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神話はもう黄昏を過ぎて  作者: 黒崎江治
第二部 泥蜥蜴亭の傭兵たち
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塔の魔術師 -1-


 クロウドたちが山中で巨大な異形と遭遇し、大立ち回りを演じてから十日ほど後。それから小さな依頼を二つほどこなし、ほんの少し所持金に余裕も出てきていた。仕事のない日には、クロウドは日課の鍛錬のあと、その日の買い出しに行くか、学生時代の馴染みに挨拶しに回っていた。


 ナナは薬草やその他得体の知れない材料を買いこんで、薄暗い室内で茶や薬の調合に励んでいる。できたものを宿の客に売っているようで、いかにも魔術師、といったナナの雰囲気もあり、評判は意外にも悪くない。


 この日の午前中、クロウドは日用品や、ナナに指示された物品の調達を終え、中心街の広場にある噴水に腰かけて物思いに耽っていた。多くの人が行き交うこの場所は、静かな考え事には不適だが、クロウドにとっては学生時代に見慣れた馴染みのある風景である。


 水音を聞きながらクロウドが考えているのは、昨日言い渡された処分のことであった。



 宿に来た使いに知らされて政庁舎に向かったクロウドは、タダウとの一件を報告したのと同じ部屋へ通された。待っていたのも先般と同様の相手だった。クロウドを見た相手は重々しく頷き、手元の書類に目を落とす。そして少々もったいぶった末、クロウドに沙汰の内容を告げた。


 結果として、タダウには書面の注意のみ、クロウドには半年間の謹慎が言い渡された。



 法で定められた処分としては、勾留、免職よりも軽微なもので、クロウドが予想していたよりも寛容なものであった。


 しかし立身出世を目指す文官が受ける懲戒として、決して軽くはない。横領や背信によってこのような処分を受けた書記官は、もう中央には戻れず、辺境の町村で飼い殺しにされるのが、お決まりの経路コースだった。


 つまり、クロウドが文官として一角ひとかどの人物になる、という望みはこの時点で絶たれたことになる。しかし、それはクロウドにとって今更の宣告であった。そんなことに何時いつまでも拘るつもりであったなら、そもそもあの時ナナを助けることもしなかっただろう。


 沙汰が言い渡されたことはもはや、クロウドにとって一つの区切りという程度の意味しか持たなかった。その場で職を辞し、少々の手続きを後日に残して政庁舎を去った。建物を出て振り返ると、将来働く場所であったかもしれない王宮が高くそびえ、クロウドを見下ろしていた。


 文官になるという決意を後押ししてくれた兄と、最終的に意思を尊重してくれ、学費と生活費を工面してくれた父には申し訳ない気持ちがしたが、自分がどんな理由で今の立場にあるのかを知れば、きっと理解してくれるだろう。


 その日、泥蜥蜴亭に戻って顛末を報告すると、ドミニクは至極残念そうな顔をした。四年間、文官になるべく勉学に励んでいた若きクロウドを見てきたのだから、それも無理からぬことだろう。


 クロウドは、発端となった出来事について、またナナが自身を責めてしまうのではないかと思っていたが、彼女も自分なりに整理を付けたのか、クロウドに過度な同情は示さなかった。静かに話を聞きながら、特別だと言って、冷たく苦い茶を一杯淹れてくれた。


 考え事を止めると、周囲の喧騒が耳に入ってくる。どのような結果になったにせよ、自分が正しいと思ってやったことの帰結なのだから、あまり深刻になる必要は無かろう、とクロウドは思い直した。


 身の振り方についても、急いで決めなければならないということではない。もう少し泥蜥蜴亭で過ごし、時間をかけて判断してからでも遅くはない。


 腰を上げ、傍らに置いてあった荷物を持ち直してから、クロウドは旧市街に戻るべく歩き始めた。今日は何か仕事が入るだろうか。


 泥蜥蜴亭の近くまで帰ってくると、路の先から小走りで向かってくる者があった。赤い前掛け(エプロン)が特徴の小柄な少女は、ドミニクの娘であり、泥蜥蜴亭の給仕として働いているカナンだ。遠目にクロウドを見つけたのだろう。


