時代を編む人 -1-
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アウレリアにある王宮の近くに、ひっそりと佇む建物がある。そこを使用する者はごく少ないが、無用の場所というわけではない。むしろ、何にも代えがたい価値あるものが、ここには多く収蔵されている。
王立図書館。文字や紙などの記録媒体が発明されて以降、森羅万象についての記述、考察、あるいはそれを元にした創作など、多くの本が記された。
歴史書、魔術書、法典、図鑑。古いものもあれば、比較的新しいものもある。印刷されたものもあれば、唯一無二の直筆もある。布で装丁されたものもあれば、石板に刻まれたものもある。王都で記されたものもあれば、旧都より運び込まれたものも、いつ、どこで誰が記したのか分からないものもある。
文字の庭園。本の迷宮。知識の城塞。その図書館の一室に、クロウドとナナはいた。資料の劣化を防ぐため、強い日差しが差し込まぬように工夫された薄暗い部屋である。壁沿いの書架は、木と紙でできた巨人のように客人たちを見下ろしている。
「いやあ、悪いね」
クロウドとナナの目の前にいるのは、眼鏡をかけた若い文官である。名をバルタザールといった。今回の依頼者である。
「どうも中の人間だけでは手が足りなくてね」
バルタザールは、クロウドの文官学校における知己である。百人弱いる同期の首席として卒業し、非公式ではあるが、仲間内から〈百学〉という二つ名を与えられるほどの秀才であった。現在は王宮に勤めており、つい先日、街中でクロウドと久しぶりに再会したのだ。嫌味のないさっぱりとした性格をした男であり、クロウドが友人と認める決して多くはない人間の一人である。クロウドが王都に戻ることになった事情を話したときも、過度な同情はせず、クロウドらしいと笑っていた。
「構わない。ちょうど空いていたところだ」
クロウドが答える。バルタザールは、ごく最近、平易な歴史書を記して一般に普及させよ、という命を受け、その任にあたっているとのことだった。クロウドたちがバルタザールから依頼されたのは、史料編纂の補助である。別段、難しくも危険でもない仕事であるが、文字の資料を読むということに習熟している必要があり、誰にでもできる内容ではない。
「ナナさん、だったよね。本を読み慣れている人がいると助かるよ」
「どうも」
命は正式なものであるが、バルタザールは通常の業務と並行してこれをおこなわなければならなかった。組織内の立場もまだ弱い彼は、溢れた仕事を補助してくれる人材の確保に難渋していた。そんな折、偶然出会ったクロウドに相談したところ、今回の運びとなったのだ。
「まあ、のんびりやろう……。本当は今日、休みだったんだけどなあ」
背もたれが付いた椅子の上で伸びをしながら、バルタザールは自嘲気味に呟いた。地方勤務の書記官とは違って、中央勤務の文官は概して激務なのだ。
バルタザールから指示された作業の流れは、次のようなものである。
関連する書物がある一角からめぼしい史料を運び、全員で記述を概観し、重要そうなもの、役に立ちそうなものがあれば、その史料と該当部分を後で参照できるように記しておく。それを最も古い年代から、最近の年代まで、順々に繰り返す。上手くいけば今日中には、簡易歴史書を編纂するにあたって、参照すべき資料の目録のようなものができるはずであった。
「それで、最初はどこから?」
積まれた白紙の束を無造作にめくりながら、ナナが尋ねた。
「石板や羊皮紙なんかに残っている最古の記録は、巨人時代のものだ。巨人時代については、解説が必要かな?」
「いや、いい」
クロウドが答える。
巨人時代。原初の混沌より世界を形作った神々が、地上を去ったあとに訪れたとされる時代である。名前は当時世界を支配していた種族に由来する。それは巨人と呼ばれる異種族であった。
