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目に映らぬ存在

作者: 壱札キセキ

 理屈と膏薬だったとしても、不思議な謎に納得出来る答えを導き出せる前川は凄い。

 我らが生徒会長の大枝佳苗先輩はそう言うが、俺は自分のことをそんなふうに思ったことはなかった。自分が納得出来る答えを見つけることなら、誰にでも出来るからである。

 たとえば季節外れに気温が高くなったり、低くなったりしたとする。その原因が環境問題だと思うのか、天の神様の気まぐれによるものだと思うのか。自分が納得できるなら、どちらも正解だろう。本当の答えが何なのか知っている必要はない。

 別に謙遜でも嫌味でもなく、あくまで俺はそう考えているという意見だ。

 それよりも、何気ない日常の中から目敏く不思議を見つけられる会長の観察眼の方が凄いと思う。流れていく何気ない毎日の中から楽しみを見つけ出すなんて、誰にでも出来ることではない。

 日常を退屈だと言ったり、刺激がないと嘆いたりする人は、まず自分にそういう観察眼が備わっていないことも気付いていないことが多い。もちろん中には気付いている人もいるが、意識したところで何も変わらない。何とかしようとして何とかなるものではないのだ、これは。絶対に出来ないとは言えないかもしれないけれど。

 会長のように毎日を楽しめる人と、俺のような日常に退屈を感じる人。両者はそもそものスタート地点……いや、前提条件が既に違うのである。

 だから。

「会長のそういうところ、羨ましいですし好きですよ」

 放課後。生徒会の仕事を終えた俺は、生徒会室の戸締りを確認しながら言う。既に他のメンバーは帰っていて、遅くまで残る俺たちが戸締りをすることは恒例となっていた。ちなみに会長は翌日の仕事の確認まで済ませるため遅くなるのだが、俺は違う。悲しいことに手際が悪いだけなのだ。

「……恥ずかしい奴だな、お前は。忘れ物はないか?」

「あ、はい。大丈夫そうですよ」

 ドアの取っ手を握っていた会長の確認に答え、部屋の電気を消す。鍵が確かに閉まったことを確認すると、一回お互いに頷いてから職員室へ向かって歩き出した。はて、気のせいか会長の頬が僅かに赤いような。

「じろじろ人の顔を見るな」

「あでっ」

 蹴られた。

 短い茶髪を揺らし、凛とした目を赤いフレームの奥に持つ会長は、鼻を鳴らして速度をあげる。

 一瞬バランスを崩しつつも、何とか体勢を整えて後ろに続く。

「ところで、何で突然そんなことを?」

 鍵を職員室へ戻し、それぞれの昇降口へ別れて靴を履く。改めて校舎の外で落ち合うと同時に、俺は訊ねた。何かをした覚えはないのだが、戸締りをしていたら唐突に「理屈と膏薬だったとしても~」と褒められたのである。

 校門を出ると、会長は苦笑しながら答えた。

「何となく思っただけだ。考えてみると、私は謎に対しての答えを自力で導き出したことが今まであまりなかったからな」

「え、何かあったんですか?」

 歩道の脇に立てられた葬儀会場への案内を通り過ぎると、信号の色が変わった。次の青信号を横断歩道で待っていると、一台の車が事故を起こしかねないスピードで曲がっていく。危ないな。

「大したことじゃない。お前の言う観察眼で、また謎を見つけただけだ」

「へぇ、どんな謎なんです?」

 周りの人が進み始めたのに合わせて、俺も歩き出しながら訊ねる。

 自転車やバス、電車に徒歩と様々な手段で生徒が登校するうちの高校で、俺と会長は方向こそ違うが同じ電車という手段を使っていた。他の生徒会メンバーはそれぞれ別の方法で登校しているため、二人で駅まで歩く光景もすっかり馴染みのものとなっている。そしてその時の話題は、大抵が会長の持ってきた謎についてだ。

 傾げられた小首はどこから話したものかと一瞬悩んだようだが、やがて最初から説明することにしたらしい。

「一昨日の日曜、友人と映画を観に行ったんだ。知っているだろう? 巨大なテレビの付いているビルが目の前にある、あの映画館だ」

 そこなら偶に俺も使うから判る。目の前にあるビルは中高生を中心とした人気バンドを中心に、いつも何かしらのミュージックビデオを流している。そのため中高生の間では、目立たないながらも相当な人気スポットらしい。俺は行ったことないが。