「クロウド、お客さん、お客さん」


 頭一つ分背の高いクロウドを見上げながら、カナンが少し興奮したように言う。容貌の幼さが悩みの彼女は、クロウドより五つ年下の十六歳だ。


 ドミニクと血の繋がりはないらしいが、カナン自身は特に気にする風もなく、ごく暢気に暮らしている。年齢差から言って、自分やカラスにとっては妹のように感じられる存在であった。


 昔の知己でも訪ねてきたのか、と聞いてみると、「すごく強そうな人」とのことだった。迫力に気後れして詳しく聞けなかったのだという。誰だろうか。


 特に知人と会うという約束はしていなかったが、どのみち今戻る所だったとカナンに伝え、クロウドそのまま真っ直ぐ泥蜥蜴亭に歩いていった。


 宿の外に立っている男は、確かに「強そう」という評が当てはまりそうな人物であった。筋肉に鎧われた身体に合わせて仕立てられた革の胴衣は、騎士階級の人間がよく着る上等なもので、男の風体をなお一層立派に見せていた。


 入り口の脇で腕組みをして壁にもたれかかっているが、もしずっとそうしていたのだとしたら、客はさぞ入り辛かっただろう。


 そしてその男をクロウドは良く知っていた。実兄のオリヴァである。


「兄者」


 クロウドが声を掛けると、オリヴァはこちらを向いて笑顔を見せた。顔の造形がほんの少しだけ武骨であることと、体格が一回り大きいことを除けば、クロウドに良く似ている。


 クロウドより四年早く郷里を離れて武官学校に通い、今は父の下で騎兵部隊の若き指揮官として生活しているはずだった。


 騎士家の娘と結婚しており、ちょうど一年前に長男が生まれたと聞いたが、クロウドはまだその顔を見ていない。そもそも顔を合わせたのも、クロウドが文官学校を卒業して以来のことだった。


「よう、久しいな。色々あったと聞いたが」


「任地の代官と一悶着あったのだ。それより、なぜここに?」


 オリヴァの郷里、つまりそれはクロウドの郷里でもあるわけだが、そこは王都より馬で八日は掛かる辺境の地である。ふらりと物見遊山に、という距離ではない。


「侯爵閣下のお付きよ。東方の有力諸侯が集まって会合があるらしい。父上も来ている」


 クロウドとオリヴァの父であるコレッドは、〈鉄騎候〉の二つ名を持つ侯爵の重臣として仕えており、領内では清廉で厳格な人物として知られている。


「……父上は、俺のことを知っているのか」


「現状をか? それはもちろん、知っているとも。何をしでかしたのか、ということもな」


 オリヴァは豪快に笑う。兄にクロウドを責めるつもりはないようだが、果たして父はどう思っているのだろうか。


「うむ。それで、昨日辞めてきた」

「ほう」


 さすがにすぐさま仕事を辞めるとは思っていなかったようで、オリヴァはやや驚いた顔をしたが、すぐにいつもの飄々とした表情に戻った。


「頑固なお前らしいな。まあ、中央で働くだけが文官の道ではない。郷里に帰るのだろう?」


 書記官は、国に仕える文官である。政を差配する宰相を筆頭とした高級文官を目指す者は、文官学校を卒業してから、まずは書記官になるのが普通である。


 しかし卒業後、出身地や別の貴族領で仕官する者も少なくない。クロウドが書記官を辞したからといって、文官として働く道が無くなった、という訳ではないのである。


 この場での回答が、あるいは自分の人生を決めるのかもしれない。もう少し時間を掛けようと思っていたが、どのみちいつかは判断しなければならないことだったのだ。クロウドはオリヴァの隣で、兄がそうしているように壁に背をもたれかけさせた。


