undertaking‐仕事‐
「ねぇディレン。こんなことする必要ある?」
強い怒りの込められたその問いに、ディレンは冷や汗を流しながら目を泳がせた。
「…あるんじゃないか? 少なくとも、あいつらにとっては、だが。」
セーレ大陸の中央に位置する国、リリア。
大陸の中でもかなりの領土を占めるこの国は昔と違い、今では沢山の行商人が訪れる巨大な商業都市として名を馳せている。
というのも今から約二百年前、セーレ大陸は戦乱の真っ直中であった。大小百以上の国が大陸中に散らばり互いが互いを潰しあうこの時代、リリア国は強大な軍を持っていたわけでもなく広大な領土を支配していたわけでもない、ただの矮小な軍事国家であった。
しかし、まだ若干20歳で即位した時の王、フィンテ=ロドリオットは数多くの小国が倒され巨大な国に吸収されて行く中で類稀なる奇才による謀略を巡らせ、多大な犠牲を払いながらもなんとか潰されずに勝ち抜き、戦乱が治まった五十年後、気がつけばリリア国は強大な軍と広大な領土を手にする大国に姿を変えていた。
戦後、大陸中の国々で停戦協定が行われると、人々の関心は争いから平和へと移行していった。これまで軍事力でのし上がり、隣にあった巨大国家ですら倒したリリア国がこれ以上武力での繁栄は不可能だと判断すると、大国の王となったフィンテ=ロドリオットはその広い領土を活かした商業に着目した。
まず自国の主要都市すべてに巨大な市場を開き、他国へ渡ることができる街道を作ることから始めた。そしてある程度の街道が整備されると、国境付近にある関所で行われる入国審査を廃止した。それは単に国に入りやすくしただけではなく、リリア国の平和と自由を他国の人々に象徴するためでもあった。その代わり関所には軍を派遣し、犯罪者が国外へ逃亡するのを防ぐ役割を与えた。その結果、密輸や偽装などの犯罪は確かに増えてしまったが、それはリリアのに大いなる繁栄をもたらした。
こうしてリリア国は百五十年前に作られたその制度を受け継ぎ、現在は大陸の巨大な商業国として大陸に名を轟かせているのだった。
「……なんで僕がこんな格好をしなきゃいけないんだ。」
リリア国の王都、ラビエンヌ。
リリア城の城下町、そして国内でも最大の広さを持つ巨大市場があることで知られるこの街は、三つの区から成っている。
木造の住居が建ち並び、大通りにはそこに住む人々が生活できるように食べ物、服、生活用具等の商店がある一般的な街の装いを見せる西区。
他国から来た商人や旅人のために作られた多くの宿場を中心とし、武器や防具の店、酒場が取り巻く普段は閑静な東区。
沢山の商人や旅人が訪れ、個人のいらないガラクタから珍しい高価な宝石まで様々な商品が売られている大通り、俗に言う巨大市場が存在する、街で一番華やかな南区。
そして北側にはラビエンヌを含めたリリア国内すべてを統治するロドリオット家が住む巨大な城、リリア城が築かれている。
「確かそれは、賭けに負けた罰ゲームだっただろう?」
「だからってこれは酷いよ! 人の弱味につけ込みやがって。」
「弱味というか、自業自得じゃ……。」
「なんか言った?」
「……いや。」
ラビエンヌ南区、大通り。
リリアの歴史の中でも最も早く市場を開き、今では経済の基盤と言っても過言ではないほどの収入を出し続けるのがこの南大通りで開かれている巨大市場である。その名は他国の庶民や豪商人、名のある貴族、更には他国の王族にまで広く知れ渡っており、毎日数多くの人がこの場所を訪れ賑わっている。その量といえば、通りを歩く時は他人に肩をぶつけずには歩けないほどだ。
「あのくそアマ…絶対恥かかせてやるからな。」
その大通りの軒先にズラッと並ぶ出店の中に一際目立つ店があった。その店は特別な外装が施されているわけでもなく、これといって珍しい商品があるわけでも無いのだが、通り過ぎるほとんどの人から奇異の視線を向けられ、時折人だかりもできる。では一体何が目立つのかというと、それは店番をしている売り子の格好だった。
紺色で膝を隠すくらいの長さのふわふわとしたスカートに、同じく紺色で半袖の袖口に白いフリルがついた非常に可愛らしい上着。
それは明らかにウェイトレスの姿だった。
「くそっ。こっち見るなよな……。」
そうやって先程から悪態をついているのは、そのウェイトレス姿をしているケイである。彼はその格好に伴ってかブロンドのカツラを被り、更には口紅や頬紅、アイシャドウなどの薄い化粧も施されている。その姿は黙っていれば美少女と見間違えてもおかしくはないほど綺麗だった。彼は見られるのが恥ずかしいのか、顔をうっすら赤くし俯き気味に伏せている。
「賭けなんてやめたらどうだ?」
