穴より出づるものども -1-
1
「クロウド書記官。今述べたことに虚偽はないな?」
「一切の嘘偽りなく」
クロウドとナナが代官タダウの追手から逃げ切り、王都に到着した翌日。クロウドは起こった事態の顛末を報告するため、王宮近くにある政庁舎に来ていた。
白く壮麗な建物群に付属するように建っているこの小さな政庁舎は、中央から全国に派遣されている書記官にまつわる、人事や給与、その他事務を所掌する部署である。
その建物の一室、立ったままのクロウドに対面して座っているのは、生真面目な顔をした壮年の文官である。白いものが混じった口髭を蓄え、威厳ある態度で接する彼は、クロウド直属の上役ではないが、地方の書記官よりも数等高級な地位にあるはずだった。
クロウドはタダウとの間にあったことを、ナナを護る為に兵を殺したことも含め、包み隠さず報告した。このような事態になるならば、タダウの不正を示す証拠の一つでも握っておくべきだった、とクロウドは悔やんだが、それはいずれ、何らかの方法で明らかになるだろう。
エリナの手記に関しても話したが、それは不道徳な行為であると認められても、政府から糾弾されるような不正にはなりえなかった。
「事実の確認をおこなう間、貴殿はこちらの預かりとする。沙汰を下されるまで、大人しく待たれよ」
このような場合において一方的に処断されないのは、書記官という地位の賜物であった。中央に対する背信を暴く、という本来の役割とは少し違うが、代官の不正にまつわることであれば、クロウドの仕事の範囲と言えなくもない。
とはいえ兵を殺したのは明らかに度を越えた行為であり、あまり寛大な処分は期待すべきではなかった。それでも、代官の兵に葬られるより数段ましなのは間違いない。
いずれにせよ、この時点でクロウド自身にできることはあまりなかった。であれば、政治的なごたごたは別の者に任せて、しばらくどのように生活していくかを考える方が生産的だろう、と思われた。
だが非常に残念なことに、領を脱出した時点でクロウドが持っていた金は、せいぜい銀貨十枚と少し、といった具合だった。クロウドは贅沢をする性質ではなかったので、普通の人間から見れば、かなり多額の貯蓄があった。
しかし当然、のこのこ代官の館に戻って持ち出す余裕はなかったため、それらは今でも居室に置き去りになっているはずだった。
さらに都合が悪いことに、書記官としての給与は、事実関係の調査が終わるまで、支払が差し止められることになっていた。クロウドの正当性が認められて初めて、差し止められていた分がまとめて支払われるのである。
つまるところ、クロウドの所持金は今、ほとんど無いに等しいのである。
一方、ナナはもとより夜逃げの準備をしていたため、家にあったほぼ全ての蓄えを持ち出すことができた。それに頼れば、クロウドもしばらく生活には困らないと思われたが、その状況はあまりに情けなく、可能な限り早く生活を軌道に乗せたい、とクロウドは考えていた。
そうなると、少なくとも日々の暮らしを支えられるだけの金を稼ぐ必要がある。一応、クロウドはその仕事に目星を付けていた。
2
上役の部屋を丁寧に辞し、クロウドはアウレリアの中心街に出た。太陽は既に中天に差し掛かり、雲のない空から降る陽光が目に痛い。
この地域の夏は暑いが、乾燥しているため不快さは少ない。とはいえ敷き詰められた石畳からの照り返しもあり、一日中屋外にいれば、大人でもかなり体力を消耗してしまうだろう。それでもクロウドは宿に帰る前に、久方ぶりの王都を散策しながら少し見ていこうと思っていた。
クロウドはアウレリアの街路をぶらぶらと歩きながら、一年ぶりの街並みを眺める。アウレリアを王都とするノルトゥス国の人口は、実に五千万を数える。
約七十年前まで、二百年以上続いた戦乱が終結した末に建てられた国である。現在は二つの直轄領、五つの侯爵領、二十一の伯爵領から成る封建国家となっている。
アウレリアは元々、〈蒼なる海〉と呼ばれる内海に面する中規模の港町であり、今のものとは別の名前が付いていた。
