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神話はもう黄昏を過ぎて  作者: 黒崎江治
第二部 泥蜥蜴亭の傭兵たち
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孤軍 -1-


 気温の低い曇天の朝。陰気さが窓から差し込む泥蜥蜴亭に、以前より少々着ぶくれしたビオラが姿を現した。カウンターについた彼女はドミニクに温かい食事を頼み、居合わせたクロウドたちに話を切り出した。例によって、知識の塔からもたらされた依頼である。それはひと月前にクロウドたちがこなした巨石教会にまつわる仕事の、いわば続きとなるものだった。以前と同じく詳細は現地で、ということだったが、顛末の気になる事件であったし、またバラック導師直々の指名であるらしかったので、クロウドたちはそれほど迷うことなく、その仕事を引き受けることにした。 

 装備を選んで荷物をまとめ、知識の塔へと向かう。見上げた空には分厚い雲が垂れ込め、今にも雨が降ってきそうだった。

 知識の塔最上階。〈ポータル〉は相変わらず、奇怪にゆらめく水面のようであった。クロウドは一度目ほど戸惑うことなく、〈門〉の向こうへと足を踏み入れる。だが、通過する際の違和感には、しばらく慣れることはないだろう。とはいえ旅はほんの一瞬である。クロウドたちはひと月ぶりに、再びオロクの地を踏んだ。


 廊下に面した窓から見るオロクの空は、アウレリアと同様、陰鬱であった。訪れたバラックの部屋も、以前に増して薄暗かった。クロウドたちは本に囲まれたその部屋で、ビオラからさわりだけ伝えられていた用件の詳細を、バラックから聞くことになった。

 バラックの説明によれば、ひと月前にクロウドたちからもたらされた事実は、オロクの代官を通じて政府の知る所となった。巨石教会に造反の意ありという情報は、当然、王国にとって看過できるものではない。しかし信徒五百万という教会の規模や、民衆が多く参加する宗教という団体の性質から考えて、拙速に相手を刺激するのでは、いたずらに騒ぎを起こすだけで、十分に真相を追求することができない。そう上層部は判断したのだ、とバラックは話した。情報収集を含めた準備と、政治的な根回し。それらに一カ月の時間が必要だった。

 そして今回、ようやく用意が整い、巨石教会に対して実力を用いた行動に出ることになった。先月、クロウドたちによって発見された武器の集積場に立ち入り、決定的な物証を手に入れ、しかるのち大義名分を得て、教会勢力と対峙しよう、というのである。そしてその場所まで巡察のための部隊を案内する、というのが、今回クロウドたちに頼まれた仕事であった。クロウドたちは乗りかかった船、とそれに応じた。出立の用意を整え、建物の外に待機していた兵たちと合流する。

 施設への立ち入りに際してクロウドたちに同行する部隊は、隊長を含め二十の兵から成る小隊規模の集団である。王国軍の編成として、合戦の際には、小隊がさらに二十個連なり、基本的な戦闘単位を形成する。しかし平時においては、この程度の頭数を単位として、各種役務に従事することが多かった。

 兵は平時に用いる軽量の防具を身に着け、武器は小剣のみを携行している。多少の悶着はあれど、基本的に暴力的な衝突はないだろう、と見積もっているようだ。クロウドたちも完全武装、というわけではない。相手を侮っている、というよりも、民衆に暴力的で威圧的な印象を与えないため、という配慮である。

 そして準備を終えた一行は馬に乗って列を成し、オロク市街より一刻の距離にある南の町を目指した。


「ちょっと大げさすぎるんじゃないの」

 道中、ふとカラスがビオラに耳打ちするように言う。部隊の人数について言っているのだ。クロウドたち四人は、列の最後尾に固まって街道を進んでいた。時折すれ違う人々の衣服は、ひと月前のそれよりも分厚いものである。

「悪徳騎士を一人連行するのとはわけが違うのよ。それに、責任者に逃げられたら厄介でしょ」

 馬蹄の音に紛れるほどの小声でビオラが返す。兵たちは代官の直属であり、ビオラとは所属が違う。彼らにはどこかよそよそしい雰囲気があり、気の置けない仲間、という感じではなかった。とはいえ、多少無駄口を叩いたからといって、咎められるようなこともないだろうが。

「しかし兵はともかく、我々が四人とも必要なのだろうか」

 ナナの疑問に対しては、ビオラも首を傾げた。確かに、案内だけであれば一人でも事足りる、とクロウドも思う。ただビオラの話によれば、今回の人選はバラックの希望でもあるというから、なにか特別な思惑があるのかもしれなかった。

「知識の塔側の息がかかった人間を、何人かは揃えておきたい、ということなのかもしれないな」

 クロウドはそう解釈することにした。王国軍と知識の塔。公に仕える両者ではあるが、それぞれに独自の支配力パワーを持ち、自己の権益を確保しようとするため、手柄を奪い合うようなことがあってもおかしくはない。そもそも一つの村、一つの小隊というような基本的な集団であっても、完全に一丸となっていることはそう多くない。まして国や政府という、多数の者が所属する複雑な組織であればなおさらである。

