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神話はもう黄昏を過ぎて  作者: 黒崎江治
第一部 クロウドとナナ
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クロウドとナナ -4-

 時は既に夕刻、森を覆う闇の濃さが増しつつあった。クロウドとナナは、他の伯爵領まであと半刻という地点まで来ていた。他領に出たあとは、街道沿いの町で補給をしつつ、三日か四日かけて王都に向かうことになるだろう。


 馬で逃げる判断をしたのは正解だった。徒歩では最初の町に付くまでに、疲労困憊してしまうだろう。


「そういえば、エリカとは誰だ」


 ナナが不意に尋ねた。クロウドがタダウに放った言葉のことを言っているのだ。


「タダウの犠牲者だろうな。館に手記があったのだ」


「そういう種類の出来事に、一々腹を立てるのか」


「青臭いと思うか」


「いや、身が持たないだろうと思った」


「それでもよい。ただ」


 クロウドが言葉を継ごうとすると、ナナが何かに気付いたようで、顔を後ろに向けた。クロウドも異変を察知し、口を閉ざして耳を澄ませた。馬蹄の音だ。背後から聞こえてくる。目をこらすと、薄闇の中、うっすらと敵の輪郭が見えてきた。


 馬に乗った兵士が二人。向こうもこちらに気付いたようで、馬の速度を上げて向かってくる。


「逃げるか」


 ナナがクロウドに判断を求める。


「背後から襲われてもつまらないな」


 クロウドが呟く。背を向けて逃げる以外に、考え得る行動はおおよそ三つ。


 一つは馬上で戦闘をおこなう選択肢。これは無難だが、左右から攻撃された場合に捌ききれない。


 二つ、馬から降りて森に隠れる。一時はしのげるが、さらなる追手が来て状況が悪化する可能性がある。


 そして三つ、徒歩かちでの戦闘を挑む。馬上の敵と徒歩で渡り合うのは危険だが、ナナの実力次第では勝算がある。


「魔術で対処できないか」

「では左の敵を」


 あまり期待せず尋ねてみたが、ナナは意外にも力強い答えを返した。師が幻術師だということは聞いていたが、実際に彼女がどのような魔術を使うのか、クロウドは知らない。


「なら俺は右だ」


 ナナを信用し、クロウドは馬から降りて前に出る。一方ナナは馬上のままだ。敵は既に十馬身の距離まで迫っていた。


 クロウドはサーベルを抜き放ち、切っ先をやや背中側に傾けるようにして上段に構えた。敵の武器もサーベルである。既に鞘から抜かれ、馬の速力を持って近づいてくる。


 クロウドは並走するもう一人の敵を自らの注意から外し、目前の敵だけに集中した。狙うのは馬の乗り手ではなく、武器そのものである。


 歩兵が騎兵と正面から打ち合うのは、ほとんど自殺行為である。どんなに屈強な兵士でも、馬の力には敵わない。


 しかしそれは、相手が馬と武器の扱いに習熟している場合の話である。たとえ馬具の力を借りたとしても、慣れぬ馬上では十分な踏ん張りが利かない。踏ん張りが利かなければ武器に十分な力が乗らず、一撃の威力は低くなる。


 また歩兵の使う剣や槍と、騎兵のそれらとは長さや重さが異なる。使いなれぬ武器であれば当然、持ち手の技量を十分に発揮できない。要するに、ただの歩兵が馬に乗ったからといって、騎兵になるわけではない、ということである。


 クロウドは一年以上、領内で兵の様子を見てきたが、タダウの旗下に熟練の騎兵部隊はいなかった。つまり目前の相手は、追跡の速度を求めて馬に乗っている歩兵に過ぎず、だとすれば打ち合って力負けすることはない、とクロウドは考えた。


 しかし間合いを測り損ねれば致命傷を免れない、危険な綱渡りであった。


 馬の鼻がクロウドの横を掠めた瞬間、クロウドは小さく鋭く息を吐き、渾身の力で刃を打ち下ろした。


 甲高い金属音が森に響く。相手のサーベル中央あたりに命中したクロウドの一撃は、刀身をへし曲げるほどの衝撃であった。乗り手は手首をもぎ取られるように感じたに違いなく、大きく身体を傾がせてクロウドの横を通り過ぎた。


 背後で落馬したらしき音が響く。乗り手を失った馬はそこから数歩先で停止したようである。


 極度の集中のため狭窄していた視野が元に戻り、クロウドは改めて周囲を見回した。横ではナナが馬から降りるところだった。


「うまくやったぞ」


 とナナが少し得意げに指さした先には、木の根元で気絶している兵と、いななきながら行きつ戻りつしている馬がいた。


 一方、クロウドと打ち合った兵はすぐそばに倒れており、その馬も近くに佇んでいた。こちらの兵は意識があるようだが、落馬した衝撃で負傷したらしく、右肩を抑えて呻いていた。万が一にも抵抗されないよう、先ほどの打ち合いで曲がった武器を遠くに投げ、うつぶせに組み伏せる。