しかし戦乱で荒廃した旧都に代わり、ノルトゥス建国後に、新しく王都として定められた。その後、都市圏の人口は約七十万に膨れ上がり、各国より人や物資が集まる都として発展した。
戦乱期以前からある諸都市は、城を中心にして、放射状に街路が配置されているものが多い。また外敵の侵攻を防ぐため、街並みが入り組んでいるのが普通である。しかしアウレリアは緻密な計画のもと建設されており、縦横に整然と配置された街路によって区画分けされている。
戦乱終結後に開発が進んだため、アウレリアに大規模な城壁はない。その分市街を広くすることを優先しているのである。
アウレリア中央やや北の中心街には、王宮や各政庁舎、また学校といった公の機関が配置されている。そして王都のほぼ真ん中を直交する二つの大通りは、国中から運ばれた食品や日用品、その他嗜好品や贅沢品の店が立ち並び、市も頻繁に開かれる目抜き通りである。
北西には居住区がある。この街でよく見られる集合住宅は、白い石壁ないしは土壁に、赤っぽい屋根瓦という外観で、数階建ての高さに十人から数十人が住んでいる。広々とした住居とは言い難いが、上下水道が整備されており、比較的快適な生活が確保されているようである。
北東の区画を覗いてみると、目抜き通りに並ぶものよりもやや地味であったり、大きかったり、あるいはやや特殊であったりするものを扱う店が多くある。酒や食事を出す店も多い。陸路でアウレリアを訪れる人間はここに滞在することが多く、最も多様さが見られる区画であるとも言えるだろう。
南東のあたりでは加工業が盛んである。造船以外の製造業、食品の加工、鍛冶や大工といった職人が働き、アウレリア住民の生活に豊かさと彩りを提供している。熟練の職人はどこに行っても重宝され、多くの弟子を抱えて大きな工房を構えることもある。
南西の区画には、アウレリアがかつて港町だったころの風情が色濃く残っている。すなわち新市街に比べて入り組んだ構造の旧市街と、拡張された港湾である。海路で運ばれる物資の積み下ろし、造船、また労働者の宿泊場所や食事を提供する店がある。
しばらく王都の景色を堪能したクロウドが最終的に向かったのは、この場所であった。
クロウドが王都を離れていたのはたった一年と少しだが、それでも街並みの数か所が変化していることに気付いた。それだけ入れ替わりのある、活気ある都市だということだろう。
しかし変わらぬものもあった。道中で物資を買いこんだクロウドが到着したのは、タールが塗られた黒っぽい木材で建てられた、とある宿屋である。
酒場を兼ねたこの建物自体は、それほど昔からあるものではないが、長年潮風に曝された傷みは隠せない。上等な普請とは言えなかったが、それでもクロウドにとっては、文官学校時代を過ごした懐かしい場所であった。
入り口に近い壁には、『泥蜥蜴亭』と書かれた木の看板がぶら下げられている。これだけは、クロウドが王都を離れているうちに新しくなっていた。誰が描いたのか、下手な蜥蜴の絵が加えられている。
王都に到着したクロウドとナナが仮宿として選んだのが、この泥蜥蜴亭である。宿代が安くて懐に優しく、何よりクロウドに馴染みのある場所だったからだ。
クロウドは両手で抱えていた荷物を片手と体で支え、もう片方の手で泥蜥蜴亭の軋む扉を開いた。
泥蜥蜴亭の一階は酒場になっており、いくつかの丸テーブルと、奥に一枚板のカウンターがある。夜になれば仕事を終えた男たちが酒や食事を摂りに来るが、今は日中のためやや閑散としている。二階は客室として使われており、簡素な小部屋が八つある。
しかしその内三つは既に、下宿人に占有されていた。このあたりの宿は、食事代を別として、一晩あたり銀貨二枚が相場である。泥蜥蜴亭も同じようなものだが、常時部屋を使用する下宿人は、もう少し安い宿代で済む。
またこの泥蜥蜴亭は、『傭兵宿』という種類の施設でもある。傭兵宿は文字通り、傭兵が滞在する宿であるが、この施設の仕組みを理解するには、少しばかり歴史的な経緯を知っておく必要がある。
戦乱期、各国は常備軍とは別に、傭兵を雇用して部隊を編成することがあった。傭兵は、戦のない時には維持費のかからない、安価な兵力として広く利用されていたのである。しかしその質はまさに玉石混淆で、一国の戦力に相当する高名な傭兵団もいれば、ほとんど強盗団まがいの連中もいた。
