王都と魔術と予兆
王都レーヴェンブルク。レーヴェナンス王国の中心ともいえる都市である。中心には政治の中心となるレーヴェンブルク城があり、その周りに様々な施設や民家が立ち並ぶ大きな都市だ。最も外縁にはスラムが形成されており、隣接する再開発の際に捨て置かれた地区とともに貧しい人々が暮らしている。レーヴェンブルク共同墓地は城からほど近い位置にあり、世界的に信仰されている"聖教"の教会の敷地よりも広い。墓地の中心には王都のどの位置からでも見える大きな時計台がそびえたっており、毎日9時、正午、17時に鐘が鳴る。マリオンの住む屋敷も城から近い位置にはあるが墓地とは反対側に位置するために城を迂回する形で移動しなければならない。そのためジャックが彼女を送り届けてから墓地に向かう頃には正午を知らせる鐘が鳴り響いていた。
「しかし、すごい騒ぎだったな…」
マリオンを送り届けた際には屋敷は大騒ぎになり、彼女のお付きのメイドは号泣するわ、両親は高価な品物を謝礼にと押し付けようとしてくるわでジャックが彼らに事情を説明するのに小一時間を要した。その後、彼女のキルナでの宿泊代の代わりにと王都で最も信頼できる商人への紹介状を貰い、ようやく解放された。そして現在は城を迂回する形で城下町を歩いているのだ。
「お、ここか」
墓地からほど近い場所に仮工房はあった。王都の街並みとの違和感は全くなく、傍目からはたまに家主が訪れる程度の小さな別荘というようにも見える。中に入り周囲を確認するが、長いこと使われていないようにも見えた。が、手入れはされているようで埃が被っていたり、蜘蛛の巣が張ってあったりということはない。複雑な機械を組み立てるための設備もしっかりとそろっており、ここでなら何不自由なく工房として機能するだろう。大きな荷物は預けてあるので、手荷物を1階のリビングにあるテーブルの上に広げる。水の入った保冷機能のあるボトル、保存食、自作の回転式拳銃、ドライバー等の小さな工具に簡易型の折り畳み式の義手――これはジャックが苦労して自作したもの――だ。1週間を超える旅で彼が愛用しているアルベルト作の義手は、しっかりとバラして隅々まで整備しなければならないほどに汚れてしまっている。外でも整備は行っていたが、環境が環境であったし手持ちの工具だけでは細かな調整は出来なかった。仮工房ならば見たところ、さすがに義手の整備は想定していないだろうが、色々そろっているのでやりようはある。そんなことを考えつつ自身の左腕を撫でていると玄関から声とともに人が一人入ってきた。
「いやー、すまんね。こっちの手続き長引いちゃって君の荷物持ってるの遅れちまったよ」
声の方向へ足を運ぶと、預けていた荷物を担いだクラッドがため息をついていた。彼が担いでいるのは常人ならば数名でようやく運べるような金属の機械がいくつか入ったコンテナだ。「やれやれ」と呟きながら荷物を下ろすと、重々しい音とともにほんの少しだけ周囲にその振動が伝わった。それからも、荷物が相当な重量であることが窺える。
「よく一人で持ってきましたよね…。ま、いいや。お疲れ様です。いまお昼時ですけど何か食べます?何もないですけど」
「そういうと思って持ってきたんだよ、墓守の食事っていうとあまりいい印象ないかもしれないけどさ、今回の交代で料理の上手いヤツがこっちに来てたからつくってもらってきた。ちょうどいいから、食べつつこの辺の知識を教えてやるよ」
クラッドはそう言うとコンテナの上に食事と思われる包みを置いた。
