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神話はもう黄昏を過ぎて  作者: 黒崎江治
第二部 泥蜥蜴亭の傭兵たち
13/37

巨石の信徒 -2-


 旧都オロク。あるいは巨石都市オロクとも呼ばれる街。ノルトゥスのほぼ地理的な中心に位置し、東西南北の諸都市を繋ぐ交通の要衝である。ゆるいすり鉢状の土地に市街があり、その外側は、人間大の石が積み重ねられた高い防壁で囲まれている。壁は古の時代より、打ち崩されては補修や改修が繰り返されてきたが、戦乱が終わって以降はほとんど顧みられることが無くなり、ゆっくりと朽ちていきつつある。

 アウレリアからオロクに入った者は、多くがその空気の違いに驚かされる。新興の王都として発展著しいアウレリアに比べ、オロクの街並みはどこか沈滞するような雰囲気があるのだ。それは王都としての地位を奪われたからか、血なまぐさい戦を想起させる街に人々が飽いたからか、それともただ、東から上った太陽が西へと沈むように、ただ時代の移り変わりの現れであるだけなのか。とはいえ未だノルトゥス屈指の大都市には違いなく、巨石という他に代えがたい拠り所を持つオロクは、滅びとはまだ一定の距離を保っている。


「今、少し笑ったな」

 オロク中心部へと向かってクロウドたちが歩く中、ナナは不機嫌を隠すことなくクロウドを責める。

「笑ってはいない」

 ナナに並んで歩くクロウドは、それに努めて涼しい顔で答えた。

 彼女の不機嫌は、市中に出る前にビオラに施された変装に端を発している。

 クロウドと初めて出会ったとき、そして泥蜥蜴亭で過ごしているとき、基本的にナナはずっと同じような服装をしていた。一般に長衣ローブと呼ばれるそれは、上下一体のゆったりとした衣服である。農村や都市部で平民が着るものとは異なるが、ノルトゥス全土から移り住む者の多いアウレリアでは、そもそも統一的な服装というものはないし、誰が何を着ていようと気にする者はいない。

 だが、ここオロクでは少々事情が異なるようである。街行く人、特に若い女性を見ると、衣服を腰の部分で留め、上半身の衣服と分離したスカートを身に付けている者がほとんどである。また多くの女性が髪を三つ編みにして、後ろに垂らしている。

 オロクの一般的な服装に似せることで調査がおこないやすくなる、というのがビオラの主張であり、その目的のもと、ナナは前述のような格好に変装させられることになった。そしてナナはどうやら、この服装が大層気に入らなかったらしい。ふくらはぎを露出するのが嫌だということと、三つ編みにした自分の姿が間抜けに見える、というのがその主な理由だった。

 別段、クロウドはナナの装いに強い違和や滑稽さを感じたわけではない。しかし、普段自分の身なりに頓着していないように見えるナナが、明らかに動揺しているのが少し可笑しかったのだ。クロウドはそれを口に出すことはしなかったが、ナナは敏感に察知しているようである。

「いや、可愛いよ、本当。フフッ」

「死ね」

 カラスに至っては最初から笑いを抑えることをしなかったので、ナナの機嫌はことさら悪くなった。道中喧嘩でもして目立っては仕事に差し支えるので、クロウドは早く目的地に着かないものか、と度々焦れていた。


 遠くに見えていた巨石が徐々に大きくなり、やがてクロウドたちはそれを目前とする広場までやってきた。初めて巨石を目にした者は、まず間違いなくその大きさに圧倒されるだろう。七階層ある知識の塔を二つ重ねたよりなお高く、少々頭を傾けたぐらいでは先端を見ることができない。形は上部が細くなる少々いびつな円錐であり、おそらく地中にもかなりの質量が埋まっているものと思われた。色は黒く、鈍い光沢があり、悠久の時を風雨に曝されてきたにも関わらず、一切風化の痕が見られない。そして周囲には、不思議とひんやりした空気が漂っている。

「これは……」

 クロウドも思わず声を失った。あまり物珍しげに見ては不審がられると思いつつも、中々目を離すことができない。ナナもカラスも、そんなクロウドを咎めなかった。

「この都市を奪いたくなる気持ちも解るな」

 ナナは過去の征服者たちに思いを馳せているようである。この巨石を頭上に頂くことが、豪奢な王冠を被るよりも価値のあることだと見なされるのも、実物を見れば多分に無理からぬことであると納得させられる。

