3話 鏡界の記憶
「玄雄……助けて……」
「どうした!? 今すぐ行く!」
携帯に夕陽から急に連絡が入った。何が起きたんだ……無事でいてくれ……
「夕陽さん、なんで逃げるんですかー!」
「玄雄! 助けて……知らない女の子が……」
ショートカットの女の子が夕陽の後頭部に顔をうずめながらまとわりついていた。羨まし……じゃなくて、何やってんだろう。
「ちょっと……周りの人も見てるからあんまり騒がない方が……」
「あ、玄雄さん! お久しぶりです! 」
女の子がずれた眼鏡を直しながら俺のほうを振り返る。この子会ったことあったかな……
「久しぶり……えーと……」
「玄雄さんも私のこと忘れちゃったんですか? ショック……」
「……ごめん」
「涼音です! 昔よく遊んでくれてたじゃないですか!」
そうだ、涼音だ! しばらく会ってないから気付かなかった。この子も鳳雛の家の出身で幼い頃はよく俺の後ろをついて来ていた。
「お前だったのか。大きくなったな」
「二人ともひどいです。夕陽さんは逃げようとするし……」
「ごめん……」
「はは……それよりどうしたんだ? 」
「そうです! 久しぶりにこっちに来たから鳳雛の家に行ってみようと思って……でも道に迷っちゃって……心細くて……夕陽さんを見つけて安心したのに憶えてくれてなくて……」
涼音が泣きだしそうになり、夕陽が慌てふためく。
「ごめんってば……ど、どうしよう……」
「とりあえず抱きしめてやれよ」
「真面目に聞いてるんだけど」
「まあまあ。……ところで、なんで鳳雛の家に行こうと思った?」
「何で、って……あそこは私たちの故郷じゃないですか。……何か問題でも?」
故郷……確かにそうだが、人体実験のこと憶えてないのか? 憶えてたら近付こうなんて思わないはず……
「なあ、涼音。あそこで何があったか覚えてないのか?」
「? 何かありましたっけ……」
「……! いや、何でもないんだ。鳳空飼のこと憶えてるか?」
「あ、はい! たまに遊んでくれてたお兄さんですよね?」
やはり人体実験に関する記憶が抜け落ちてる?
「そっか、変なこと聞いて悪かった」
「いえいえ、では失礼します!」
「涼音……迷子になってたんじゃないの?」
「あっ! そうでした。玄雄さん、夕陽さん、ついて来てもらえませんか?」
「ついて来て、って……鳳雛の家にか?」
鳳雛の家はいわば敵の本拠地だ。俺達が近づくのはまずくないか?
「分かった、行こう」
「夕陽!? 良いのかよ?」
「手をこまねいててもしょうがないよ。それにいざって時に涼音を守れるのは私たちしかいない」
「……そうだな。よし、涼音! 皆で行くか!」
「はい!」
ヒバリと銀子さんにも連絡を取ってみたが、銀子さんは体調が悪いということで断られてしまった。……先日の戦いでおなかを冷やしてしまったそうだ。
「ヒバリさん! お久しぶりです」
「ちょっと、抱き着かないでよ……」
「何やってんだ……。入ろうぜ」
何があるか分からないけど、虎穴に入らずば、だ。
「懐かしいですねぇ、やっぱり帰ってきた、って感じしますね!」
「ああ……そうだな……」
涼音にも勘付かれないようにしないと。今は忘れてても何かの拍子に思い出してしまうかもしれない。…こんな記憶忘れてる方がいいからな。
「懐かしいなー! あ、俺ちょっとあっちの方見て来るわ! ヒバリ、行こうぜ!」
「え、ちょっと、玄雄?」
「夕陽、涼音のこと頼むな」
「……! うん」
ヒバリと一緒に施設内の探索に出かける。何か手掛かりが見つかればいいけど。
「……結局あんたが頼るのは夕陽なんだね」
「そんなんじゃないって。俺と夕陽だと能力のタイプが同じだから苦手な相手が出てきたとき対処できない。涼音が回るのは多分人がいるところだから、誰かに狙われる確率も低いだろ」
「そういうことなら別にいいけど……」
下を向きながら恥ずかしそうに答える。素直に嬉しいって言えばいいのに。まあ、いいや、こっちの俺が戻ってきたときに取っておけよ。
「いやあ、それにしても懐かしいな」
「普通に楽しんでどうすんのよ」
「あ、悪い。……ん? なあ、この部屋ってなんだっけ?」
「見たことないわね……こんな部屋あったかしら。入ってみる?」
「……ああ、行ってみよう」
扉を開けると、部屋一面のガラスケースに羽根が保管されていた。この羽根は一体何だ?