その隣でケイに声をかけているのは無論ディレンである。恥ずかしい姿のケイとは違い、彼は青いTシャツに黒のジーパンといったラフな格好をしている。
「まだリベンジしてないんだよ! やめてたまるか!」
「……そうか。」
やる気満々といったように眉間に皺を寄せ、胸の前で拳を握り締めるケイを横目にディレンは思わず、はぁ、とため息をついた。
何故ケイがこんな辱めを受けているかと言うと、それは昨日の夜に行われた『七並べ大会』なるもののせいであった。参加者はディレンとケイと、後この二人と行動を共にする二人の女、という計四人。そしてこの大会の目玉は、勝者が敗者に何でも一つ命令できるという容赦無い特典だ。そうして一介の宿で繰り広げられたそれは、遊びにしてはあまりにも真剣で、勝負にしてはあまりにもくだらない内容だった。
兎にも角にも、その大会で圧倒的に負け続け十戦して八回も最下位を獲得することになったケイは、逆に圧倒的に勝ち続け五勝を上げたリアンの言うことを一つ聞かなければならなくなったのだ。そういうわけで、今に至る。
「……次は絶対負けない。」
「いや、それは良いから接客してくれないか? さっきから俺しか動いてないんだが。」
ディレンが客の男性から銀貨を二枚受けとりながらそう言うと、ケイは、はっ、と気がついたように意識を取り戻した。
「あ、ご、ごめん。つい忘れてたよ。」
「……忘れていたのか。」
えへ、と笑うケイを見て、ディレンは思わず額に右手を置きさらに呆れ気味のため息をついた。
「そういえばさ、あの後何かわかったの?」
「あの後?」
「…あのくそジジイを倒した後。」
「ああ、この前のあれか。」
嫌そうに言うケイを尻目に、ディレンは遠い記憶を思い出すかのようにそう呟いた。
二日程前、ケイとディレンが白髭の男を呼び出したあの日。あの後二人は四対二であったにも関わらず、瞬く間に男達を叩き伏せた。そして恐怖し震え逃げ出そうとする白髭の男を掴まえると首に剣を押付け、二人は質問会という名の尋問を始めた。それがどんな内容だったかはあえて特記しないが、尋問というよりも拷問に近い形だった、とだけ言っておこう。
特にケイは子供とは思えないような言葉(基本は下ネタ)と口調(主にヤクザやヤンキー)、そして顔(目が据わっていて口元は笑っていた)を駆使し、震える白髭の男に色々と無理矢理吐かせようとしたが、知らないの一点張りだった。結局二人は諦めて、素直に男を役所に連れて行くことにした。その際にディレンはケイと別れ一人、非合法の薬を製造する工場、つまり男のアジトへ向かい壊滅的な打撃を与えたのだ。
「あのジジイ結局何も知らなかったし、リアンとファニアの所も収穫なかったし。あの後残党狩りに行ったんでしょ? なんか良い情報なかった?」
「何も無かったな。何人か尋問したが、全員太陽の宝玉の存在すら知らなかった。」
「そっか。じゃあ結局大外れだったんだね。」
「そんなとこだな。」
「あーあ、絶対知ってると思ったのになぁ。」
ケイはため息混じりにそう言うと、実に残念そうな表情を浮かべた。
「そう落ち込むな。依頼者からの報酬はちゃんともらっている。」
「それは小遣い稼ぎでしょ? 本来の目的と違うじゃん。」
「まぁな。だが焦っても仕方ないだろう。」
「そりゃそうだけど……。」
「急いでいるわけじゃない。ゆっくり探せばいい。」
「…いつも思うけど、ディレンってすごいマイペースだよね。」
「そうか?」
ディレンは優しい笑みを浮かべながら、呆れて肩を落としているケイの頭に優しく手を置いた。ケイは不満そうなジト目でこちらを見上げているが、それも今の姿では可愛いらしく映るだけである。
ディレンはケイを一瞥した後、物憂げな表情を浮かべて遠く青い空を仰いだ。
「…ゆっくりでもいい。だが、確実に探し出してみせる。」
ディレンは小さく、誰にも聞こえない程度に呟いた。
「あ! あれケイちゃんじゃない? ケイちゃーん!」
突然、聞き覚えのある実にわざとらしい声が二人の耳に届いた。その瞬間、ディレンは口角を引きつらせ、ケイは思わず眉をピクッと吊り上げる。二人が声のする方を見ると、そこには人の合間を縫うように走って来る二人の女の姿があった。
「おーい、ケイちゃーん!」
「ちゃんを付けるな! 馬鹿リアン!」
大きく手を振る女を見てディレンは、うるさいのが来た、と嫌そうに呟き、一方ケイは顔を真っ赤にしながら、来るな、と力一杯叫んでいる。余程あの二人、というよりはケイがリアンと呼んでいる女に来て欲しくないのだろう。しかし当然そんな二人に構うはずもなく、女二人は堂々と店の前へとやってきた。
「やっぱよく似合ってる! 可愛いわーケイちゃん!」
