カトレアは二度、夢を見る
「ねぇエリオット、聞いてるの? あなたって本当、お気楽でいいわね」
「カトレア先輩、ちょっと飲みすぎじゃないですか?」
柔らかい雰囲気の男前、エリオットと呼ばれた男性が遠慮がちに指摘する。
「うるさいわね。あなたと組んでもう1年よ。こんなのあり得ない。飲まずにいられないわ」
「どうしてですか?」
「はぁ。エリオット、やっぱり聞いてなかったのね。私たちがパーティを組んだのはなぜだったかしら?」
「カトレア先輩が俺を拾ってくれたからですか?」
「そうよ! 良家の五男だか六男だか知らないけど、冒険者になるために家を飛び出してきたあなたをここまで育てたのは誰だと思ってるの?」
「カトレア先輩ですね」
「そう、そうよ。エリオット。わかってるじゃない。私よ。私もね、令嬢って堅っ苦しい立場が嫌で家を飛び出して冒険者になったものだから、あなたのこと放っておけなかったのよね」
「感謝しています」
「ふふん、そうよ! 感謝しなさい!」
「でもこの前は、元のパーティが解散になって暇だったからだ、って言ってませんでしたっけ?」
「う、うるさいわね! だってメンバー全員が口をそろえて、結婚して引退します、なんて言われたら仕方ないじゃない。みんな気を使ってくれてたのはわかるけど、私だけ知らなかったのよ。本当、ばかみたい……あ、エリオット、あなた全然飲んでないんじゃない? すみませ~ん! こっちにさっきと同じもの追加で!」
話が良からぬ方向へ脱線しそうだったので、カトレアは店員に呼びかけて強引に流れを変えた。
「で、それから1年よ1年。誰からも声をかけられることもなく、腕っぷしばかり強くなって。私ってそんなに魅力ないかなぁ……」
「先輩はとても魅力的ですよ?」
「またそうやって、どうせ明日には覚えてないからって適当なこと言っちゃって……あなたは……」
「先輩?」
「すぅ……」
どれくらい眠っていただろうか。目を覚ますと、空になったジョッキは片づけられ、店内の人気も減ってきていた。
テーブルの向かいでは女性が突っ伏して眠っている。誰だろう。それにエリオットがいない。あきれて帰っちゃったかな。
いつもはどんなに飲んだ日でも家まで連れていってくれるのに、ついに彼からも相手にされなくなってしまったのか。そう思うと少し泣けてきそうだ。
そんな気分のままジョッキをちびちびやっていると、ふいに敵意のようなものを感じた。見回すと店の一角に陣取っているガラの悪そうな男たちがこちらを見ている。
そのうちの一人が近づいてきて、私に言った。
「よう兄ちゃん。その姉ちゃんはあんたの連れかい?」
「あ?」
誰が兄ちゃんだコラ。自分でも驚くほどに、えらくドスの利いた声が出た。
「おお怖い。連れだってんなら、ちょっと痛い目見てもらおうかな。」
男がそう言うと、待ってましたとばかりに下っ端たちがぞろぞろと集まってきた。
揃っていかつい見た目だが、近づいてみればどいつもこいつも妙に小柄だ。数は多いが、これなら私でも勝てそうな気がする。
「この姉ちゃんは今夜、俺たちと遊ぶことになった。あんたは床板とでもキスしてな。」
やるしかない。この女性を守るために。そして何よりも、私を女として見ようともしないこいつらに、鉄拳で制裁を加えることに決めた。
全部で8人。私を囲んでいるのがリーダー格の男と下っ端5人、そして残りの下っ端2人が女性を連れ出そうとしている。
そして今、下っ端の1人が抱き上げたその女性を見て、私は仰天した。
「え、私!?」
何が何だかわからない。あちらで下っ端に連れ去られようとしているのは私、カトレアだ。
じゃあ私は誰なんだ?改めて自分の姿を顧みる。
ごつごつした手。筋肉質な体。着ている服は私がパーティを組む時に、街歩きに高級な鎧は目立つからと彼に買ってあげた服。これは、エリオットだ。
一体どうなっているのか。私がエリオットだとすると、じゃあエリオットは?もしかして私の体に――
「オラァッ!」
下っ端が殴りかかってくる。パニックになっていて反応が遅れたが、エリオットの体は驚くほどスムーズにその攻撃をかわすことができた。
「お前らも続け!やっちまえ!」
リーダーの号令で、残りの下っ端4人も一斉に襲ってくる。わからないことばかりだが、今は考えている場合じゃない。まずはこいつらを片付けるのが先だ。
相手は5人がかりだったが、こちらは体もよく動くし、力も強い。エリオットってこんなに頼もしかったんだ。
