幕間 北壁の一日
今回は本編でちらっと出てきた国の一日を書きました。
白の北壁。フロストドラゴンやトゥルードラゴンの住まうと言われている北のアルムストレーム山脈の麓に建造された"白の北壁"と呼ばれる巨大な城塞を中心とした小さな国家だ。小さなと言っても王国や連合国と比べて、ということだが。数年前の建国時に独立を許さないシュラーメル連合国が招集した軍と一戦交え、圧勝した後に、逆にシュネーラントという地域を手に入れた。さらにはどのような種族であろうと、北壁に住みたいと願うならば受け入れる多種族国家として有名である。
一般的に"亜人"と呼ばれる人種の中でもヒトとともに暮らしているのはエルフやドワーフといったヒトによく似た種族に限られる。北壁のような北国では鬼人や巨人も稀に暮らしているが基本的にヒト以外の種族というのは嫌悪される傾向にある。理由はその種族の風習を理解できないということであったり、その種族の見た目であったり、自分たちよりも優れているのが許せないという劣等感であったりと様々だが。
そのため亜人たちはヒトの手の及ばない地域で小さな集落を形成して暮らす。当然そうなれば獣の類や魔力を持ったいわゆる魔獣という存在に命を奪われることもある。そんな危険と隣り合わせの彼らにとって自分たちの国というものは非常に魅力的であった。
そんな特異な国家ではあるが、民主主義的な方法で国のトップを決めている。まず、各種族ごとに代表を決める。こちらは数年単位で定期的に代表を選出する。そしてその代表たちが会議をし、国の元首を決めるのだ。そして驚くべきことに現在の元首はヒトだ。名をメテオリーテ・フォルトゥーナという。ヒトでありながら魔術に長けたエルフすら扱うことが難しい魔術の数々を操り、数々の種族をまとめ上げた男である。彼の周りに居るのはほとんどが巨人や蛇人、蟲人といった亜人で、ヒトは少ない。優秀な人材であれば種族は問わないという彼の方針を体現していると言えよう。
白の北壁―通称"北壁"と呼ばれるこの並の街よりは大きい城塞は現在は国を運営する上で組織された様々な機関が詰め込まれている。それでも城塞の部屋は余っているので、メテオリーテなどの国の運営に関わる仕事をしている者やメイド、警備兵といった者たちの一部が住んでいる。といっても北壁という建造物自体古く、詳細な地図もないため全容を把握できているわけではない。なので調査の終わっていない区画をいくつか封鎖している。これらが使えるようになれば収容できる人数は増えるだろう。そんな城塞の周りに城下町のように一般的な雪国の街並みが広がっている。兵士や魔術師、官僚のような職の者たち以外は基本的にそこで生活を送る。他にも街は元シュネーラント領にいくつかあるが、日に日に増える人口を考えれば、あと数か月のうちに住居が足りなくなってしまうだろうことがわかっている。それに伴う食料不足も大きな問題だ。先日、レーヴェナンス王国と友好条約を結んだので良い方向へと向かってはいるが、安定するまでにはまだ時間がかかるだろう。
北壁の一角に国防軍が使用する区画がある。そこは朝であろうと深夜であろうとそれなりの人通りがあり、主に軍に所属している戦狼や蟲人、甲殻人といった戦闘力の高い種族たちが行き交っている。早朝、一人のヒトがその中に混じって歩いていた。三十代ほどの男で、赤茶けた髪をオールバックにしている。体格が良く、着用している鎧やバスタードソードから一目で騎士と分かる彼の名はヴァシリー・エーヴェルスト。元首、メテオリーテのお付きとして働いている近衛の一人だ。多くの種族がいるこの北壁で近衛をしているということは彼の実力が認められているからであり、事実彼の名は周辺諸国でも知るものが多い。そんな彼は2日の休みを終え、今日から改めて仕事が始まるということで、少々気を引き締めて歩を進めていた。