リビングへと移動し、包みを広げて2人はそれぞれ手を付け始めるが、ジャックは最初の一口に舌鼓を打ったところで思い出した。クラッドは墓守であることに。そんな特殊な職の人間はいったい何を食べているのだろうと。昔から墓守というのは気味悪がられていて、死者を蘇らせて奴隷のように使っているとか、禁術を行っているとか根も葉もない噂が絶えない。キルナの科学技術と同様に秘密主義な所があるので、そういったところが噂を助長させているのかもしれないが。そんなジャックの顔を見て、何か感じ取ったのかクラッドは手を止める。
「分かってると思ってるけど変なもんは入ってないからな。…まあそれはそれとしてだ。まずは今後のことを話そうと思う」
「墓守を化け物か何かと勘違いしているやつが多いんだよ、最近は」と愚痴りながらクラッドはステーキを全て一口サイズに切り分けてから口に運び始める。几帳面な性格なのか、それとも作業を平行して行うよりも1つ1つ処理していく性格なのか、などとジャックは考えてみるが彼の性格や考えなどは到底読めるはずもないと中断する。
「歴代の技師は俺たちから魔術の指南を受けてるんだけど、今回はちょいと仕事が入っていて時間がとれないんだ。だから、知り合いの魔術師に頼むとしてだな。…つぎはあれだ。3日後に城に俺と行ってもらいたい」
「は?城?」
「ああ、ちょっと話すと長いんだけどさ、知り合いの魔術師もそこで働いているしな。効率よく進めるならそっちのほうがいいんだよ」
「はぁ、クラッドさんがそう言うならそういうことなんでしょうね」
急な話であったが、ジャックは了承すると早々に昼食を済ませ、義手の整備の準備を始める。クラッドは3日後まで休暇を取っているとのことなのでそのまま仮工房でだらだらと時間を過ごすことになった。
マリオンは帰宅してから一日は大人しく過ごしていたが、どうしてもキルナで過ごした日々が忘れられなかった。彼女が外で暮らした経験は魔術を学ぶために東の連合国へ留学した時とキルナへ単身向かったときだけだ。留学の際は護衛に囲まれ満足に外の世界を楽しむことができなかったため、キルナで過ごした日々は短くあっても彼女の人生の中で一番輝いていたものだと断言できる。箱入り娘として育てられた彼女にとっては今の生活はつまらない作業の繰り返しだ。それを知ってか知らずか、無事に再起動を果たしていたアルパがこう言ったのだ。
「確か工房の彼は魔術を学びに来ていたのだったか。マリオンは実戦経験がないとはいえ優秀な魔術師だし、彼に会いに行けばいいじゃあないか。魔術を教えてあげなよ」
「僕もずっとこの屋敷にいるのは面白くないしね」と付け加えたアルパは彼が寝床にしている――といってもスリープモードにはいるだけだが――棚から飛び降りて窓の外の往来を羨ましそうに眺める彼女を見る。
「私も、あの人のように…。自分のやりたいことを、やる…!」
彼女はやる気に満ちた目でアルパの問いに答えた。
白の北壁。世界で2番目に大きいレーヴェナンス大陸の東にある、シュラーメル連合国の北に位置する数百年放置され続けていた城である。かつては北の山脈から降りてくるドラゴンを食い止めるべく腕の立つ竜狩りの騎士たちが集った場所であったが、ドラゴンが山を下りることがなくなってからは騎士たちは去り、その機能を失った。そして今。魔族たちが住処とし、人間たちにとっては恐ろしい城と化している。しかし、その城の主は人であり、この北壁を中心とした国家の王である。この国は巨人等に代表されるような人からかけ離れた、しかし知性を持つ生物たちの国である。冬でないにも関わらず雪が降り積もるこの地では食料問題が予てよりの問題であった。が、レーヴェナンスとの友好条約を結んだことにより本格的な貿易が開始され、徐々に解決に向かっている。亜人や異形というだけで嫌う人間が多いこの世の中で、この申し出は非常にありがたいものだった。
「外交関係はこんなものか?」
北壁の質素ではあるが、気品を漂わせるデザインの会議室で左目に削られたような傷跡を持つ男、メテオリーテ・フォルトゥーナが周りに確認した。彼はこの国に住まう様々な種族から代表として推薦された男だ。
