第5話
半年が過ぎた10月、今年もあと3か月になっていた。
学校では運動会が行われ、綱引きやリレー、ダンスや組体操など、ただの小学生として行事を楽しんだ。
塾では医学の勉強が入ってきて、もちろん実技の方も学んだ。
「先生。僕達はいったい何の為にこんなに勉強や訓練をしているのでしょうか」
「そろそろ質問してくる頃だと思っていたよ」
しかし先生は僕の質問には答えず、この塾の恒例行事があることを告げてきた。
「この塾は年末に1週間の合宿が行われる。もちろん全員参加だ。そこで全てを話す。そして来年以降どうするかを決めてもらう大事な合宿になる」
「合宿ですか。分かりました。色々聞きたい事がありますが、合宿まで質問は取っておきます」
「そうしてくれ。それじゃあ授業を再開するよ」
1週間の合宿か。
この塾の目的はもちろんだが、他にも通っているであろう生徒達の存在も気になる。
そしてお母さんに言われたあの言葉。
「己を信じる強さ」か。
あれからどうも引っかかる。
ひとまず僕は年末に行われる合宿まで今まで通り過ごした。
―年末―
「それでは明日より1週間の合宿を行う。集合場所はこの場所だ」
そう言って先生は黒板に貼られた地図のある部分を指差した。
メモはしない。見ただけで覚えるように言われた。
集合時間は朝8時ちょうど。
「遅れるなよ」と念を押されて塾を出た。
僕達は家に向かいながら合宿が始まることにワクワクしていた。
「1週間も合宿ってなんだか楽しみだね」
「うん。親とこんなに離れるのって初めてじゃないかな?」
「確かに。僕も初めてかも」
僕たちにとっては初めて親と長く離れる。
6年生になると修学旅行などで親と離れて友達と旅行へ行くが、まだまだ先の話だった僕たちにとって、今回の合宿は修学旅行感覚だった。
達樹くんと別れてからすぐ家に帰り、合宿の準備をした。
「ただいま」
「おかえり。今日はいつもより早かったのね」
「うん、明日から合宿だから早く帰って休めって」
「そう。じゃあご飯食べて早く準備してしまいなさい」
「はーい」
制服にジャージ、下着にお風呂セット。
教科書に筆記用具、そしてサポーターなどの実技訓練道具一式。
忘れ物が無いか確認して僕はベッドに入った。
「いよいよ明日から合宿か」
「はい。1週間で何をするのか分かりませんが、大丈夫でしょうか」
「大丈夫、純の事だ。この8か月で大きく成長した。ちゃんと自己判断も出来る。俺たちはあいつの決めたことを精一杯サポートしてやるだけさ」
「そうですね。でも国の事です。洗脳された時は私がこの身を持ってあの子を助けます」
「分かった。情けないが俺には出来ないことだ。それはお前に任せよう」
「ありがとうございます。純……。どうか己を信じて強くなって」
翌朝。
僕は意気揚々と家を出発した。
朝7時。冬休みの為、通学する子は居ない。
人通りが少ない道をどんどん進む。
先生が指差していた場所は家から30分ほどの場所。
普通に行けば7時半には着くが、迷子になる可能性もある。
余裕を持って家を出た。
「おはようございます」
「おはよう。朝早くからお出かけかい?」
「はい、お泊りに行って来ます」
「おお、そうかい。気を付けて行っておいで」
「行って来ます」
ご近所さんも朝早くから犬の散歩をしていた。
寒いが、空気が澄んでいて気持ちいい朝だ。
そろそろ町も出て少し山の中に入ろうとした時、後ろから不穏な気配がした。
気付いたころには3人の大人に囲まれていた。
「波多純だな。我々に着いてきてもらう」
「誰ですか? 僕はこれから向かう場所があるんです。また今度にしてください」
「ガキが。大人3人相手に逃げるつもりか?」
「だったら何ですか。僕は目的地に行く。そこを開けてください」
「話しても無駄なようだ。力ずくで連れて行け」
そう言って大人2人が襲いかかってきた。
捕まったら振り解くのは不可能だろう。
どうにかしてこの場から離れなければ。
一心不乱に逃げ回り、なんとか振り切った。
しかし呑気に歩いているといつ見つかってもおかしくない状況だ。
とにかく走って目的地に向かった。
着いたのは7時50分。間に合った。
集合場所には先生が一人ぽつんと待っていた。
「おお、純。おはよう」
「おはようございます」
「やけに疲れているな。走ってきたのか」
「はい、途中知らない人に追いかけられて」
「…そうか。今年も来たのか」
「今年も?」
この合宿は前に言ってたとおり毎年行われているが、集合場所に向かう生徒を捕まえて我々の目的地を探っている輩がいるそうだ。
