旧都攻防戦 -2-
「落ち着いたか?」
バラックが去ったあと、ナナとビオラはしばらく黙ったまま部屋の中で座していた。ナナは横目で様子を見ながら、怒りの収まらない様子のビオラに、声を掛ける機を探っていた。感情に任せて何か無茶をやらないだろうか、と少々不安になったが、さすがにその辺りの抑制は心得ているようである。とはいえ、怒る気持ち自体は、ナナも十二分に理解できる。ビオラとバラックは、ナナがそうであったよりも、よほど付き合いが長かったのだろうから。
「大丈夫。完全に落ち着いたわ」
やや引きつり、強張った表情を見る限りとてもそうは思えなかったが、とりあえず話をする分には問題なさそうだ。
「状況は思ったよりも悪いようだ」
先ほどバラックから聞いた話である。教会勢力が何かした、ということまでは予測がついていたが、まさかオロク市街が占領されているとまでは想定していなかった。
「そうね。でもやることは変わらないわ。ここから出て、あの男の首を」
自分の顔の前で、手指をかぎ爪のようにしながらビオラは言った。先ほど扉を思いきり叩いたせいか、わずかに赤く腫れているのが見える。
「それができればな」
「さっきはやらなかっただけよ」
ナナは眉をひそめてビオラを見返すが、どうも軽口を言ったという風ではない。
「奥の手を使う」
獄に入れられてから、丸一日以上眠りこけていたのでなければ、ナナたちが〈門〉をくぐってきたのは昨日のことである。その時点で月齢は十三。つまり満月に近いここ一、二日は月気が最も濃く、魔術師が最も力を振るうことのできる期間である。
「それでここから出られるのか?」
「扉を破るのは簡単。でもそこからはナナ。あなたの幻術頼りよ」
「うむ」
だが方法があったとしても、日の高いうちに行動を起こすのは目立ちすぎる。じりじりと落ち着かない時間を過ごしながらも、ナナとビオラは日没を待つことにした。
刺激の少ない獄の中。不快に間延びした刻がのろのろと過ぎていった。日没近く、鉄扉の小窓から、パンとスープが差し入れられる。いまさら毒を入れるということもあるまい。ナナとビオラはゆっくりと咀嚼しつつ、食事を胃の腑に落とし込む。食後は強張りかけた身体を適度にほぐしながら、濃い闇が屋内にも忍び込むまで、体力と精神力の消耗を防ぐ。
脱出のために行動を起こす前、ナナは手持ちの道具で一房分の髪を切り取った。
「何をしてるの?」
「目印にと思って」
もしかすると、クロウドたちがここに来るかもしれない。あまり妥当な予想とは言えないが、ナナにはなんとなくそんな気がした。だから何か、自分たちの無事を知らせるものを置いておきたい、と思ったのだ。とはいえ、道具や食器で壁に文字を刻むのは手間が掛かりすぎるし、あまり貴重なものは残していけない。少し考えたあと、髪の毛を、ということにした。
「ビオラ。君の髪も」
「なんでよ」
「赤くて目立つ」
結局、二人分の髪を紐で束ねて、寝台の上に残しておいた。
「じゃあ、手はず通りにね」
「うむ」
頃合いを見て、ドアの外側にある気配を探る。どこかしらに見張りは居るだろうが、対処できそうな人数であれば問題ない。最低限騒がしくないことを確認して、ナナはビオラに頷いて見せた。
事前に打ち合わせた脱出の手順は難しいものではない。ビオラが扉を破り、ナナが音を防ぐ。守衛に見つかった場合は速やかに排除し、大きな騒ぎにならないうちに建物を脱出する、というものだ。ある程度出たとこ勝負になってしまうのは致し方ない。
まずナナが呪文を唱える。効果が及ぶ範囲はそれほど広くなくてよい。
次に、ビオラが大きく息を吐き、その名を呼んだ。
「来い。〈シャビスカ〉」
どろり、と空中の闇が凝り、質量のある気配が出現した。僅かに赤く光る双眸の位置と威圧感から判断して、熊か牛ほどの巨躯である。
