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神話はもう黄昏を過ぎて  作者: 黒崎江治
第二部 泥蜥蜴亭の傭兵たち
12/37

巨石の信徒 -1-


 ノルトゥスの短い夏が終わり、人馬を乾かす日中の暑さは和らぎつつあった。この季節、クロウドの故郷では、丸麦と呼ばれる穀物が収穫を迎える。丸麦は主食として、そのまま煮て粥のようにするか、粉を水で練り、蒸かして食べることが多い。栽培のほとんどはアウレリアよりはるか東方でおこなわれているが、王都でも多少の金を出せば手に入る。クロウドも、加工品を市で見かけた折に買う事がある。

そのようなものを食べながらクロウドが思うのは、兄に会って以降、郷愁に捉われる機会が多くなった、ということだ。家を離れる前は、厭う事さえあった場所。それを思い出すにつけ、改めて自己の内にある迷いを実感させられる。


刺客との遭遇からしばらく後のこと。今、クロウドが目の前にしているのは、故郷ではまずお目にかかることのない高楼である。朝日に照らされているその姿は、王都にある建築物でも屈指の威容を誇る。

 知識の塔。王都に三つある学校の一つであり、文官学校、武官学校と並ぶ王国の教育機関である。だが他二つとは違い、どこか異質さを感じさせ、また謎めいた雰囲気を放つ場所でもあった。

 塔、と呼ばれているが、尖塔というほど細くはない。精妙に加工された石が七階層分積み重なった、高さと横幅が同じくらいの円柱形である。敷地には植物園や、動物が繋がれたうまや、学徒や教員が使用する宿舎、膨大な蔵書を誇る図書館などが付属している。知識の塔、というと一般に魔術師のイメージを持たれているが、実際には医学、薬草学、天文学、農業技術などの各種自然科学が研究されている場所でもある。

「オロクに行くのに、なぜここに来るのだ」

 クロウドが、隣を歩くビオラに問う。彼女曰く、先日の襲撃、およびそれによって得られた手がかりを上層部に報告した結果、旧都オロクに向かい、更なる調査をするよう命じられたのだという。

その調査における補佐として、再び依頼を受けたクロウドたちだが、ビオラに連れられて来たのは、オロクへ向かう街道の出発点ではなく、彼女が所属する知識の塔だった。

「そのあたりは、中に入ってから説明するわ」

 依頼をするために宿を訪れた当初から、ビオラはそのような調子であった。出発にあたっては、旅支度も、大げさな武器も必要ないという。初対面の依頼人から、このように不可解な説明しか与えられなかった場合、警戒心の強い者であれば仕事を断ることもあり得る。しかしビオラとは以前にも仕事をした仲であり、その際には依頼内容に虚偽もなく、また報酬もしっかり支払われたので、クロウドたちは再び、彼女の呼びかけに応じることにしたのだった。

 知識の塔、といえばナナにとっては古巣である。あまり良くない思い出が残る場所であるはずだが、様子を見る限り、それほど深い感慨を抱いている様子はない。

 一方、カラスには全く縁遠い場所であったらしく、施設群を物珍しげに眺め、ナナやビオラに解説を求めては面倒がられている。

 クロウドたちはビオラの案内のもと、広い敷地を横切り、搭内部に入った。築年数が判然としない回廊には、大型動物の全身骨格、極彩色の抽象的な絵画、ねじくれた金属の置物などが無造作に配されていて、むやみにクロウドの目を引く。知識の塔内部にいるという気分も相まって、それらの物品一つ一つが、曰くつきの怪しげなもののように思えた。

階段を上り、二階の一室に通されたクロウド、ナナ、カラスは、部屋の中にある木製の長椅子に腰かけた。机を挟んで三人と向かい合ったビオラが、おもむろに話を切り出す。

「この間話したことは覚えてるわね。刺客が何処から来たのか、ということについて」

「オロクだろう、ということだったな」

 クロウドが確認する。アウレリアの職人によれば、刺客が使っていた武器は、オロクで鍛えられたもの、とのことだった。したがって、先般の襲撃、ひいては〈穴〉にまつわる一連の事象には、オロクにいる何者かが関わっている可能性が高い。したがって、真相に迫るためには、オロクにて直接調査をするのが最良である。ここまでは、この場にいる全員がよく理解していた。

 旧都オロク。戦乱で荒廃し、往時の活況は失われたとはいえ、未だ三十万の人口を抱えるノルトゥス屈指の大都市である。周辺の町村も含めれば、かなり広大な領域となり、しらみ潰しにするとなると、膨大な人員と日数が必要となる。

