朔と美園のMV
フローライト第百十八話
「そう、そんな感じ。いいね」と監督に言われる。今日は美園の新曲のMVの撮影だった。一人だと思ったら、何故か相手役の男性俳優まで準備されていた。きわどい衣装を用意されて仕方なく美園はそれを着たが、相手役までいるとは聞いてなかった。
「ありがとうございました」とその相手役の男性が撮影後右手を出してきた。美園も「こちらこそ、ありがとうございました」とその男性と握手を交わした。
MV自体の出来は悪くはなかった。けれどかなりきわどいシーンを求められた、その男性とキスする寸前まで顔を近づけさせられたり、露出の多い衣装で後ろから抱きしめられたりした。
(これ・・・朔に見せれないな)と思いながら帰宅した。
朔はここのところコンテストの絵にかかりっきりになっている。こないだすべてダメにしてしまったので、一からやり直しだ。それでも、凄い集中力ですでに一枚は完成していた。
美園は朔の邪魔をしないように、アトリエには顔を出さないでキッチンに入った。買って来た食材を袋から出し食事の支度を始めた。咲良に食事も大切だよと言われて、最近はたまに作るようにした。
朔の好きなビーフシチューを作ってから、アトリエのドアをそっと開けた。朔は床にうつぶせになって大の字になっている。見るとキャンバスの絵がかなり出来上がっていた。
朔の得意は抽象画だが、その絵はどこかの風景のように見えた。草原の向こうに町が見える。
「朔」と美園は朔のそばまでいってその肩に手をおいた。朔が美園の方に頭を向ける。
「ご飯作ったから食べよ」
「作ったの?」
「うん、朔の好きなビーフシチューだよ」
「え?ほんと?」と朔が起き上がった。
「うん、だから食べよ。あの絵、完成したの?」と美園はその風景画のような絵を見た。
「んー・・・一応できたかな」と朔もその絵を見る。
「綺麗な風景だね。どこかにあるの?」
「ないよ。俺の頭の中の風景」
「そうなんだ」
朔の頭の中にある風景か・・・と美園がもう一度その絵を見ると、朔が「早く、行こう」とドアの方に行った。
「あ、うん」と美園も立ち上がった。
「美味しい」と朔が喜んでビーフシチューを食べている。朔は嬉しい時は、ほんとに素直にそれを顔にも出すし言葉にもする。美園は嬉しくてもつい斜めに構えてしまうから、朔のそういう所はいいなと思っていた。
「絵、後一枚だね」と美園は言った。コンテストは一人三作品出せるのだ。
「うん・・・」
「最後はどんなのか決めてるの?」
「んー・・・まあ、大体」
「そうなんだ」
「シチューっておかわりしていい?」と珍しく朔が言う。朔はいつもあまり食べない。
(でも、好きなものは食べれるんだな)と美園は「もちろん、いいよ」と朔から皿を受け取った。
「ありがとう」と朔が美園からシチューの皿を受け取る。それから「美園はMVどうだった?」と聞かれた。今日撮影だということは言ってあった。
「んー・・・まあまあかな」
「まあまあって?どんな衣装だったの?」
「んー・・・まあ、そんなすごくはないよ」
「・・・できたら見せてね」と朔が言う。
「うん・・・」と返事はしたが、どうやったら見せずに済むだろうかとちょっと思う。
朔の絵はそれから順調に進み、最後の一枚もおおよそ出来上がった頃、美園は朔と実家に帰っていた。時々マッサージにおいでという奏空の言葉を守って、奏空の都合に合わせて実家を訪れるようにしていた。
マッサージを終えるとリビングで咲良が入れてくれたハーブティーをみんなで飲んだ。
「これ、ペパーミントだね」と美園が言うと、「そうだよ、美味しいでしょ?」と咲良が言う。
「朔君はどう?」と咲良が朔に微笑むと、朔が「美味しいです」と少し顔を赤らめた。
(咲良のどこがいいんだろう?)
