アルビ回廊防衛戦 -3-
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アルビ回廊の入口にあたる平原では、両軍合わせて十五万を超える人の群れが、互いの陣営を喰らおうとする生き物のように蠢いていた。王国側の各部隊においては将が部下を叱咤し、それに応える兵たちの声が盛んに響き渡っている。もし魔術的な素養の強い者がこの地に立ったならば、酔うほどに月気が濃くなっているのを感じたことだろう。
それから間もなく。全戦場の中で最初に戦端が開かれたのは、王国軍右翼においてであった。右側に深い森を望みながら、北に分岐した街道に沿った場所で待ち構えるのは、東方諸侯の一万八千である。陣容は、槍と盾を持った重装歩兵が一万、長大な射程を誇る弓兵が六千、機動力と突破力に優れた槍騎兵が二千となっている。一般的な装備として、身に着けている防具は胴体と太腿までを覆う金属鎧、長槍は身長の二倍程度のものが多かった。
ノルトゥス諸侯の中で、〈鉄騎候〉〈北竜候〉〈雷山候〉〈翡翠候〉〈青海候〉を除いて二十一人いる伯爵のうち、この戦いでは十三人までが王国側についている。歴史を遡れば、彼らはノルトゥス建国前、比較的早く、また穏当な経緯でアウレリウス一世に従った者たちであり、以降も中央との関係はおおむね良好に保たれていた。平原の民と騎馬民族の割合が高く、文化的に同質な隣人による町村が多く形成されていた。そして肥沃な平原での農業を基盤とした産業は、派手さはないながらも安定して人々を養うことに成功していた。
これに対し、敵を構成する西方諸侯八人は、ノルトゥス統一の過程においてかなり後期まで抗戦した勢力の系譜を継いでいた。東方に比べ起伏も多く、豊かでない土地に住む彼らは、統一のかなり以前より鉱工業や商業に活路を見出していた。それゆえ経済的に強大で、多様な文化を持ち、また気質として独立心が旺盛であった。彼らには被征服民として冷遇されてきたという思いがあったかもしれず、あるいは王都がオロクより東のアウレリアに移されたことについて、商業的な懸念があったかもしれなかった。
従って、この反乱に端を発した戦で東西が分かれることになったのは、ある意味建国以来続いてきた相違の顕在である、と言えなくもなかったのである。
歴史的な背景の違う両軍だが、基本とする戦術はある程度まで似通っていた。重装歩兵による密集陣を中心とするものである。統一された装備と高い士気を前提とした、防御に優れる陣形であった。
典型的な戦闘の推移として、まずは弓兵が長い射程で相手に損害を与え、次いで歩兵が衝突する。敵に騎兵がいる場合、その機動力を生かして密集陣の弱点である側面や背面を突こうとするので、射撃を終えた弓兵は剣に持ち替えて陣の側面と背後を守る。戦列を敷いた歩兵の圧力で敵陣が崩れれば騎兵による追撃戦に移り、逃げる敵に対して可能な限り損害を与える。勝負を決める上で重要になるのは、決して陣形を崩さない、ということである。
森に置いた伏兵を除けば、王国側右翼に奇策はない。諸侯による混成軍であるため、部隊同士の緊密な連携が必要とされる細かな作戦行動は、むしろ陣の綻びを招くだけだと判断されたからだ。西方諸侯の陣容を見ても、大まかな行動は王国側とほぼ同様であるとの意見が大勢であった。つまりは、正面衝突からの持久戦になるだろう、との見通しである。
そして太陽が地平線を離れるころ、西方諸侯はゆっくりと距離を縮めてきていた。互いが三百歩程度の間合いまで近づくと、王国側より天高く嚆矢が放たれた。これは殺傷を目的としたものではなく、戦闘の始まりを告げる合図である。それを皮切りに、互いの弓兵による斉射が始まった。数千の矢が空を遮るほどの密度で飛び交い、両陣営の頭上に降り注いた。
十分に武装した集団同士の戦闘であれば、射撃戦で決着がつくことはまずない。矢雨の中、二百歩、百歩と接近した両者は、ついに槍の穂先を交錯させ、激烈な白兵戦へと突入した。
右翼で上がる戦塵を横目に、オリヴァは馬を進めている。被るのは威圧的な形状をした指揮官の兜、身に着けるのは皮や組紐、金具が極めて実用的に組み合わされた、首元から足先までを覆う鋼鉄の板金鎧である。