戦乱終結後、大規模な兵力を必要とする戦はなくなり、傭兵の需要は激減した。仕事を失った傭兵たちの一部は常備軍に組み入れられたり、また別の真っ当な職業に戻ったりした。他の者たちは野盗や海賊など、たちの悪い犯罪集団と化し、新しい国の治安を脅かした。
そしてある者は、自らの戦闘技術や腕力を戦争以外のことに活かすべく、傭兵宿と呼ばれる斡旋所をつくり、仕事を取るようになったのである。
このような傭兵宿は主に大都市に多くあり、施設の警備、隊商の護衛、野盗への対処などを主な仕事としている。近頃は調査や交渉を請け負う者もおり、仕事の内容は多様化しつつある。また、仕事の内容によって、女性の傭兵が求められることも増えてきた。
しかし多くの人間は、『傭兵』という言葉に対して、金に汚い粗暴な人間、というあまり良くない心証を抱いている。
そのため傭兵宿が創設され始めた時期、一部の者は『冒険者』という名称を定着させようとしたこともあったという。しかし、そのような頭中に花を生けたような名前は断固御免こうむる、という反発が多く、結局傭兵という名称のままとすることに落ち着いた。
このような背景を持つ泥蜥蜴亭に今居るのは、本日の仕事を得られず、昼から飲んだくれている傭兵が三人。遅く起き出してきてからクロウドの帰りを待っていたナナ、それから泥蜥蜴亭の主人であるドミニクという男である。
ドミニクの娘であるカナンという少女も宿で働いているが、現在は買い出しにでも行っているようで不在だった。入り口に立つと、カウンターの向こうから、揚げた芋の匂いが漂ってくる。
ドミニクの年齢は四十半ば、かつては彼自身も傭兵だったと聞いている。逞しい身体、禿げ上がった頭、右目に黒い眼帯、黒々とした顎鬚。もう少し日焼けしていれば、熟練の海賊といった雰囲気の容貌である。
口数はそれほど多くないが、無愛想という程ではない。下宿人や常連は、親しみを込めて彼の事を親父さん、と呼ぶ。クロウドが学生時代に泥蜥蜴亭を下宿として選んだのは、父とドミニクがかつての知己だった、ということが影響している。
ドミニクに手だけで挨拶して、クロウドはナナが座っていたカウンターの隣に座る。ナナは簡単な料理をつまみながら、先日銀髪の男から渡された、瑠璃の首飾りを眺めているところだった。
「どうだった」
ナナは首飾りからクロウドに目を移して尋ねた。今日クロウドが済ませてきた報告を気にしているのだ。
「さしあたり、沙汰待ちということになった。多分打ち首にはならないだろう」
首のあたりを押さえて、クロウドは冗談めかして言う。ナナはそうか、と笑わずに呟いただけだったが、若干安堵した様子であった。
「そういえば、その首飾りは結局なんなのだ」
ナナの持っている瑠璃の首飾りを指して、クロウドは尋ねる。ナナ自身は師のものである、というような態度をしていたが、詳しい来歴をクロウドは知らなかった。
「これは師匠がいつも身に着けていたものだ。魔力を蓄える効果があると聞いたこともあるが、詳しくは知らない」
師匠、とはかつてナナと共に住んでいた、エージャという名前の幻術師だ。ある程度高名な魔術師だったらしいが、一年ほど前に死亡してしまっている。
クロウドはナナから首飾りを受け取り、しげしげと眺めてみる。深く鮮やかな青の中に、星のような金色の粒が混じっている。クロウドは宝石の目利きができるわけではない。しかし研磨されているわけでもない、ほとんど原石のままの瑠璃は、あまり値打ちものには見えなかった。
魔法の品物であるかどうかは、クロウドが見ただけでは全く分からない。なぜあの銀髪の男がこれを持っており、来歴を知った風な態度であの時ナナに手渡したのか、何度か考えてみたが、うまい理屈が思い浮かばなかった。
そのような経緯もあって、クロウドはこの物品に不可思議な印象を持った。だが、魔法の品であればそういうこともあるのかもしれない、と半ば無理やり自分を納得させ、首飾りをナナに返した。
