孤軍 -2-
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「急ごう」
半刻後、鬼気迫る表情のまま、クロウドはオロク市街の南門で馬を乗り捨てた。無言で付き従うカラスと共に目指すのは、ここから近い場所にある、知識の塔オロク支部である。本来ならば、色々と考えをまとめてから行動するべきだが、今は正確さよりも速度を重視したかった。
南門をくぐって市街に入ると、どこか騒がしく、浮足立った雰囲気があるように思えた。自身の心が平静を欠いているからだろうか。もしかすると、巨石教会が何か行動を起こしたのかもしれない。だが今は、話を聞いてみる余裕もない。通行人を避けながら、走って街路を進む。
窓の少ない、角ばった四階建ての支部もまた、街と同様、いやそれよりもただならぬ雰囲気に包まれていた。正面の出入り口は、鎧を纏い、短槍を掲げた四人の兵によって固められている。朝見たときには、衛兵など配置されていなかった。クロウドたちが近づくと、当然のように進路を塞がれた。それどころか、威圧的に槍先を向けられ、厳しく誰何される。
「バラック導師にお目通り願いたい。巨石教会の動向について重要な報告がある」
息を切らせながら、クロウドが伝える。しかし巨石教会の名を聞いた瞬間、兵たちの表情が厳しくなった。
「ならばなおさら通すわけにはいかんな」
その態度を見て、クロウドは事情を察した。この場所の兵も、先ほどの小隊と同じだ。巨石教会側に寝返っている。だとすればこの建物もバラックも、既に敵の手に落ちているに違いない。助力は望むべくもなかった。
「クロウド、行こう」
促すように肩を掴まれたクロウドは、一瞬それに抗いかけるが、やはりここで押し問答をしていても無駄だ、と冷静になる。もし増援を呼ばれて捕えられれば、事態はさらに悪化する。兵士たちを睨みつけながら、やむなくこの場から去ったクロウドたちは、一旦貧民街にある安宿に一室を取り、体制を立て直すことにした。雨に濡れた二人の身体は、既にすっかり冷え切っていた。
その晩。僅かな月光が差し込む宿の一室。明りも付けず、クロウドは粗末な寝台に腰かけ、ささくれた床を睨んでいた。一時の隠れ家と決めた木賃宿で、とりあえず腰を落ち着けたものの、現状の把握も、今後の方策もおぼつかない状態では、ゆっくりと寛ぐことなどできはしなかった。その上、ナナとビオラが捕われ、手痛い敗北を喫したという事実が、クロウドを酷く打ちのめしていた。
敵わない、と思ったこと自体は幾度もある。特に兄であるオリヴァと練習で剣を交えたときなどは、散々打ち負かされて泣いた記憶もある。だが、今回の事を思えば、そんなものは到底敗北と呼べるようなものではなかった。
思い上がり。この言葉を、クロウドは幾度も反芻していた。
郷里で野盗の討伐に参加したとき、ナナを救うためにタダウの兵を殺したとき、王都に来てからの依頼で、異形との遭遇戦を生き残ったとき。自分では修羅場を潜り抜けたつもりだと思っていたが、それは所詮、仲間や機会、運に恵まれていたに過ぎなかったのだ。そんな半端な経験によって増長した、いかなる困難にも打ち勝てるだろう、という驕りが、先の敗北を招いたのだ。
ナナはどうしただろうか。ビオラはどうしただろうか。生きているだろうか。捕えられているだけなら良いが。どうすれば助けられるだろうか。焦ってもどうしようもない、と解りつつも、考えずにはいられない。疲労は蓄積しているが、眠る気にもなれなかった。
まんじりともせず考えを巡らせていると、建て付けの悪い部屋の扉が、ぎぎい、と不快な音を立てて、ゆっくりと開いた。
「帰ってたのか。明りぐらいつけりゃいいのに」
カラスである。日中に宿を確保したクロウドとカラスは、日が暮れるまでの時間を情報収集に充てようと決めていた。クロウドたちが遭遇した裏切りは、おそらく起こっている事態のほんの一部でしかないからだ。