もう少しで軍の使用する区画を抜けるかといったところで前方から見知った顔が歩いてきた。全身が毛におおわれており、顔は犬を連想させるような形。戦狼に共通する特徴だ。さらに彼の場合は体毛の上からでも筋肉がついている軍人の体だとわかる。
「よう、ヴァシリー。久しぶりだな」
声の主はニヤリと笑みを浮かべた。彼の名はシグムント・オースルンド。軍のある部隊を率いる優秀な戦狼である。彼は一ヶ月単位で行う国境警備から帰ってきたばかりだ。だというのに彼の顔には疲労が出ていない。
「お疲れ様。休みは取らないのか?」
ヴァシリーとシグムントは北壁の建国時に知り合って以来気の置けない仲だ。
「ああ。今回は小競り合いが多くてな。報告書を追加で提出しなければならないのだ」
シグムントはおおざっぱな性格の多い戦狼の中でも割と几帳面な性格で、デスクワークも苦なくこなすタイプだ。なので休暇を先延ばしにしてさっさと仕事を終わらせてしまおうという腹づもりなのだろう。
「建国時の戦争から時間も経っている。連合国が何か仕掛けてきてもおかしくはないか…」
「うむ。まあ、そんなわけで私は午前で書類を仕上げてしまう予定なのだ。また会おう」
「ああ、また」
休暇が待ち遠しそうなシグムントとの別れを済ませ、ヴァシリーは軍の区画を抜けた。
ヴァシリーは扉の前で息を整えた。身だしなみを整え、軽く咳ばらいをしてノックをする。しばらくしてから、「はいりなさい」と女性の声で許可が出たので「失礼します」と言いつつ入室した。
部屋の内装は豪奢ではあるものの、それは一般的な民家と比べた場合であって一国の主が使用するには質素だ。調度品も最低限のものしかない。
視線を前へ向けると黒檀の少々装飾の凝ったつくりのデスクとそれに座ったヒト、傍らの蛇人がいた。デスクに座るヒトこそこの国の元首、メテオリーテ・フォルトゥーナである。他国の王の服装は華美なものだが、彼はあまり華美なものは好まないのでホワイトシャツに黒いスラックスというシンプルな服装を身に纏っている。
一方蛇人の方はクレア・フォウという女性だ。蛇人という種族は蜥蜴人など、鱗を持つヒト種とは遠くに位置する種族ではなく、見た目はヒトと変わらない。種族としての特徴は舌が長い、しなやかな体を持つといった程度ではあるが種族としては最強と言われる竜の力をその身に宿している。そのため蛇人はヒト種の最高位に位置する種族といえる。彼女は女性用の袴を着ており、黒髪をショートボブにしている美しい女性である。メテオリーテの秘書官として働いているクレアは好意を寄せていると近衛の間では専らの噂だ。
「おはようございます、閣下。ヴァシリー・エーヴェルスト、ただいまより警備の任につかせていただきます」
「ああ、今日はよろしく」
朝は苦手なのか、目をこすりつつヴァシリーに挨拶を返した彼の見た目は二十代後半に見える。が、年齢以上にしっかりとした振る舞いをしている上に魔術も使いこなすので何らかの術で見た目と実年齢がかみ合わないことも考えられる。ヴァシリー自身魔術は使うがそのほとんどが戦闘向けのものであるし、戦場で見られる魔術以外はあまり知らない。なので彼が魔術で見た目を誤魔化しているかどうかは分からない。
「そうだ、その鎧の性能はどうなってる?」
メテオリーテはヴァシリーの装備している鎧を指して聞く。彼の鎧は試作された新しいタイプのもので、従来の鎧より軽く音もたたないものだ。北壁で唯一十分な量を確保できる鉱石を巨人の技術で鎧にしたもので、魔術による魔化も実験的に行われている。
「3回ほど改良したのですが、私としては実用に耐えうるものになったと思っております。前線で戦う兵士にとっての天敵である魔術に対しての耐性もある程度は確立できておりますし、あとは閣下次第だと」
「あとは俺次第か…。量産した場合の生産性と、精鋭向けの上位モデルも考えておかなくちゃな」
