時代を編む人 -2-
2
図書館を出たクロウドたちは、公務に携わる者が良く利用する食堂へと来ていた。部屋に食事が運び込まれるような高級官僚以外は、ここでがやがやと昼食を摂るようになっている。
「巨石教会?」
クロウドから巨石教会にまつわる話を聞いたバルタザールは、パンを頬張りながら繰り返す。無論、クロウドが知り得たすべてを語ったわけではない。特に教会の造反云々に関しては、機密に属する情報だからだ。うっかり知らせれば、バルタザールにも責が及びかねない。
「この間オロクに行く機会があって、教会の方も少し見てきたのだ」
ナナがそれに付け加える。
「僕も行ったことはあるけどね。とにかくあの巨石は立派だね、うん」
「政府としては、今まで教会にどのような態度を取ってきたのだろうか」
中央にいる者のみが知り、感じられるような空気があるはず。クロウドはそれとなくバルタザールに尋ねてみることにした。
「うん」
バルタザールはパンをスープで飲み下し、口を開く。
「信徒五百万。これはノルトゥスにおけるどの団体よりも大きい。直轄領に住む人全員を合わせても、せいぜい四百万ってところだからね。信仰の中心であるオロクにだけ信徒がいるわけじゃない上に、騎士とか、文官にも信徒がいると聞いている。貴族の中にも、教義に共感している人間がいるかもしれない」
「聞きたいのは……」
言いかけたナナを制して、バルタザールは続ける。
「政府がどのような態度を取っているか。これは僕みたいな下っ端が言及するのは憚られるけど、もちろん無視していた訳じゃない」
前々から注視はしていた、ということだ。だが表向きは軍兵を持たない。経済規模も明らかではない。そもそも組織の構造自体が従来ある枠の外である。とにかく手が出しにくい。
「元々、権力に虐げられた人々の信仰から生じた団体だ。弾圧すればさらに結集し、反発は増すことになる」
これはクロウド自身の分析である。バルタザールは大きく頷いた。
「潰すにしても規模が多すぎるし、散らばりすぎてるんだね。まあ、自身の規模を拡大して、権力を強化しようとするのは、大きい団体に共通する性質だし、今のところそれほど害はない……、ないよね?」
言葉の途中、クロウドたちの表情を見て不安になったようだ。
「この間オロクに行ったとき、実はそういう仕事をしていたのだ。すまないが、詳しくは言えない」
クロウドの言葉に、バルタザールは神妙な顔になる。
「そうか……。興味はあるけど、話せないなら仕方がない。君たちがあまり面倒事に巻き込まれないよう祈ってるよ」
短い食事を終え、クロウドたちは図書館へと戻る。また積みあがった紙束に見下ろされながら、三人は作業を再開した。
3
「英雄時代の次に訪れた戦乱は、大きく二つの時代に分けられる。前半が七国時代、後半が戦乱期と呼ばれている」
バルタザールの解説を挟みながら、クロウドたちは史料を漁っていく。この時代は、ノルトゥスが最も多様性に富んだ時期だと言っていいだろう。分裂した国々にそれぞれの文化が花開き、他国と競争するように、産業や技術も発展した。西方地域の中心都市であるジェダイティア、ミザリルが大きく成長したのもこのあたりである。
「古代ノルトゥスの系譜である二つの国。そして現在いる有力貴族たちの祖となった五つの国。合わせて七国だから、七国時代。もちろん弱小勢力もたくさんいたけどね」
クロウドの出身地域を治める東方の〈鉄騎候〉。英雄アウレリウスを輩出した地を擁する〈北竜候〉。南方の海を勢力下に収める〈青海候〉。西には雷の山々と呼ばれる丘陵地帯に発祥を持つ〈雷山候〉。そして大森林を根城にしていた民族である〈翡翠候〉。これらの支配者らは、現在のノルトゥスが形になってからも、その地位を安堵されており、未だに王国内でかなりの発言力を有している。もちろん、兵力も。
「皆が皆、オロクを奪い合ったわけだ。旧くから続く都を、巨石を頭上に戴くために」
ナナがつつ、と本の背を撫でながら言う。
「オロクを制した者こそが、古代ノルトゥスの継承者である、という思想があったんだろう。英雄の威光に浴したい、という気持ちもあったに違いないね」
かくして四方から攻め立てられた英雄の末裔たちは、国ごと蹴散らされ、離散してしまう。こっそりと暗殺されたのか、それともどこかに落ち延びたのか、とにかく一時期、歴史の表舞台から姿を消してしまったのだ。
「その帰結が、テブロー会戦か」
クロウドが言及したのは、ノルトゥスが抱える歴史の中でも有数の合戦である。ジェダイティアを本拠とする〈翡翠候〉旗下十万の南軍、ミザリルから出立した〈雷山候〉配下八万の北軍が、オロクの西にあるテブロー平野で全面衝突したのである。戦は一昼夜続き、最終的には南軍の勝利に終わる。しかし双方の損耗は大きく、〈翡翠候〉は覇者としての地位を長く確保することはできなかった。結局、疲弊した七国は支配地域を縮小し、弱小勢力の勃興により、ノルトゥスはさらなる混乱に陥ることになった。
「幾多の名将が生まれ、そして散っていった時代だね。華々しくはあるけれど、僕ら内政屋にとっちゃたまったもんじゃない」
伝記や戦記といった史料に事欠かない時代でもある。それらはクロウドにとってかなり興味深いものだが、歴史書の編纂にあたって必須のものはそこまで多くない。
作業時間が長くなるにつれ、腰や首の筋肉が固まってきた。だが、徐々に現代へと近づいており、行程の終わりが見え始めている。