「死体みたいな顔になってんぞ」
「ああ」
カラスはさらに何か言おうとしたが、思いとどまったようだ。
「俺は二人を見捨てた」
クロウドは小さな声で呟いた。
「しょうがなかったよ」
「…………」
「あのな」
少し言葉をまとめるような様子を見せてから、カラスは堰を切ったように喋りはじめた。
「こういう時は、物を蹴飛ばしたり、悪態を付いたり、誰彼構わず当り散らすもんなんだよ。お前さんぐらいの齢の人間は特にそういうもんだ。息子が全員戦死しちまったジジイみたいな顔はしないんだよ」
カラスも苛立っているのだろう。強い調子で言う。しかしその声には、教え諭すような響きがあった。クロウドは黙ってそれを聞く。
「今、俺に腹を立てろと言ってるんじゃない。でも自分に怒りを向けるから落ち込んじまうんだ。俺の経験上そうなんだ。そんで、そうなった人間はもうそこで止まっちまう」
「つまり、気持ちを自分以外のどっかに向けないといけないんだ。クロウド、お前は、ナナとビオラを助けたいんだろ?」
「うん」
「命の危険があっても」
「そうだ」
「おう、そこに気持ちを向けるべきだ」
クロウドは一度自分の両掌を見て、顔をごしごしとこすり、大きく息をついた。
「ちょっと説教臭かったな。でも、少しマシな顔になった」
カラスが少し照れたように言った。
「いや、ありがとう」
気を取り直した二人はランタンを灯し、顔を付き合わせて、日中に見聞きした情報を共有することにした。もちろん、それらでは事態を掴むのに不足である。多分に想像と推論に頼らなければならないが、今はやむを得ない。
まず、オロク市街は通常とは明らかに異なる状態となっていた。クロウドたちが入ってきたすぐあとに、門は封鎖されてしまったようである。あとから近くで見てみると、分厚い扉が閉じられ、多数の兵が配置されていた。防壁の上にも射手がおり、通行を遮断するだけでなく、外部からの侵入に備えているようでもあった。代官がいる政庁舎をはじめとした重要施設は、何者かに占拠されていた。クロウドが装備から判断したところによると、勢力の中には代官の兵もいれば、所属不明の兵、西方諸侯の兵もいた。
これは要するに、オロクが乗っ取られたということだ。
乗っ取りを成した勢力は、おそらく少数の兵によって、計画的、かつ迅速に主要拠点を制圧し、要人を拘束・殺害して無力化して主導権を握ったに違いない。次いで指示系統の乱れた守備兵を寝返らせるか、武装解除することで、抵抗勢力に主導権を奪還されることを防いだのだ。そうすれば、外から攻め落とすよりも、はるかに容易に、オロクを手に入れることができる。
しかし、それが可能な者は多くない。オロクの市街にまとまった勢力を置いておける者、もしくは政治上強い権力を持つ者、あるいは協力した両者だけができる所業である。
今回最も妥当だと考えられるのは、王国に反旗を翻す巨石教会が、オロクの兵権を掌握する政治勢力と内通し、反乱を企てた、という図式だろう。
「そんなことしても、また攻め返されたら水の泡だろうが」
「そうならないためには」
オロクを手に入れ、兵とともに防壁の内側に引きこもったところで、包囲されて補給を絶たれれば、備蓄があったとしても長くは持たない。そしてその程度の見通しも持てない人物が指導者ならば、そもそも反乱を成功させることもできないだろう。おそらく首謀者は既に、別の大きな勢力の協力を取り付けているのだ。
オロクに西方諸侯の兵が入っていることを考えると、オロク近隣、あるいはもっと多くの貴族が、教会側に寝返っている可能性が高かった。
だとすれば、このオロクにおける内乱は、王国に対する教会の造反というものに留まらない。ノルトゥス全土を巻き込んだ、大規模な内戦の端緒ということになる。
