塔の魔術師 -3-
4
幸運にも、乗ってきた四頭の馬のうち、無傷の二頭が元いた場所の付近で発見された。馬の負担を考えて、また再度の襲撃を警戒して少し歩みは遅くなるが、異形の出現する可能性が高い森の中を、徒歩で長時間移動する必要はなくなった。
半刻後、予定より少々遅れたが、クロウドたちは無事目的の場所に到着した。そこは沼というよりも水溜りに近いような小さな澱みで、藻や苔が繁茂した、風の通りも悪い陰気な場所であった。そして〈穴〉のせいかは分からないが、酷い悪臭を放っていた。
「ここか」
ナナが臭いと、おそらくは月気の強さによって顔をしかめながら呟く。クロウドがビオラの方をちらりと見ると、彼女もナナと同様、この場所に月気が濃いことを感じ取っている様子である。
「他の〈穴〉では、周囲に金属がいくつか埋まっていたと聞いたわ。この場所も同じなら、そういうものがあるはず」
「ハキーム君で探せないのか?」
カラスが面倒そうに言う。
「犬じゃないのよ。早く帰るために手伝って」
「使えないなあ」
「喰わすわよ」
気の抜けた会話を交わしながらも、先ほどと同様、クロウドとナナ、カラスとビオラに組を分け、周囲の探索をおこなうことにした。
しかしいざ調査を、というところで、クロウドはナナが身に着けている首飾りを弄っていることに気が付いた。ぶら下がった瑠璃を握ったり、手の上で転がしたりしている。
「どうした」
クロウドが尋ねると、ナナは首飾りについている瑠璃を見つめながら答えた。
「冷たい」
「冷たい?」
クロウドはおもむろにナナの胸元へと手を遣り、瑠璃を触ってみる。確かに氷のように冷たい。真冬に一晩放置したならともかく、夏の日中にしては異常な温度である。
「月気を溜めているか、あるいは何か別の反応をしているのだろう」
ナナはそう理解しているようだ。空いた器に水が流れ込むようなものだろうか。
「うむ。害がないならいいが」
クロウドが瑠璃から手を離すと、ナナはそれを服の内側にしまった。
「ほら、そこ。睦言交わしてないで動いて」
ビオラに催促され、クロウドとナナは周辺の地面を調べ始める。沼の周りといっても範囲は広く、しらみつぶしに探すのは骨が折れる。さらに、異形の出現にも気を配らなければならない。クロウドは少々辟易しながらも、地道な作業に没頭した。
◇
正午を過ぎて少し、クロウドは一本の樹の根元に、最近土を掘って何かを埋めたような痕跡を見つけた。先ほど敵から回収した剣を使って探ってみると、それほど深くない位置で、切っ先が何か硬いものに当たった。
土を除けると、それは人の下腕ほどの大きさがある、金属の加工品であった。四角い柱のような形をしており、おそらくは銅の鋳物であろうと思われた。柱の側面にあたる部分には、クロウドには読めない言語がびっしりと刻まれている。
「呪文だな」
クロウドから金属塊を受け取り、ナナがそう判断する。金属塊をぐるぐると回したり、表面のへこみを手でなぞったりしながら、おおまかな意味を読み取っていく。
「ざっと見たところ、一度空けた〈穴〉を固定する目的で埋められたのだろう。天幕の端に杭を打つように」
「ふざけた話だ」
手の泥をこそげ落としつつクロウドが言う。
「そうだな。悪戯にしては不愉快極まる」
コン、コン、とナナが金属塊で近くの樹を打つ。その音は心なしか、虚ろさを伴って森に響いた。
結局、池の周辺からは四つの金属塊が見つかった。埋められたもの全てではないかもしれないが、それでも構わないとビオラは言う。
おおむね当初の目的を達したと判断したクロウドたちは、馬に乗って宿場町に戻ることにした。再度の襲撃に警戒しつつ慎重に進んだが、道中で伏兵や異形に遭遇することはなかった。
一刻半かけて町にたどり着き、泥と返り血を落として一息ついたころには、既に陽は沈みかけ、酒場の灯りがともる時間になっていた。
5
翌々日。クロウドとナナはアウレリア南東、職人街のあたりに来ていた。先日受けた依頼に加えて、敵から回収した剣の出所を探るよう頼まれていたのだ。
アウレリアで鍛えられた剣であれば、造った職人が見つかるかもしれない。そうでなくとも、詳しい者が見ればある程度の情報が得られるだろう。
若い男女が連れ立って職人街にいることは珍しいらしく、訪ねた工房や鍛冶屋では、しばしば懐疑と好奇の目が向けられた。しかしクロウドとナナの身なり、持参した手土産、そしてクロウドが帯びているラドン鋼の小剣を見ると、大体の者は対応を変えた。
小剣から職人たちの興味を引き剥がし、見てもらいたかった剣の鑑定をしてもらうのには少々苦労したが、二人は夕暮れまでに数件を回り、意見を聞くことができた。