「拝みたくなる気持ちも解らんではないね」

 カラスも少なからず感じ入った様子ではあるが、クロウドとナナほどではないようだった。軽く肩を竦めたあと、ゆっくり広場を横切り、貧民街の方向へと去って行った。

 後に残ったのはクロウドとナナである。巨石から視線を外してあたりを見回してみると、そこは大きな広場となっていた。広場の周りには、城を取り壊した部分に建てたらしき政庁舎があり、業種ごとの組合が使っている建物があり、劇場や大店おおだながあった。そのあたりは、アウレリアともさほど変わりはない。どこかに巨石教会の施設もあるはずだが、ざっと見た限りでは分からなかった。

 時間は十分あり、慌ただしく調べ回る必要も今のところない。クロウドとナナは一旦休憩を兼ねて、周囲の人々がそうしているように、日陰になっている広場の外縁に腰を下ろした。

「宗教というからには、何か超自然のものを崇めているのだろうか」

 クロウドがふと疑問を口にする。巨石教会がノルトゥス社会の中でどのような位置にあるかは知っているが、その教義がどのようなものか、クロウドは表面的にしか知らなかった。

 ノルトゥスの歴史上、宗教のようなものがなかったわけではない。世界の成り立ち、嵐や地震といった自然現象には、何か人間より上位の意思が介在しているのではないか、という考えは古来よりあった。そしてその上位存在に祈りを捧げ、なにがしかの利益を得ようとする行為も当然存在した。だがその祈りが、宗教団体や教会といったように組織化された例はあまりなく、どちらかといえば個人に内在する思想として存続してきた。

「巨石、ひいてはそれを地上に落としたとされる意志、とでも言おうか。『創世神』と表現するのが解りやすいかな」

 ナナが答える。巨石にまつわる神話の一つだ。創世の神が地上に巨石を投げ下ろし、その衝撃で原初の混沌が空となり、海となり、山となったのだという。

「しかしこれは、魔術師たちの考えとは少し異なる」

 ナナやビオラが所属する知識の塔。彼らもまた、世界の成り立ちについて理解を深めることを是とする集団である。

「魔術師は世界を創られたもの(、、、、、、)とは捉えない。できたもの(、、、、、)と捉える」

「そして『神』という言葉を用いない。我々は現象を説明するのに、〈原理〉という概念を用いる」

「ううむ」

 抽象的すぎて、クロウドにはすぐ飲みこめるような内容ではない。おそらくこれは魔術師を志す者が一年や二年をかけて学ぶものであり、本質だけを説明されても理解が追いつかないのは当然である。だがナナはどうやら興が乗ってきたようで、滔々と話し続ける。

「高温になった物が燃えるのは『火』という〈原理〉があるからであり、人が生きて呼吸するのは『命』という〈原理〉があるからである」

「つまり……、つまり世界ができたのは、『混沌』とか『秩序』といった〈原理〉があったからか」

「そうだ」

 クロウドが頭の慣れぬ部分を使って話を合わせると、ナナは出来の良い生徒を褒めるようにゆっくりと頷いた。

「ある現象のおおもと(、、、、)にあるのが〈原理〉だ。だからその現象を発生させることのできる魔術師は、さしずめ〈原理〉の信徒か、小さな〈原理〉そのものだとも言えるな」

 ううむ。と再びクロウドがうなる。

「それで、その話の何が一番重要なのだ」

「もし巨石教会が、自分たちの理解を唯一絶対に正しいものだと考え、考え方の異なる魔術師たちを許し難いと感じるならば……」

 ナナは一連の事件が、巨石教会と知識の塔が持つ思想の違いに端を発したものなのではないか、と考えているようだった。

「もしそうだとして、そこまで過激なことをするものだろうか」

 クロウドはなおも問う。小さな町や村落を危険に晒し、無関係の民を巻き込み、暗殺という手段を選択してまで、特定の思想を主張するということが、そうそうあるものだろうか。

「するさ。そういうことをする人間はいる。些細な満足や承認を得るために、他人を平気で犠牲にする人間は確実にいる」

 ナナは静かに、しかし存外強い口調で言い切った。確かにその言葉を聞いてみれば、クロウドにも心当たりがある。あまり深く考えたことは無かったが、自分もナナもそのような者のせいで、王都に流れ着いたのだから。


