墓守と聖教国家
聖教国家ニンファエア。レーヴェナンス地方で多くの都市を有する王国レーヴェナンスの北西に位置する宗教国家である。世界で最も普及している宗教、聖教の総本山であり、都市国家でありながら最も強い国といわれることもある。多種多様な魔術を操る術師が数多く在籍しており、それ以外にも英雄と並び立つといわれている教会騎士も多数擁している。
「はあ。もうすぐ教皇選か」
ニンファエアで最も高い位置に建築された大聖堂の一室で、プラチナの長髪がトレードマークの若い女性が憂鬱そうにつぶやいた。彼女は窓際で頬杖をついて眼下の街並みを意味もなく眺めている。
「ふふ、カルミア。また逃げ回る気か?」
部屋の入り口あたりに寄り掛かった狩人の装備と騎士の鎧を混ぜたような服装の初老の女性が、また始まったといわんばかりに声をかける。カルミアと呼ばれた女性は不満で口をとがらせて抗議した。
「逃げたって2時間でケイリアに捕まっちゃうでしょ」
「私の騎士相手に2時間逃げ回れるだけ、すごいですよ。並みの正騎士なら5分と持たないでしょう」
部屋のデスクで何等かの報告書に目を通していた老人が優しい声色でカルミアへ言った。彼はただの老人というには気品があり、教会最高位の者しか身に着けられない青い法衣が良く似合っている。
「でも先生は1か月も逃げ回ったことがあるんでしょ?」
「ああ、あれは私も若かったということで」
「おかげで私はグロリオの騎士になれたわけだが」
グロリオと呼ばれた老人は苦笑いし、ケイリアという初老の女性は昔を懐かしむかのように微笑みを浮かべている。それを見たカルミアは小さくため息をついた。この”昔話モード”に入ると長くなる。彼女はケイリアが饒舌になる前に部屋を出ることに決めた。
「どこへいくのですか?」
「街!お腹がすいたからなんか食べてくる」
「食堂でもいいでしょう?」
「いっつも同じものだから飽きるの!......食べたらちゃんと戻るから」
「いってらっしゃい」
まるで子供が出かけるときの親のように心配するグロリオをよそに、カルミアは飛び出していってしまった。
「歴代最強と名高い”紺碧”の教皇にあんな口を利けるのはあの子くらいだね」
「私もあの子くらいの時はあんな感じでしたから。さて、枢機卿たちの件ですが」
カルミアの気配が十分に遠ざかったところで、グロリオは真剣な面持ちになり、話題を変えた。教皇直属の騎士であるケイリアに探らせていたことがあるのだ。
「アンタの許可もとらずにこんなもん出してやがったよ」
ケイリアがデスクに2通の封筒を差し出した。両方ともニンファエアの紋章が刻まれている。グロリオがそれを手に取り、中身を改める。
「これは......。神々の使徒たる墓守をこのような形で使うとはなんとも罰当たりな。六神の中で最も寛大な魂の神だからまだ神罰が下っていないだけでしょうに。それにこちらも。機械技師なんてものを半ば強引に招集しようなどと」
1通目には教皇選に際して決定した一時的な人員転換、それも墓守に負担を強いるような形のものが記されていた。2通目には教会に属する者の大半が忌み嫌っている機械文明の使い手を強引にでもニンファエアに連れてくるよう指示する内容が記されている。
「そもそも式典用ゴーレムの不調など起こっていましたか?それに王国の機械都市以外から技師を連れてくるとなると、例のゴーレム事件で活躍したとされる若い技師くらいしかいませんよね。これ、狙い撃ちしてるんじゃないですか?」
ニンファエアのイベントに使用される式典用ゴーレムは機械式のもので、見た目も古くから伝わる教会正騎士の鎧を模したものだ。しかし、外部から魔術を通してある程度操れるようになっており、そのメンテナンスも最低限行えるよう技術の継承は行われている。だから、それこそ戦闘に使用したりなどしない限りは部品の損耗を抑える魔術的防護と掃除をしていれば不調など起きるはずもない。
「枢機卿どもが機械都市で画策してた妨害工作も失敗して、レーヴェンブルクでの教会側の失態にもかかわってるとなれば目の敵にもするだろう。それにその男、マグナス工房の次期筆頭技師らしいからな」
「アルベルトの弟子ですか。機械都市でも随一の技術力を持っているあの男の弟子なら今のうちに始末したいと考えるのも納得です」
グロリオがふと自身が教会の正騎士として各地を転々としていたころを思い出す。機械都市キルナに配属された数年の間、なんてことのないきっかけで知り合った彼とアルベルトは互いが得意とする魔術と科学技術について、どちらがどの分野でどのように優れているかの議論を幾度となくしたものだった。
「退位後はまた旅をするのもいいですね」
「それは教皇選が終わってから考えてくれよ。......とにかく、水面下でニンファエアに集まりつつある墓守たちとコンタクトをとっている。教皇選で誰が選ばれるにしろ、厄介ごとを避けるには人手が足りないからな。それと、もし機械技師がこちらに入国した場合は、保護できるよう手を打っておく」
