銃と願い (2)
後ろで上がる歓声がエスターを焦らせる。
立ち上がらなければならない、逃げなければならないとエスターは足に力を込めるが、麻痺してしまったのか全く言うことを聞いてくれない。一メートル足らず地面を這ったところで無駄だと気づき、エスターは体を縮こめた。
首元のチャームを握りしめる。
「神よ……」
うわごとのように呟いて、それから土臭い空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「神よ、お救いください」
金切り声で、叫ぶ。
「この村を、村の人びとを!」
ありったけの勇気と、ありったけの努力と――
全てを絞り出して、エスターは叫ぶ。
舌が回っていないのも、声が震えているのも承知の上だ。
それでも、神には届くだろう。自分にとって精一杯の祈りであり、精一杯の叫びであり、精一杯の悲鳴だ。
「やるわねえ」
上から降ってきたのは女の声だった。
緊迫したこの場にそぐわない楽しげな声は、今思い返せばレイナのものだった。と同時に、エスターの体がふわりと浮いた。すくい上げられるように抱えられたエスターが、きつく閉じていた目を怯えながらも開いた先には、穏やかなイチロウの笑顔。
「大丈夫?」
イチロウの柔らかな声と表情は、エスターの心をふっと緩ませる。
「すごいわね、殺されそうになっているのに、自分のことよりも相手の心配とは、全く聖職者の鑑ってやつね」
レイナの声は言葉とは裏腹の皮肉な色を帯びていた。
声のしたほうにエスターは目をやるが、その顔は見えない。エスターに背を向けて、いきり立つ群衆に向き合っていたのだ。
一目で女性と分かる、細くて丸みを帯びた小さな背中――だが、そこには矛盾するほどに強固な意志が見えた。
放たれる強烈な気迫に、エスターの身体の奥底が震える。
「イチロウ、銃を貸して」
背を向けたまま、レイナは言う。
あくまでも淡々とした口調だ。
「銃? レイナには使えないでしょ。何をするつもりなんだよ?」
「こっちにも対等な武器があるってことを見せたほうが手っ取り早いの! いいから早く渡しなさいよっ」
イチロウの穏やかな声にかぶさるようにレイナは怒鳴る。
「変なことしないでよ」と、イチロウの投げた銃を後ろを向いたままで受け取るなり、レイナはかちりと音を立てて、安全装置を外し――
「待って、レイナ……」
イチロウの制止も間に合わなかった。
耳をつんざく鋭い音と同時に、レイナの向き合った先が土煙りに覆われた。
「やっぱり難しいのね、これ」
パニックに陥る村人たちなど一切お構いなしの様子で、どこか楽しそうに呟く。
「当ててないよね?」
「多分ね。一応、地面を狙ったし。当てちゃう?」
「とりあえずやめておこうよ。この子も、村人を守ってくださいって言ってたし」
「はいはい」
軽い、それでいて平坦な抑揚で進む二人の会話に、エスターは声も出なかった。
安全装置を外したままの拳銃を、レイナは無造作にイチロウに放り投げる。「危ないなあ」と小さく呟きつつも、イチロウもまた、無造作に受け取った。
「あーあ、一人二人、痛い目に合わせたほうが、後々楽なんだけどな」
「だっ、だめです!」
冗談の色の一切みえないレイナのぼやきに、エスターは思わず声を出した。
振り返ったレイナの顔は、落ち着いた様子とは対照的に、まだ若い――エスターと同じくらいだろうか、幼いといってもよいくらいの年齢だ。レイナは整った顔をくしゃりと歪めて、笑顔を作った。
「イチロウ、退くわよ」
「了解」
返事と同時に、エスターの視界は宙に上がった。