「さて、そろそろ行こうか」

 ややこしい話を終え、しばしの沈黙を挟んだあと、クロウドは立ち上がり尻に付いた埃を払う。とりあえずは巨石教会の施設を見てみるつもりだった。

「うむ」

 ナナもクロウドに手を取られて立ち上がる。だが二人が再び広場に出ようとしたとき、一人の男が横合いから話しかけてきた。

「偶然だね、お二人さん。うまく逃げ切れたようで何よりだ」

 不意に現れた男は人懐こそうな笑顔でそう言った。身長はクロウドと同じか、やや低いくらい。年齢は三十前後であろう。そしてうなじのあたりでゆるく束ねられた豊かな銀髪に、クロウドたちは見覚えがあった。

「アウレリウス」

 クロウドは多分に警戒を含んだ声色で男の名を呼んだ。代官の兵を殺し、その領内から逃げていたあの夕暮れ。この男は突然目の前に現れ、クロウドたちに助力を申し出たのだ。王と同じ名を名乗る男。死んだ師の首飾りをナナに手渡した男。

「なぜお前がここにいるのだ」

 ナナは身に着けている首飾りに手を遣りながら、男に問うた。

「私はいたいと思ったところにいる。今は特に、『渦』の中心に興味がある」

 男は微笑みを浮かべながら、不可解な態度と言葉でクロウドたちを煙に巻く。あのときは暗くてよく見えなかったが、男の瞳は、ノルトゥスでは珍しい、薄い金色であった。

「渦の中心?」

 言葉の意味を捉えかね、クロウドが聞き返す。

「生じつつある渦の中心さ。いずれ世界を巻き込む、大きな渦の」

 男の話は、深遠な示唆を含んだ表現なのか。それとも意味をなさない狂人の戯言か。だが男の瞳が宿す光は、精神薄弱な人間のそれではないように思えた。

「そういえば、君たちは巨石教会に興味があるみたいだね」

 男は巨石の方を見遣り、目を細めた。そういえば以前会った時も、このようにクロウドたちの状況を見透かしたような態度を取っていた。あるいは人の心を読むような魔術を使うのかもしれない。あとでナナと確認した方がよさそうだ。

「だとしたら?」

 クロウドが懸念するのは、この男が教会の回し者ではないか、ということだった。初めて会った時の状況から考えてその可能性は低そうだったが、警戒しておくに越したことはない。

「ここから石を挟んだ反対側に教会があるから、見てみるといい。中々に興味深いよ」

 ナナもクロウドと同様の疑いを持っているらしく、率直に尋ねる。

「教会の関係者か?」

「いいや、違う。私は何かを信仰する性質たちの人間ではないよ。私も教会と同じく、人を愛し、弱きものを助けるべきだとは思っているけれど、それは私自身の信念だからね」

 本当の事を言っているのかどうか、クロウドにははっきり判らなかったが、男が自身の内面に言及するのは初めてであり、それはクロウドたちに誠実に接しようとしていることの表れ、と受け取れなくもない。敵意が感じられない、という印象のみで信用するのは危険だが、もう少々警戒を解いてもよかったか、とクロウドは反省する。

「お前の話に興味がないではないが、俺たちには今やることがある」

「そうか。でもこのあたりに用があるならば、また会う事があるだろう。忙しくない時に、ゆっくり話をしようじゃないか」

 しかし警戒されても、すげなくされても、男は一向に意に介した様子はない。クロウドたちに軽く手を挙げて別れを告げたあと、広場を離れて路地に消えていった。

「不思議な男だ」

 男が見えなくなってから、ナナがぽつりと感想を漏らす。

「あの男、魔術師か?」

 クロウドは先ほどから気になっていたことをナナに尋ねたが、ナナは首を横に振った。

「多分違うだろう。魔術師であれば、九割がたそう(、、)と判る。普段から月気を操る人間の雰囲気は、そうでない人間とは違うから」

「うむ」

「だが、普通の人間でないような気もする。変わった性格とか立場の人間、ということではなくて、存在が変わっている、ということだ。うまく言えないが」

「人間ではない、ということか?」

「わからん」

「そうか」

 とにかく、つかみどころのない男である、というのが二人の共通した意見だった。この調子だと、多分また自分たちの前に現れるのだろう。再び会いたいような、会いたくないような、そういう微妙な感情を抱かせる人物であった。

