リーゼン=へレイストン
「ラビス! 無事だったか……無事なのか?」
私の顔を一瞥した後、安心してホッとするも返り血塗れのマルクス君の姿を見て再び不安に駆られる。
「こ、この血は人鬼の返り血だから問題ない! アルム君こそ怪我は無いか?」
マルクス君は緊張した面持ちで尋ねる。
「ああ、俺は問題ない。囮を引き受けたのに取り逃がして悪かったな」
「……! 謝る必要なんてない、そもそもキミが僕たちを助ける理由なんてないのに……」
マルクス君は深々と頭を下げる。
「セロブロ様の命令とは言え、キミにあんな態度を取ってしまったこと……本当に済まなかった!」
「――――アルム! マルクス君も好きで従っていたわけじゃないからさ……!」
私はマルクス君にこれまでの鬱憤をぶつけるかもしれないと感じて、宥めようと試みる。
アルムへの嫌がらせは無視したり孤立させたりと決して耐えられないものでは無かったが、その許容度を私の物差しで測ったって意味は無い。彼にしてみれば耐え難い所業だったかもしれない。
「分かってるよラビス」
しかし私の不安とは裏腹に彼は優しく微笑んだ。
「マルクス君、だっけ? 頭を上げてくれよ。確かに最初はどうなっちまうのか焦ったけどさ、ラビスだけは話しかけてくれた。それだけで楽しい学園生活を送れたんだ。だからあんたも謝る必要はない」
「……ありがとう!」
そうだった……アルムは強くて優しい人だってずっと前から知っていたことじゃない。
「むしろ感謝しなくちゃいけないかもな。クラス内で孤立したお陰で同情したラビスが話しかけてくれたんだからな」
「孤立してなくてもアルムには話しかけてたよ! そういう意地悪ばっか言うから孤立しちゃうんだよ!」
「うわぁ、お耳が痛い」
そして少し意地悪なところも知っている……そんな所も含めて、彼が好きだ。
「って言うか早く洗ったほうが良いと思うぞ。匂いが残りそうだし、衛生的にも良くないだろ」
「そう言えばすっかり忘れていた!」
「真面目な話しててすっかり忘れてたね」
私たち三人は苦笑した。
「……騎士団もそう思いますよね?」
しかしアルムは笑みを止めて茂みのほうへ鋭い視線を向ける。
「騎士団? なに言ってるの……?」
「いつまで隠れているつもりだ? それとも言葉が通じない魔物か?」
不自然な様子に問い掛けるもアルムは視線を逸らさない。
異様な光景に私たちに緊張が駆け巡る。
「申し訳ありません。盗み聞きをするつもりは無かったのですが……」
そう言って茂みから顔を出すのは鎧を纏った騎士だった。
「盗み聞き? 冗談は止めてください。少なくとも俺がここへ駆けつける時には既に居ましたよね」
「失礼、言葉が足らず誤解をさせて申し訳ありません。確かに私は茂みに隠れて貴方たちが人鬼と戦う姿を見ていました」
「見ていましたって、その場に居合わせたなら手を貸すべきでしょ」
アルムはやや強気な口調で言い返す。
「私たちの職務は学園の生徒たちが安全に試験を受けられるよう手助けをすること、貴方の言う通り手を貸す場面だったかもしれません」
「だったら――――」
「しかし試験のルールでは『生徒が助けを求めた場合にのみ介入する』という決まりになっています。窮地と呼べる状況下で騎士団の助けを求めなかったのであれば、介入するかどうかは私の判断で良いと思いますが?」
「それは……!」
アルムは言葉が詰まってしまう。
彼はどんな戦いだったのか見ていないのだから答えようがない。
「じゃ、じゃあ! マルクス君が人鬼に潰されそうになった時、その時に介入しなかったのは何故ですか?」
発した言葉がおかしくなかった不安に思いつつもアルムに代わって反論する。
こういう討論は苦手だけど、ここで聞いておかなければいけない。
もしあの状況で魔法が失敗していたら、間違いなくマルクス君は死んでいた。
ルール以前に目の前で人が死にそうな状況を見過ごすなんて余程の理由が無ければ納得も理解も出来るはずがない。
「……確かに一歩間違えれば命を落とす状況でした。しかし生徒の成長する機会を奪ってしまうのは良くないと考え、踏み止まることに決めました。結果として新たな魔法を成功させ、ご友人も死なずに済んだではありませんか」