「壊せ」
ビオラの命に従い、シャビスカが前方へと突進した。体当たりを受けた鉄扉はひしゃげて外側に吹き飛び、奥の石壁に衝突するが、ナナの呪文により、音はほとんど響かない。
枠だけになった出入口から獄の外に出ると、そこは回廊になっていた。前後左右を見回すと、建物の外周に面する区画には、ナナたちが捕えられていたような小部屋がいくつか並んでいる。その内側に廊下。そして窓から見える階の中心は、吹き抜けの中庭となっているようだ。
ナナは魔術を解いて、しばらく周囲を窺った。すると少しして、遠い方の曲がり角から、巡回のものと思しきランタンの灯が近づいてきた。もしかすると何か異変に気付いた守衛が、様子を見に来たのかもしれない。
距離にして十五歩。シャビスカが四足で音もなく疾走し、角を曲がってきた人物の顔面を、前足で叩き割った。多分、相手には何が起こったのか全く分からなかっただろう。犠牲者はそのまま、ぐしゃり、と力なく床に崩れた。
直後、床に落ちたランタンに照らされたシャビスカの姿が揺らぎ、やがて空気に溶けるように消えた。それと同じくして、ナナの傍らにいたビオラが壁にもたれ、ずるりと座り込むのが分かった。
「大丈夫か?」
ナナはビオラの傍らにかがみ、肩に手をかけて表情を窺った。ビオラは少々青い顔をしながら、大きく息をついて答える。
「ええ。でもちょっとだけ休ませて」
シャビスカは確かに強大な存在だが、それを短時間でもこの世界に滞在せしめ、使役するには莫大な精神力が必要なのだという。有用ではあるが、効果的に使える局面は多くない。奥の手というのは、まさにその通りだった。
「うむ。あまりゆっくりはしていられないが、しばらくは心配いらない」
扉を破り、守衛を排除したあと、身を隠しながら建物を脱出するには、幻術が役に立つ。ここは敵の施設であり、またビオラも消耗している状況下であるため、ひとたび発見された場合の危険は大きい。しかし日中の街中ならいざ知らず、満月の夜であれば、この程度のことは、ナナにとってさほどの難事ではなかった。
「私に任せろ」
3
ナナとビオラが捕えられてから二日が経った。クロウドとカラスは二人の所在を探ろうと市街のあちこちを探ったが、いかんせん土地勘のない場所である上、巡回の兵が多く、また重要そうな施設にはことごとく衛兵が配置されていた。結局、クロウドたちはさしたる成果を得られないまま、貴重な一日を空費してしまった。
やはり自らの安全を考えたままでは、集められる情報の質に限界がある。そう感じた二人は、少々強引な手段を採ることに決めた。敵対勢力の兵を捕まえ、直接尋問する、というものである。
だが、それには当然危険が伴う。往来で堂々と襲い掛かる訳にはいかない。そもそも、クロウドたちからして追われる身である。なるべく人目に付かないところで、気付かれぬように事を運ばなければならなかった。
背後から襲うとして、殺害するのはそれほど難しくない。しかし尋問するという目的がある以上、どうしても生け捕りにする必要があった。二人は道端に落ちている廃材を拾い、適当に削って即席の棍棒を作った。
「強盗にでもなった気分だ」
クロウドは棍棒の持ち手に布を巻きながら、自嘲するように呟く。
「強盗なんだよ。奪るもんが違うだけ」
どちらにせよ、捕まれば死は免れない。少なくとも敵の無力化だけは、確実におこなわなければならない。
準備を整え、時刻は朝。道の入り組んだ貧民街を徘徊しながら、クロウドたちは獲物を探す肉食獣のように、巡回の兵を捕える機を計っていた。
注意深く観察していると、兵たちは家々を訪問しながら、何事かを尋ねて回っている様子である。おそらくは取り逃がした重要人物や残党の狩り出しをおこなっているものと思われた。基本的には四人一組の編成だが、ときおり二人ずつに分かれることがある。狙うならばそこだろう。
