながらも、必死に澪と繋いだ手を放してしまわないように全力で走った。
運動がそこまで得意でなかった俺は、最後まで澪姉の隣まで追いつけなかった。
だから前を走るその時の澪の顔は見ていない。
それでも、繋がれたままの手の柔らかさと、しっかりと握り返してくれたあの手の温もりは今も忘れていない。
あれから、澪姉が先に小学校を卒業して、すぐに中学校で追いついて、そしてまた先へ行かれてしまった。
既に澪姉の通う高校へは推薦で合格している。2か月後には、また一緒の学校だ。
……でも、分かっている。どうせ2年後にはまた置いて行かれてしまう。
何で、もうちょっとだけ早く生まれられなかったんだろう。
同じ年齢なら、同じ時に産まれていればって何度も思った。
……弱気はダメだ、しっかりしろ俺。
今度こそ、たとえ2年間だけだろうと、俺は澪姉の隣に並び立つんだ。
きゅっと金色のリボンを蝶結びにして、チョコレートは完成した。
あっという間に時計は2時を指そうとしている。
洗い物は明日にしようと、陽翔は足音を殺して自室へと戻っていった。
* * *
夜中1時、喉が渇いて目が覚めた私は、たまたまハルの家の電気がまだついている事に気付いた。
あの部屋は確か台所のあるリビング。
普通なら風間のおじさんかおばさんが遅くまで家事をしているのかなって思うけど、ハルの部屋のカーテンがまだ開きっぱなしだ。
昔からの二人だけの合図。
寝た時はカーテンを閉める。起きているならカーテンは開けておくって約束。
ハルはとっても几帳面だからその合図を破ったことはない。——つまり、起きている!
「ふふ、またチョコ作ってるのかな?」
澪はベッドに戻ると勉強机の上に置いた、可愛くラッピングしてリボンを結んだチョコの箱を見て笑みを浮かべる。
「今年は負けないもんね!」
毎年、何かと理由を付けてハルはチョコを送ってくる。それでいてホワイトデーもプレゼントを送ってくれる。可愛い弟みたいな存在……だった。
きゅ……とパジャマの胸元を握る。
年々カッコ良くなっていくハル。友達の妹情報だと、結構告白もされているとか。
小学校の時、ハルが言ってくれた「澪姉は俺のだから!」
この時から、ハルを男の子として意識し始めてしまったんだ。
私はハルよりもお姉さんだから、ずっと守ってあげなきゃって思ってた。
……でも、いつの間にか、ちゃんとした男の子になってたんだね。
私が中学を卒業する時の、ハルのあの顔をまだ忘れられない。
だって、捨てられた子犬みたいな顔をしていて……思わず笑っちゃった。
でも、その後に見せた決意に満ちた顔が……格好良かった。
ハルの笑顔。あの切なさげな顔。強く何かを決意した男の子らしい顔。
全部私だけに向けて欲しい……なんて思うのは、迷惑かな。
――それでも、今年こそは言うんだ。
「……ハルが好き」
まだ消えない、ハルの頑張りの明かりを眺めながらいつの間にか澪は眠りに落ちていた。
* * *
バレンタイン当日。
そわそわと男子も女子も浮ついた空気の流れる休み時間。
陽翔は興味なさげに睡眠不足からくる眠気を欠伸で逃がしていた。
誰が誰からチョコをもらった。俺の机には何もない。下駄箱に溢れんばかりに入っていた。
そんなどうでもいい話が飛び交う中、陽翔は帰ってからの澪への告白の事を考えていた。
最初からスッパリ言ってまうか。それとも、チョコを食べて幸せオーラを出している時に告げてしまうか?
