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神話はもう黄昏を過ぎて  作者: 黒崎江治
第一部 クロウドとナナ
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クロウドとナナ -3-

 それから三日が経った。無くなった茶葉を買い足すため、クロウドはナナの家へ向かっていた。エリナの手記について、誰かに気持ちを吐き出したい、という思いもあった。


 腰に帯びたサーベルと少しの銀貨のみを携え、収穫を半ば終えた麦畑を横目に馬を歩かせる。陽が西に傾きつつある時刻であった。


 ナナの家が遠目に見え始めたとき、クロウドは異変に気付いた。二十人程度の農民が、家を取り囲むようにたむろしている。近づくと、何やら大声で中に呼びかけているようだった。


「出てこい、魔女め!」


「何事か」


 クロウドは馬に乗ったまま、背後から声をかける。農民たちの中には、長い棒や農具を持っている者もいた。そして誰もが、少なからず興奮した様子だった。


「麦に呪いを掛けてる魔女をとっ捕まえるんでさァ」


 一際体格の良い農夫が声を上げると、数人が頷いて賛同を示す。この男が首謀者だろうか。クロウドは気分が重くなるのを感じながら馬を下り、道を開けさせた。そして家を背にして、農民たちの前に立ちふさがる。


「麦の不作は呪いではなく病によるものである。領内でこのような狼藉はやめよ」


 クロウドが毅然とした声で言い放つと、農民たちが少し躊躇の表情を浮かべ、ある者は互いに顔を見合わせた。


「じゃあ、俺たちはこのまま飢えるのを待つんで?」


 しかし農民の一人が負けじと声を張り上げる。その言葉は、この行為が理屈によるものではなく、やり場のない不安によって生じたものであることを示していた。その気持ちは解らないではないが、クロウドは農民たちの愚かさに改めてうんざりする。


 農民たちをどのように説得したものか、とクロウドが苦慮していると、背後で家の扉が開いた。ナナが出てきたのだ。数人の農民が、魔女だ、魔女だと怒りを孕んだ声を上げる。


「クロウド。なぜここに居る」


 振り返ると、ナナは旅の装いである。大きめの荷物と動きやすそうな服は、彼女に甚だ不似合いであった。


「理由はどうでもいい。この状況はどういうことだ」


「状況も何も、見ての通りだ」


「それで、出ていくのか」


「そうするほかないだろう」


 不条理。しかしそのままここに居座れば、ナナは追放よりよほど酷い目に遭うだろう。彼女の商売も成り立つまい。しかし、興奮した農民たちは、彼女を逃がすだろうか?


 クロウドが往生していると、クロウドが先ほど来た道の先から、複数の馬が走ってくるのが見えた。農民たちも馬蹄の音に気付き、背後を振り返る。


 馬は五頭。先頭にはタダウ、それに付き従う、短槍で武装した四人の兵士。どこからか騒ぎを聞きつけてきたのか、それともわざわざ注進した者がいたのか。


「何をしておる」


 タダウが馬上から声をかける。不出来な為政者とはいえ、領民にとっては畏怖の対象である。数人の農民が膝を折って頭を下げ、先ほどの首謀者が同じ説明を繰り返す。タダウは鷹揚とも見える態度でそれを聞いていた。嫌な予感がしたクロウドは、無意識にナナを庇うような位置に立つ。


「その方らの言い分、よく解った」


 タダウはゆっくりとナナを見遣る。その目に下卑た色が浮かんだ。


「この女は連行して、じっくり尋問するとしよう」

「代官殿!」


 クロウドがたまらず声を上げる。聞きようによっては、タダウの言葉はナナを保護するようにも考えられる。しかしこれまでタダウと接してきたクロウドには、そうでないことが判っていた。


「これはこれは、書記官殿。なぜこのような場所におられるのか?」


 タダウはクロウドに初めて気づいた、という様子でわざとらしく両腕を広げた。


「貴方は、麦の不作が呪いではなく病であると知っておられるはずだ。なぜこのような不義をなさるのか」


「不義、とは異なことを言う。私は為すべきことをしているだけだ。その病が呪いのせいでないとなぜ言える」


 もはや、タダウは態度を決めているようであった。農民たちはタダウとクロウドを交互に見遣る。片や兵を従えた絶対的な権力者、片や怪しげな女と若き文官。状況を考える冷静さも、またその前提となる知識もない。主張の妥当性はともかく、農民たちがクロウドに味方する可能性はなかった。