現在この北壁では戦力という意味での人材は不足気味である。いくら闘いを好む者が多い種族がいると言っても兵士や魔術師として国に仕えている者は国の人口に対して少ないし、その中でも選りすぐりともなれば三桁行くかどうかというところだろう。そんな彼らを戦いで失う事態は少しでも避けたい。なので優秀な人物には良いものを与えたいという国としての方針だ。
「テオ様、そろそろ今日のご予定の方を」
「ああ、そうだった。今日は忙しかったんだ。クレアさん、ヴァシリーさん。よろしく頼むよ」
今日は夕方までにメテオリーテの仕事は終わる予定ではあるのだがデスクワークはなく、視察や会談などが詰め込まれているのだ。
「はい」
「はっ」
クレアはメテオリーテだけに見せる優し気な表情で、ヴァシリーは引き締めた表情で彼の言葉に応えた。
午前中は最近友好条約を結んだというレーヴェナンス王国との会談を行った。過去形なのはヴァシリーは同席を許されず、会談の行われる部屋の外で待機していたからである。会談は離れた場所の映像と音声を場にいる者たちに見せるという魔術で行われたということと、近々使節団を派遣するということ程度しか知らない。どちらにせよ、ヴァシリーは命令に従うだけなので余計なことを知る必要はない。知りたがりは短命だと彼は知っている。
午後は最近新たに組織された騎士団の演習を視察する予定だ。北壁にいくつかある演習場の内、第二演習場という場所で行われている。白の北壁という国はその名を示す通り国は年中雪が積もっている状態だ。そのため演習場も雪がうっすらとではあるが積もっている。そんな場所で演習をしている騎士団というのはヒトのみで構成されており、所属しているのはそれなりに実力がある者か素質のある者だ。ヴァシリーも結成の際に勧誘されたが、思うところがあり断った。現在この騎士団はニューハイデンベルグの英雄と呼ばれている人物が率いているらしいが、それ以外はあまりヴァシリーと接点はないので詳しくは分からない。
「ヴァシリーさん、フリードヘルム・エルツベルガーって知ってるか?」
演習場へ向かう道中でメテオリーテが問いかけた。フリードヘルムといえば北壁が独立する前に連合国内の内紛で滅ぼされたというニューハイデンベルグという国を最後まで守ったとして有名な騎士である。彼が騎士として国に仕え始めた時を考えれば年齢はかなりいっているだろう。
「ええ、ニューハイデンベルグが滅びるその時まで国を守った英雄。国が滅びた後は数少ない生き残りとともに傭兵稼業をしていた、とか。気が難しいと聞いていましたのでこの国に引き入れた閣下の手腕には驚くばかりです」
「そこまで知っているなら話ははやい。鎧の最終試験として彼と一戦交えてもらおうと考えている」
「それはそれは…」
思わず愛剣のバスタードソードに手をやる。これはヴァシリーが興奮を覚えた時の癖だ。それなりに腕に覚えがあるので強者との戦いが目の前に迫っていると知れば高揚するのだ。
「ああ、ちょうど見えてきたな」
メテオリーテの言葉で彼が見ている方に視線を動かすと騎士たちの声とともに演習場が見えてきた。うっすらと雪の積もるそこでは鎧を着た騎士たちが幾人かに分かれて剣を用いた模擬戦をしていた。彼らが着用している鎧は統一されておらず、他国の紋章が刻まれたものもいくつかあった。というのも日常生活で使う道具や設備を優先的に作らせていたため、防具はもともと国が所有していたものか、個人の所有物しかない。そのための新型鎧なのだ。その中にひと際目立つ騎士がいた。周りの騎士よりも大きな鎧を身に纏っているそれは、戦闘用に何体か導入されているゴーレムを相手に大きな斧を振るっていた。