異種族といっても、明らかに怪物じみた存在、という訳ではない。残された文字の史料や壁画によれば、姿は人間とほとんど同じと言っていい。ただし、その体躯は人間の二倍弱ある巨大なものである。そのような種族が大地を闊歩し、文明を築いた。彼らは一般に想像されるよりも文化的な生活を送っていたらしく、土や石で住居を作り、集落を形成し、採集や狩猟半分、農業半分という具合で暮らしていた。
「その時代に『人間』が遺した史料がどれだけ残っているのだ」
ナナが尋ねると、バルタザールは机に頬杖を付きながら気怠そうに答える。
「あんまり残ってないね。当時の人間は、巨人とうまく共存していなかったんだ。縄張り争いをしたり、奴隷にされたりね。基本的に巨人が優勢で、人間文明は巨人のそれよりも遅れたものだった」
生活に余裕がなければ文化も生まれず、文化が生まれなければ歴史も残らない。当時の人間は、巨人の目を盗んで生きるのに必死だった、というわけだ。
「巨人が遺したものがあればよかったんだけどねえ……。彼らは文字を持ってなかったようだし、絵もあまり得意じゃなかったみたいだ。ただ、当時の人間が遺したものがないわけじゃない。こっちだよ」
そう言ってバルタザールは、図書館の奥まった一角にクロウドたちを案内した。
そこに保管されている史料は特に古いもので、ほとんど朽ち果てた羊皮紙、木簡、石板や彫刻などに記録されている。それらはこれ以上劣化しないよう、厳重に安置されていた。内容は日々の生活、労働者の愚痴、自然界の動物、等々。煮炊きや祭祀に使用されていた道具などもある。文字の史料はごく少なく、歴史書の編纂をするためには、それらの断片的な情報を継ぎ合わせる必要がありそうだった。クロウドたちは脆い史料を破損しないよう、慎重にそれらを引っ張り出し、内容を確認していく。
「巨人時代の終わりが、五百年以上前か」
石板を覆う薄い埃を指で拭いながら、クロウドは誰に言うでもなく呟く。
王都の学校に通ったことのある者ならば、教養の一環として必ず習うことである。今からおよそ五百五十年前、人間の英雄が巨人の王を滅ぼし、王国を打ち立てた。それは現在、古代ノルトゥス国と呼ばれている。英雄の名前はアウレリウス。その建国年が、現在王国で使われている歴の元年とされている。
「もしかしたら数年は前後するかもしれない、と最近は言われているね。多少誇張されている可能性はあるけれど、英雄アウレリウスの活躍は、間違いなく実際にあった事だと思うよ」
バルタザールの解説によれば、巨人に虐げられている人々を救うべく、寒さ厳しい北方の国で、一人の若者が兵を挙げた。アウレリウスという名前の若者は、世界の行く末を憂う女神の加護を受け、一人の魔術師と、一人の戦士、そして一万の部下を従えて、巨人の王が居るというオロクを目指した。険峻な山々、深い森、立ちはだかる巨人たちとの凄絶な戦いを繰り広げながら、アウレリウスは各地で得た人間の仲間と力を合わせ、ついに巨人の王を追いつめる。そして激しい一騎打ちの末、これを斃すのである。それはほとんど史実として語られているが、半ば神話や伝説として捉えるのが適切であろう。
「俺の家では、父から飽きるほど聞かされた」
武官の家においてのみならず、アウレリウスの英雄譚は、ノルトゥスで最もよく語られる昔話である。ナナもバルタザールも当然、親から聞いたことがあった。物語を聞いた男の子どもは剣に見立てた棒を振り回し、女の子どもはそびえ立つ巨人を想起して怯える、というのが、どの家庭でもよく見られる光景であった。
そのような話をしていると、ナナがクロウドの肩をつつき、一つの史料を差し出した。それは今扱っている史料の中では比較的新しいもので、どうやら古い絵の写しであるようだった。
そこに描かれていたのは、打ち倒した巨人の王を踏みしだく英雄の姿であった。白髪。いや、これは銀か。瞳の色は薄い黄色である。長大な剣で、今まさに巨人の首を刎ねようとしている場面であった。
「どうしたの?」
