点と点
点と点
「悪かったな。…なんか、巻き込んじまって。」
向かいの椅子に座る物音を聞きながら、俺は首を振った。よかったんですか、と消え入りそうな声で答えた。…あ、声震えた。
「なにが。」
「あの、……彼女さん………。」
「彼女でも何でもねーよ。付きまとわれてて、うんざりしてたんだ。寧ろ礼を言いたいぐらいだ。」
くっくっ、と喉を鳴らして笑っていた人は、ずっと年上と感じていたのに、その時は、俺と同じ年ぐらいに感じた。
「真っ白な本なんて、久しぶりに見たよ。その厚みからすると、だいぶ読書が好きなのか?」
「は、、はい。……父が、俺と母さんに、」
そこまで言って、今更怖くなってしまった。
俺、今全然知らない人と会話してる、、、。手元にある本を無意識に開いたり閉じたりする。
「どうした?」
不意に問いかけられてはっとする。
「すみません、何でもないです、、、、、、あ、」
触っていた本に違和感を感じた。
「あぁ、破けちまってるな。」「あっ、いや、大丈夫です、これくらい、、、」咄嗟に隠そうとしたが、敏いのかすぐにバレてしまった。
スッと紙のこすれる音が聞こえて、手に暖かいものが触れた。
「いや、これじゃあちょうど文字のところが破けてるから、読み進めないと思うぞ。」
「え、点字が、わかるんですか、、」
あぁ、とバツが悪そうな声が聞こえて多様に感じた。
「まぁ、少しそっちの仕事もしててな。とりあえず、弁償したいんだけど、お前の名前---」
そこまで問いかけられた時、カラン、と喫茶店の扉の悪音が聞こえた。
「汐海、おまたせ、、、」
母の声に驚きが含まれていて、困惑した。
「あ、彼のお母様でいらっしゃいますか。」
目の前の人は、すっと立ち上がったようで、母さんに声をかけた。
「えぇ、あの、どちら様でしょうか?」
「申し遅れました、私、雲母奏海と申します。先程彼を私事に巻き込んでしまいまして、助けていただいた上に本を破損させてしまいまして、代わりのものをご用意いたしますので、ご連絡先などお教えいただければと。」
「まぁ、そうだったんですか、ご丁寧にありがとうございます。お名刺頂戴しますね。」
一瞬、息を吸い込んだ音が聞こえたが、母さんはいつも通りの物腰柔らかな物言いでその人が差し出した名刺を受け取ったようだった。
「ごめんなさいね、私名刺を持っていなくて、、、メモでもいいかしら?」
「勿論、結構です!」
ゴソゴソとカバンの中を探る音が聞こえた後、文字を書く心地よい音が聞こえた。
「はい、名前はこの子のを書いてます。これも何かの縁だと思って、仲良くしてくれたら嬉しいわ。」
「頂戴します。汐海って言うのか。ありがとう、助かった。」
「へーぇ、そんなことがあったんや?とんだ災難やったやん。」
「災難、ていうか、修羅場初めてだったから、すごいアウェイ感感じただけだよ。」
春休みが明けた教室は、どことなくまだ浮き足立った空気が漂っていて、それでも目の前に控えた実力考査の緊張感も感じられる、少し居心地が悪い空間だった。
しかし、幼馴染の喜崎駿来いつも通り俺に纏わり付いていた。春休みの間、家族で旅行に出かけていたらしい土産話を、聞いてもいないのに自慢げに話す彼を、俺は少し冷ややかな目で見ていた。
旅行というものにどうやら縁がないのか、単身赴任中の父のお陰なのか、そういった記憶がない俺には少し羨ましいと、いつも思っている事は秘密だ。
駿来は直ぐに、調子に乗るから。
帰宅中も賑やかな駿来に少し救われつつ、暗闇の中を歩く。
ことを歩く時はやっぱり、少しの不安が俺の中を支配した。"見える世界"は、俺が想像もできないような世界なのだろう。想像するほどに、自分がどれだけちっぽけかを思い知る。
不意に、適当な相槌を打ちながら聞き流していた駿来の声が止んだ。
「どうした?」
俺が声をかけた時、同時に声がした。
「よう、こないだぶり。」
俺の中にまた一つ、世界が増える声がした。