部屋に設置された円卓には様々な種族の代表が座り、目の前の資料を確認している。言葉を発した男の少し後ろには、少々エキゾチックな顔立ちで美しい黒髪をショートボブという髪型にし、巫女服を連想させるような意匠の女性用の袴を身に着けている色白の美女が控えている。彼女は今行われている会議の資料および参考文献を両手に持ち、会議の推移を見守っている。そしてその会議というのはこの国を構成する様々な種族の代表たちが一同に会して今後の国の運営に関わる議論をする場である。
「まだ、一つ残っているぞ」
北壁周辺に住まう巨人の長、アイチェベルグ・デゼルトが口を開いた。彼は一般的に魔力が乏しいと言われている巨人族の中でも魔術的能力が高く、魔力を込めた道具を作れる数少ない鍛冶職人である。魔術を施してあるゆったりとしたローブを身にまとっている彼は平均身長3メートルほどの巨人族にとっては小さい資料の一つを指さした。彼が指さした資料はレーヴェナンス国内における聖教会の動向について、であった。
「ああ、それは僕も気になっていたんだよ」
アイチェベルグと仲の良いエルフ族の代表、フレースコ・コンヴェルが彼の言葉に頷いた。このエルフもまた魔術を道具に付与することに長けた人物であり、巨人であるがゆえにアイチェベルグが行えないような繊細な魔術を得意としており、主な役割は諜報であるが彼からの要請があれば彼の仕事を手助けすることもある。細部は違うがアイチェベルグと同じようなデザインのローブを着たフレースコは他の参加者を一瞥すると、メテオリーテのほうを見て頷き、続けた。
「ウチの諜報班が掴んだ情報ですが、ここに記載にされている通り『悪魔憑き』や『神憑き』が王都支部に集められているようですね。何をしようとしているかまでは分かりませんが、1日当たりに教会に出入りする人員や物資の量から考えるに大規模な魔術か、それを使った何かをするつもりなのは明らかです。王都には旧文明の地下施設があるともいわれていますし、警戒するに越したことはないかと」
「…そうか。レーヴェナンス王国はわが国の友好国であるし、それを揺るがす事件が起こるのは面白くないな」
フレースコの意見に、貿易が止まってしまえばまたいろいろと苦労するしな、と付け加えるメテオリーテ。彼はしばし考えたのちに背後の女性に命令する。
「監視の増員がしたい。適任者をリストアップしてくれ。それとアンリ・ディ・レーヴェナンスとの会談の用意を。彼もこの程度のことは掴んでいるだろうが、お互いの動きも把握しておきたい」
そこまで言うと、彼は少し考えて訂正した。
「…いや、会談はまだやめておこう。もう少し情報を集めてからだ。フレスの部下にもうひと働きしてもらうか」
女性が了解し、一礼の後に会議室から退出したのを見送ったのちに、会議は国内情勢についての議題へと移った。
次の仕事が始まるまでの2日間、休暇を取ったクラッドは、1日目をゴロゴロとリラックスして過ごした。しかし、2日目は所用で立て込んでいた。彼が墓守として貸し与えられているのは墓地内に建てられている屋敷の一部である。発生するアンデッドの駆除に加えて研究や趣味に没頭できるような部屋も貸されているので、待遇の良さは宮廷魔術師に勝るとも劣らない。そんな部屋の一つで彼が何をやっているか。
「交代後のメンバーでの敷地内警戒のシフトはこのくらいか。残りは…、ロイス君の魔術訓練スケジュールはルーシェと要相談。"教会"の監視に使い魔をいくらか用意して、後は消耗品の仕入れ…ああ、派遣する部下もか」