聖教において、昔から実権を握ってきたのは数人の枢機卿からなる議会である。教会の運営はほぼこの議会によりなされており、教皇はほぼシンボルとしての価値しかない。そのため、議会は形式的には運営上の書類や議会の決定を教皇へ提出をするものの、今回のように教皇へは内密に動くこともある。
もっとも、教皇自体は聖教内で最も強く人望もそれなりにある人物でなくてはならない。なので即位する際に枢機卿全員の許可がなければ外れない、魔術の出力を抑える遺物を身につけさせられるのだ。そして、弱体化した教皇が謀殺などされてはいけないということで、直属の騎士の任命権が教皇にはある。実に面倒なシステムである。そしてそれにより任命されたのが、当代ではケイリアというわけだ。通常は何人かの騎士を任命できるのだが、遺物で力を抑えてなお強大な魔術を操れる”紺碧”の教皇を議会が恐れて1人しか任命を許さなかったという背景もある。
「承知しました。私の方でもできるだけ根回しはしておきましょう」
教皇は立ち上がり窓の外へと視線を移す。そこには眼下の街へと歩いていくカルミアの姿があった。そしてもうすぐ行われる教皇選に挑まなくてならない彼女を憂いて、小さく祈りの言葉を口にした。
「どうか、あの子に神々のご加護を」
***
ニンファエアの教皇選に際してレーヴェンブルクから招集された墓守のレオポルドとセミュリアの2人は2週間の陸路の旅を終えてニンファエアへ到着していた。都市へ入る際に行われる検問所には大聖堂への巡礼者と思しき姿が列をなしており、改めて聖教の影響力を思い知る。
「この身でまたこの国に来ることになるとは……」
「先輩はアンデッドですからね」
馬車の中で小さくつぶやいたレオポルドをセミュリアが茶化す。レオポルドは失われた時代の産物と言われている遺物の鎧を身に着けており、その鎧が強力な祝福を受けているとかで、受けた傷も即座に回復してしまうらしい。そのことから対峙した相手からは”不死の騎士”と恐れられていた。
「この鎧が壊れない限りは私が死ぬことはないからな」
教会関係者ということですんなりと検問を抜けた2人は墓地へとたどり着くと、馬車から降りて荷下ろしを始めた。ニンファエアの墓所は一見してそれほど広くはない。しかし地下に何層もダンジョンのように続いている。そのためいつも墓所には5人ほどは常駐している。
「長旅ご苦労様です。レオポルドさん」
馬車からの荷下ろしがひと段落したころ、墓所から神父風の服装に身を包んだ男が現れた。彼はレオポルドに駆け寄り、ものすごい勢いで握手をしてブンブンとその手を上下に動かしている。
「アレクか!少し老けたんじゃないのか?」
「そりゃあ最後に会ったのは十数年も前ですからね!」
アレクと呼ばれた男は器用に荷物をすべて持ち上げると2人を墓所内にある小さな聖堂へと案内する。墓所内には名のある騎士や貴族などといった者の墓が多くあるらしく他所の墓所と比べて人の出入りが多い。
「先輩はこの方とはどのようなご関係で?」
ごく最近墓守となったセミュリアはレーヴェンブルクでの生活以外ほとんどを知らない。当然クラッドやレオポルドの人間関係なども知る由もない。
「ああ。私がニンファエア勤務だった時に少し助力したことがあってな」
まだクラッドのお目付け役でもなく、ただの墓守として生活していたころは彼、アレクシス・ローナイトは教会の正騎士であった。しかし、ある事件に巻き込まれた際に枢機卿の1人に目を付けられてしまい、左遷されかけたことがあった。教会、正確には枢機卿たちへの不信感から彼は正騎士を辞めた。そして行く当てもなかったところをレオポルドが拾ったのだ。
「墓守ってのは誰でもなれるもんじゃないから、運が良かったのもありますがね」
墓守は使徒である。つまり神々の僕である。なので”神々の眼鏡にかなう人物”でなければならない。他の使徒はどうかは分からないが、魂の神の使徒の場合は高位の墓守が儀式を行い、神託にて使徒になれるかどうかの判断をする。墓守は50年に1人増えれば多い方といわれているため、アレクシスは非常に運が良かったのだ。
「レオポルドさんが勤務してた頃とあまり変わってないですよ。いつもの数倍は墓守が出入りしますんで、騒がしいとはおもいますが」
アレクシスは普段はがらんとしている宿舎の一室にアレクシスが2人を案内すると、ちょうど墓所内の巡回から戻ってきていた墓守の1人に何か指示をして部屋の扉を閉じて音が漏れないよう簡単な空間属性の魔術をほどこした。
「これはオフレコでお願いしますよ」
「ふむ」
アレクシスは少し困った様子で切り出した。
「先日、教皇騎士から接触がありました。”枢機卿議会”に内密で話があるとのことで、こちらとしてもどう対応した方がいいか考えているのです」