 場所で調べるのが困難となれば、組織に焦点を当てて調べるのが妥当である。それについて、ナナが会話を引き継ぐ。

「王国の直轄領であるオロクを拠点とし、なおかつ警備の兵に睨まれず、それでいて相当の資金力、あるいは兵力を有する組織」

 その言葉に、ビオラが重々しく頷く。次に彼女が言う名前は、クロウドも、ナナも、そしてカラスにさえ予想がついた。

「『巨石教会』。目星は早くからついていたけれど、政治的な繊細さから、動き出すのに時間が掛かってしまった」

 予想はついた。ついてはいたが、やはりクロウドは疑問を呈さずにはいられない。

「巨石教会と言えば、聖職者の団体だろう。宗教団体がなぜ国家に仇なすのだ」

 巨石教会とは、戦乱終結後、つまりノルトゥス建国前後に勃興した宗教団体である。名称の由来は、オロクの市街中心にある巨大な自然石である。

 だが、オロクの中心に巨石がある、という表現はあまり正しくない。むしろ、巨石を中心としてオロクが建設された、と言う方が自然である。巨石はまさしくオロクを象徴するものであり、『巨石都市』という名称もノルトゥスの住民には馴染み深い。、現在ノルトゥス王国となっているこの地域全体の中心が、その巨石であるとさえ言ってしまっても、異を唱える者は少ないだろう。

 歴史を遡ると、まず直近に四百年続いた戦乱期。諸国による争いは、さながらこの都市の争奪戦という様相を呈していた。東方の草原にいる騎兵も、寒さ厳しい北方の重装歩兵も、西の山々に住む槍兵や、森林地帯を根城とする弓兵も、南の海に跋扈する海賊も、皆がオロクを手中に収めようとした。その執拗とさえ言っていいような意志は、歴史を概観する者に対して、この都市が戦略的に重要であること以上の意味感じさせずにはいられない。

 そしてその戦乱が起こる以前に存在した、一人の英雄が建てたという国も、オロクを王都としていた。建国者の名前はアウレリウス。ノルトゥスの建国者である〈英雄王〉アウレリウス一世と同じであるが、これはもちろん偶然ではない。しかし、この事実は今のところ詳しく考慮する必要はないだろう。

 都市自体の起源を辿れば、英雄が現れる前に、その地を支配していた巨人が築いた街が、今現在のオロクだというのが通説である。そしてその場所が街となるはるか昔から、巨石はその場所にあったのだ、と推測されている。その巨石は、創世の際に神が天より投げ下ろしたものだ、と訳知り顔で説く者もいるが、もちろん真偽のほどは定かではない。

 そのような、王国で最も威光のある巨石の名前を冠した宗教団体こそが、今しがた話題に上った巨石教会なのである。そして彼らは、〈穴〉にまつわる事件の黒幕と目されるだけあって、決して看板だけのけちくさい(、、、、、)集団ではない。

「元々は民衆の救済を是とした団体だと聞く。信徒も多いはずだ」

 クロウドはそう聞き及んでいた。

 戦乱で荒廃した国々、疲弊した人心。建国されたばかりのノルトゥスは、未だ人々に安心と安定を与えるには至っていなかった。そのような中で、ほとんど自然発生的に興った信仰が、巨石教会の礎だと言われている。オロクの巨石を聖なるものと崇め、人生の道理を説いて相互扶助と弱者救済を謳う。その信仰はやがて指導者のもとに組織化され、当初はオロクのみだった活動は、間もなくノルトゥス全土に広がった。現在ではノルトゥス中央部、および西方を中心に、五百万の信徒が居るという。これはノルトゥスが抱える全人口の、実に一割にも及ぶ。

「しかし、条件にあてはまる組織といえば、巨石教会しかないのも事実だ」

 ナナの反論。理詰めで考えれば確かにそうで、クロウドは唸りながらも首肯せざるを得ない。特別な信仰を持たず、宗教にも疎いクロウドは、宗教団体と聞けばつい無条件に善人たちの集団を想像してしまう。しかしそれは、必ずしも当然の認識ではないようだった。

 話が少し行き詰ったところで、これまで腕を組んで話を聞いていたカラスが口を開いた。

「で、その教会がなんだって〈穴〉を開くんだよ」

 動機が分からない。ということである。〈穴〉を開き、異形を呼び出したところで、いたずらに世に混沌を広げるだけである。それが、教会にいかなる利益をもたらすのだろうか?