「その時に電車を使ったんだが、ホームに変なお爺さんがいてな」

「独り言でもぶつぶつ言ってましたか」

「近い。ホームへは改札の傍にある階段を上らないといけないだろう? その階段を上り終えたら、そのお爺さんが椅子に座ったまま見ているんだ。顔を横に向けて、こちらをずっと、虚ろに、どこか悲しそうに」

 それは怖い。俺だったら改札へ引き返して別にある階段を使いそうだ。

「私たちが移動しても同じ場所を見続けていたから、見ていたものは別にあるんだろう。だが何かあるのかと振り返ってみても、見えるものはホームの終わりと線路、あとは隣に建つさっきのビルも含めた街の風景だけ。特別なものは何もなかった」

「ふむ、それで?」

「それだけなんだが、あの人が何を見ていたのか判らなくてな。不思議だから友人とあれこれ話したんだが、どうしても納得出来る答えが出ない。だから何にでも答えを出せる前川は凄いと思ったんだ」

 なるほど、これで話が最初に戻るわけである。

 俺――前川大地が凄いかどうかは置いておくにしても、確かに会長の話は謎だ。もし今の話で過不足なく情報が提示されているとしたら、問題のお爺さんはまるで目に映らない存在を見ていたようではないか。

 違法駐輪によって狭くなった道を、反対側から自転車が走ってくる。イヤホンを耳に挿したまま走ってくる自転車に道を譲りつつ、俺は考え込む。

 要約すると、見知らぬお爺さんが何もない空間を悲しそうに見ていたというだけだ。普通なら何とも思わず流してしまいそうな光景だが、一旦会長のように疑問を抱くと確かに謎である。

 なぜ何もない空間を悲しそうに見ていたのか? そこに何を見ていたのか?

「前川はどう思う? あの人は一体何を見ていたのだろう」

 うーむ、と唸る。

 なんだかチグハグな感じだ。これまでに出た情報だけでは、まだ足りない気がする。もう一つ、どんな些細なことでも良いから情報があれば判りそうな気もするのだが……。

「会長と友人さんは、どう思ったんですか?」

「私たちか? そうだな、私は思い出に浸っているんじゃないかと感じたな。だが、それなら別に横を向く必要はない。加えてあの人は何かを見ている感じだったからな、これは違うと思ったんだ」

 なるほど。

「友人は幽霊でも見ているんじゃないかと言っていたが、幽霊など存在しないだろう。本人もそう言っていたから、これは冗談交じりの感想だな」

「幽霊……?」

 妙に引っかかった。案外友人さんの言葉は的を外していない気がする。

 更に考え込んで駅が近づいて来ると、手前にある交番の掲示板が目に入った。


 本日の交通事故死亡者:五人

 前日比:二人増


 ……あぁ、そうか。そういうことか。

 頭の中で情報が整理されていく。知恵の輪が外れるように謎は解れ、パズルのピースが嵌るように絵を描いていく。

 これが真実だとは限らない。だけど、これが俺の導き出した納得出来る答えだ。

「お。前川、その顔は答えが判ったな?」

「えぇ、まぁ。判ったと言うか勝手な想像ですけどね、相変わらず」

「構わん、聞かせてくれ」

 溜息を一つ漏らして呼吸を整えてから、俺は話し始める。

「結論から言うと、会長も友人さんも間違っていません。問題のお爺さんは思い出に浸りながら、幽霊を見ていたんです」

「はぁ?」

 順を追って説明していくことにしよう。

「まず変だと思ったのは、お爺さんが何を見ていたのかという点です。偶に、普通なら目に映らないはずの存在も視ることが出来るという人がいますけど、そんなふうに考えなくても納得出来る答えがあります」