「なあ、ヒバリ。この羽根って……」
「“ペリカン”ね。でもそんなバードロイドいたかしら……」
俺も全く覚えがない。この羽根、よく見るとそれぞれに名前が書いてある。全部ここで育った奴らの名前だ。正確には人体実験で生き残った奴らか。涼音が人体実験のことを覚えてないのと何か関係があるのか? ……! ドアの方から物音がする。
「ヒバリ、隠れるぞ!」
「え……ちょっと……」
急いで部屋の隅のロッカーに飛び込む。少し狭いが見つかるよりましだ。
「誰かいるの?」
部屋の中に優しい大人の女性の声が響く。この声、聞き覚えがある。しかしそれにしても…
「……ヒバリ、別のところに隠れろよ」
「いきなりだったから仕方ないじゃない」
まあ、そうだけどさ。さっきからお前のポニテが首筋に当たってくすぐったいんだよ。
「ねえ、あの人って……」
「くすぐったいからっ、あんまり動くな……」
「え? 何?」
あ、やばい。もう限界。
「ふっふ、はっははははは!」
「ちょっと、あんた何やってんの!?」
完全に終わった。足音がこっちに近づいてくる。ヒバリが黒髪だったら耐えられただろうか。そんなこと考えても仕方ないか。今は生き残ることを考えよう。ロッカーが開いたらすぐに羽根を飛ばして目を潰す、これだな。
「あなた達……玄雄くんとヒバリちゃん?」
「……カリンさん!」
飛ばそうとした羽根を慌てて引っ込める。この人は鳳雛の家で俺たちの面倒を見てくれていた、保母さんのような人だ。
「二人とも……連絡してくれたら出迎えたのに」
「いやー、驚かせようと思って! サプライズ? なあ、ヒバリ!」
「そうそう! でも久しぶりだから迷っちゃって! こんなところに!」
「そうだったの……でも知らない部屋に勝手に入っちゃダメじゃない」
「す、すみませーん。あはは……」
誤魔化せたのか……? でもこれ以上の探索は難しそうだな……
「懐かしいわ。ねえ、あなた達がここに来た時の空貴さんの話憶えてる?」
「憶えてます。私たちのこと、家族だって」
「そうそう。……ねえ、家族で隠し事はよくないんじゃない?」
「……! 何のことでしょう?」
「さっき夕陽ちゃんと涼音ちゃんも来てたわ。“他の目的”があったんじゃない?」
あくまでも優しく、それでも迫力を持って迫ってくる。
「探りに来たんでしょ。人体実験のこと」
「……人体、実験? 何のことか……」
「とぼけないで。あなた達は憶えてるはずよ。ここの羽根に名前がないのを見たんでしょう? 」
全部ばれてる……こうなったら腹を決めるしかない。
「だったら、俺達のこと消すんですか? 」
緊迫した空気の中カリンさんが再び口を開く。
「えっ? ヤダぁ、ちょっと何言ってるの。私はあなた達の味方よ」
あれっ? それじゃあさっきまでの緊張感は何だったんだ。
「空飼くんを止めてあげて。彼を止められるのは、あなた達だけだから……」
そうか、この人にとっては、鳳空飼も“鳳雛の家”の家族の一人なんだ。
「カリンさん……任せてください。俺達が必ず止めて見せます。なっ、ヒバリ」
「……! うん。カリンさん、絶対私たちがなんとかして見せます!」
「ありがとう、あなた達でよかった」
鳳雛の家を後にして、夕陽たちと合流した。余程楽しかったのか涼音はえらく上機嫌だ。
「涼音、楽しかったか?」
「はい! 子どもたちの笑顔は眩しいですねぇ」
しみじみと答えると、俺を抜き去ってズンズン前を歩きはじめる。あいつ来るとき迷子になったの忘れてるんじゃない?
「まったく、あいつは……」
走りだそうとすると、強い向かい風が吹き始める。いや、これは自然の風じゃない!
「涼音! 伏せろ!」
「ほえ?」
体長2mほどの鳥のようなものが涼音の頭上をかすめる。何だあれは? ところどころ羽毛がはがれて筋肉が露出しており、瞳は常に宙を泳いで焦点が定まらない。しかし胸にはしっかりとセンターウイングが確認できる。あいつもバードロイドなのか?
「な、ななな何ですかこれ?」
涼音は腰を抜かしている。こんな時に襲ってきやがって!