「それはまだ、搭や政府の上層部でも意見がまとまっていないわ」

 今度はビオラが腕を組む番だった。

「ならば今回の仕事は、教会の目的を調べる、ということになるな」

 クロウドの言葉を受けて、ナナ、カラス、ビオラが、動機についてそれぞれ想像を広げている様子である。しかし誰一人として、教会の目的について有力な仮説は立てられずにいるようだった。

 結論として、とりあえずはオロクに向かい、些細な情報からでも収集しよう、ということになった。もとよりそのつもりだったが、大まかな方針が共有されているか、いないかではやはり気分が違う。

 話を終えたクロウドたちは、今度は塔の上層へと向かう。ビオラがクロウドたちを塔に招いた理由がそこにあるらしい。再び無秩序とも思われる回廊を通り、一行は塔の七階へと上って行った。


「これは何だ」

 塔の最上階にある広い部屋。そこに置かれている装置を見たクロウドは思わず声を上げた。それは一見して巨大な姿見すがたみのようであった。ただし、高さは前に立つクロウドたちの三倍近くある。左右に金属の柱。それに挟まれるようにして、縦に長い楕円形のなにか。ガラスや金属ではない。もっと存在感の薄い、揺らめく非物質的ななにかだった。魔術に関係あるのは間違いないだろう。

「〈ポータル〉か」

 ナナが感心したように言葉を発する。知ってはいるが、見るのは初めてという口ぶりである。ビオラは満足そうに頷いた。

「いかにもそう。知識の塔秘中の秘、というのは大げさだけれど、一般には知られていないわね」

「で、それが何だって?」

 カラスが焦れたように尋ねる。何に使うのか、ということを聞いているのだ。ビオラがクロウドたちを街の外ではなく塔に招いたこと、そして〈門〉という名前がついていることからして、クロウドにはその用途が大体想像できた。

「これでオロクまで移動する、ということか」

 確認するようにビオラとナナを見るが、どうやら正解のようだ。カラスは信じられない、という顔をしている。また多分に不安そうでもあった。

「そう。この〈門〉は、王国の主要都市を相互に繋いでいるの。王都アウレリア、旧都オロク、西方のジェダイティア、ミザリル、そして東方のクロガナ」

 東方にあるクロガナは、クロウドの郷里でもある。しかしそんなものがあるとは、今まで露ほども知らなかった。知っていればぜひとも利用したかった、とクロウドは思ったが、そういう者が沢山出るからこそ、一般には知らせないのだろう。

「危なくないのか?」

 カラスの疑念に対しては、ビオラは大丈夫だと断言した。ただし制限がないわけではないという。

月気ルキュラが濃い時にしか接続がうまくいかないの。具体的に言うと、満月の日と、その前後二日だけしか利用ができない。それから、一度に大量の物品とか人を運搬することもできない」

 それでも、十二分に有用な魔術であるのは間違いない。アウレリアからオロクまでは、順当に行って馬で四日。往復すれば八日かかる。〈門〉というからには、これをくぐればすぐにオロクに行けるのだろう。時間的にはもちろん、体力的にも、また危険を避ける意味でも大きな利便メリットがある。

「うむ。では早速行こうか」

 安全だと言われたとはいえ、得体の知れない魔術に身をゆだねることに対して、しり込みするクロウドとカラスを尻目に、ナナが先陣を切って〈門〉の中に入っていく。まるで透明度の低い水面に沈んでいくように、その姿は、わずかな波紋を残してすぐに見えなくなった。続いてクロウドが、促されてやむなくカラスが、そして最後にビオラが〈門〉をくぐり、部屋には再び静寂が戻った。



 薄布が身体に絡みつくような感覚の後、クロウドは先ほどと同じような広い部屋に出た。目前には先を行ったナナがいる。背後を振り返ると例の装置があり、少し遅れてカラスとビオラがそこから出てきた。〈門〉を使った移動はあまりにあっけなく、元の場所にそのまま戻ってきたのではないか、という錯覚にとらわれる。

「じゃあ、責任者に挨拶しにいきましょう」

 全員が揃ったことを確認すると、ビオラは迷いのない足取りで出口へと向かう。他の三人、特にクロウドとカラスはやや戸惑いながらも、それに追随して部屋を出た。


 回廊を通ってみると、なるほど確かに、アウレリアにある知識の塔とは違う建物のようである。その証拠に、階層フロアの構造が円形ではなく長方形であり、窓から見える街並みもアウレリアとは違う。太陽の位置からして、〈門〉に入った時から何時間も経過している、ということもなさそうだった。