「どうやら書記官殿はその魔女に誑かされているようであるな。館に同行してもらおう」


 タダウは冷酷に言い放った。


「この女性もエリナと同じように嬲るつもりか」


 クロウドは怒りを込めて馬上のタダウを睨みつける。しかしタダウはきょとんとした顔をするだけだった。


「エリナ?」


 とぼけているのではない。覚えていないのだ。クロウドは耳の奥が冷たくなるような怒りを覚えた。


「まあよい。女を捕えよ。抵抗するなら容赦するな」


 タダウが命じた。四人の兵が馬から降りようとする。クロウドは短い時間目を閉じ、かすかに生じた迷いを振り切った。ここで不条理に従うならば、自分はもはや自分ではない。


「逃げろ」


 クロウドは鋭い声でナナに命じる。ナナはすぐに逃走の判断ができず、ほんの少し逡巡した。


 中央にタダウ、その横に兵士が二人ずつ、さらにその外側に農民たち。距離は八、九歩といったところか。


 クロウドは手近に置いてあった水汲み用の手桶を、素早く左端の兵に投擲した。不安定な姿勢の所に桶をぶつけられた兵は、バランスを崩して不格好に転倒した。他の三人が慌てて馬を下りる間に、クロウドは右端の兵に向かって疾走していた。


「お、愚か者め! 殺せ!」


 タダウが言い終わる前に、クロウドは左足で地面を強く踏み切った。兵は眼前に迫る膝を避けようと首をひねるが、間に合わなかった。骨を砕かんばかりの膝蹴りを顎に受けて、兵は白目を剥いて倒れる。


 クロウドが着地した時には、既にその腰からサーベルが抜かれていた。残りはタダウを含めて四人。ナナがこちらを振り返りながらも、家の裏手にある森の方角に走っていくのがちらりと見えた。


 倒れた兵の隣にいた者が、とっさに槍を突きだす。辛うじて身を躱したクロウドだが、左肩の近くを軽く切り裂かれた。しかしクロウドはそれに構わず、再び突き出された槍の穂先をサーベルで跳ね上げて、素早く相手に肉薄した。


 間合いの内側に入られたからといって、すぐに武器を手放す判断ができる者は少ない。その判断を終える前に、兵の背中からは鋼の刃が長々と突き出していた。ビクン、と兵の身体が震え、力が抜けた。残り三人。


 視界の端で、クロウドはタダウが馬首を巡らせて逃げ出すのを捉えた。今は追うまい。この場を切り抜けるのが優先だ。残り二人。


 クロウドは今しがた兵に突き刺したサーベルを引き抜かず、右手に握られていたままの槍を奪う。そして身体を長弓のようにしならせて、三人目の兵に槍を投擲する。


 槍はいささかもぶれることなく、五、六歩先に居た兵の太腿に深々と突き刺さった。兵は痛みと衝撃に転倒して悶絶する。残り一人。


 桶をぶつけられた兵が姿勢を立て直す二呼吸程の間に、三人が斃され、指揮官は逃げ去ってしまった。眼前には倒れた兵からサーベルを引き抜き、息を吐いてゆらりと構えたクロウド。


 もはや命令を遂行する意気も理由もなく、最後の兵は槍を手放して無抵抗の意思を示した。それを見て、クロウドも剣を下げる。農民たちはその大半が逃げだし、残った者も、おそるおそる遠巻きになりゆきを眺めていた。


「怪我人の手当てをしてやれ」


 クロウドが声をかけると、残った兵はがくがくと頷いた。ただ若い女を一人捕えに来ただけなのに、一歩間違えば自分が死んでいた。思いがけぬ修羅場に、兵はすっかり動転していた。


 その場にいた全員が無力化されたのを確認すると、クロウドは息を整えて剣を収め、乗り手のいなくなった馬の一頭に跨った。


 代官に抵抗し、兵を殺した。おそらく追手がかけられ、捕まれば少なくない可能性で処刑されるだろう。自分の行為が正当であると主張するわけではないが、おめおめと捕まってやる気は、クロウドにはなかった。


 この後の身の振り方はゆっくり考えるとして、クロウドは先に逃げたナナに追いつくべく、森に入っていった。



 開墾も間伐もされていない森は、日中でもなお薄暗い。樹が密生していて移動し辛く、野生動物や、〈異形〉と呼ばれる怪物が徘徊していることもある。クロウドが森に入ると、ナナはまだ入口のあたりに居た。