「涼音、こっち。」
「夕陽さぁん……」
涼音は夕陽が逃がしてくれる。こいつは俺とヒバリで何とかしないと。それにしても、こいつは本当に人間なのか? 知性が全く感じられない。かといって絶対普通の鳥ではないしな。
「なあ、ヒバリ。あいつ誰かわかるか?」
「分からないわよ……玄雄!」
猛スピードで突っ込んでくる。速い、けど隼人ほどじゃない。後ろに回り込んで羽根を打ち込む。…効い
てない? いや、でも血は出てるしな。
こちらに振り向いて飛びかかってくる。ただ突っ込んでくるだけなら冷静に対処すれば勝てない相手じゃない。上に躱して背中に飛び乗る。この距離ならさすがに効くだろ。
な……何かに足を掴まれる。翼の付け根から人間の腕のようなものが伸びてきていた。首を180°曲げてこ
ちらを見つめてくる。翼を折りたたんで背中の俺を潰そうとしてくる。
「ヤベ……迂闊だった……」
「こっちよ!」
声のする方ににいるのは……俺とヒバリ? 翼を広げてそっちに突っ込んでいく。今の内に脱出だ。羽根で腕を切り落として飛び上がる。切り落とした腕がすぐに再生している。あいつ本当に何なんだよ。
「ありがと……あれ、ヒバリが二人?」
「そんなわけないでしょ。あっちはフェイク」
鳥が衝突すると霧散した。なるほど、便利だなあ。どうやらあいつは痛みを感じないらしい。だったら中翼を直接破壊しに行くしかないが……
「私に任せて」
「……よし、頼む」
ヒバリの撒き散らした羽根が雲のようなものに変化する。あいつも突然現れた地上の雲に困惑しているようだ。さらに雲は小鳥の姿を模して空に舞い上がる。雲で作った囮に引っ掛かってくれたようだ。体を縦にしたところで雲の小鳥を頭の周りに集合させる。
「玄雄、今よ!」
視界を奪われて困惑している隙に懐に入り込んで中翼に羽根を突き刺す。このまま、焼き尽くす! “|灼
けつく《ノスタルジック》夕闇”
「はぁー、何とかなった。やっぱりお前頼りになるな」
「そ、そうかしら?」
平静を装っているが口元のにやけを抑えきれていない。こいつ本当に素直じゃねえな。
「そっ、そんなことより! これ一体何だったのかしら?」
「分からない、俺達と同類のような気もするし、違う気もする……」
「社長! 鳳社長!」
「どうしたの、血相変えて。えーっと……」
鳳空飼は人の名前を記憶するのが苦手だ。父の代から務めていた常務の名前すら覚えていない。
「鷹岡です! それよりも、どういうつもりですか! “チック”を外に出すなど……」
「君ねえ……この業界結構長いんでしょ? 製品テストの重要性が分からない?」
椅子を回転させながらけだるげに答える。
「そういう問題では……あんなものをうちが作っていると知られたら……」
「君たちだって人のこと言えないんじゃない? わが身可愛さにクロオ達に刺客送ったりしてるんでしょ?」
「そ、それは……我々は会社のためを思って……」
「そのせいでツカモトが死んだんだけど? 社員を犠牲にするのが会社のためなの?」
鷹岡は疑問に思っていた。なぜ自分の名前はいつまでたっても憶えないのに末端の戦闘員や実験台にした子供の名前など記憶しているのだろうか、と。
「放っておきなよ。クロオ達に対して特に脅威は感じない。むしろ君たちが余計なことをして僕の目的が達成できなくなることの方が心配だ」
「その目的とは何なのです? 我々に教えて下さっても……」
「君たちに言ったところで理解できないだろ。あまり図に乗るなよ」
「しかし、私たちを無理やり巻き込んでいるんですよ? 責任を感じないのですか?」
空飼は呆れた表情で天を仰ぐ。
「無理やりって……何被害者面してるの? 実験のことは会社ぐるみで隠蔽してるんだ。君たちも同罪だよ? 僕を責めていいのは命がけで告発しようとした連中だけさ。まあ、その連中はもういないけど」
オオトリの内部にも人体実験を止めようとした人間はいた。しかし、鳳雛の家の人間も含め、そうしたものは抹殺されてしまった。
「でも不思議だね。子どもたちの記憶は“ペリカン”さんに奪ってもらったはずなんだけど。彼女が何かしたのかな?」
涼音の記憶が貯蔵してある羽根は下から2段目左から5番目。彼女は一瞬だがチックと、そしてバードロイドと接触した。オオトリの上層部は彼女のことも消しにかかるだろう。後戻りはできない。浜辺カリンはガラスケースから冴島涼音の記憶が貯蔵されている羽根を取り出し自分の体に突き刺す。これで彼女の人体実験に関する記憶が解放される。浜辺カリンは“ペリカン”の遺伝子を持つバードロイドだ。ハバタキによって他人の記憶を羽根の中に貯蔵することができる。鳳空飼に協力して改造された子どもたちの記憶を奪っていたのは彼女である。
「彼を、助けてあげないと……」
浜辺カリンはいつでも鳳空飼の味方である。
ヒバリのハバタキ「天告」羽根を雲のように変化させる。
新しい登場人物
浜辺カリン
ペリカンの遺伝子を持つバードロイド。鳳雛の家の出身ではないが空飼のために自ら実験に申し出た。ハバタキは『慈母の略奪』他人の記憶を羽根の中に保存できる。これを使って鳳雛の家の子供達の人体実験に関する記憶を封じ込めていた。
冴島涼音
鳳雛の家出身。玄雄より1歳年下。幼い頃は玄雄たちによく懐いていた。
鷹岡
オオトリ航空開発の常務取締役。玄雄たちが空飼の実験を嗅ぎまわっていることを危険視して独断で刺客を送っている。
チック
玄雄たちを襲った鳥型の化け物。バードロイドと同じくセンターウイングを持つがその正体は不明。