 先を進んでいたビオラは、クロウドたちをちらりと振り返ってから、一室の前で足を止めた。どうやらここが挨拶をするべき相手の部屋らしい。扉は複雑な意匠が施された重厚な木材でできており、その持ち主の権力を誇示しているようにも見える。ビオラが扉を強めにノックすると、中から入室を促す声が小さく聞こえた。ビオラが扉の取っ手を回す。

「失礼します。バラック導師」

 重々しい音とともに開かれた扉の向こうは、クロウドが予想したよりもやや狭く、薄暗い部屋だった。しかしよく見ると、部屋の狭さは左右と奥に配置された書架のためであり、薄暗さは使用されている窓掛カーテンのためであった。

「よく来たね、ビオラ」

 部屋の主は、四十代後半と思われる痩身の男性で、豊かな金髪を後ろに撫でつけた、感じの良い印象を与える人物だった。彼は椅子からゆっくりと立ち上がると、紳士的な態度でビオラに声をかけ、部屋の中ほどまで進んで、クロウドたちにも柔らかく微笑んで見せた。

「この支部を管理しているバラックです。どうぞよろしく」

 ビオラによれば、バラックもまた魔術師であるようだ。この支部がどれだけの規模なのか、クロウドにはまだよくわからないが、魔術師や学者、その他職員を合わせて、百人以上を統括する立場にあると思われた。

 勧められた長椅子に座り、自己紹介を済ませる。しかし話すまでもなく、バラックはクロウドたちのことについて、泥蜥蜴亭の傭兵であるという以上の情報を得ている様子だった。おそらく素性を内々に調べたのだろう。だが依頼内容の重要性を考えれば、別段不自然なことではない。巨石教会の調査をおこなうということも既に伝わっているらしく、詳しく説明する手間と時間を掛けずに済んだ。

「支部の中についてはビオラが大体把握していると思うから、困った事があれば彼女に聞いてくれたまえ。滞在するための部屋も用意してある。食事の世話まではできないが」

「お心遣い感謝します」

 クロウドは礼を言う。先日の事を考えれば、安全な寝床があるのはありがたかった。

「では、気を付けて仕事に励んでくれ。私はこれから用があるので、何かあれば言伝を」

 話の最後にそう言うと、バラックは資料と思しき紙束を二つ三つ書架から取り出し、それを持って部屋から出ていった。それなりに忙しい身分のようだ。多忙な支部長直々の出迎えは、中々の厚遇と言えなくもない。しかしそれは成果に対する期待の裏返しでもあろう。

 支部長を見送ったクロウドたちは、そのまま今日の具体的な行動を話し合う事にした。

「とりあえず俺は、巨石を見ておこう。教会もそのあたりにあるのだろう?」

 広げられた地図の中心を指してクロウドが言う。ナナもひとまずはクロウドについてくるようだ。市街の辺縁にあるこの建物から中心部にある巨石までは、往復でおよそ四半刻の距離である。

「では私もそうするか。あまり土地勘もないしな」

「俺は巨石をちらっと見てから、貧民街スラムの方にでも行ってくるかね」

 一方、カラスは単独で調査に向かいたいようである。身なりの良い人間が貧民街を連れ立って歩けば、不要ないざこざに巻き込まれかねない、というのが理由だった。ビオラも、クロウドたちとは別行動を取るつもりのようだった。

「私は、既に明らかになっている情報をまとめておくわ。この建物の近くにいるから、ひと段落ついたら戻ってきて」

「うむ」

 クロウドが役割を確認して頷く。現在は午前の早い時間であるため、夕刻までたっぷりと調査に充てることができる。だがビオラによると、〈門〉はあと三日後まで使用できるとのことで、それほど慌てて仕事をする必要もなさそうだった。

 おおまかな予定が決まり、調査に向かおう、というところになって、思い出したようにビオラがナナを呼び止めた。市中に出るにあたって、変装が必要だというのだ。ナナ自身はそれほど目立っている自覚は無いようだったが、やはり万が一にも魔術師には見えないようにと説得され、しぶしぶ応じていた。置き去りにするわけにもいかないので、クロウドとカラスは建物の入口で少々待ち、合流してから市街に繰り出すことになった。


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