と言っても、ここの塾の生徒はあんな奴らに捕まるような弱い子に育てていないから無事到着すると先生は胸を張って言っていた。
そういうことか。僕も振りきれて良かった。
安堵していたが、達樹くんが中々来ない。
時計は8時を示していた。
僕は探しに行くと言ったが、もし達樹くんが遅れてここに辿り着いたときに次に僕が居なければ意味がないからと先生が探しに向かった。
待っているだけなのに妙に不安だった。
「みーつけた」
不安が的中するかのように聞こえてきた声。
さっきの3人組の1人だった。
先生を呼ぼうと声を出そうとすると口を手でふさがれた。
「シッ! 今ここで先生に気付かれるわけにはいかないんだ」
「何だよ。僕の目的地はここだ。この目的地を知りたかったんだろ?」
「違うよ。この目的地は毎年同じなんだ。でも、ここから先どうやって移動しているのかが毎年分からない」
「この場所が分かってるならそこから後をつければいいじゃないか」
「そんな事君に言われなくても分かってる。でも後をつけていてもなぜか見失ってしまうんだ」
「そんなの知ったことか。僕だってこの先どこへ向かうのかも知らない」
「君はこの塾の…いや、この国の目的を知っているか」
「国の目的? 知らないけど」
今まで優しそうな顔だったのに、急に神妙な顔をした。
「だろうな」
「僕も何のための訓練か先生に質問したことがある。でも今日やっと分かるんだ」
「そうか。今日教えてもらうのか。じゃあその前に俺から教えてやろう」
そう言って男はこの国の真実というものを話し出した。
この国はスパイを育成する国。
スパイとはどこの国にも存在する。
しかし国民が全員スパイだったらこの国の何が本当で何が嘘なのか、他国からすればさっぱり分からない。
その上、常にスパイ同士の争いをする為、スパイの能力が他の国に比べるとケタ違いに高くなる。
そうしているうちに、我が国で働いてくれと他国から要請されるようになった。
結果、この赤聖国は他国に狙われる事なくスパイを排出してお金が入ってくる豊かな国になった。
男はここまで話すと神妙な顔から再び優しい笑みを浮かべた。
「じゃあおじさんもスパイなの?」
「ああ。もちろんそうだ。もしかしたら今話したことも君の警戒心を解く為の嘘かもしれないな」
「僕はそこまでバカじゃないよ。おじさんが本当の事を言っているのは分かっている」
僕だって塾に通って数ヶ月、ただ勉強をしていただけじゃない。
先生や親が何かを隠していることぐらいとっくに気付いていた。
「ほぉ、己を信じる力をしっかり身につけているみたいだ」
「己を信じる力か。お母さんと同じことを言ってる」
「お母さんが? 波多純……。もしかして波多真紀の息子か!?」
その時の男の表情は優しい笑みから驚きと喜びの笑み、つまり心の底から浮かび上がった笑みだった。
「おじさん、お母さんを知っているの?」
「アハハ、何で気付かなかったんだ。そりゃエリートな訳だ」
「お母さんはどういう関係なの?」
「いや、これはお母さんから直接聞けばいい。俺の名前は『登美涼』。もちろん本名ではないが、この名前で通じるはずだ。」
「登美涼さん。ねえ、もう少し教えてよ。この国の事」
「そろそろ時間だ。いいか? 強くなるのはいい事だ。しかし国に洗脳されるな。純くん、君は凄いスパイになるだろう。しかし己を信じる事が出来なくなった時、君はただの兵器となる。自分を持て。そしてすべてを欺くんだ」
「待って!」
涼さんは姿を消した。
そしてすぐに達樹くんと先生が戻ってきた。
「純、お待たせ。やはり敵に襲われていたみたいだ」
「純くんごめんね。僕まだまだ弱くて振りきれなかった」
「達樹くん! 無事で良かった。僕も運良く逃げ切れただけだったから」
「よし、じゃあ2人揃ったところで合宿場へ向かうか」
「はい!」
「はい」
僕はこの後の合宿はスパイを育成する為の強化合宿なのだと分かった。
しかしここまで来たからにはやるしかない。
「どうした純? 待ってる間に何かあったか?」
「いえ。一人で待ってるといつ襲われるかとドキドキしてたのと、達樹くんが無事だったことに安心してちょっと疲れちゃって」
「そうか。でもこれからもっと大変だから気合い入れ直せよ」
「はい!」
僕は涼さんが悪い敵とは思えなかった。
しかし今は塾の合宿で更に強くなりたいとも思っている。
己を信じる力。これだけは忘れてはいけないと心に誓った。
そして運命の合宿が幕を開けた。