 面倒なことだ。とクロウドは思う。政治的な策謀が働くことや、そのおおまかな力学は理解できる。だが、クロウドは権力争いというものに、どこか嫌悪感を持っていた。それらは、戦功や事業の成功という価値を損なう不純物だ、という考えがあるのだ。

 しかしよくよく想像してみれば、文官として身を立てるにあたってその種の闘争は不可避であり、場合によっては武官の道を歩むとき以上に大きな課題として、眼前に立ち現われてくる可能性が高かった。もし自分が将来、政治的な権力争いに巻き込まれたとしたら、どのように振る舞っていただろうか。多分、狡猾に問題をすり抜けることは困難で、また進んでそうしたいとも思わないだろう。しかし、政治権力にまつわる問題を厭うのならば、そもそも文官になど、なるべきではなかったのかもしれない。

 そこまで考えて、クロウドはふと我に返る。退屈な馬上では、つい物思いに耽りがちだ。それが警戒の必要が薄い、治安の良い街道ならばなおのことである。しかし今から取り掛かる仕事は、以前にも度々あったように、予期せぬ事態が発生する可能性が少なくない。目的地が近づきつつある今、そろそろ気を引き締めておくべきだった。


 道中さしたる事故もなく、クロウドたちを含めた隊は、件の教会施設付近へと到着した。軽装とはいえ物々しい姿の兵たちは、どうあっても往来にいる人々の目を引く。中には子どもの手を引いて隠れる者、嫌悪の表情を隠さない者もおり、それはこの場所の住民が為政者に持っている感情の表れとも考えられた。

 とはいえ、その程度のことに気持ちを乱してはいられない。いくつかの家屋や建物を通り過ぎると、町の中心地が見えてくる。二名の兵とともに、近場に馬を待機させ、クロウドたちの先導のもと、残る全員で教会を目指した。

 少々の注目を浴びつつも、一行は教会の建物がある敷地の入口に立った。以前に訪れたときはさしたる感慨を抱かなかったが、王国に仇なす者どもの根城であることが分かった今改めて見ると、どこか不気味さと悪意を湛えた場所のようにも思える。

 小隊長が兵の一人に、中から責任者を呼んでくるよう命じる。兵がきびきびとした駆け足で敷地内にある宿舎へ向かい、壮年の男を伴って戻ってくるまで、小隊の面々とクロウドたちは、やや緊張した面持ちのままその場に留まっていた。

「責任者を連れて参りました」

 少しして報告する兵に伴われてやってきたのは、灰色の法衣を纏った、生白い肌の男である。どこか猜疑心が強そうな顔で、あまり聖職者然とした人物には見えないが、名乗ったところによると、司祭を務めているという。

「どのようなご用件でしょう」

 司祭は相対する小隊長と目を合わせずに言った。クロウドたちはその様子を横合いから見ている。

「この場所に武器が蓄えられている、という報告があった。今から立ち入って調べさせてもらう」

 小隊長は自分より背の低い司祭を見下しながら、威圧的に言い放った。

「そんなことは……」

 と司祭は反論しかけるが、兵たちに気圧されて言い淀み、黙り込んでしまう。小隊長に目配せされたビオラが一歩前に出て、司祭を押しのけるように敷地の中へ入った。クロウドたちと兵もそれに従う。宿舎から数人の関係者が出てきて、何ごとか、と囁き合っているようだ。クロウドは周囲を見回して警戒するが、伏兵がいるような様子は、今のところない。

 一行は、礼拝堂と宿舎を横目に、よく手入れされた敷地の奥へ歩を進めた。以前見たときに武器が保管されていた倉庫は、通りから見て最も奥まった場所にある。建物の正面にある大きな鉄製の扉には、掌ほどもある大きな錠が取り付けられていた。兵の一人が司祭に命じて、鍵を取りに行かせる。

「で、ブツを見つけたらどうすんの?」

 カラスが問いかけるも、小隊長は一瞥しただけでそれを無視する。あまり感じの良い男ではなかった。カラスはクロウドと視線を交わして軽く肩を竦める。

 司祭が鍵を持って戻り、兵の一人がそれを受け取って錠を外す。鉄扉が重く軋みながら開き、倉庫の内部が明らかになった。

「何もないぞ」

 小隊長以下、内部を覗き込んだ兵たちがざわつく。クロウドもそれを確認した。何もない。空っぽである。

「これはどういうことだ、ビオラ術師」

 全員の注目を浴びたビオラは、狼狽した様子こそなかったが、強く眉根を寄せて顔をしかめた。

「確かに、今この場所には何もないわね」

 責めるような視線を向ける小隊長を、真っ直ぐ見据えて答える。

「でも、よく考えて。ここまで何もないということはむしろ、急いで何かを運び出したから、という風にも考えられる。だから内部と他の建物を詳しく調べて――」

 言い終わる前、突然ビオラは蹴飛ばされた猫のような声を上げて、地面に倒れ込んだ。クロウドはその瞬間、兵の間にいる司祭の指先から放たれた、紫電の光跡を見た。ざわめきに紛れて詠唱が聞こえなかったが、魔術に違いない。