近づくことでより細部が見えてきた。細部の意匠や動きなどから普通の鎧ではないことがわかる。分厚い装甲ともいえる鎧が動けているのは機械仕掛けで動いているからだ。背中は穴のようにくぼんだ様な形になっており、そこから時折炎が吹き出すことから何らかの加速装置であることが分かる。恐らくは"工房"製のものだろうということも。彼の持つ大斧からは微かに魔力を感じ取ることができ、ヴァシリーは思わず愛剣の柄を強く握る。強者の雰囲気だ。少しだけ気分が高揚する。メテオリーテ達の気配に気が付いたのか、機械鎧は斧を振るう手を止めてこちらを向いた。そのままメテオリーテに近づき、自身の得物を地に置くと兜を脱いで跪く。兜の下にあったのは古傷がいくつか刻まれた厳めしい顔つきの白髪の男だった。歳は五十代だろうか。
「閣下、お久しぶりです。フリードヘルム・エルツベルガー、ご命令により完全装備で参上しました」
年季の入った力強い声で男は名乗った。
「ありがとう。模擬戦は俺が演習を見て回ってからにするから準備をしておいてくれ。それと、こっちが今回の相手のヴァシリーさんだ」
「ヴァシリー・エーヴェルストです。よろしく」
主からの紹介が入ったので礼をして名乗る。するとフリードヘルムはニヤリと笑った。
「ほう、貴公があのシュネーラントの炎騎士か。中々に戦いごたえがありそうであるな」
今は呼ばれることのなくなった二つ名を呼ばれると少し気恥ずかしさを覚える。が、自身の強さがそれなりに知れ渡っているのは悪い気分ではなかった。
「それじゃあ俺たちは視察を続けるから、二人は準備を」
メテオリーテの言葉を理解したという意味で二人は礼をすると、メテオリーテはクレアを伴って他の騎士たちの様子を見に行った。
「貴公が相手ならば吾輩も気合が入るというものよ」
「私もニューハイデンベルグの英雄と手合わせできるのがうれしいよ」
豪快に笑うフリードヘルムにつられてヴァシリーも軽く笑った。彼らはそう言った他愛のない会話をしつつ模擬戦の準備をする。装備品に不備があるかの確認はもちろん、一番重要なのは自身の得物に防護の魔術を施すことだ。基本的には防具に施す魔術ではあるが、武器にかければ刃の鋭さが鈍り、斬りつけたとしても打撲程度のダメージになるので模擬戦をする際に重宝する魔術だ。
「準備は出来ていますね?」
いよいよ模擬戦が始まろうとしている。周りには演習を終えた団員たちが集まっていた。彼らはどちらが勝つか、といった会話をしながら模擬戦が始まるのを待っている。その中心にいるフリードヘルムとヴァシリーはお互いに得物を構えた。
「テオ様がそれまでとおっしゃった時点で終了とします。それでは、はじめなさい」
クレアの言葉が終わると同時にヴァシリーは構えを解かずに自身の得意とする火の属性に由来する身体強化の魔術を施す。一時的に筋力や敏捷性などを上げる効果の魔術を選んだ。相手はゴーレムのような鎧をまとっているのだから手加減は無用のはず。魔術をかけ終えると、どっしと構えるフリードヘルムを見て先手を取ることはないと判断。距離を詰め、重心を低くして相手の左わき腹から右肩へと切り上げる。これは防がれることを想定しているのであまり力は入れない。数瞬の後に相手の得物とぶつかる感触が手に伝わってくる。それを感じた瞬間に両手を自身の体に引き寄せるようにして突きの構えをとり、即座に腹のあたりを突いた。大斧を振るうフリードヘルムはそれに反応できずに食らってしまう。が、剣が鎧を傷つけることはなかった。機械鎧の硬さがどれほどかを図るためであったが、予想以上に硬い。金属がぶつかり合う音とともにいとも簡単に弾かれてしまった。
「ハッ!我が鎧にその程度の突きなど通用せんわ!」
バスタードソードを防ぐために振った大斧の腹でヴァシリーを叩きつけようと握りなおすフリードヘルムを見て両手の甲を剣を握ったまま相手に見えるように構えた。避けるのは間に合わない。斧が接触するか否かの瞬間に素早く呟く。
「起動、一。起動、二。出力全開」
その言葉と同時に手甲に備え付けられた小さなでっぱりから微かに青い透明な膜が飛び出し、大楯の形を形成した。実験的に鎧に付与した魔術の一つだ。着用する者の魔力を消費して発動するタイプのもので、付与された魔術が扱えない者でも魔力さえあれば使えるため汎用性のある魔化の仕方といえるだろう。自身の魔力が減っていくのが分かる。