「それは?」

「お爺さんは何かを『見ようとしていた』のではなく、何かを『聞こうとしていた』としたらどうです?」

 あっ、と会長が息を飲む。

 遠くから聞こえてくる音を集中して聞こうとする時、そのまま耳に意識を向ける人もいれば、音のする方へ顔を向ける人もいる。今回は後者だったのだろう。

「じゃあ、何を聞こうとしていたんだ?」

「会長の話に出てきたものの中で、考える可能性は一つだけです。――テレビの付いたビルが流す、ミュージックビデオですよ」

 街を包む雑踏の音を集中して聞こうとする人はなかなかいないだろう。そうなると、あとは消去法でミュージックビデオしか残らない。ビルは駅の傍に建っているから、雑踏の音で掻き消されつつあったとしても集中すれば耳に届いたはずだ。

 しかし、そこで流されているものは主に中高生の間で人気のバンドである。それをお爺さんが集中して聴こうとするだろうか? 好みの音楽だったから聴こうとしたとも考えられるが、それだと悲しげな表情をしていた理由が判らない。

 会長も同じ疑問を抱いたのだろう、不思議そうに顔を歪ませている。

 ……ここから先は、愉快な話ではない。だけど言わなければ話のオチはない。

 ぐっと手を握りしめ、ゆっくりと口を開く。

「年齢や家庭事情にも依りますが、相応の歳のお爺さんなら中高生くらいの孫がいてもおかしくありません。おそらくミュージックビデオで流れていたバンドはお爺さんがファンなのではなく、孫がファンだったんでしょう。そして駅で電車を待っていたら、偶然孫が好きだった曲が聞こえてきて反応した。そんな感じじゃないでしょうか」

「待て、今の『だった』とはどういう意味だ? それではまるで――」

 会長の言葉を遮り、俺は頷く。どうか真実は違っていますように、と願いながら。

「どうやって問題の曲を知ったのかは判りません。ただ、そのお爺さんはもう孫と会えない状況になってしまったのでしょう。だから悲しそうな表情で、曲の聞こえてくる方向を眺めていたんです」

「そんなっ」

 どんな形でそんなことになったのかは判らない。複雑な家庭事情で引き離されてしまったのか、自分のことで悟るようなことがあったのか、あるいは……孫の方で何かがあったのか。

 最近は本当に交通事故が多い。信号待ちをしていた時に曲がっていった車のように、暴走気味に走る車は後を絶たないうえ、公害防止用にと走行音がほとんどない車も開発されている。

 しかも歩行者や自転車の人も、耳にイヤホンをしたり、携帯電話を弄りながら通行したりすることが多いため常に注意力散漫の状態だ。どんなにお互いが気を付けても起きてしまうものが交通事故なのに、お互いが注意をしなくなれば更に発生率は高くなる。

 俺は溜息を一つ吐いた。

「多分、お爺さんの目には映っていたんでしょうね。幽霊みたいに、他の誰にも見えない孫の顔が」

 空を仰ぐと、茜色は半分蒼色になりつつあった。だんだんと悲しみに染まっていくような蒼色の中では、涙を零すように星が瞬いている。俺はその中に、顔も知らないお爺さんと孫の姿を思い描いた。

 会長は何も言わず俯いて、機械的に定期を取り出して改札を通る。いつもならここで別れの挨拶を交わすところだけど、さすがに今日はそれもなく俺たちは別れた。暗い気分はじわりじわりと心を浸食していき、体から力を奪っていく。

 引きずるようにして階段を上ろうとした時、誰かが大声で騒いでいた。見てみると、高校生らしい女子が携帯電話を片手に改札を通ろうとしている。

「はぁ? またお祖父ちゃん外でボーッとしてたの? いい加減にしないと危ないよ、本当にもう。……私のせいって、ホームステイで一ヶ月海外に行くだけじゃん。今生の別れってわけじゃないんだから、お祖母ちゃんからも何とか言ってよ。……毎日あの音楽を聴いていてウンザリって、それこそ私にどうしろって言うのさ! あーもー」

 呆れ半分、怒り半分で通り過ぎていく彼女を見送った後。対角線上に位置する階段の半ばから、俺と会長は思わず顔を見合わせた。そしてどちらからともなく笑うと、片手を挙げて挨拶をする。

 ――またな。

 ――はい、また明日。

 階段を上る足は、もう重たくなかった。

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