「さて、戦乱期の終わり、現在のアウレリアで、一人の勇者が兵を挙げた。後の〈英雄王〉アウレリウス一世の若き姿だ」
「英雄の子孫が、数百年を経て再び歴史の表舞台に姿を現した、ということか」
ナナの言葉に、バルタザールはどこか渋いような顔をする。
「表向きはそうだし、こんなことは絶対歴史書には書かないけれど、本当にそうだという証拠は、今一つ薄弱な気がするんだな」
時折、こういう過激なことを言う男であった、とクロウドは学生時代を思い出す。もちろん普段は、バルタザールも慎みを持ってその考えを胸にしまっているようだが。
「だが、そうでないとも証明できない」
クロウドは、特に王権の正統性を疑ったことはなかったので、少々驚いて反論する。
「うん。もちろんそうだ。それでも、あえてかぶせているのは意図的なものだろうね。アウレリウスという名前にせよ、〈英雄王〉という尊称にせよ。別に批判する意図はないんだ。うまいと思っただけでね」
兵を挙げたアウレリウス一世は、周辺地域を平定し、まずは東方の〈鉄騎候〉と結んだ。平原で無類の強さを誇る騎兵軍団を味方に付けると、ものの一年でノルトゥス東方を制圧した。
「奇しくも、古代ノルトゥスを建国した英雄と戦士の末裔が、再び力を合わせることになったわけだ」
ナナが絵巻を手に持ちながら言った。それには、戦場を駆ける弓騎兵と重装騎兵の姿が描かれていた。
「きっとアウレリウス一世は、『英雄譚』の再現を狙ったんだろうね。力を付けた英雄王は、いよいよ旧都オロクへと凱旋することになる」
バルタザールは古地図を広げ、東から西へと指を滑らせる。
「西方諸侯は結構粘ったみたいだけど、それも時間の問題だった。海を制し、森を切り開き、山を踏破し、アウレリアで挙兵してからわずか八年で、ノルトゥスはほぼ統一された。このとき、アウレリウス一世は若干三十二歳」
「ノルトゥスの建国が六十九年前だから、統一から二年で国家を成立させたことになるな」
クロウドはそう言いながら、頭の中で指折り数える。古代の英雄とは異なり、アウレリウス一世には優秀な臣下や統治経験者が数多くいた。そのため、王国が戦後の荒廃から立ち直るのは、比較的早かった。
「アウレリウス一世が死去したのが六十四歳。その後は〈博愛王〉アウレリウス二世の御代になる」
比較的地味ではあるが、国家の発展に大きく貢献したのがアウレリウス二世である。封建制を確固たるものにし、官僚機構を整備し、統一的な貨幣を発行した。偉大な父の重圧に潰れることなく、また驕ることもなく、国と民を愛したのだという。死んだのはほんの五年前であり、クロウドが文官学校に入学した時も存命だった。しかしその時既に死の床に伏していたため、直接その姿を見ることは叶わなかった。
「僕はこの人が一番好きだな。麦を育てて民を養うのは、簡単なようでいて、誰にでもできることじゃない」
「よし、大体こんなところか」
目録を作り終え、その項目を確認してからナナが息をつく。知識の塔に居た頃、さんざん文献を漁った経験があるとはいえ、終日の作業は中々に堪えたようだ。
「あとは現在の国王陛下、〈賢人王〉アウレリウス三世の時代だけれど、さすがにこれは僕だけでできるよ。だから、あとは片付けだけだね」
散らかした史料を時代ごとにまとめ、元あったところに戻していく。ふと窓から外を覗くと、日が西に傾いてきていた。なんとか一日で作業を終えられたようだ。
「だが、これから歴史書を編纂する仕事があるのだろう。大変だな」
クロウドの言葉に、バルタザールは若干顔を曇らせる。溜まった仕事を思い出させてしまったようだ。
「もっと一つに纏まった史料があればよかったんだけどね……。僕が歴史家なら、もっとしっかり書いておくね」
「今から書いてみてはどうだ」
「仕事が落ち着いたらね……」
あまりいじめるのも可哀そうになってきたので、クロウドはそれ以上の言葉を胸にしまった。
「君が活躍したら、しっかり書いておいてあげよう。クロウド」
手続きを済ませ、報酬を受け取ったあと、クロウドを先に帰らせ、ナナはバルタザールと共にいた。特別に頼み込んで、本を貸してもらおうと思ったのだ。知識の塔にある蔵書は、外部の人間には普通貸し出せないことになっている。
「英雄アウレリウスについてのものを。なるべく人となりが分かるような」
そういう注文をした。
「なるべく脚色が少なそうなものがいいかなあ……。はい、どうぞ」
バルタザールが書架から選び、手渡した本はずしりと重い。読むのには時間が掛かるだろう。
「ナナさん、クロウドとは親しいのかい?」
バルタザールがそう尋ねる。表情に下卑た詮索の色はないが、少しばかり唐突だったので、ナナは一瞬返答に窮した。
「色々と縁はある。騙したり騙されたりもないから、関係は悪くない」
曖昧な回答だったが、バルタザールはそれ以上聞かなかった。
「君みたいに冷静な人間がそばにいてくれると安心なんだ。クロウドは優秀で、もちろん十分冷静なんだけど、たまに危なっかしいところがある」
ナナは頷いた。よく考えなくても、クロウドとバルタザールの付き合いは長いのだ。自分が知らない一面も、きっと見たことがあるのだろう。だが、生死が掛かった修羅場を潜ったことはないはずだ。そこまで考えたところで、自分がバルタザールに妙な対抗意識を持っていることに気付いて、ナナは苦笑する。
図書館の外に出ると、クロウドが敷地の入口に腰かけて待っていた。ナナは遅れたことを詫び、並んで泥蜥蜴亭への道を帰っていった。