魔術の盾と大斧がぶつかる。衝撃こそあるものの鎧とヴァシリーにはダメージがない。魔術を解き、すぐさま攻勢に出る。いくらフリードヘルムとはいえ大斧を隙なく扱えることはない。そのまま振りかぶり首を斬りつけた。もちろん防護の魔術をかけてあるので打撲程度のダメージではあるが。それでも首への一撃は大きい。「ぬぅ」といううめき声とともにフリードヘルムが一歩後退した。続けざまに二撃ほど加えるが、一撃は斧の柄に防がれてしまい、そして二撃目はフリードヘルムに掴まれてしまう。浅はかだったか、と思いつつも剣を手放して巨体の懐へと潜り込む。そしてそのまま右の掌を広げ、そのまま、顎を打った。いわゆる掌底打ちや掌打と言われる技だ。少々反則くさいが、元々こういう状況に合わせた闘い方をしてきたので後ろめたさはない。
「中々面白い戦い方だ」
斧を手放し、空いたほうの手でフリードヘルムはヴァシリーを突き飛ばすと掴んでいたバスタードソードを投げつけた。どうにか受け止め、構えなおそうとするヴァシリーの目に映ったのは巨大な金属な塊。
「なっ…!」
その瞬間体が宙に舞った。
フリードヘルムが取った行動は機械鎧の特性を生かしたものだった。突き飛ばして距離をとった後にバスタードソードを投げつけることでヴァシリーの視界を奪う。そして背中の加速装置で強烈な体当たりを食らわせたのだ。不意を突かれた形のヴァシリーは大きく後方へと飛ばされるが、魔術で強化された身体能力を駆使して何とか着地の体勢をとる。そして着地と同時にいくらか地面をえぐりながら勢いを殺した。盾の魔術を行使しなかったにも関わらず鎧は多少へこんだ程度で、その機能には問題はない。とはいってもヴァシリー自身へのダメージはかなりのものだが。再びフリードヘルムの姿を捉え、愛剣を構える。彼も大斧を構えなおし、こちらを見据えていた。
「そこまで!」
もう一度剣を交えようかというところでメテオリーテの声が響いた。
結局、鎧はメテオリーテの認可を得て量産へと入ることになった。あの模擬戦の決着はつかなかったにも拘わらず終了となった理由は、鎧の性能は十分にできたということとあれ以上続けたらどちらかが面倒なけがをしてしまうことを危惧してのことだ。
「今日はお疲れ様」
「いえ、閣下の業務に比べれば楽なものです」
夕日が部屋に差し込む中、メテオリーテの労いの言葉に謙遜するようにヴァシリーは答えた。彼の今日の仕事はもうすぐ終わろうとしている。あと十数分もすれば夜番の近衛がくるだろう。
「謙遜しなくてもいいよ。…で、疲れてるところ悪いんだけど、近々王国に派遣する使節団にヴァシリーさんの名前があがってるんだけど、行ってくれないか?」
突然なことで理解するのに数秒の時間を要した。王国といえば典型的なヒトな国家で、亜人はあまり歓迎されないだろう。なのでヴァシリーが候補に挙がるのは必然といえよう。とはいえ蛇人や蟲人、戦狼が行ったほうがこの国をアピールできるのではないか。そういった疑問をメテオリーテに投げかけた。
「もちろん団のメインは亜人さ。でも彼らだとあの国で行動するたびに目立ってしまうからある程度ヒトも入れておきたいんだ」
「そういうことなら、構いませんけど」
「ありがとう。代表はクレアさんだから後日彼女と話してくれ」
メテオリーテの傍らに立つ秘書をちらりと見る。彼女はメテオリーテ以外には厳しいので少々苦手だ。苦労することになりそうだとも思いながらも、「わかりました」と一言答えた。心の内でこれから起こるであろう苦労がどんなものか想像してみるが、結局想像もつかず未来の自分に丸投げした。
その日の夜はまだ仕事が四日残っているにもかかわらず、ヴァシリーは酒を飲まずにはいられなかった。それから彼が北壁を出立するのは数週間後のこととなる。