「それは結果論だろ! あんたの馬鹿みたいな考えのせいで人が死んでいたかもしれないんだぞ!」
「人間いきていれば、どこかで命を張る場面に遭遇するでしょう。それを乗り越えていかなければ大きく成長することは出来ません」
「……貴方の考えはよく分かりました。せめてその腐った考えは自分だけに当てはめてくれることを期待していますよ」
諦め、いや話す意味が無いと考えたアルムは話を切り上げる。
「マルクス君、試験は続けられるか?」
「……回復薬を持っていない僕たちに怪我を治療する手段は無い。悔しいけどリタイアすることにするよ」
マルクス君は班員の彼女を見て試験退場の判断を下す。
彼女は頭から血を流して軽傷とは言えないし、マルクス君も心身ともに疲れ切っているだろう。残念だけどこれ以上は無理をしないほうが良い。
「ではその二人は私が設営地まで連れて行くので、貴方たちは試験を続行してください」
「……よろしくお願いしま――――」
「いやあんたの手は借りない。この二人は俺が設営地まで連れて行く」
マルクス君の声を遮って騎士の人の申し出を断る。
「アルム……⁉」
「何を言ってるんだアルム君! 手助けは十分だから君たちは試験に戻ってくれ!」
「彼の言う通りです。生徒の保護は私たちの職務、余計な事はせず試験に集中してください」
双方から断られるもアルムは首を横に振る。
「あんたに任せていたら心配で試験に集中なんて出来ないんだよ。自分で送り届けたほうがかえって集中できる」
「……彼の提案を受け入れますか?」
騎士の人は強制しようとはせず、マルクス君に委ねられた。
「僕は……」
「マルクス君、そんなに自分を責めなくていい。さっき言ったことは本当なんだ。試験に集中したいからぜひ頼ってほしい」
「……アルム君、僕たちを送り届けてくれないか?」
「決まりだな!」
悔しさを押し殺したような震えた声でマルクス君は懇願し、アルムは嬉しそうに申し出を受け入れる。
「違う……」
悔しくて震えていたんじゃない、ただ騎士の人が怖かったんだ。
自分だけが傷付くなら受け入れられたかもしれない。だけどプライドを守るために好きな人にまで被るのは耐えられないはずだ。
でも責任感が強いマルクス君が私たちを頼るのも心苦しい。
だからアルムは少しでも頼ってくれるようあんな言い方をしたんだ……。
「文句はありませんよね?」
「ええ、本人の希望であればこれ以上、私が口を挟むことはありません。道中お気をつけてください」
「待て」
この場を去ろうとした時、アルムが呼び止める。
「名前を聞かせてくれないか?」
何故そんな事を聞くのか、そんな疑問が浮かぶも野暮な質問をする気は無い。
「……リーゼン=へレイストンです。貴方の名前を聞いても宜しいですか?」
「アルム=ライタードだ。お仕事頑張ってくださいね、リーゼンさん」
今度こそリーゼンさんは森の奥へ進み姿を消した。
「勝手にマルクス君たちの護衛を引き受けて済まない」
「良いよ別に。これも何かの縁だし……アルムがカッコいいから許してあげる」
「ありがとな」
お返しするように脈絡もなくアルムを褒める。
私と違って軽く流されたが……。
「そう言えばリーゼンが言っていた『新たな魔法』ってそこの人鬼を斬り裂いた魔法の事だろ。どんな状況だったか詳しく分からないけど、実戦で新しい魔法が使えたなんて凄いよ!」
「アルムのアドバイスのお陰だよ」
あのアドバイスが無かったらマルクス君を死なせていたはず。
アルムには本当に助けられてばかりだ。
「何言ってんだ、口で言うのは簡単でも実際にやるのは至難の業だ。魔法制御力ならラビスのほうが上かもしれない」
「本当に⁉」
「ああ、今まで以上に頼らせてもらおうかな」
「……たくさん頼って! 私がアルムを支えるから!」
何でも良い、彼より優れた部分があるだけで『隣に立つ資格がある』、と思わせてくれる。
「じゃマルクス君、設営地へ行こうか。班員の彼女は俺が運ぶから」
「二人とも、よろしく頼む……」
アルムは気絶したままの彼女を抱きかかえる。
私もやってほしい、そんな願望をぐっと堪えて私たちは設営地まで歩き出した。