朔の様子を見て美園は思う。
「朔君、絵は完成したの?」と奏空が聞いた。
「はい・・・大体・・・」と朔はいいかけて、急にテレビ画面を見た。皆がそれにつられてテレビの画面を見ると、美園の顔が映し出された。
(あ・・・)と思う。それは芸能ニュースで最近実は美園のMVが話題になっているのだ。
「今までとはまったく違う天城美園ちゃんがSNSで話題になってます・・・」
テレビのアナウンサーが言う。下着のような衣装をまとった美園の足が、露わになっているところがアップになった。そしてその足にひざまずいている男性が映った。
「あ、これ、美園の歌と全然イメージ違うよね?」と咲良が言う。
そして次にはその男性が美園を後ろから抱きしめて、その手は美園の胸の近くまで触れてきている際どい映像が映った。最後は二人がキスするような寸前の映像で終わる。
「えー美園。これ曲とまったく違うじゃん。よくやったね」とまた咲良が言う。その横で奏空がチラッと朔の方を見た。朔はさっきからポカンとしたままテレビを見つめていた。それからハッと気が付いたかのように言う。
「MV、まだ出来てないって言ってたよね?」と朔が美園を見る。
「うん・・・」
「嘘ついてたの?」
「・・・ごめん」と美園は素直に謝った。朔には見せたくなかったのだ。
すると朔が急に立ち上がって「・・・帰ります・・・奏空さん、ありがとうございました」と頭を下げて玄関の方に行った。
「あ、朔君」とその後を咲良が追いかけていく。
残った奏空と目が合う。
「・・・見せない方がいいと思って・・・でも、見せておけば良かったかも・・・」
美園が言うと奏空が「そうだね。朔君に嘘はやめたほうがいいよ。彼はものすごく傷つくから」と言った。
「美園!早く行きなよ」と咲良に言われて、美園は慌てて玄関に行って靴を履いた。
「ちゃんとフォローしなよ」と咲良が少し呆れたように言った。
「わかった」と美園はマンションから出て駐車場に回った。朔は車の前で待っていた。
「朔、ごめん。嘘言って」
謝りながら車の鍵を開けた。
朔は「いいよ」と言って助手席に乗り込んだ。
「見せづらかったの・・・相手役の男性がいるなんて知らなかったものだから」
美園はシートベルトを締めながら言った。
「そう」と朔が窓の方に顔を向けている。
(これはヤバいな)と美園は思う。前のようにせっかく完成した絵に当たったら、もう今度こそコンテストには間に合わなくなる。
「朔、ほんとごめん」
「・・・・・・」
「許してくれる?」
「・・・早く車出して」と朔が言った。
仕方なく美園は車を発進させた。このままではまずいと思うのだけど、どうしていいかわからなかった。朔は嘘をつかれてたことと、あのMVの内容と両方に傷ついている。
(絵だけは守らないと・・・)
マンションに着くと美園はそう思った。
朔は部屋に上がるとすぐにアトリエの方に行った。美園もその後をついて朔のアトリエに入った。
「何でついてくるの?」と朔が言う。
「さっきの答え、聞いてない」
「何の話?」
「許してくれる?嘘言っちゃったこと」
朔は黙って絵の方に視線を向けてから言った。
「許すって言うか・・・仕事なんだから仕方ないんじゃない?」
「うん・・・だけど嘘言っちゃったのは悪かったから」
「見せたくなかったんでしょ?」
「まあ・・・そうだけど」
美園はだんだん何で隠したんだろうと思ってきた。朔だって仕事だってことくらいわかるのだ。それなのに自分は朔に隠した。
(私・・・何かずれてきてる・・・)
美園が考えていると朔が「もういいよ。出て行って」と言った。
リビングに戻ってソファに座り込んで考えた。けれど何がどうずれてるのかはわからなかった。朔の絵を広めたい、そのためにサポートしたい・・・それだけ?それだけなら私じゃなくても良くない?
(それだけじゃない何か・・・)
いつのまにか朔を傷つけないように、絵を守らなきゃとそればかり考えて、腫れ物に触るかのようにしてないだろうか?