「何を」

 クロウドが敵意を認めて剣を抜く。周囲の兵もそれに倣う。しかしその切っ先は司祭にではなく、クロウドたちに向けられた。倒れたビオラの身体に足をかけ、小隊長が腕を組んだまま、不敵に口角を上げた。

「困ったものだな。金を積まれて、内通でもしたか」

 吐き捨てられるように放たれた言葉に、クロウドは一瞬混乱した。彼らは、我々が教会と内通したと疑っているのか? 全く状況に即さない、支離滅裂な推論だ。そんなことをするくらいなら、武器の場所など報告しないし、そもそも末端の一小隊を騙したからといって、状況がどうなるものでもないのは明らかである。

「内通? バカを言うな。この状況に陥ることを、我々が望んでいたというのか」

 クロウドが反論するも、小隊長は全く考慮に値しない、という表情である。周囲の兵も、逡巡する素振りさえ見せず、クロウドたちに殺気を向けている。小隊長、魔術師、兵卒十七。クロウドたちを囲む全員が敵である。三、四人斬れば突破できるか。しかし、倒れているビオラはどうする? クロウドの背を冷たい汗が伝った。

「戦わないで、それこそ、こいつの」

 這いつくばったままのビオラが呻く。そうなのだ。ここで戦えば、クロウドたちを処罰する口実ができてしまう。ではどうする。大人しく縛に付き、申し開きの機会を待つか? しかしそもそも、生きたまま連行される保証などない。

「魔術師は生かしておけ。男どもは殺して構わん」

 小隊長が命じ、包囲網が狭まる。ナナが口の中で小さく詠唱をはじめ、カラスが唾を飲みこむ音が聞こえた。状況を切り抜けるための良い策もなく、またそれを練る時間も与えられないまま、幾本もの切っ先が間合いに侵入しようとしていた。

「早く逃げて」

 ビオラが声を絞り出すように叫ぶ。ナナの手がクロウドとカラスの肩に置かれる。その瞬間、時間が鈍化し、地面が歪むような感覚に捉われた。ナナの幻術。音や光に不協和が生じ、あらゆる知覚が乱される。性質たちの悪い夢の中にいるようだが、肩に置かれたナナの手が伝える温かさだけは確かであり、それによって幻術の効果が和らげられているようだ。影響を受けているのは兵たちも同じらしく、尻もちを付いたり、頭を押さえたりしたまま、襲い掛かってくる様子はない。

 クロウドはビオラを見捨てたくなかった。しかし状況がそれを許さない。幻術が相手にどれだけ効いているかは分からないが、まともに打ち合えば、五人も倒さないうちに、押し包まれて串刺しになるのがおち(、、)である。クロウドたちはやむなく後退を開始し、敷地の出口へと向かい始める。

 敵に背を向け、ナナに背中を押されるようにして五、六歩進んだところで、何か小さいものが焼けるような音がし、ふっ、とナナの手が離れた。

 クロウドが素早く振り返ると、そこには、身体を縮こめるようにして崩れ落ちるナナの姿があった。その奥には、不格好な姿勢ながらも、こちらに敵意と指先を向ける司祭の、歪んだ像があった。クロウドが逡巡するうちにも、司祭の姿は正常なものに戻っていく。幻術の効果が切れつつあるのだ。それに伴って、兵たちも態勢を整え、肉薄してくる。

 ビオラ、ナナ。またしてもクロウドは、苦渋の決断をしなければならなかった。カラスが腕を引いてくれなければ、そのまま留まっていたかもしれない。しかしこの場で全員が捕まれば、どの道誰も助かりはしない。

 冷静な判断力を取り戻したクロウドは身体を翻し、駆けた。敷地を横切り、通りに飛び出す。少数の兵がなおも追ってきたが、小隊長が制止の号令を飛ばすと、背後からの足音は遠ざかって行った。

 だが、安心してはいられない。この事態を急いで報告し、援軍を乞う必要があった。バラックに会わなければならない。

 クロウドたちは通りを走り、先ほど馬を置いた場所までたどり着く。剣を抜いた兵二人を蹴倒し、馬を二頭奪って跨った。そして逸る気持ちをそのままに、素早く馬首を北へと巡らせる。少しでも早く、オロク市街へと戻らなければ。

空を覆う分厚い雲からは、冷たい雨が降り始めていた。


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