その結果、ある程度自信を持って答えた鍛冶五人のうち四人は、その剣がオロクで鍛えられたものであると断言した。
その日の晩、クロウド、ナナ、そして二人と同様の調査をおこなっていたカラスは、泥蜥蜴亭で食事を摂りながら、結果をビオラに報告していた。
「つまり、一昨日の刺客どもは、オロクを拠点にしていたってことね」
ビオラが杯を傾けながらそう結論付けた。
「特別な武器でなければ、現地で調達したと考えるのが普通だろう。本人たちがもともと根城にしていたか、オロクに依頼主がいて支給したか」
話すクロウドの横では、カラスが鶏の骨をゴリゴリと噛み砕いている。
「だが、あそこは直轄領だ。知識の塔や王国に反逆するような組織が、大手を振っていられるような場所ではないと思うが」
食事用のナイフで骨に付いた肉をこそげ落としながら、ナナが意見を述べる。
王国には二つの直轄領がある。アウレリア周辺、オロク周辺がその領域となっており、そこには王国の直属軍として、それぞれ一万以上の兵が駐屯している。
領域には市街のみならず、周辺の町や集落も含まれるため、監視の目が完全に行き渡っているとは言い難いが、それでも王国に仇なす者どもが拠点とするには、あまりに窮屈な環境である。
「なにか上等な隠れ蓑があるか、そこで拠点を構えないといけない理由がある、とかな」
口に詰め込んだ食事を酒で流し込んだカラスが指摘すると、ビオラは感心したように頷いた。
「意外といいこと言うわね。あんまり頭良くないと思ってたけど」
「うるせえ」
「冗談は置いておいて、こちらでもう少し情報を集めてみるわ」
食事を終えたビオラは、テーブルの上に袋から出した銀貨を重ねる。一人あたり銀貨十六枚。前金として受け取っていた銀貨八枚と合計して、銀貨二十四枚が、延べ三日分の報酬だった。危険はあったが、実入りとしては上々である。
清算を終えると、またよろしくと言い置いて、ビオラは宿を去り、夜道を一人帰っていった。
その後、カラスは早々に部屋に戻ってしまったが、クロウドとナナは何をするでもなく、しばらくそのまま残り、胃を休めていた。静かになった酒場に、ドミニクが食器を片づける音が時折響く。
「あまり関わり合いになりたくない仕事」
「ん?」
クロウドは、依頼を受ける前にナナが言った言葉を引用する。ナナはその意図が解りかね、思わず聞き返した。それに対してクロウドが言葉を重ねる。
「今回の件だ。想像以上に、厄介な仕事になりそうだな」
クロウドたち、その中でも特にビオラに刺客を差し向けたのは、おそらく相当に大きな組織である。そしてそうだとすれば、これは一つの依頼という枠に留まらず、政治勢力を巻き込んだ大きな争いになるに違いなかった。
「うん。そうだな」
ナナはそう答える。クロウドは彼女の顔を見るが、何を考えているのか読み取れない。
「手を引くなら今のうちだろう」
クロウドが懸念するのは、ナナの身の安全である。自分はともかく、彼女は自ら進んで傭兵になったわけではない。半ばクロウドに付き合わせてしまっている形で、本来彼女は他にいくらでも生活のしようがあるのだ。
「手を引きたいのか?」
「どう思う」
お互いに、何を考えているのかを探り合っているような雰囲気があった。少しの沈黙を挟み、その空気に焦れたのか、ナナが軽くため息をついて口を開く。
「あまり面倒なことから逃げてばかりではいけないと思うのだ」
そう話すナナは、遠く昔の事を思い出しているように見えた。商家である親元を離れたこと、政治的な争いを厭って知識の塔を出たこと、衝突を避けて村から出ようとしたこと。
「どこかで踏みとどまらなければいけない。逃げて、逃げて、逃げ続けても、結局どこにも辿りつけない気がする」
ナナの言葉には、クロウドも少し思う事があった。自分は今まで、定められた人生と戦ってきたと考えていたが、その実、ただ逃げてきただけなのかもしれない。
そうだとすれば、この仕事は自分にとっても、踏みとどまるべきどんづまりにあたるということか。少し考えてから、クロウドは静かに言った。
「そうか。では俺も御伴するとしよう」
正面のナナがにやりと笑う。
「前回みたいに、急に手を放すなよ」
「まだ根に持っているのか」
「ふん」
泥蜥蜴亭の夜は更けていく。部屋に戻ったクロウドは、小剣を抜き、刀身を眺めた。
この剣は、生きて逃げ延びるためだけの道具ではなく、運命と切り結ぶための武器となり得るだろうか。戦いは己のうちにあるということは知りつつも、どのように立ち向かえばよいのか、そもそも何を相手取っているのか、クロウドにはまだ分からないでいた。
だが、今は目の前にある困難に取り組むだけだ、と思い直し、剣を収める。僅かに月光が差し込む簡素な部屋で、クロウドは遅めの眠りについた。