ここまで話が進んだところで、カラスが一旦遮った。
「待て待て、話が大きすぎる」
カラスの言う通り、事態はあまりに大規模であり、既に決定的かつ不可逆的に進行していると考えられた。これをクロウドたちだけで収拾するというのは、どだい無理な話である。しかし当面の目的は、あくまでナナとビオラの救出。それが達成できれば、ひとまずクロウドたちにとっては、よしということになる。
「逃げたときの様子から言って、ナナとビオラはどこかに捕えられている可能性が高い。そこにどうやって行くか、あるいは案内してくれる人間をどうやって探すかを考えよう」
とはいえ、クロウドにも具体的な考えがあるわけではなかった。カラスとうんうん唸っていると、ふと、窓際で気配がした。
「悩んでるみたいね」
驚きに跳ねた心臓の勢いそのままに、クロウドは傍らに置いてあった剣を取る。少女の声だった。柄に手をかけて薄闇に目を凝らすが、人の姿はない。声はごく近くで聞こえた。この部屋は宿の二階にあるため、窓のすぐ外に人が立っているというわけではなさそうだ。
「誰だ」
クロウドが誰何するも、宙を漂う少女の声は面白そうに笑うだけである。どこかで聞いたことがある声だ。カラスは素早く部屋の扉まで移動し、退路と人の気配を確認している。
「私は混沌をもたらすもの」
その時、月にかかっていた雲が風に流れ、窓から差し込む月光がその強さを増した。それに照らされるようにして、幽かな少女の像が浮かび上がった。年は十四、五。可憐な目鼻立ち、洗練された所作。そして何より月光と同じ色をした瞳に、クロウドは見覚えがあった。
「ウェルテア」
クロウドは思わずその名を呼ぶ。ひと月前、オロクの貧民街にあった教会で見かけた少女だ。しかし、あの時とは明らかに雰囲気が違う。まるで誰か別の人間が、少女の声を借りて喋っているかのようである。
「ウェルテア、と私を呼ぶ人もいる。都合が良いなら、あなたもそのように」
「何をしに来た」
剣から手を放さず、クロウドは強い調子で問いただす。だがウェルテアは、全く気圧された様子を見せない。
「あなたたちが、渦に飲みこまれていないか、それだけの強さがあるかどうかを見に」
窓枠に腰かけた格好のウェルテアは言う。その姿は、一切の重さを感じさせず、髪は吹き込む風の向きとは無関係に靡いている。
「俺たちが渦に飲まれようと飲まれまいと、強かろうと弱かろうと、お前には関係のないことだ。敵方に注進するならばすればいい」
そう啖呵を切りながらも、クロウドは注意深く相手を観察する。一見敵意は無いように見えるが、油断はできない。とはいえ、剣で斬ったところで、斬れる気もしなかった。
「注進なんてしない。あまりに一方的じゃ面白くないから。かき回す手は多い方がいいもの」
姿のみならず、人を喰ったような態度を取る点、話が抽象的な点、さらに奇妙な現れ方をするという点においても、ウェルテアとアウレリウスは似ている。だがそれを聞いてみようとした矢先、ウェルテアは煙のように消え去ってしまった。あとには匂いさえ残らない。
「変わった友達だな」
背後の扉に背を持たれかけさせながら、カラスが呟く。
「混沌をもたらすもの、か」
クロウドは持ったままだった剣を寝台に放り投げ、そのそばにどっかりと腰を下ろした。
「いいだろう。かき回してやる。そのうち、訳知り顔で笑っていられなくなる」
「おう、調子が出てきたな」
カラスが笑い。クロウドに向かって固い枕を投げる。クロウドはそれを手で受けて掴み、頭に敷いてそのまま横になった。
まだ街中では散発的な争いが続いているようだ。時折怒号や、大きな物音がする。落ち着かない夜ではあるが、明日からの英気を養うため、クロウドとカラスは明りを消し、眠りにつく。
街の中心では、巨石が満月に照らされながら、沈黙のままに佇んでいた。