「俺はしばらくここに滞在しようと思うが、ナナはどうするつもりだ」
「私か」
クロウドは、ナナが王都の商家出身だということを過去に聞いていた。王都を去るにあたって多少の悶着はあったようだが、とりあえず実家に身を寄せれば、生活の心配はない。しかし、ナナはどうもそれに乗り気ではないようだった。
「親との仲でも悪いのか」
「そうではない、が、一度実家に帰れば、もうおいそれと好きなことはできなくなるだろう」
少しの沈黙を挟んで、ナナは続ける。
「夫を宛がわれ、家庭に入る。それも一つの幸せかもしれない。しかし私が得たかったのは、見つけたかったのは、そういうことではなかったはずだ」
ナナにしては珍しくあいまいで、歯切れの悪い言葉だったが、クロウドにはその気持ちがよく解った。自分とてまだ、どのように生きるかを模索しているのだ。
今戻れば、再びその道を探す機会はないかもしれない。クロウドもナナも、無難な人生に満足するのならば、そもそも今のような人生を選択しなかったはずだ。
「それに、クロウドには借りがある。このまま私だけ安穏とした生活に戻るのは、気が進まない」
少し声の調子を変えて、ナナは言った。
「借りか」
クロウドは腕を組んでくすんだ木の天井を見上げる。自分自身、ナナに貸しがあるなどとは思っていない。あの日、タダウに反抗したのは、不正義と愚かさに対する自らの怒りがあったからだ。そしてそのことは、既にナナには話してあった。
しかしクロウドは、ここでその言葉を繰り返すことはしなかった。ナナは外にいる口実を作ろうとしているのだろう、と思ったからだ。
「まあ、そういうことであれば、貸しておこう。ちなみに、蓄えはどれくらい残っている?」
クロウドは話題を現実の問題に移した。
「金貨にして四十枚と少し、といったところだな」
これは、クロウドの予想よりかなり多かった。慎ましく暮らせば、人ひとりが一年凌げるだけの金額である。
「半分以上は、師匠が遺したものだ。金が溜まったらいずれ、どこかの町で薬屋でも開こうと思っていた。それには、あと少なくとも五十枚は必要だが」
「そうか。では、なるべく取り崩すのは避けたいな」
「そうだな。それで、仕事か」
ナナはぐるりと首を巡らせて酒場を見回す。あまり縁のない場所だろうが、傭兵宿の存在自体は知っている様子だった。
泥蜥蜴亭の壁にはいくつか張り紙があり、募集されている仕事の概要を知ることができるほか、ドミニクが直接傭兵に斡旋する仕事もある。
とはいえふらりと訪れた見知らぬ人物に仕事を紹介することはなく、宿の名簿に登録された傭兵だけがその対象となる。つまりクロウドとナナは、これから泥蜥蜴亭の傭兵として登録をし、仕事を取ろうと考えているのだった。
「俺はあまり勧めんがね」
カウンターの向こうで、ドミニクが鉄鍋を洗いながら会話に口を挟む。昨日宿に到着した時、二人の事情はあらかた話してあった。彼はクロウドとナナが宿に滞在することを快く承諾したが、傭兵として生計を立てることに対しては渋い顔をした。
「まだ若い身空で、こんな稼業に就くこたねえよ。他に色々やりようがあるだろう」
一般に傭兵は食い詰め者の仕事、つまり賤業とされていた。報酬は概して安く、また危険も多い。大怪我をして働けなくなれば、すぐさま路頭に迷うことになる。普通であれば、騎士や商家の子弟がするような仕事ではないのだ。
「何も生涯の職業にしようという訳ではないのだ、親父さん。身の振り方が決まるまでの、少しの間だ」
クロウドがそう言うと、ドミニクは軽く肩を竦めて、それ以上言葉を重ねなかった。もとより彼は、他人の生き方にあまり口を挟む性質の人間ではないのだ。
それでもクロウドは、ドミニクが気遣わしげにナナの方に視線を向けていることに気付いた。お前はいいが、彼女にこの仕事が務まるのか、と言いたげだった。
「彼女は……」
クロウドがナナの詳しい来歴を話そうとしたとき、背後の扉が開いて誰かが入ってきた。その人物は真っ直ぐカウンターに付き、銀貨か何かが入った袋を傍らに置いてドミニクにエールを頼んだ。麦を発酵させて造るこの酒は、ノルトゥス全域でよく飲まれている。
