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君が僕の名前を忘れてくれなかったこと

さらに前話からの続き

 無事に大学を四年で卒業し、隣の県にある企業に就職をした。音楽とは全く関係がない機械設計の会社。音大以外で唯一受験した工業大学で機械設計の面白さに目覚めた。受験した理由は音大じゃないこと、それから学力的な面から合格できそうなところだったからだ。そんな不純な動機で受験して入学した割に、僕には合っていたらしい。入学当初は何もわからなかったのに、いまではすっかり機械オタクに片足を突っ込んでいるように思う。

 大学入学を機に実家を出て一人暮らしを始めて五年目。学生時代もゼミ室に何日もこもったりしていたけれど、そういったのとはまた違った疲れにワンルームの部屋も荒れ放題になっていた。


 そんな状態に危機感を覚えた入社してすぐのゴールデンウィーク。初めての連休に最初の二日は家でゆっくり休んだものの、三日目には部屋の片付けにいそしんだ。荒れているとは言ってもしょせんはワンルーム。一日かけて掃除をすれば、まあ人を招いても問題ない程度には片付いたように思う。

 四日目は買い物に出ることにした。足りない日用品もあるし、節約のためにもう少しきちんと自炊がしたい。でもせっかくの連休、少し離れた場所にあるショッピングモールにまで足をのばすことにした。

 大学に入学してすぐに車の免許を取った。在学中にバイトで貯めた金で中古車も買った。会社が郊外にあることもあって、車を持っていたのはラッキーだったと思う。公共交通機関で通っていたら今よりもっと疲れ果てていたに違いない。


 会社があるのとは別の方角の郊外にあるショッピングモールへと車を走らせた。昼食には少し早い時間に着いたが、まず最初に中にあるフードコートで昼食を食べた。まだ大半の席が空いていたけれど、もう三十分もすれば満席になって席を探して歩きまわる人も出始めるだろうと思う。

 食後もしばらくは席でのんびりスマホをいじっていたが、空席がほとんどなくなったのに気付いて買い物に行くことにした。


「あの、この席って空きますか?」

 テーブルの上を片付けていると声をかけられた。席を探していたのだろう女性の声。

「あ、はい。片付けるので少し待ってもらえますか……」

 そう言って何気なく視線を向けた先にいる女性二人組。僕に声をかけてきた人の斜め後ろに立つ女性の顔を見て驚いた。彼女もどうやら僕のことを覚えていたのだろう。驚きに少し目を瞠らせた。

「……神崎君?」

 彼女の口から零れ落ちた僕の名前。名前を覚えていてくれたことに、胸の奥が熱くなった。

「久しぶりだね、藤原さん」

 高校生の時より当然ながら大人びた顔。髪型も変わっていたけれど間違えるわけがない。忘れるわけがない。彼女だ。

「さとちゃん、知り合い?」

 僕に声をかけてきた女性が彼女に話しかける。

「うん。高校の同級生だよ」


 彼女とは中学時代の友達だという女性は何を思ったのか「積もる話もあるでしょ」と僕と彼女を二人にしてどこかへ行ってしまった。買い忘れたものがあると言っていたけれど、目の前の彼女の様子からしてたぶん嘘なんだろう。

 嘘でもいい。忘れられなかった彼女が僕の目の前にいる。僕の名前なんか忘れてしまって、もし会っても高校で同級生だった人だという程度の認識しかないだろうなってずっと考えていた。でも現実はそんなことなくて、彼女は僕の名前を覚えていた。忘れてなんかいなかった。


 互いに近況を中心に高校卒業後のことを簡単に話した。彼女は地元の大学に通っていたが、就職と同時にこの近くで一人暮らしを始めたのだと言う。僕の部屋から車で二十分ほどの場所。

 彼女とこれっきりで終わらせたくはなかった僕は、なんとか話の流れで彼女と連絡先を交換することに成功した。ちょっと必死だったかもしれない。

 彼女が僕の名前を忘れていたら、そんなこともせずに諦めていたかもしれない。でも彼女は僕の名前を忘れていなかった。そして彼女の友達が気を利かせて二人きりにしてくれた。そのことが僕の背中を押した気がした。


 彼女の友達は三十分ほどして戻ってきた。それと同時に、名残惜しいものの僕は席を立った。本来の目的を果たすために。

 スマホの中の彼女の連絡先に心躍らせながら、僕は二人の元を離れた。




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