何度も拳を叩き込むが、相手もしぶとい。よろめきながらも中々倒れない。そのうちに背後から捕まり、殴られ、蹴られる。それを引きはがしては投げつけ、殴り返す。そうして傷を負いながらも一人、また一人と倒していき、やっとの思いで残すはリーダーの男一人となった。
いくらエリオットの頑丈な体とはいえ、私の息は上がり、あちこちが痛み、口の中には鉄の味が広がっていた。
「頑張るじゃないか。だが、もう終わりにしよう」
リーダー格の男が言う。でも私はそれどころじゃなかった。気が付くと、私がいない。
「女はもう連れ出したよ。お前がもたもたやってる間にな?」
「か……いか……」
「あぁ? 何だって?」
「覚悟しろって言ってんだ!!!」
堪忍袋の緒が切れる、というのはこういうことだろうか。
私は今までに感じたことがないほどの怒りを覚えていた。まるで自分が自分でなくなったような。まあ、今は自分の体じゃないんだけど。
ともかくそのぐらい怒り狂った私は、リーダー格の男を殴りあう間もなく一方的にボコボコにした。
肩は外れ、歯が何本か折れて顔の形が変わった男は、命の危険を感じたのだろう。快く私を合流場所に案内してくれた。
残る二人の下っ端もついでに叩きのめし、私は無事、私を守ることに成功したのだった。
それから私は、何も知らずのん気に眠りこけている私の体をおぶって家に帰ることにした。
後を付けられていないか心配で何度か確認はしたが、大丈夫だったようだ。
私の体をベッドに寝かせ、自分は床に座ってベッドにもたれかかる。
自分の家なのに人を寝かせて自分は床だなんて、変な気分だ。いや、体は自分のだけど。
そもそもどうして私がエリオットになっているのかわからないが、逆にわかったこともあった。
それは、エリオットのことだ。いつもは頼りなさげな彼だが、体格も良くてすごく強かった。
あの時感じた怒りも、今思うとあれはエリオットが私のために怒ってくれていたのもしれない。
それに、おぶって帰るとき、エリオットから見た私ってなんだか小さくて、自分の体ながら妙に愛おしく感じた。
色々あってエリオットの体とはいえ流石にちょっと疲れたみたいだ。
瞼が重い。少し、眠って……体のことは、それから考えよう……。
――夢を見た。
その夢の中では、さっきの酒場でエリオットが誰かと喧嘩してるみたいだ。
私はもうろうとした意識の中で誰かに抱えられている。
そのまま連れ去られる私をエリオットが呼んでる気がする。助けて、エリオット――。
でも、体が動かない。声が出ない。怖い。
だんだんとエリオットの声が遠ざかっていく。夜も更けた静かな街を、誰かは私を抱えたままどこかへ向かう。
歩くたびに振動が伝わってくる。一歩ごとにけっこう揺れるものだからだんだんと気持ちが悪くなってくる。そうしてしばらく進んだ先で私は床に降ろされた。どうやら、どこかの家に入ったみたいだ。
誰かの話声が聞こえる。何を言ってるかはわからない。
何かされる気配はなく、そのまま少し床のひんやりした感触を味わう。揺れが収まったので気持ち悪さも落ち着いてきた。まだ体は動かない。
仕方ないのでじっとしていると、乱暴な足音が近づいてくる。
「カトレア!」
今度ははっきり聞こえた。エリオットだ。誰かのうめき声とともに、重たい何かを床に落としたような音がした。
それから騒がしく何か鈍い音がしていたようだけど、少ししたら静かになった。エリオットが声をかけてくる。
「カトレア先輩? 大丈夫ですか? すみません、俺がついていながら……」
「ん……」
返事をしたかったけど、やっぱり体は言うことを聞かない。でも、ぼんやりとエリオットの姿が見えた。少しケガをした彼は、私に不安そうな視線を向けている。どうやら、すごく心配をかけてしまったみたいだ。
「とりあえずここを出ましょう。家まで送りますね。……ちょっと失礼します」
そう言って彼は優しく背中を貸してくれる。大きな背中だ。なんだか安心する。
されるがままにエリオットにおぶられて帰路に着く。温かい背中だ。それに、できるだけ揺らさないよう私を気遣ってくれてるのがわかる。さっきの人とは大違いだ。
「先輩は無防備すぎるんです。俺、心配してるんですよ」
独り言のように、エリオットがつぶやく。
「危なっかしい先輩のために、俺がもっと強くならないとですね」
エリオットってこんなに頼もしかったかな?