完成した巡回のシフト表を雑にテーブルに置くと、クラッドはやるべきことを頭の中で箇条書きにした。先日到着したばかりな上に最近物騒な事件の多い王都で工房から頼まれた仕事もこなさなければならないのは少々面倒であった。しかし、クラッド自身ジャック・ロイスという人物を気に入っているのでどうにかいい経験をさせてやりたいと思っていた。
「しかし教会側の"企み"にマグナス工房次期技師長の教育、さらには"北壁"勢力の内偵ときたもんだ。ずいぶんと忙しくなること間違いなしだな」
これからのことを憂いてため息をつくクラッドであったが、「いかんいかん」と首を横に振って雑念を振り払う。自分は地下墓地の次期リーダーなのだ。これくらい軽くこなして見せようと気持ちを改めて作業を再開した。
ドアを開けるとやや広い部屋へと繋がっていた。廊下のものと同じ素材で作られたカーペットはジャックにはいったいどれほどの価値があるものかは想像できなかった。部屋にある最低限の調度品もそれぞれが飾り気のないものの高品質であり、それなりの立場の者しか使う機会はないだろうということがわかる。少なくともジャックには縁がないものだ。そしてやや窓側に寄ったところに置かれたデスクには一人の男が座しており、斜め後ろには彼の秘書なのであろう人物が待機していた。
「ようこそ、我が城へ。クラッド・アーチボルト殿、ジャック・ロイス君。私はアンリ・ディ・レーヴェナンス。よろしく頼むよ」
腰をあげて男は挨拶をすると、クラッドとジャックの顔を交互に見た。そして彼らが挨拶を返すよりもはやく続けた。
「二人とも思ったより若いな。まあ、私も歴代の王と比べれば若い方ではあるが―」
「陛下。お話が長くなりそうなので早く本題に入るべきです」
秘書の女性に忠告されてアンリは「私の悪い癖だ」と言って謝るが、悪びれた様子はない。秘書もそれをわかっているようで呆れた表情を浮かべる。
「ジャック君には悪いが、緊急性の高い例の件から話そうか」
デスクから少し離れた場所に設置されていた背の低いテーブルと2つのソファを指さしてアンリは二人にそこに座るよう促した。ジャック達はそれに従うと、続いてアンリが向かいの席に腰を下ろす。
「さて、では教会の動向についてだが…フラン君、説明を」
名を呼ばれたアンリの秘書は返事をすると、事情を知らないジャックにもわかりやすく説明をしてくれた。簡単に言うならば、多種族国家の"白の北壁"との友好条約を結んだのをきっかけに、国内での聖教会の動きが活発になっているというものであった。現在このレーヴェナンスにある支部をまとめているのはルヴィク・ウォーカーと呼ばれる年若い祭司長である。彼が主導している何らかの計画に関わるとされている失踪事件が各地で起こっているのだ。彼が何をしようとしているのか、また今後も起こるであろう失踪事件を未然に防ぐためにも墓守と協力体制を敷いて国としては何とかしたいと考えている、とのことである。
「なるほど。こちらでもいくらかは情報は掴んでいましたが、こうも掴みどころがないと対策もままならないというのが我々の見解ですが、何か心当たりはありませんか」
一通りの説明を聞いたのちにクラッドがこう質問した。もともとルヴィクとアンリの関係はどちらかといえばよかった。ならば彼が何を考えているかの手がかりくらいはあるだろうと考えてのことだ。異動の際に能力の高い人物を選出したとはいえ広大な王都共同墓地の警備や教会や王宮を含む様々な組織への内偵など、やることが多い。そのため墓守もあまり一つの組織に対して人員を割くわけにはいかないというのが実情だ。そのため、教会に潜らせている内偵の定時連絡程度でしか情報は得られず、その内偵も警戒されているのかあまり深くまで入り込めていない。それをアンリは分かっているのか、クラッドの言葉に頷くとこう答えた。
「ある。…王都地下施設、通称"箱庭"だ。そこに奴が何かを隠している」