「俺は、もうしばらくここに居ようと思う」


 少しの沈黙を挟んで、クロウドは兄の顔を見ず、前を向いたまま答えた。その言葉を聞いたオリヴァもすぐには答えず、しばらく兄弟は人の行き交う通りを眺めていた。


「そうか」


 オリヴァはそれだけしか言わなかったが、穏やかな受容を感じさせる声色だった。クロウドは、自分が文官になりたいと兄に話したときも、確かこんな態度だったな、と思い出していた。


「俺はな、お前が文官になりたいと言い出したとき、実はほんの少しほっとしたのだ」


 いきなり何を言い出すのか、とクロウドはオリヴァを見る。


「あの時お前はまだ十六だったから、まだ俺の方が優れているという自覚があった。だがお前には才がある。人一倍努力もする。俺はいつかお前に追い越されるだろう、と思っていた」


「そうか」


 兄がそんな風に考えていたとは知らなかった。いつも明朗で、余裕のある態度を崩さなかったから、クロウドの方だけが引け目を感じているものだとばかり思っていた。


「俺はお前を買っているのだ、クロウド。たとえどこにいたとしても、お前はうまくやるだろう」


「うむ」


 こんな風に、面と向かって褒められることは久しく無かったので、クロウドはどのように答えればよいのか分からずにいた。


「実はお前を連れ帰れと言われていたのだが、父上には俺からうまく言っておこう」


「父上は怒っているか」


「表向きはな。だがそれ以上に心配しているぞ。言葉には出さないが、俺には分かる」

「うむ」


 そういう父だった。だが立場上、あまり軟弱な部分を見せるわけにはいかないのだ。


「俺も父上と縁を切りたいと言っているわけではない。ただ、もう少し時間が必要なのだ」


 父と兄に、またしても申し訳ない気持ちになりながら、クロウドは弁明するように言った。


「おう、分かっている」


 頷いてから、オリヴァは思い出したように、足元に置いてあった荷物から何かを取り出した。


「頼んでこちらに送ってもらったのだ。ちゃんと持っておけ」


 それは金貨銀貨の入った袋と、小剣だった。クロウドがタダウの館に置いてきてしまったものを、兄が回収してくれたのだ。


「助かる」


 剣を受け取り、鞘から抜いて確認する。曇りのない刀身は、西方で造られた『ラドン鋼』と呼ばれる特殊な合金でできている。精製と加工に高度な技術を要するが、通常の鋼より数段硬く、強靭つよい。その素材で造られた武具は、もちろん容易に入手できない高級品である。


「では、俺はそろそろ行くとする。……この宿の娘、可愛いな」


「子どもが生まれたばかりだろう。浮気するなよ」


「するものか。言ってみただけだ」


 そうして、オリヴァは中心街の方へ帰っていった。その大きな背が見えなくなるまで待ってから、クロウドは泥蜥蜴亭の扉をくぐった。


「よう、おかえり」


 酒場に入ると、いつものカウンターではなく、丸テーブルのところに座っていたカラスが、手を挙げてクロウドを招き寄せた。そこにはナナと、見知らぬ女性も座っている。暗い色の長衣ローブを纏った痩身の女性で、気の強そうな目と、燃えるような赤い髪が印象的だった。


「今、仕事の話をしていたところだ。こいつはクロウド」


 女性はカラスに紹介されたクロウドを値踏みするように眺めたのち、ビオラと名乗った。


「所属は『知識の塔』。さっき彼から、貴方は少し変わった出自だと聞いたわ」


 やや砕けた、女性的な話し方だった。知識の塔に所属しているという事は、学者か、魔術師か。だが、あまり書庫に籠もっているような性質の人間には見えなかった。


「別段変わってはいない。ただ少し落ちぶれただけだ」


 答えながらドミニクから飲み物を受け取り、クロウドは卓についた。


「そう。まあ人生色々ね」


 首を傾げて肩を竦める。見た目からして、多分カラスと同じか、少し下ぐらいの年齢だと思われた。


「すまないが、仕事の話をもう一度初めから」


 ナナが促すと、ビオラは軽く息を吐いてから話し始めた。


 十日前、クロウドたちが発見した異形発生の原因と思われる場所に、改めて武装した兵と知識の塔の魔術師が調査に向かった。それはナナが感じた通り、〈穴〉と呼ばれる月気ルキュラが特に濃い場所であった。