 しかし恋する乙女のように、いつまでもあの男について考え続けている訳にもいかない。この広場に来たのは、巨石教会の施設を調べるためなのだから。

 広場を取り囲む建物群をつぶさに見ていくと、そのうち一つに、見慣れぬ三角形の印がついたものがあった。巨石を模したものだと考えられ、だとするならばここが巨石教会に違いなかった。巨石のそばにあるからには、本部と呼べるような施設なのだろう。しかし大きさは中々だが、隣接する建物と比べて、特別豪華という外観ではなかった。教会の創設期に建ててそのままなのか、あるいは巨石の威光と相互に主張し合わないように配慮したのか。

 目当ての建物を見つけたところで、すぐさま入って調べる、というわけにはいかない。信徒でもない、興味があるだけの一般人が入ってよい場所かどうかを確かめる必要があった。様子を見ていると、徐々に施設に入る人が増えてきている。何か催し物でも行われるのだろうか。クロウドは入り口付近にいた、人のよさそうな中年の女性に声を掛けて、少し話を聞いてみることにした。

「すまない。私は旅の者なのだが、この建物は巨石教会のものだろうか」

 女性は少しだけ驚いたようだが、クロウドの傍らにナナがいるのを見ると、警戒を解いた。このような場合、男女一組で行動することの利便は大きい。幸い、女性は見た目通りの親切な人物であり、この建物が巨石教会で間違いないこと、これから説法が始まるため信徒が集まっていること、興味があれば信徒でなくても話を聴けること、などを教えてくれた。

「どうもありがとう」

 クロウドは女性に礼を言い、ナナと少しだけ視線を交わしてから、教会の中に入っていった。



 開け放たれたままの入口をくぐると、そこは複数ある大きな窓から日が差し込む、明るく広い礼拝堂となっていた。一番奥の突き当りは少し高い壇になっており、その背後の石壁には、巨石を模した、人間ほどの大きさがある三角の浮彫レリーフがある。その手前には木製の長椅子が、縦横にざっと四十は並べられていて、立ち見を含めれば、おそらく五百か六百の人間を収容できるだけの配置になっている。現在は、その八割ほどまで埋まっており、あちこちで話し声が聞こえる。ふと上を見てみると、幾何学模様の装飾が施された円天井まるてんじょうが目に入る。普通の建物と比べて随分高く、大人数がいても狭苦しさを感じさせない造りとなっているようだ。

 周囲の人々は、ごく普通の市民に見える。入り口で身分を確認されることもなく、また常時出入り可能なところから見ると、誰にでも開かれている施設のようだ。クロウドとナナは、会場の後ろの方に空いた場所を見つけ、腰を下ろした。先ほどの女性は説法がおこなわれる、と言っていたので、そのうち誰かが壇に上がり、話をするのだろう。

 そのまましばらく待っていると、灰色の法衣を纏った司会らしき男が登場した。挨拶と口上を述べた後、今日の説法をおこなう人物を紹介する。ディクト司教、という人物らしい。

 司教、という言葉はノルトゥスにおいて、導師という言葉と同じく、相当に高い地位の人物を表わしている。おそらくディクト司教はこの教会の責任者か、あるいは巨石教会全体の指導者なのかもしれなかった。周囲の人々のざわめきからすると、あまり頻繁に顔を出す人物ではないらしい。

 そしてディクト司教が登壇する。ざわめきは瞬時に鎮まり、厳かな沈黙が礼拝堂に満ちた。

 クロウドからは少し遠いため仔細は分からないが、男は初老といって差し支えない年齢の小柄な人物だった。白髪を丁寧に撫でつけ、柔和そうな容貌で微笑んでいる。先ほどの司会と同様の地味な法衣は、多分巨石教会の成員が身に着けると決まっているものなのだろう。

「皆さん。今日は少し哀しい話をしましょう」

 ディクト司教がおもむろに話を始めた。その声は決して大きくはないが、礼拝堂の中に良く響いた。最も後方にいるクロウドとナナにも、一字一句はっきりと聞こえるほどだった。

「世界を巻き込む大きな争いが終わってから、七十年が経とうとしています。皆さんの中に、両親や祖父母から、その時代の話を聴いた人はいるでしょうか。もしかしたら、その時代を生きて体験したという方がいるかもしれません」