人間だけではない。馬にも金属の防具が装着されている。重装騎兵、という兵種はノルトゥスにおいて一般的だが、東方のそれは特に鉄騎と呼ばれていた。
王国軍最左翼、南東に海を望みながら、砂の混じる平地に所狭しと、しかし整然と並ぶ鉄騎二千。〈白羽の騎士〉コレッド旗下の支隊である。その軍勢において、オリヴァは一将として四百の鉄騎を任されていた。
彼はこの年二十五となる。王国側の全軍を見渡してみても、これだけの若さで数百の兵を束ねる者は片手で数えるほどしかいなかった。まして最も激烈な戦闘が予想される最前線における任命は、まさしく抜擢と言っても差し支えないものである。
〈鉄騎候〉領内随一の重臣、その嫡子。人材豊富な侯爵旗下における将の選抜にあたって、家格が影響したことは間違いない。しかしこの戦で何よりも必要であると考えられたのは、敵に臆さぬ勇猛さであった。
敵は西方最精強。騎馬への対策も十分な斧槍兵が三千。それを率いるのは〈雷将〉アディーン。となれば、野盗狩や諸侯同士の小競り合いと一線を画す戦闘となるのは明らかであり、味方の被害も相当数覚悟しなければならない。
そのような苛烈さを前にして躊躇することのない果敢さ、敵を突破し、他部隊を包囲するという目標を達成するための勢い。時として技巧や経験よりも、戦場を圧倒しうる種類の資質を持つ者。
そういう意味で、オリヴァは若いながらも適任の将であった。彼にとって、敵の精兵は手ごたえのある獲物であり、悲鳴や怒号は己の血を走らせる拍車であった。
その勇猛さは、多分に生来のものである。しかし彼はそれに加え、物心ついてからの半生で己の心身を鍛え上げ、より強固にした。
この時も堂々と馬を進める彼の姿は、同輩や部下を無言で、しかしながら大いに叱咤するような格好となっていた。
部隊を預かる将としてそれを感じつつ、オリヴァは今、ふいに昔のことを思い出していた。
自分が十五、六のころ。騎士の子弟十数人で訓練をおこなっていたときのことであった。そのとき、年長者に混ざる生意気者が一人。実弟のクロウドであった。彼は当時齢十二であったが、体格や経験で勝る相手から、二本に一本取るほどの健闘を見せていた。あまり図に乗らせるわけには行かぬ、とオリヴァ自らが相手にし、大人げなく五回ほど叩き伏せた。特別に苛めようと思ったのではない。倒されても倒されてもクロウドが挑んできたせいで連戦となったのである。そして六試合目、うっかり力を入れ過ぎた。
痛打によりクロウドは意識を失った。確かに失ったのだが、手当てをしようと人が近づくと、恐るべき勢いで跳ね起きた。そして白目を剥いたままオリヴァを睨み、低い声で唸りながら木剣を構えたのだった。
さすがにあのときばかりは、少々気圧された記憶がある。
その後、自分が四年、クロウドが四年、それぞれ王都で過ごしたため、顔を合わせる機会は多くなかったが、おそらく自分と同様、クロウドも芯の部分は変わっていないだろう。長じて幾分丸くはなったかもしれないが、あの無茶な弟は今、何をしているだろうか。普段は冷静な振りをしているが、時折周りを心配させるようなことを、平気な顔でやる人間だった。もしかすると、今このときも何か無茶をしているだろうか。
回想するうち、オリヴァは可笑しいような気分になったが、部下が見ている手前であるので、すぐさま厳めしい顔を保つために気を引き締めた。さて、弟のように根性のある人間は、敵の内に何人いるか。
前方を見遣ると、敵は既に個人が判別できるほどの距離に迫っていた。僅かに青みがかった板金鎧はラドン鋼の逸品で、林立する斧槍の揺れは波のようにも見えた。戦列を組んではいない。散兵である。
〈雷山候〉の領地には山岳や丘陵が多く、兵もそういった場所で戦う訓練を積んでいた。元々、少数精鋭による遊撃を得意とする軍なのである。だが、平野での決戦においては見劣りがする、というわけでもない。散兵は騎兵の突撃による被害を減じ、また十分な技量を持った斧槍兵は、武器を振り回す広さがあってこそ真価を発揮する。
侮れぬ相手。侮る必要のない相手。今まで学び、修め、鍛え、研いできたことの帰結が今この瞬間である、と考えると、腹が熱くなるような興奮と共に、オリヴァの全身を力が駆け巡った。