「一体、何をしたのだ」


 クロウドは傍らに来たナナに尋ねた。自身は目前の敵に集中していたため、ナナと敵のやり取りに注意を払っていなかったのだ。


「目くらましをしただけだ。あとは勝手に木に衝突した」


 ナナは事も無さげにそう言った。意外と肝が据わっている、とクロウドは彼女への評価を新たにした。


「さて、どうするか」


 クロウドは考える。兵の処遇のことである。我が身を考えれば、殺してしまうのが一番安全ではある。しかしナナを逃がした際とはやや状況が異なった。既に相手は抵抗できないのだ。そこまでするのは流石に人道に悖る気がした。


 この場に放置しても良いのだが、一人は気絶していつ起きるか分からず、もう一人はどうやら肩の骨が折れているようであった。迎えが来ない限り元来た場所に帰り着くのは難しく、見殺しにするのと同義に思われた。


「お困りかな」


 その時、不意にクロウドとナナの背後から声が響いた。追手が来た方向である。クロウドは新手と判断し、振り返ってサーベルを構えた。


 声の主は六歩ほど先にいた。馬には乗っていない。ゆったりした服にフードを被り、それゆえ顔貌や表情を窺う事はできない。武器は構えておらず、敵意も感じられない。


「追手ではないな」

「その通り、追手ではない」


 クロウドに答えた声は、若い男のものだった。態度には余裕がある。倒れている兵士二人、武器を持った男一人と怪しい女一人。この状況を見れば、まず声など掛けず、踵を返すのが普通だろう。


 しかし男は誰何するでもなく、警告するでもなく、親しげとも言えるような態度で接触してきたのである。自分たちが言えた義理ではないが、不審この上ない、とクロウドは警戒した。


「何かお困りとお見受けしたが」


 男はクロウド越しに、倒れている兵士を覗き見るように身体を左右に傾ける。何か面白がっているようにも見えた。


「何者だ?」


 横からナナが誰何すると、男はなぜか満足そうに頷いた。


「私の名前はアウレリウス」


「……王の名を騙る痴れ者か」


 ナナは目を細め、男に問うでもなく呟いた。


 アウレリウス。この国に住むものなら誰もが知る国王の名である。同じ名前の人間は皆無ではなかろうが、男の態度から言って、それが本名であると二人には思えなかった。クロウドも男に懐疑の目を向ける。


「その兵たちは、私が送り届けてやろう」


 二人の態度を気にも留めず、男はそう提案した。事情を知った風な口を利く。それとも近くで戦闘を見ていたのか。


 しかし提案自体は、クロウドたちにとって好都合である。男は答えを聞かずにクロウドの横で膝をついて、肩を負傷して倒れている兵を担ぎ、馬に乗せた。同様に、気絶している男も軽々と抱え、やや乱暴にもう一頭の馬に乗せる。そして二匹の手綱を片手で引いて、ナナの前に来た。


「そうそう。これを渡そうと思ったのだ。お嬢さん」


 間近で見ると、男は三十手前の年齢だと思われた。顔の造形は端正で人懐っこい感じがする。何より特徴的なのが男の髪色で、それは光沢のある濃い銀髪であった。長さは顎の下まである。


 ナナは警戒して身を引くが、男は構わず右腕を突きだした。その手には紐に繋がれた小さな石がぶら下がっている。


「なんだ?」


 とクロウドは薄闇の中目を凝らす。それは確かに首飾りであった。先端に吊り下げられている石は、瑠璃ラピスラズリのようである。


「これは、師匠の」


 ナナは明らかにその首飾りに心当たりがあるようだった。多分死んだ師匠の持ち物だったのだろう。逸失したという死体から、この男が回収したのだろうか。ナナは少し躊躇ったのち、何も問わずに首飾りを受け取った。男はそれを満足そうに見ていた。


「近頃は物騒だから、気を付けなさい」


 状況と不似合いな呑気さで男は言った。そして滑るような足取りで手綱を引き、東の方角へ戻っていく。提案した通り、兵たちを元来た場所へと送り返すつもりのようだ。


 クロウドとナナは顔を見合わせる。なんとなく相手の雰囲気に呑まれ、素性を詮索し損ねた。そうする間にも男はどんどんと離れていく。


 結局、二人は男にこれ以上干渉しないことにした。こちらに害をなす意図は、おそらくないだろう。それよりも当初の目的を果たすことが重要だ。すなわち、領外への脱出である。


 クロウドとナナは再び馬に乗り、道を進む。男のことが気にかかるが、あまり深く考えても詮無いことである。何か意味のある邂逅ならば、また出会うこともあるだろう。クロウドはそう考えていた。ナナも、おそらくそう考えているような気がした。


「落ち着いたら湯を沸かして、茶を飲もう。もし持ってきていたらだが」


 もやもやした気分を払うように、クロウドが言った。


「持っている。一杯で銀貨一枚」


「高すぎる」


「冗談だ」


 陽が完全に沈むころ、クロウドとナナは領と領の境界を越えた。


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