と、バルタザールが覗きこんでくる。
「ああ、それか。髪は冷たき星の色、瞳は煌めく月の色、というのが伝説上の姿だね。英雄は常人と違う姿をしている、というのはよくある話だけれど、実際はどうだったんだろうね?」
クロウドとナナは少しの間顔を見合わせる。
「知人に似たような男がいる」
ナナは少し考えてから、バルタザールに打ち明ける。
「珍しいね。英雄の生まれ変わりかな」
バルタザールはふざけたように言うが、アウレリウスを名乗る本人と会っているクロウドは、どうしても彼が普通の人間だとは思えなかった。眉をひそめつつ、史料にある姿を頭に刻み、棚にしまった。
「そう言えば、英雄に加護を授けた女神というのは?」
ナナは先ほど言及された存在に興味があるようだった。しかしバルタザールは首を傾げる。
「色々解釈はあるんだろうけど、そのあたりは、君たち魔術師の方が詳しいんじゃないだろうか」
んん、と小さく唸って、ナナは考え込む。
「〈原理〉というものは、人間に味方するものなのか」
腕を組みながら、クロウドはナナに尋ねた。
「いいや、〈原理〉は世界全てに作用するものだ。なんらかの過程を経て、人間の姿を取ることもないとは言えないが」
「ま、そのあたりの考察は後にしよう。少し休憩を挟んで、次は英雄時代だ」
バルタザールはいくつか史料を抱え、巨人時代が眠る薄暗い一角から出て行った。
「古代ノルトゥス国は、その華々しい成り立ちとは裏腹に、意外と早く滅んでしまったんだよ」
次にクロウドたちが取りかかったのは、英雄アウレリウスの建国より始まる英雄時代の史料検分である。人間の文明が隆盛し、英雄譚や叙事詩、物語なども増えてきている。芸術や彫刻、建築もかなり発展したようで、現存する文化の基礎が形づくられた時期と言ってもいいだろう。残っているものも、巨人時代に比べて格段に多い。
巻物や本の形になっている史料を、引っ張り出しては中身を確認し、概要を書き記してはまたしまっていく作業を繰り返す。
「英雄と共に国を築いた戦士は、東の騎馬民族を抑えるために旅立った。そのまま東方に留まって戦い続け、クロガナという都市を築き、今現在〈鉄騎候〉と呼ばれている名門貴族の祖になったとされている」
「魔術師は女性でね。英雄と共に留まり、結婚して子を成したと言われている。これはちょっと創作っぽいけど」
だが、国の隆盛は長く続かなかった。英雄といえども不死ではない。また、威光や名誉で治めるには、ノルトゥスはあまりに広大過ぎた。子の代になって、早くも国は乱れ始めた。
「人間、といっても様々な民族がいる。英雄アウレリウスは北方起源の民族だ。元々中央の平原に居た人たちもいるし、南の民族も西の民族もそれとは違う。クロウドは東方にいる騎馬民族の血が入ってるよね。ナナさんも」
「多様な出自を持つ諸族が、治世に不満を持ち始め、反乱を起こしたということか」
ナナが言うと、バルタザールは頷き、意を得たように話を続ける。
「優れた統治機構を作ったり、官僚を育成したりする前に、それが起こったのが良くなかった。これじゃあ国が富む暇もない。貧窮すればさらに反乱は増える」
「また、戦乱に逆戻り」
当時に思いを馳せながら、クロウドが呟く。偉大すぎる父の影に悩まされながら、必死に国を安定させようとする子の気持ちは、どのようなものであっただろうか。どこか自分と重なるようにも思え、同情の念が芽生える。
「そうだね。結局孫の代まで王国は続いたけれど、それ以降は後継問題により分裂。求心力が低下して軍閥割拠。ノルトゥスには再び混沌が跋扈することになる。六十年続いた短い英雄時代は終わり、四百年以上続く戦乱の始まりだ」
「楽しそうだな」
「失礼、笑いごとじゃないね」
クロウドが苦笑しながら咎めると、バルタザールはおどけるように肩を竦めた。
「このあたりが勉強していると楽しくてね……」
気付けば既に正午である。クロウドたちは休憩を兼ねて昼食を取るべく、一旦図書館の外へ出た。