目星を付けた兵を尾行し、見通しの利かない場所に入り込むまで待つ。距離を保ち、息を潜めながら、横道に入った二人の兵を追うと、ある建物の玄関口で女性と話しているところだった。しばらく様子を窺う。やがて、兵たちが何か不審を感じたのか、無理やり屋内に押し入るべく、住人と言い合いを始めた。
今が機と見て物陰から飛び出したクロウドとカラスは、一気に距離を詰め、二人の兵に背後からの打撃を見舞った。
振り抜かれたクロウドの棍棒が敵の後頭部に命中し、派手に木端を散らして折れた。入りが浅いと感じたため、ダメ押しで怯んだ相手の首に腕を回して締め上げる。一瞬だけ抵抗されたが、やがて意識を落とすことに成功した。横を見ると、カラスも首尾よく片割れを仕留めたようだ。
「あの」
兵と問答していた女性が戸惑ったようにこちらを見ている。
「失礼。少々この兵たちに用があるのです」
怯えさせて人を呼ばれてはたまらないので、クロウドは極力丁寧な口調で女性に告げた。しかしその腕では人間の首を絞めているのだから、ちぐはぐな光景である。
その言葉を聞いた女性は、ほんの少し思案するような様子を見せた。そして周囲の様子を窺ってから、クロウドたちにとって予想外の言葉を口にした。
「中に入って下さい。早く」
クロウドはカラスと一瞬顔を見合わせる。罠の可能性がなくはないが、この女性は何か重要なことを知っているかもしれない。それに、元より危険は承知の情報収集だ。また、兵たちを留置しておく場所も必要だった。二人は軽く頷きあい。捕えた兵の身体を引きずって、招かれるまま屋内へと足を踏み入れた。
クロウドたちを屋内に招くと、女性はさらに奥の部屋へと誰かを呼びに行った。少々手持無沙汰になった二人は、捕えた兵の服を脱がせ、それで手足を拘束する。
内装を改めて眺めてみると、意外と広い。どうやら個人の住居ではないらしい。宿泊施設だろうか。
ほどなくして、一人の男が奥の部屋から出てきた。口髭を蓄えて威厳を出そうとしているが、おそらくは三十手前といったところだ。身に着けている品や鍛えられた身体から見て、兵士だろうと思われた。男はクロウドたちが捕えた兵士を一瞥してから、落ち着いた声で名乗った。
「私は第四守備隊副長のヨーザムだ。君たちは?」
オロクの守備や警備を担う守備隊。一つの部隊にはおおよそ四百人の兵士がおり、隊長のもとには複数の副長がついて、小隊長以下の統率を補助するようになっている。この若さで副長格ということは、おそらくは武官学校出身の幹部候補であろう。
クロウドたちが名乗ると、ヨーザムは少し意外な顔をした。どうやら二人を、守備隊の兵士だと思っていたらしい。
「王都の傭兵が、どうしてここに?」
「もちろん、仕事だ。詳しい事情を話せば少し長い」
クロウドが答える。
「教会の連中にハメられて、仲間を攫われたのさ。だからこいつらから聞き出そうと思ってた」
カラスが足元で拘束されている兵を、つま先で小突きながら言う。ヨーザムは話を聞いて少し考えている様子だが、クロウドたちの事情についてはおおむね納得したようだった。
「とりあえず、奥で座って話そう。互いに何か協力できるかもしれない」
二階の小部屋で、三人は床に座って一息ついた。捕えた兵は隣の部屋で女性が見張っている。ヨーザムによると、どうやらここは売春宿らしい。なぜオロクの守備隊が売春宿に匿われているのかについては、複雑な経緯と理由があるらしく、あまり詳細には教えてもらえなかった。それよりも本題を、とヨーザムは情報交換を持ちかける。クロウドたちにそれを断る理由はない。
ヨーザムが話すところによると、反乱が発生した日の朝早い時間、オロクの守備隊に、ある情報がもたらされた。都市圏内にあるいくつかの村落付近で、大型の異形が確認された、というものである。人里や街道に近く、また場所が複数であったため、現場付近に駐留する軍の支援をするという目的で、十部隊いる守備隊のうち、半数に出動命令が下された。