「尾行もないみたいです。帰りましょう」
家に着くなり、エリオットは私をベッドに寝かせてくれた。
「着きましたよ、先輩」
(ありがとう)
お礼を言ったつもりだが、声になったかはわからない。彼はくすりと笑って私の髪を撫でる。それが妙にくすぐったく、嬉しかった。
私はどうしてしまったんだろう。
頼りない後輩のエリオットがすごく頼もしく見えたり、彼に撫でられるのが嬉しかったり。
これじゃまるで、私がエリオットのことを好きみたいじゃないか。
言い寄られることがなさ過ぎて、人に飢えているのだろうか。
大体エリオットは、いつも私のことを褒めてくれて、私の愚痴に付き合ってくれて、私のプレゼントした服を嬉しそうに着てくれて、体を張って必死で私を助けてくれて。
それに、私が連れていかれたときの彼は、私のためにこれまで見たことがないほど怒ってくれた。
あれ?エリオットって、実はすごく素敵な男性だったんじゃ?
そう思うと途端に今までエリオットに見せていた、だらしない自分の姿が恥ずかしくなった。
でも、もう自分の気持ちは止められそうにない。目が覚めたら彼に気持ちを伝えてみよう。こんな酔っ払いじゃ、ダメかもしれないけど。
「ダメじゃないですよ」
耳元でエリオットが囁く。
「え、エリオット!?」
心の声に返事をされるとは思っておらず、慌てて飛び退いてしまった。驚きのあまり口から心臓が飛び出るかと思った。
「カトレア先輩。すみません、起こしてしまいましたか?」
「う、ううん。大丈夫」
何も大丈夫ではない。でも体は動く。意識もはっきりしている。今の衝撃で酔いも夢も、一気に覚めてしまった。
「あ、あのね、エリオット。私……」
顔が熱い。静かな部屋で、心臓の音だけがうるさい。この騒音の中、彼に言葉が届くだろうか。私の気持ちが伝わるだろうか。
息ができない。言葉がつっかえて出てこない。きっと、伝えたい気持ちが大きすぎるのだ。
「カトレア先輩。俺からいいですか?」
エリオットがいつもの優しい調子で問いかけてくる。私はそれに辛うじて頷いた。
「カトレア先輩。――好きです」
泣いたのなんて、いつ以来だろう。
貴族の令嬢として生きていたとき、家を飛び出して冒険者として一人で生きていくと決めたとき、始めてクエストを達成したとき、一人前の冒険者としてパーティを結成したとき。
そんな人生の節目で一度も泣かなかった私が、今日始めて涙を流した。
「私も、エリオットのことが、好き……!」
嬉しくて、彼の胸に飛び込んだ。受け止めてくれたエリオットの腕の中は温かくて、優しいにおいがした。
「ちょっと、エリオット。聞いてる?」
「聞いてるよ、カトレア」
「もう1年よ、1年。飲まずにはいられないわ」
「そうだね。今日は少しくらい羽目を外してもいいか。それじゃ、俺たちの結婚記念日に、乾杯」
――あれから数年。彼はいつも私を支えてくれる。冒険していた頃から、ずっと。
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