 通常、小さな〈穴〉であれば時間が経つことで自然に閉じ、異形の発生も終息する。だが今回のものは、それが期待できないほど、大きく強いものであった。


 さらに周囲を調査すると、何か人為的な儀式がおこなわれた痕跡が発見された。つまりその〈穴〉は、何者かによって故意に開けられた可能性が高い、ということである。


 知識の塔には〈穴〉を閉じる技術があり、今回はそれで事なきを得た。しかし問題はここからである。


 また別の場所に、大きな〈穴〉が発見されたのだ。


 それは前回クロウドたちが訪れた町よりも、さらに西。旧都オロクに向かう街道から、少し外れたところにあった。街道沿いの宿場町から北に馬で一刻。今のところは町近辺の警備を厳重にしているおかげで、人的被害は軽微である。


 しかし何時いつ大規模な、あるいは大型の異形の出現がないとも限らない。早急な対処が必要だった。また、誰がどのような目的で〈穴〉を開くような真似をしたのか、ということも重要な調査項目である。


「だから、この〈獣の術者〉である私が、対処と調査を任されたのよ」


 カラスは、反応に困ったように、眉をひそめてクロウドを見る。しかしクロウドとナナは、『二つ名』を持つということが、何を意味するかを知っている。


 自称でないとするならば、二つ名を持つ人間は、周囲からかなりの実績と実力を認められている、ということの証左なのである。裏を返せば、そんな人物が派遣されるほど、問題は大きなものだとも言える。


「というわけで、現地まで私を護衛してほしい、というのが依頼の内容よ。人員不足もあるけど、『経験』のある人物の方がいいだろう、ってことで」


 ビオラはちらり、とナナの方を見る。同じ魔術師として、何か思うところがあるのだろうか。だがナナは特に気にする風でもない。


「日程は往復二日。でも実質は宿場町からの行きと帰りだけね。経費はこちら持ちで、報酬は一人当たり前金で銀貨八枚、終わった後にもう八枚」


 前回のような、山に分け入っての探索に比べれば肉体的に易しく、また報酬も悪くない。大型の異形に追い回されるような目に遭わなければ、だが。


 クロウドがカラスの方を確認すると、任せる、とでも言うように顎をしゃくる。共に何度か仕事をするうち、いつのまにかクロウドが意思決定を担うような立場になっていた。


 ナナも特に異議は挟まない。彼女は前回の依頼で〈穴〉のことを気にかけていたので、奇しくも再び関わる機会を得たことになる。


「では、受ける。いつから?」


「問題なければ明日から。西門の前に馬を用意しておくから、日の出頃に出発しましょう」

「承知した」


 ビオラはその場で袋から銀貨を取り出し、二十四枚数えてクロウドの方に寄越した。建国の祖である〈英雄王〉アウレリウス一世の横顔が刻印された、手垢の付いていない、真新しい銀貨だった。



「どう思う?」


 ビオラが宿を出た後、クロウドがナナに問う。依頼人の人物像についてではなく、今回の依頼についてだ。


「私が魔術師でなければ、あまり関わり合いになりたくない種類の仕事だ。何が起こるか分からないから」


「でも金払いはよさそうだ」


 カラスが茶化す。


「〈穴〉が百個も二百個もできて、毎日依頼が入ったら、食うには困らないだろう。だが、それがどんな事態を意味するか……」


 ナナが表情を変えずにそう返すと、カラスも前回の異形を思い浮かべたようで、思わず黙り込む。


「今後、そうなる可能性がある、ということか」


 クロウドも腕を組んで、嫌な想像を膨らませながら尋ねた。


「そればかりは分からない。とにかく、依頼を受けること自体に異存はない」


「そうだな。あまり心配し過ぎても疲れるだけだ」


 仕事の話をそこそこで切り上げ、早めの昼食を取りながら他愛無い会話に移る。クロウドは報告しそびれた兄のことを二人に話しつつ、その日の午後一杯を過ごした。


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