長文タイトルについて
偉そうにタイトルに長文タイトルについてとか書いちゃってますが(ややこしい)、私自身小説はあまり読まないので、長文タイトルの作品についての査定とかではありません。個人的な長文タイトルの意味についての見解です。
まず、Twitterとかをやっているとよく見かけませんか?長文タイトル否定ニキ。たくさんいますよね。「長文タイトルだせぇwww」とか言って馬鹿にしてる人達。
俺には美的センスがあるんだぜ!とでも言いたいんですかね?よくわかりませんけど。まあ、そういう人に限って長文タイトルの作品読んでないですよね(偏見)
それで、なんで長文タイトル否定ニキが現れだしたのかということなんですが、私は『商業作品に長文タイトルが増えてきたから』だと思っています。
何故なら、長文タイトルが嫌いだったとしても理由がなければ叩く意味が無いからです。
例えば、トマトが嫌いな人が「トマト不味すぎるからこの世から消え去れよ」とか言っても見向きもされませんよね?これは叩く理由がないのに叩いても意味が無いからです。
つまり、長文タイトル否定ニキが多く見られるということは、長文タイトルの作品を叩く理由があるということです。
当然、長文タイトルを叩くということは長文タイトルが嫌いなのでしょう。彼らは、『何故か長文タイトルの作品が売れだしてきてそれが気に食わない』から叩いているのだと私は思っています。
さて、それでは何故長文タイトルが増えてきたのでしょうか。
これは、なろうを初めとするネット小説の影響なのは間違いないでしょう。
そもそも長文タイトルには何の意味があるのかというと、まず利点としてはタイトルでどのような作品かを伝えることが出来ます。
つまり、長文タイトルが増えたということは『タイトルでどのような作品かを伝える必要がある』ということです。
それは何故か。私はネット小説はなろうしか知らないのですが、少なくともなろうでは検索時に出てくるのがタイトル・ジャンル・作者名・話数です。
つまり、膨大な数の小説の一覧を出されてまず読む読まないを仕分けする際に判断材料になるのが、この四つだということです。ここで問題になるのが、判断材料にあらすじが含まれていないということです。
作者として有名ならまだしも、ネット小説界でそんな名前が売れている人なんて極わずかです。貴方が何かの創作物を買う時、作者の名前を知らなかったら軽くどんなものかを調べてから買いますよね?
ここで、先程の判断材料の話になります。そもそも多くの人がジャンルで絞るだろうからジャンルは置いておいて、話数は人それぞれでしょう。作者名は前提として名前が売れてないとすると、『判断出来る所がタイトルだけ』ということになります。
あとはおわかりでしょう。判断出来る所がタイトルだけなら、タイトルで興味を引かせなければならない。それならタイトルでどんな作品かをアピールしようという流れです。
この場合にタイトルが持つ意味は『あらすじ』であり、これは読者にとってもありがたい事で、作者と読者の間でwinwinみたいな関係になってます。
それでは、商業作品のタイトルはどうでしょうか?
商業化されているという時点で、それはある程度売上が見込めているという前提があるでしょう。出版社のブランドやら作者の名前やら色々要素はありますが、少なくともタイトル以外で興味を引く要素があるということです。
つまり、ネット小説のようにタイトルで興味を引く必要がありません。
この場合にタイトルが持つ意味とは『名前』であり、ここは凝りに凝ったセンスの光る名前が好まれるでしょう。
つまり、商業作品で長文タイトルを使っても(これは私の主観が含まれますが)ダサいので、作者と読者がwinwinのような関係になれません。作者と読者と言いましたが、小説に限らずゲームやなんかでもそうですね。
つまり何が言いたいかというと、ネット小説から商業化した作品の長文タイトルを否定するのはお門違いということです。ましてや、それをダサいとか言って否定するのは本質が見えてない馬鹿でしかありません。
まあ正直言うと、商業化する際にタイトル変えれば?とは思いますが、そうもいかないのでしょう。その辺はよくわかりません。
長文タイトル否定ニキにも色々いますが、その多くは同じ『タイトル』だから同じ意味だと勘違いしている人でしょう。
最初から商業作品であるもののタイトルには『名前』という意味が、ネット小説のタイトルには『あらすじ』という意味があると私は思っています。
というわけで、全ての長文タイトル否定ニキに対して憎悪を込めてこの言葉を送ります。
ダサいのは長文タイトルの本質を見れてないお前らな。
でもやっぱり長文タイトルってダサいよね。