逸る気持ちを抑えるように、彼は隊列を整えるために一旦停止を命じた。熟練の騎兵たちは、一糸乱れぬ動きで馬を操り、前後左右を揃える。
オリヴァは大きく息を吸い、少しだけ吐いた。
「かかれ」
部隊に号令が下され、合図が鳴り響く。二千の鉄騎は巨大な槌となり、相対する敵を打ち砕くべく、鬨の声と砂煙を上げて猛然と疾駆した。
左右の味方が敵とぶつかるころ、中央前衛の王国直属軍もまた、大きな圧力に面していた。装備の質と集団の統率という点において、直属軍は目前の敵よりも優位にある。しかし今まさに武器を交えようとしている反乱軍の数は四万。味方の数は一万二千であるから、三倍以上の兵力差となる。
だが、味方の士気は高かった。前衛部隊の半数以上を構成するのは、もともとオロクに駐屯していた兵たちである。ほとんどがオロクの近郊で育ち、その地を守ってきた彼らは、策略と奇襲によって住処と任地を追われ、さらに撤退の道すがら、立ち止まって守ることもできた町や城市を、命令によって見捨てなければならなかった。忸怩たる思いを抱いていた者は決して少なくない。
しかしこの感情は、多分に訓練と教育の賜物であった。若者を雇用し、銀貨と麦で養い、武具を与え、兵として育てる。常備軍の練度向上と忠誠心の涵養は、ノルトゥスが統一され大きな戦が終息してからも、脈々とおこなわれてきた王国の重要な事業であった。
そして王国存亡のとき。ようやく彼らに反撃の機会が与えられたのである。
弓で損耗を与えられながらも、視界を覆い尽くさんばかりの敵が肉薄してくる。統率のとれた部隊ではないが、熱狂で恐怖を忘れているようで、矢を受け、立ち並ぶ槍を見ても怯まず進んでくる。そして突撃してくる彼らを、密集した戦列が迎撃する。
陣の矢面に立つ兵たちは、衝突の瞬間自らの盾に、身体を吹き飛ばされんばかりの衝撃を感じた。さらに重なり合った何人分もの勢いがそれに追加される。前に突き出した槍がもぎ取られそうになり、踏ん張る脚は地面にめり込んで後退する。
しかし二列目の兵がそれを支えた。そして三列目、四列目の兵が後ろから押し返す。敵味方の前線は停止し、やがて反対方向へと動き始めた。
盾で押し返す、槍で突く、陣を破らせない。飽きるほど繰り返した訓練は、大軍を相手にした実戦で問題なく機能した。敵は何度もぶつかってくるが、王国側に一撃を与えることすら容易ではない。
もちろん、訓練の内容はこれだけではなかった。
白兵戦の中、いくつかの地点で、直属軍の陣がわずかに割れる。状況を冷静に見る者がいれば、それは意図的なものだと判っただろう。しかしこの熱狂において、敵中にそのような判断ができる者はいなかった。陣形の破綻を好機と見た数百が、吸い込まれるように割れ目に突進する。
〈英雄王〉アウレリウス一世が使用したというこの戦術は、『英雄の隘路』、あるいは単に『隘路』と呼ばれていた。目的は陽動。そして効率的な殺傷である。『隘路』に誘い込まれた英雄気取りは、待ち構えていた槍によってあえなく刺殺される。あるいは飛び出してきた騎兵に蹂躙される。もちろん、実践は容易ではない。形だけを真似したところで、陣形が本当に破綻するのがおちである。血の滲むような反復によってのみ、初めて可能となる戦術であった。
そしてここでも、訓練の成果は十全に発揮された。誘い込まれた敵が最期に見たのは、左右から突き出される槍の穂先であった。役目を終えた隘路は一旦閉じられ、また別の場所で口を開け、死体の山を築いた。
そして敵の勢いが減じたところで、部隊の交代がおこなわれた。後列の兵が前列の兵をすり抜けるようにして前に出て、新たな戦列を形成する。下がった兵は体力を回復し、また機を得たところで交代する。攻撃に参加する人数は減るものの、部隊の持久力を高め、数的に勝る敵との長期戦において効果を発揮する戦術である。
密集陣による防御。『隘路』による攻撃。交代制による耐久。これらが効率的に機能する様子を見た諸将は、かつて〈英雄王〉が基礎を作った、英雄が不要となる戦い方に感嘆した。
だが数千を斃してなお、敵は挑んでくる。決着にはまだ時間が掛かりそうであった。