しかし出動した部隊が市街から十分に離れたであろう頃、市内で同時多発的な反乱が起こった。十分に連携のとれた勢力による、要人の捕縛、詰所の襲撃、重要拠点の制圧。一つの小隊が丸ごと反乱に加担するということも相次ぎ、オロクに残っていた守備隊二千の指揮系統は寸断、混乱に陥った。組織的な反乱制圧に乗り出す間もなく、わずか二刻のちには、オロク市街全域がほとんど掌握されてしまった。市外の部隊がそれに気づき、オロクへと取って返す頃には、四方の門は固く閉ざされ、オロクはすっかり城塞と化していた。
その時には非番であったヨーザムは、反乱勢力の目を避けながら、部下の所在と状態を把握しつつ、情報収集に奔走した。反乱発生から二日経った現在、命令を下せる兵数は四十に満たないが、なんとかオロク代官のハルトマンが、政庁舎の近くにある塔で生け捕りにされていることを突き止めた。
「異形の出現というのも、守備隊をおびき出すための虚報だったのかもしれない」
情報自体が嘘だったのか、それとも命令が恣意的に曲げられたのかすら、今となっては定かではない、とヨーザムは言う。
「だが、ありえないことではない」
クロウドがヨーザムに説明する。巨石教会は〈穴〉を意図的に開くことができ、それによって異形が出現するということ。そしてクロウドたちは、〈穴〉にまつわる事件を追ってきた結果、オロクと巨石教会にたどり着いたということ。
「巨石教会か」
ヨーザム自身も、反乱の背後にいる勢力について、薄々勘付いていたようである。だが今回の結果を見る限り、警戒は十分でなかったと評価せざるを得なかった。
「その拠点への立ち入りにおいて裏切りに遭った、というわけだ」
思い出すと苦々しい気持ちになるが、クロウドはヨーザムに仔細を説明する。
「もし、その女性たちが教会にとって重要な人物であれば、ハルトマン閣下と同じ場所に捕えられている可能性がある」
ヨーザムはオロク市街の簡単な地図を書き、政庁舎のすぐ裏手にある建物を指差した。
「私たちは今晩、この場所を強襲し、閣下を救出する計画を立てている」
「警戒が強そうだな」
カラスが地図を覗き込みながら言うと、ヨーザムはにやりと笑った。
「そうだ。だが、オロクの建物は、その多くが脱出のために抜け道を持っている。もちろん、ごく一部の人間しか知らない」
オロクの守備を預かるヨーザムであれば知っていて当然、というわけだ。
「そこに、ナナとビオラもいるかもしれないな」
クロウドは考える。抜け道から入るとはいえ、決死の潜入になるだろう。それに捕われた二人が、確実にそこにいるという保証もない。だが他に手がかりはなかったし、ヨーザムと協力関係を保っておくのは、今後調査をするにあたって大きな利益となる、と考えられた。
「わかった。我々も協力する」
クロウドはそう答えた。カラスも異存はないようだった。
「助かるよ。戦力は多い方がいい」
行動開始までこの部屋で休むといい、と言って、ヨーザムは立ち上がる。他の部屋にも、部下がいるらしい。扉に向かう彼の背中に、クロウドは声を掛けた。
「捕まえた兵はどうする?」
「我々の場所を知られるわけにはいかない。残念だが、死んでもらう」
振り返ったヨーザムの顔には、非情になりきれない、若い指揮官の哀愁が滲んでいるように見えた。
「哀しいことだ。また兵同士が殺し合う時代にならなければいいが」
多分、それはあまり期待しない方がいいだろう。クロウドはそう言いかけたが、結局言葉には出さず、そのままヨーザムを見送った。
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