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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

灰になるまで、剣を持て

作者: ねこラシ

 空が焼けていた。

 深紅に染まる夕焼けではない。火薬と竜の炎によって、空そのものが焦げついていた。雲は裂け、煙は太陽を覆い隠し、影が城壁を這うように伸びていた。


 ここは、滅びの前にある王都、ヴァルディレア。

 かつて大陸最強と謳われた王国の、最後の砦。


 そして、その城門を背に立つのが――王国最後の騎士、ヴァルター・エインズベルクである。


 「……あまりにも静かだな」


 黒銀の鎧を纏い、長く鍛え上げられた大剣ミストラルを肩に担ぎながら、ヴァルターは呟いた。

 城内に味方はいない。兵も、侍女も、民も、すでに避難の道を選んだ。


 王も、王妃も、まだ幼い王子も。

 今やこの広大な王都に残っているのは、ただ彼一人だけだった。


 


 「……王よ。どうか、遠くで生き延びてください。あなたと、その血筋が絶えることのないように」


 彼は祈るように、胸の鎧を握り締めた。

 その内部には、かつて王から賜った《誓いの銀章》が仕込まれていた。


 その王が城を去るとき、最後に彼へ向けて残した言葉は、短く、力強いものだった。


 「ヴァルター。我が剣よ。お前に、この城を託す」


 ヴァルターはただ、静かに膝をつき、剣を地に立てて応えた。


 「この命、城と共に在りましょう」


 それが、彼と王国の最後の会話だった。


 


 ――風が吹く。

 遠く、地鳴りのような音が近づいてくる。

 敵軍の進軍音。数千を超える魔族と傭兵、そして裏切り者たちが、最後の砦へと牙を剥いて迫っていた。


 その先頭に立つのは、グラース・ヴォルター。

 かつて王国に仕え、ヴァルターの兄弟同然に戦った元将軍。

 今は魔王の配下として、故国へ剣を向ける裏切り者。


 「ヴァルター……なぜ貴様がそこにいる。逃げる時間などいくらでもあっただろうに」


 「守るべきものを守るために、ここに立っている。それ以上の理由はない」


 「もう王国は滅びたのだ。そなた一人では、何も守れぬぞ」


 「それでも――王国はまだここに在る。私がそう証明する」


 グラースは苦しげに顔を歪めた。かつて共に酒を飲み、背を預け合った戦友。その眼差しは、今もなおあの日のままだ。


 「……ならば、こちらも容赦はせぬ。全軍、構え!」


 大地が揺れた。魔族の咆哮、傭兵の怒号、黒旗の翻り。

 そして、たった一人の騎士の前に、闇が押し寄せる。


 


 最初に来たのは獣人の斥候部隊。

 その速さは風の如く、連携は群狼のようだった。


 ヴァルターは一歩も退かず、ただ剣を横に振った。

 一撃で三体を断つ。次に来た二体も、音すら立てる間もなく地に沈む。


 黒い血が舞う。地面に染みる。だが彼の目は変わらない。鋭く、静かに、ただ前を見据えていた。


 


 続いて、魔術師団が現れた。

 上空には呪文陣がいくつも展開し、雷と炎が雨のように降り注ぐ。


 ヴァルターは《ミストラル》を天に掲げた。

 剣に刻まれた王国の古代紋章が、白い光を放つ。


 「《天守の祈剣》――聖印解放」


 剣が空を裂いた。魔法は消滅し、衝撃波が魔術師たちを吹き飛ばす。

 土煙の中、彼は駆け、敵を一人ずつ斬り伏せていく。


 


 時間が、歪んだようだった。

 斬って、斬って、斬り続ける。


 彼の体は既に限界だった。

 無数の傷、裂けた鎧、重くなる呼吸。


 それでも立ち止まることはなかった。

 「誓い」のために。

 王国の旗が、まだ城の上に揺れている限り。


 


 ついに、最後の敵が現れる。


 グラース。


 背丈も、構えも、剣の重さも、全てを知り尽くした男。


 「ヴァルター、終わりにしよう」


 「ならば……騎士の礼に則り、剣を抜け」


 静かな対峙。

 互いの剣が、火花を散らしてぶつかる。


 グラースの剣は重く、鋭い。だが、ヴァルターの剣は「想い」を帯びていた。


 「なぜ……なぜお前は、変わらない!」


 「私は、変わらないように生きてきた」


 ――刹那、ヴァルターが一閃を浴びせ、グラースの肩を裂く。だがその瞬間、グラースの短剣が、彼の腹に深く突き刺さっていた。


 「……やはり、お前は甘い」


 「それが、俺の誇りだ……」


 


 ヴァルターの身体が崩れた。

 血に濡れた剣が地に落ちる音が、空に響いた。


 


 けれど――そのとき、風が吹いた。


 城の最上部に掲げられていた王国の旗が、高らかに翻る。


 空は晴れ、雲が裂け、光が差し込む。


 たった一人の騎士が、その命をもって守った「国の象徴」が、そこにあった。


 


 黒の軍勢は、誰も彼の遺体に手を触れなかった。

 倒れたその姿には、確かな「魂」が宿っていた。


 


 そして――数年後。

 辺境の村に生まれた少年が、廃墟と化した城跡を訪れた。


 彼がそこで見たのは、苔むした石の上に今もなお突き刺さる剣と、風に舞う旗の破片。


 その剣には、こんな言葉が刻まれていた。


 「灰となるまで、剣を持て」


 少年は、その意味も知らず、ただ涙を流した。


 誰のものかもわからぬその剣を、そっと握った。


 ――王国の魂は、まだ生きていた。


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