(サポートだけなら黎花さんの方がずっと上だ。私にはまったく知識がない・・・)
じゃあ、何で自分は朔といるのだろう?だんだんわからなくなってきた。
(好きだから・・・とか感情の話し?)
(私は朔が好きだからだとか、そんな風に勝手に思って・・・朔は自分がいないとダメになるだなんて、勝手に思ってない?)
じゃあ、私はここで何をしてるのだろう?
美園は自分で自分に問いかけた。その思いはこの空間の中に浮遊してさまよい、やがてまた自分のところに戻って来る。”私”が見ている世界は、”私”という幻想が作り出した幻の世界なのだ。だから行き場を失った私の思いはまた自分に戻って来る。
私は朔を何重にもなった分厚い自分のフィルターからのぞき、勝手に評価し勝手に判断している。
(あ・・・)と美園は思った。
いつのまにか朔の”生”の中に取り込まれていて、それを真実だと思い込んでいた。昔、美園は朔をこっち(光)に戻そうと思って、自分こそが”闇”なのだと言うことに気がついていなかった。
(あの時と同じ?)
朔は今も”光”なのだ。それは変わるはずもない。だとしたらこの闇は自分自身の闇ではないか?
── そうだよ。
奏空の声が聞こえた気がした。
(奏空・・・奏空はすべてを見通せるんでしょ?だったら教えてよ)
── 何を?
(ここがどこかを)
── ここ以外にないのだから、ここがどこかなんて場所もないでしょ?
(じゃあ、私はどうしたらいいのよ?朔と一緒にどうしたらいいの?)
── ・・・・・・。
もう返事はなかった。美園の目に涙が浮かんでくる。
(朔・・・)
闇のイメージの中に朔が現れた。
── 美園・・・。
闇の中、朔が美園に近づいてくる。
── ここが闇だと思わないで。美園が勝手に思ってるだけ・・・。
朔?
── 俺を守らなきゃって、責任感なんていらない・・・。
「美園」と声が聞こえてハッとして美園は目を開けた。
朔が心配そうに美園の顔を覗き込んでいた。
(あれ?)と美園は起き上がった。ここはリビングで美園はソファで眠ってしまっていたのだ。
「ごめん、さっき・・・」と朔が謝ってきた。
「いいよ・・・朔は悪くない」
美園はまだぼんやりしている頭でそう言った。
「美園・・・」と朔が座っている美園の膝に顔をうずめた。
「・・・美園は俺のだよね・・・」と朔が顔をうずめたまま、美園の背中に手を伸ばしてきた。
「そうだよ」
「うん・・・」と朔が顔を上げて美園を見つめてきた。
「俺・・・俺が美園のこと守れないの?」
(え?)と思った。
「どういうこと?」
「美園は俺のこと・・・守りたいみたいなこといつも言うけど・・・俺が美園のこと守れないの?」
「朔が私を?」
「・・・俺の絵のために・・・芸能界にいるって・・・」
「・・・・・・」
「俺が美園を守れたら・・・芸能界なんてやめれる?」
(朔・・・)
”守る”だなんて・・・ただの自己満足に過ぎなかった。朔は弱くなんかない。だって光は朔の方なんだ。
「うん・・・」と美園が返事をすると、朔がすごく嬉しそうな顔をした。
「俺・・・絵で入賞する・・・そしてもっと有名になるから・・・そしたら美園は芸能界やめて欲しい・・・」
「うん・・・わかった。朔がそうなったら芸能界はやめるよ」
美園がはっきりそういうと、朔が笑顔になって「うん・・・」と口づけてきた。
「美園・・・好きだよ・・・」と朔が言う。
「うん・・・私も朔が好きだよ」
そう言ったらまた朔が口づけてくる。そうか・・・朔はとっくに成長して美園を追い越していたのだ。美園がいつまでも朔を子供のように扱うから、朔がそれに答えていただけだ。
それから朔は最後の一枚の絵を一週間で完成させた。そして黎花のギャラリーのメンバーの拓哉と優輝と共にコンテストに応募した。