その人物は痩せ形の男である。茶色の髪と革の胴衣は薄汚れており、何か長い仕事を終えてきたようだった。だとすると今彼が置いた金の入った袋は、その仕事の報酬かもしれなかった。
クロウドはその男に見覚えがあり、男の方もクロウドに気付いて驚きの声を上げた。
「クロウド! お前、いつ帰ってきたんだ?」
男は大げさに両手を広げてから、がっしりとクロウドの肩を掴んで揺する。表情からは久しぶりに友人と再会した喜びが滲んでいた。
「久しぶりだな。カラス」
肩を揺すられるまま、クロウドも苦笑を相手に返す。ナナは二人の関係を知らないので、料理の残りをつまみながら様子を見ている。
男の名はカラス。年齢はクロウドより六つほど上である。泥蜥蜴亭で最古参の傭兵であるが、ここでドミニクが宿を開いたのが十五年ほど前だというから、当時は十二、三の少年だったことになる。
初めての出会いはクロウドが学校に通うために王都に来た時だった。まったく出自の違う二人だったが、クロウドがドミニクの娘であるカナンに読み書きを教えているところ、カラスが興味を持ち、以降何となく関わりを持つようになったのだ。
教育をほとんど受けてこなかったために、カラスは今まで正しい文章を書くことや、複雑な計算ができなかった。それをクロウドから教わり、日々の出納を記録することと、日記を書くことが習慣になった、とある時嬉しそうに話していたのを、クロウドは覚えている。
クロウドも、面倒見の良いカラスになんとなく実家の兄を重ね、以降二人は互いにある程度の尊敬を持って、クロウドがアウレリアを離れるまで付き合っていた。
「ところで、そこの美人さんは?」
クロウド越しに様子を窺っているナナの視線に気づき、ナナを覗き込むようにしてカラスが尋ねる。クロウドはナナを簡単に紹介し、自らが任地を離れてアウレリアに戻ってきた原因になった出来事も話した。カラスは木でできた杯に入った酒を飲みながら、それを聞く。
「ハッハ!そりゃ中々痛快じゃないか。しかし仕事が無くなっちまったのはちと苦しいな」
聞き終わると、そう言いながら、カラスはナナに握手を求めた。ナナは少し躊躇ってから、それに応じる。
それで、とクロウドは、ドミニクにしたのと同じことをカラスにも相談する。傭兵としてしばらくこの宿で働きたい、ということだ。
「お前さんなら実力として十二分だが、お嬢さんにはキツい稼業なんじゃないか?」
ナナは侮られていることに不服そうな顔をするが、カラスにしてみれば、この懸念は尤もである。女性の傭兵が居るといっても、護身程度はできるというのが最低条件だ。
「ナナは魔術師なんだが……」
一応、クロウドが擁護する。自身もナナの魔術について知悉しているわけではないが、馬に乗った兵を退けている実績はある。
「その魔術師っていうのを俺は良く知らん。一体何ができるんだ?」
カラスはまだ懐疑的である。クロウドは説明に窮して、ナナの方を見た。ナナはやや憮然とした表情で、おもむろに右手の人差し指を一本立てた。
クロウドとカラスが、何をするつもりなのかと指先を見ていると、ナナは唇をほとんど動かさず、短く何か呪文を唱えた。すると間もなく、指先に小さな光球ができる。そしてそれは徐々に輝きを増していった。ドミニクも何事かとこちらを覗き込む。
光球はすぐに、直視できないほどの明るさになった、クロウドもカラスも、思わず手をかざして光を遮る。ナナがカラスの方に指を軽く振ると。光球が飛んで行ってカラスの手の甲にぶつかり、弾けて閃光を放った。強すぎる光が閉じた瞼をも貫いて眼を穿ち、クロウドは一瞬視覚を喪失した。
「驚いたな」
少しして視力を回復したカラスが、目をしばたたかせながら呟いた。部屋の隅で酒を飲んでいた傭兵たちも、起こったことに驚いてこちらを見ている。
「光源、目くらまし、陽動。まあ、便利そうではある」
カラスはナナの実力に納得したようで、ドミニクの方を見る。ドミニクもこれ以上、クロウドとナナの傭兵稼業に反対する気はないようで、また軽く肩を竦めて仕事に戻った。
「まあ、仕事の話は後にするとして、今は積もる話をしよう。親父さん、エールもう二つ。いや、三つ」