 司教は時に情感を込めて、時に生々しい表現を用いて、戦争の惨禍を語る。時の権力者たちがどのように血みどろの戦いを繰り広げてきたか。そしてその陰で、民衆が如何に虐げられてきたか。語りの一つ一つに観衆は心を動かされ、うんうんと頷いたり、早くも涙ぐんだりする者が多くいた。

「この街の人々は、特に多くの哀しみを背負わされてきました。安穏とした家を追われ、愛すべき家族を失った人が大勢います」

「それでも皆さんは、貧窮と困難を乗り越え、ようやく人間の暮らしというものを取り戻しつつあります。それは皆さんが本来持つべきであった、誰にも奪われてはならない暮らしです」

 声に力がこもり、会場の人々にも熱気が宿り始めた。司教は家族の大切さ、平凡な日々の生活が如何に素晴らしく、そしてかけがえのないものかを説いている。

「皆さんはこれを守らなくてはなりません。ただ与えられるのを待つのではなく、誰かに守ってもらうのを期待するのではなく、皆さん自身がこれを大切にしなくてはいけません」

「皆さんが一人の人間であることを大切にしましょう。自由な意志を持った人間であることを大切にしましょう。暮らしと家族と友人を持った存在であることを、何よりも大切にしましょう」

 司教は重要な語句フレーズを繰り返して、それを聴衆に印象付けている。これは兵の士気を鼓舞するのによく用いられる、と父から昔教わったことをクロウドは思い出していた。今でこそごく冷めた心で聴いているクロウドだが、この演説を何の構えもなく、無批判に聞いた場合はどうだろうか。話の内容はともかく、語りの勢いに呑まれることもあるのではないか、と思えるような説法である。少なくとも、聞いているうちに眠くなるような類のものではない。

「これからは、弱者であることを嘆くのではなく、虐げられることに絶望するのではなく、自分たちが、自分たちの人生を生きていることを誇ってください」

 気持ちのこもった強い話の後には、撫でるような優しい口調で話す。このあたりの緩急も、巧者の話術である。

「私ができるのは些細な励ましだけです。でも皆さんがこの言葉を胸に抱き、家族や友人に伝えるならば、それはやがて大きな『渦』となって世界を回すでしょう」

 司教の話が終わると、礼拝堂は歓声とざわめきに包まれる。観衆は、司教の話に大層満足したようだ。クロウドがナナの方をちらりと見ると、黙り込んで何ごとかを考えている。ともあれこの場で感想を話し合うのは、衆人の目があるため望ましくなく、そもそも騒がしすぎてまともに会話ができそうにない。一旦落ち着いた場所に移動すべく、クロウドとナナは教会の外へ出た。


「私は、今一つ心に響かなかったのだが」

 教会が目に入る旅行者向けの酒場で食事を摂りながら、ナナはクロウドに感想を漏らした。オロクの食事は概して薄味であるそうで、この酒場の料理も例外ではなかった。

「我々のようによこしまな動機を持たず、この街に住む人間なればこそ、感じるものがあるのだろう」

 それよりも、とクロウドは付け加える。

「あの説法を政治的な意向メッセージと取る者もいるだろうな」

「どういうことだ」

「為政者の責任を強調し、民衆の権力を拡大しようと呼びかける。為政者側にいる人間としての穿ちすぎた意見かもしれないが」

 うむ。と唸りながらナナは考える。魔術的な思考は得意だが、法や社会に関してはあまり明るくないようだ。クロウドは白麦のパンを咀嚼しながら発言を待つ。

「中央政府や知識の塔といった、既存の権力への反発を煽る、ということか」

「あくまでそういう思想の傾向がある、というだけだ。組織の上層部が何を意図し、末端の信徒がどのように考えているのかまでは解らない」

 説法を一度聞いた程度で推理できることには限界があった。しかし、クロウドにはもう一つ気になることがあったのだ。

「渦、と言っていたな。あの司教は」

「渦、か」

 ナナが言葉を繰り返し、さらに連想を広げていく。

「潮の渦、嵐、竜巻、周囲を巻き込んで拡大する何か……」

「騒乱か、民衆運動か。そこまで行くと、我々の手には負えないな」

 だが、想像ばかり大きくしても意味がない、とクロウドは話を打ち切った。ふと教会の方に目をやると、十数人の信徒がぞろぞろとどこかへ向かっていくのが見えた。

「動きがあったぞ。追ってみよう」

 二人は急いで食事を片付けて席を立ち、極力目立たぬよう、信徒たちの背を追いかけた。


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