科学と魔術の出会い
何とか無事に箱庭から脱出できたジャックらは数日中に到着するとされている北壁からの使節への対応後に2回目の調査を行うとだけ伝えられ、つかの間の休息を得た。と言ってもクラッドやレオポルドは墓守の仕事で忙しくしており、フランは使節団の受け入れや会議、ダンテは北壁側としての行事の参加や仕事などで忙しくしていた。暇なのはジャックとマリオンぐらいであろう。
その日、ジャックは持ち帰ったマシンの部品などを解体して構造の調査を行っていたがそれはあっという間に終わってしまう。というのも、マシンの部品自体は目新しい法則や技術を使っていなかったからだ。より高い精度で質の良い材料を加工して合理的に組み上げているだけ。"目"から発せられた熱線も工業用のレーザー切断の技術を転用したものであり、作ろうと思えばキルナの工房の設備でも再現可能だった。生産技術がわからなければ真似ようがない。
「はあ……」
もはやどうしようもなくなった部品を睨む。ジャックにできることと言えばこの部品を使って何か作ることぐらいだ。装甲に使われている材料の組成の解析などはキルナの工房の設備がないとできないので手詰まりという訳だ。
残骸の調査が手詰まりになった今、フランからの魔術講義以外の時間をどのように使うかを考え直すためにも一度休憩をいれた方がいい、と考えたジャックは作業台に広げた部品や工具を片付けはじめた。
王都の人口は国内でも飛び抜けて多い。それは様々なものが莫大な数で取引されている、ということでありまた、それだけの取引があるということは貧富で言うところの"富"の層が多いということでもある。そんな彼らを満足させるために、王都中の店は品物、対応、その他の質を上げようと必死だ。その結果、特に城からほど近い地域では質のいい店が多く、ここで買い物をするならば手に入らないものはないとすら言われるほどにまでなっている。
それはもちろん食品を扱う喫茶店やレストランといった店でも同じで、城下の飲食店はどこも絶品と言えるほどの看板メニューを1つは持っている。
ジャックが王都に滞在し始めて数日だが、気に入った喫茶店が一つあった。それなりの老舗で店内の雰囲気も良く、千客万来というほどでもないがそこそこの客が出入りしておりオーナーの印象もいい。そして何よりもランチメニューのパスタが気に入っているのだ。
時刻は11時を回ったばかりだが、朝食を取っていないジャックは腹を満たすためにそのお気に入りの店へと足を運んだ。
扉に手をかけて中へ入るとチリンチリンと心地の良い音が鳴り、男性の落ち着いた声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ、ロイスさん」
挨拶をしたのは白ワイシャツに黒のベスト、黒のスラックスという給仕の服装がよく似合う20代後半ほどに見える高身長の男性であった。細身で身長も高いのでセミロングの黒髪がよく似合う。彼の名前はヴィーノ。この喫茶店の二代目オーナーだ。
「空いてます?」
「申し訳ありません。近く"北壁"との記念式典がある影響で当店もいつもより混んでおりまして……」
ジャックが店内へと視線を向けると、いつもならば数席は空いているはずの店内には空きがなく、まさに満員ともいうべき状態になっていた。よく見れば客のほとんどが身なりの良い恰好をしていたり、旅に適した服装であったりしている。式典に合わせてやってきた商人であったり、物見遊山の旅人か、それに扮した各国の諜報員なのだろうか、と妄想する。
数日後に迫る白の北壁との記念式典の影響で今や王都中は人で溢れかえっている。ならばこの込み具合も仕方ないと、ジャック納得した。
「オーナー、相席でよければ私の席に彼を座らせてやってくれないか?」
2人の話が聞こえていたのだろう、入口にほど近い席に座る男性がヴィーノに声をかけた。
その男性は一目で教会の祭司だとわかるようなローブを―といっても野暮ったくなく動きやすいつくりであるが―を身に纏っており、腕輪などの装飾品も何らかの魔術が施された上等な魔術道具であることがここ数日で魔術を学び始めたジャックにも何となく分かった。
「お連れ様をお待ちなのでは?」
「いいんだよ。私は彼が来るまで待たせてもらうだけさ。食事を終えた私が席を占有するのも悪いからね」
司祭らしき男は空いている席を指してジャックに視線を向ける。彼はそれに礼を言うと席についてヴィーノに注文を言った。
「気を使わせてしまってすみません」
ジャックが男に謝罪すると、彼は気にしなくていいと言いつつコーヒーをすすった。
「見たところ、ここに住んでいるという訳でもなさそうだな。私はこの王都の教会支部で司祭をやらせてもらっているルヴィクという。何か魔術的な問題が発生したなら私を頼るといい」
そう言って男は右手を差しだす。慌ててジャックも右手を出して握手をした。内心義手が右腕でなくてよかったと思いつつ。
「キルナから魔術の勉強をしに来ました。ジャックと言います」
科学技術の都市から王都に魔術の勉強をしに来たというところに何か思うところがあったのだろう。ルヴィクは大げさに反応した。
「ほう!あの機械の都市からわざわざここに魔術を。熱心なことだな。……ああ、勘違いしないでくれよ。機械や科学を毛嫌いする輩は教会には多いが、私は科学に対する嫌悪というものはないからな。むしろ魔術が科学に学ぶことが多いとすら感じているよ」
ルヴィクは魔術と科学に対する自身考えを饒舌に語る。科学技術の進歩は魔術にも良い影響を及ぼすだとか、科学の合理性を魔術に生かせばもっと魔術が発展するに違いないだとか。とてもではないが祭司とは思えない発言ばかりだ。研究者と言ったほうがしっくりくる。そんな彼の語りにジャックは終始圧倒されてしまっていた。
「おおっと、すまないね。最近はあまり人と話す機会がなかったものだからつい喋り倒してしまったよ」
ふう、とルヴィクは一息つくとちらりと店の入り口を見た。つられてジャックもそちらを見ると、少し背の高い三白眼の男が店に入ってきたところであった。服装が教会のものであったので、ルヴィクの連れであることは容易に想像できた。その男は何となく近づき難い雰囲気を纏いながらもルヴィクを見つけるとそのままこちらへと歩いてくる。
「連れが来たようだ。私はこれで失礼するよ。ここで会ったのも何かの縁だ。君に神のご加護のあらんことを」
ルヴィクはニッコリと笑ってジャックの幸運を祈ると何か言いたげな連れを店の入り口まで押し戻していった。そしてルヴィクが会計を始めたところで男が口を開いた。
「なんスか。俺の昼飯はどうなるんスか?俺今すっげー腹減ってるんですけど」
男は明らかにイラついている様子でルヴィクを睨みながら文句を言うが、彼はそれに動じずに彼をなだめている。
「すまないが私はもう昼食は取っているのでね。どこか違うところで買ってあげるから我慢してほしいな」
「はあ?俺ここのパスタがアンタの金で食えるって聞いたからわざわざきてるんスけど」
「まあまあ。慌てなくてもこの店は逃げたりはしないさ。私のお気に入りのフレンチへ連れて行ってあげるから文句はなしだ」
そんな問答をしながら代金を支払うとルヴィクらは店を出て行く。それと同じくらいにジャックの昼食がテーブルへと運ばれた。
その日のランチはナスとベーコンのトマトソースパスタであった。
「どうぞ、ごゆっくり」
料理を持ってきた給仕に礼をいうと、ジャックは一旦先ほどの出来事を忘れて食事に取り掛かることにした。