昔を思うことは君を想うこと
前話の続編みたいな。
僕の家族はいわゆる音楽一家で、父も母も姉も楽器の演奏者としてオーケストラに所属している。僕に対しても言葉には出さないものの、何か楽器をして欲しいと思っているようなのは、ずっと感じていた。
けれども僕は楽器を演奏することに違和感を感じていて、小中学生の間はピアノを習っていたけれど、それも高校入学と同時に辞めた。高校は家族に反抗したようなしてないような、そんな微妙な感じで音楽科のある高校を選んだ。いくつかの楽器と声楽のコースがあるなか、僕が選んだのは声楽だった。そこが僕の小さな反抗だった。
僕の家庭において、音楽と言えばクラシック。ジャズはなんとか許容範囲。ポップスなんて邪道以外の何物でもなくて。
だから、高校に入学して驚いたのは、多くの生徒がジャンル問わずに聞いていて知っていることだった。ポップス、ロック、ヘビメタ、何でもありで。それぞれの好みは様々なジャンルに及んでいた。衝撃だった。
クラスメイト達に色々な音楽を聞かせてもらって、自分でも家族に隠れてCDを買ってみたりして。そうして僕はポップスにハマっていった。
それと同時に、どうして僕はこんなところで学んでいるんだろうと思うようになった。クラスメイト達の大半は、ポップスなどが好きでもってオペラ歌手を目指して音大に進みたいという夢を持っていたりして。どこかで勝手に疎外感を覚え、気付けば入学当初はそれなりだったはずのクラスメイトとの関係がギクシャクして。さらには唄えなくなってしまった。一年生の二学期も終わりの頃だった。
唄おうとしても声が出ない、楽譜が急に読めなくなる、音程がとれない。
担任に何度も呼び出されて事情を聞かれたけれど、でも僕自身がこの状況に戸惑っていた。
最終的には親まで呼び出されて、親はこれ幸いと長く習っていたピアノに転向したらどうかと勧めてきたけれど、それはどうしても嫌でたまらなくて。
スクールカウンセラーの人と話をすることにまでなって、最終的には普通科に転科することになった。スクールカウンセラーの人が何らかのアドバイスをしたらしかったのと、普通科からでも音大に進むことはできるからという担任の言葉がキッカケだったらしい。
過去に前例はあるものの珍しい転科を果たした僕は、二年生の進級と同時に普通科クラスへ。やはり噂になっていたようで、好奇心に満ちた表情でこちらを見る他の生徒たちがストレスだった。
その頃のことを思い出すと、今でも胃が痛くなる思いをすることがある。けれど、胃の痛みとは別に小さく感じる胸の痛みもあって。
時折、嫌な思い出と共に彼女のことを思い出す。高校を卒業して三年経った今でも、心で想う彼女のことを。
彼女とは三年生で同じクラスになった。
彼女は他の人たちとどこか違って、僕には興味がないようで。逆に僕の方が彼女を気にしていたように思う。
美術の授業をキッカケに、少しだけ話せるようになって。
そうするうちに、もしかしたら彼女の前でなら唄えるかもしれないと思うようになった。なんの先入観もなく聞いてくれそうで。
でも、歌を聞いて欲しいって言い出すこともできず。
その想いが募るうちに、彼女のために唄いたい! 彼女のためだけなら唄える! と思うようになり。
気持ちだけが募って、ようやく彼女に歌を聞いてもらえたのは三学期に入ってから。思った通り、何も言わず聞いてくれた。僕の選曲には少し驚いたようだったけれど、それだけだった。何も言われないことにホッとした。
下駄箱で別れを告げて、胸の中に宿った暖かいものが何かわからないまま、僕も帰路についた。
自分の、彼女への気持ちが恋だったのだと気付いたのは、卒業式前日。
彼女の進路も知らず、でも聞くこともできず。そのまま卒業してしまった。
彼女は僕の決心など知らなかったのに、あの時の彼女の雰囲気が僕の決心を後押ししてくれた。音楽家ではない道を歩むことを。
それはもちろん家族に反対された道ではあったけれど、何度も衝突を繰り返してなんとか、一校だけ受験した音大以外の大学へ進むことができた。
彼女はどうしているのだろうか。彼女はどんな学校へ進学したのだろう。それとも就職したのだろうか。
たまに唄いたくてたまらなくなることがある。彼女の前で唄いたくてたまらなくなることがある。
それはつまり、彼女に会いたくてたまらなくなるということ。
何も伝えることなく終わったはずの恋、でも三年間ずっと心の内に住み続ける彼女。
時々、遠くない昔を思い出しては彼女を想う。