「何をしている。なぜもっと遠くに逃げない」


「私を鬼畜か何かだと思っているのか」


 ナナがやや憮然とした表情で言い返す。


「そういうことではなく、判断として……」


 今は言い争いをしている場合ではない、とクロウドは思い直して言葉を切った。まずは村から離れる必要がある。当面の目標は、別の伯爵領へと移動することだ。そうすれば、追手の兵は簡単に入ってこられない。


 重罪人が相手であれば、政治的な手続きを経て、領をまたいで兵が移動することもある。しかし今回の件について、タダウが主君に援助を求めれば、ことの顛末をある程度まで説明せねばならず、物笑いの種になるのがおち(、、)だろうと思われた。


 タダウが主君に報告をしないのであれば、ナナとクロウドが追われるのは、タダウが自由に兵を移動できるこの伯爵領においてのみ、ということになる。


 この場所から道に出て、最短の経路を行けば、領外まで馬で一刻半(約三時間)と掛からない。しかし当然、追う側もそれを想定するだろう。二倍近い時間が掛かってしまうが、迂回する形で、南側にある別の道を行く方がよいだろう。


 そこまで考えたクロウドはナナの腕を取り、自分の後ろに乗せて馬を歩かせ始める。


「血が出ているぞ」


 クロウドの袖には、べっとりと血が付いていた。先ほどの戦闘で付いたものだ。


「しばらくは問題ない」


「兵はどうした?」


「少なくともすぐには追ってこられないが、タダウを逃がしてしまった。追手が来るのは時間問題だろう」


 少しの沈黙。クロウドはナナの体温を背中で感じる。馬蹄の音と馬の息、鳥の声だけが聞こえていた。


「私が、もっと村を早く離れればよかった」


 ぽつり、とナナが呟いた。


「なんだ。悔やんでも仕方がないだろう」


「巻き込んでしまって、すまない」


 消え入りそうな声だった。こんなに弱気の彼女は初めてだった。クロウドはこのような状態の女性を慰めた経験がないので、ひどく困惑した。


「なにか勘違いをしている」


 我ながら嫌になるくらい愛想のない言葉しか出てこなかったが、クロウドは努めて穏やかな口調で言った。


「君が何処の誰であれ、あるいは一羽の鶏だったとしても、俺は同じことをしただろう。村に蔓延る不正義と愚かさがあり、俺が自分で決めて、それに抗ったというだけだ。ナナ。君だけの問題ではない」


 それは本心からの言葉だった。ナナは何も言わなかった。表情が見えないので、クロウドは彼女が、この言葉をどのように受け止めたのか分からなかった。


「これからどうする」


 また少し沈黙したあとで、ナナがクロウドに問うた。


「しっかりした見通しがあるわけじゃないが、まずは西へ、王都へ向かおうと思う。一応は知った土地だ」


 多分今回の件について、政府に出頭する必要があるだろう。しかしそれを言うとナナが心配するだろうと思ったので、クロウドはまだ黙っていることにした。


 

 それから間もなくして、街道に出た。街道といっても、舗装も歩道もない。辛うじて小さな馬二頭がすれ違える程度の、均された固い土の道である。しかし密生した木々を縫うように進むよりは、だいぶましだと言えた。


 だが現在まで、追手どころか、すれ違う人もいなかった。もともとあまり使われない道なのだ。しかしこれは二人にとって都合の良いことである。この先にクロウドとナナがいることが、誰かから追手に伝われば、不意打ちされる可能性もあるためだ。


 先ほどはこちらからの急襲で勝ちを拾ったが、いつも優位に戦えるとは限らない。


 またしばらく行くと、二人は粗末な橋が架かった小川に行き当たった。クロウドの出血が無視できない量になってきたので、馬から降りて傷を洗い、簡単な止血をおこなった。血の付いたサーベルを洗い、水も補給した。ナナが最低限の旅支度をしていたのは、二人にとって幸いだった。


 そうこうしている内に陽が傾き始める。夜になれば、灯などない森の中は真の闇である。二人はこの場所で野営するか、強引に進むかの判断を迫られることになった。夜の森を進むのは安全ではないが、追手に捕捉されるのも危険である。結局、やや無理をして先を急ぐことにした。


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