『んー?いいよー?』なんて言ってくれるかもしれない。
「……でも、意外と乙女な所あるしなぁ」
頭を抱えながら机へ突っ伏し、腕を枕に目を閉じた。
大丈夫、なるようになる。
あっという間に時は過ぎ、放課後。
下駄箱で上履きを履き替えようと靴箱を開けた瞬間、一枚の紙とチョコが入っていた。
「か、風間……お前……!!!」
「羨ましいやつ!!!チョコなんかいらねぇとすかしておいて、自分はしれっと貰うなんてっ!!」
……ああ、面倒な奴らに見られた。僻みに精神を乗っ取られた男子は面倒だ……。
「うるさい、俺はこんなのいらない」
「うぎいいぃぃっ!!捨てるなんてっ!許さないぞォ!!」
「持って帰れェ、俺達が貰えないのに捨てるなんて悍ましい事を!」
余りにワーワーギャーギャーと騒ぎ立てられ、思わず陽翔がキレた。
「あーもう、持って帰ればいいんだろ!?」
適当に鞄へとチョコと手紙を捻じ込み、小走りで家へと帰った。
* * *
澪が高校から小走りで下校し、手洗いうがいを済ませて自室へと戻り、カーテンを開ける。
既に陽翔の部屋のカーテンは開け放たれ、彼がもう家に戻っている事を確認する。
――さぁ、いよいよだ。
パンッと頬を叩き、気合を入れる。
出発する前に、しっかりと鏡で前髪や制服に乱れがないかチェックし、万全の体制を整えたら机の上に置いたチョコを手に部屋を出た。
自宅の玄関を出て徒歩10秒。あっという間に風間家だ。
チャイムを鳴らそうとした時、タイミングよくドアが開いた。
「あら!澪ちゃんいらっしゃい!陽翔、上にいるわよ♪」
陽翔のおばさまだ。手にはお買い物袋が下げられ、ちょうど買い物に行くところみたいだ。
「はーいっ!おじゃましまーすっ!」
いつもの風景、いつもの香り。それなのに、今日は妙に足取りが重い。
階段を登るのも一苦労。緊張のあまり、階段で倒れてしまいそうだった。
いよいよ辿り着く陽翔の部屋の前。
大きく深呼吸をして、いつも通りだと自己暗示をかけつつ、一気にドアを開いた。
「やっほーハルー!チョコ持ってきた……よ……?」
陽翔の手には可愛らしくリボンの結ばれたチョコらしき箱と、手紙。
ドアを開けた時の風圧で彼の手から手紙が飛び、ひらひらと澪の足元へと落ちた。
「——ッ!!」
その手紙の中には『ずっと風間君が好きでした』の文字。
* * *
自室に帰った陽翔は、カーテンを開け放ち、窓から見える澪の部屋のカーテンがまだ閉まっている事を確認してから、昨日作った自信作のチョコの箱を机の上へと置いた。
「……よし、いえる。行ける……」
ブツブツとリハーサルをしながら鞄から教科書類を取り出していく。
その時に、コトリと小さな箱と手紙が落ちた。
「……あ~。忘れてた」
先に教科書類を片付け、鞄も戻し、いよいよ小箱と手紙を手に取った。
ハートのシールで封をされた手紙を開くと、同じクラスの女子、高田からの告白の内容が綴られていた。
小箱の中身は手作りの本命チョコだと……?いらんな。
今の俺に必要なのは、澪姉だけ「やっほーハルー!チョコ持ってきた……よ……?」
バァンと音を立ててドアが開き、その風圧で手紙が煽られ手から抜け落ち、澪の足元へと落ちていく。
「——ッ!!」
――見られた!!
「……ご、ごめ……」
ギギギとゆっくりと踵を返し、部屋を出て行こうとする澪の手を陽翔は掴んだ。
「違うからっ!!俺の下駄箱に入っていて、うるさい男子のせいで持って帰ってきちゃったけど……」
「ううんっ!!いいよ!私の事はっ気にしないで……」
背を向けたままの澪の肩が静かに震えていた。
いつも元気な彼女の声が、最後は消えゆくようで……。
胸の痛みをかき消すように、陽翔は叫んだ。
「違うんだ!!俺は……俺は!!澪姉が好きなんだよっ!!」
「ッ……!」
ビクッと澪の身体が震える。
「ずっと……小学校の時から、澪姉だけを見ていた。……一歳差なんて大したこと無いと思っていた。
でも……その一歳が、一年が、俺には苦しかった……」
陽翔は大きく息を吸い、ぐっと身体に力を入れる。
……緊張と拒絶されたらと恐怖で震え出そうとする身体を力で押さえつけた。
「澪姉とは帰ってくれば会える。でも……学校でも、通学路でも、同じ道を……澪姉の隣を歩きたいんだ。澪姉と、ずっと一緒に居たい……だって、好きだから!!大好きだからっ!!」
「……」
澪は黙ったまま、陽翔の言葉を聞いていたが、小さく息を吸うとゆっくりと彼へと振り返った。
「……私も、ハルが……陽翔が……好き。ずっと、大好き……でした」
澪は頬を真っ赤に染め、視線は陽翔の足や手あたりを彷徨っていたが、決意を決めたかのように陽翔の目へと視線を上げた。
「あの日……陽翔が澪姉は俺のだからって、言ってくれて……嬉しかった。……私も、ずっと言いたかったの……」
陽翔は溢れる感情を抑えきれずに澪を抱き締めた。
昔は彼女を見上げ、次第に追いつき、いつしか身長は彼女より頭一つ高くなっていた。
すっぽりと自分の胸の中に納まり、涙で胸元を温かく濡らし、そっと背に腕を回す憧れの人の体温を、甘い香りを陽翔は何より愛しく感じていた。
* * *
「……何か、恥ずかしいね……?」
「あー……うん、そう……だね」
陽翔が澪を座りバックハグする形で、何をするわけでもなく、ただぴったりとくっつきながら時間を過ごしていた。
沈黙が二人の間に満ちているが、それは決して居心地の悪い物ではなく、幸せを噛み締める余韻だった。
「そうだ……澪……これ」
机に手を伸ばし、チョコを引きよせ澪へと渡す。
「これ、俺からのバレンタイン。題名は宝石箱」
「あは、ありがとう……!うわ、凄い綺麗……食べて良い?」
「もちろん。……あ、まって」
陽翔は箱のチョコへ手を伸ばすと、ハートの形のチョコを取り、澪の口元へと運んだ。
「はむ……」
澪がチョコを食べる際、陽翔の指が唇に触れた。
それはとても柔らかく、思わず身震いをしてしまう。
「ん……おいし♪さすが陽翔」
すぐ近くにある、澪の顔。彼女の笑顔、その唇に陽翔は目を奪われていた。
その視線に澪はしっかりと気付いていた。
「……ねぇ、陽翔」
「うん?」
「春から、また一緒の学校だね」
「うん。ずっと、隣で歩くよ……何があっても」
澪は箱からもう一つ、次は白いハートのチョコを選び、口の中でとろけさせる。
「……ちょっと、味のおすそ分け……」
ゆっくりと、二人の顔が近付いていく。
吐息が触れ合う距離、そして……二人の唇が重ねられた。
二人の部屋のカーテンは、夜の風に揺れていた。
もう、それは“秘密の合図”ではなく、
二人の想いが重なった“恋のサイン”になっていた。
少し後の二人。
「そうだ!陽翔、これ私のチョコ……食べてみて?今年は自信あるの!」
「ほんとに?どれどれ……ぐふっ?!」
「陽翔っ!?」
というわけで、リクエストに頂きました甘々な恋愛短編小説、書かせていただきました。
ローファンタジー・童話・ホラーと続いて恋愛。
色んなジャンルへ手を伸ばせてとても良い経験になりました。
陽翔と澪の今後は、これ以上触れるのは野暮ってものでしょう…
それでは、また別の作品でお会いしましょう。
濃厚圧縮珈琲