そう言ったのは、赤く長い髪を後頭部で結い上げ非常に喜々とした笑顔を浮かべるリアンと呼ばれた女だった。彼女はどちらかというと可愛らしいと言うよりも美人といった容姿をしており、身長も女性にしては高いほうだろう。白いTシャツに青いデニム生地のホットパンツは露出が高く、子供にはあまりよろしくない姿だ。
「触るな!」
頭を撫でようとしたリアンの手をケイがパシッと払いのけると、リアンは、ふーん、と目を細めて呟いた。
「そんな態度取って良いの? 私はお客よ? おしとやかに接客しなきゃダメって言ったわよね。 命令違反で明日も言うこと聞いてもらうわよ?」
「……うぐっ。」
「ほーら、よしよし。おしとやかにねー。」
リアンは大人しくなったケイの頭を満足そうに優しく撫でる。ケイが顔を真っ赤にしたまま握り拳を作ってかすかに震えている所を見ると、相当恥ずかしいらしい。一連の様子を見ていたディレンがふと辺りを見渡せば、いつの間にかギャラリーが続々と集まって来ていた。考えてみれば、男言葉の反抗的なウェイトレスがなだめられているという構図も確かに珍しい。
「リ、リアンさん、ダメですよ。これじゃあケイさんがあまりにも可哀相です。」
そう言ったのは、これまでリアンの隣で何度もそのからかいを制止しようと試みていたが結局タイミングを失ってやっと今止めに入った銀髪の女である。前髪は目にかからない程度に切り揃えられおり、後髪は腰まであるロング。顔立ちは可愛く大きな銀の瞳が印象的な彼女は白のワンピースとその下に黒のレギンスを着ており、その立ち振る舞いには気品が感じられる。
「えー。罰ゲームなんだから良いじゃない。ファニアも撫でておかないと後悔するわよ? もうこんなチャンスなんて二度と無いかもしれないんだから。」
リアンはそう言ってファニアを誘うが、ファニアはチラッと羨ましそうにケイのほうを見ただけですぐさまリアンに向き直り、首を横に振った。
「……で、ですけど、それでも公衆の面前でそれは良くないと思います!」
その様子を見たリアンは、段々気持ち良くなって顔が緩みそうになっているケイの頭に手をおいたまま、目を細めてニヤッと笑いファニアにしか聞こえないように耳元で囁く。
「さてはあんた、ケイと二人きりになって……したいのね?」
「なっ……!」
それを聞いた瞬間、ファニアはゆでだこのように全身真っ赤になった。
「ち、違います!」
「隠さなくても良いのよ。それなら仕方ないわ。二人で宿にでも行って来なさいな。」
「で、ですから違いますってば!」
リアンはクスクスと笑いながら、何がなんだかよくわかっていないケイをファニアの前まで持って来ると、ケイの背中をポンッと押した。
「うわっ!」
「きゃ!」
その瞬間、一部のギャラリーから、おおっ、という歓声が上がった。ケイはファニアの胸へと飛び込み、ファニアはそれを咄嗟に抱き留めている。
「な、何するんだよリアン!」
ケイは余りの恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら後ろを振り向こうとするが、何故か身体が動かない。よくよく見ればケイをがっしりと抱き締めているその腕の力が強く、振り返ることができないようだ。
「……ファニア?」
背筋に嫌な悪寒が走りながらもケイはファニアを見上げた。その表情は頬を赤く染め、つぶらな瞳でこちらを見ている。例えるならそう、可愛い子犬を抱き締めている子供のようである。だが今この時に限っては、ケイの瞳には正体不明の恐怖しか映っていなかった。
「ディレンさん、リアンさん……お借りします!」
「え? ファニア、何言って……うわああぁぁぁぁ!」
完全に暴走し始めたファニアはそう言うと悲鳴を上げるケイを連れ、ギャラリーの合間を物凄い速さで去って行った。そのスピードは圧巻。もしかしたら風よりも速いかもしれない、と残された二人だけでなく周りのギャラリーですら唖然とした。
「……行かせて良かったのか?」
ディレンはしばらく間を置いてから、満足げな表情を浮かべるリアンに視線を向けた。リアンは腕を組み、んー、と人指し指を顎に当てる。
「良いんじゃない? ケイもこれ以上醜態を晒さなくて済むわけだし。」
「いや、そうじゃなくてだな……。」
「ああ、ファニアなら襲ったりしないわよ。あの子、可愛いものが好きなだけだから。単純にあの姿のケイが可愛かったんでしょうね。」
何かのイベントが終わったかのように消えて行くギャラリーを見ながら、リアンはあっけからんと言い放った。一方ディレンは何か心配事でもあるのか、難しい顔をしている。
「…逆の可能性は?」
「へ?」
「ケイがファニアを襲う可能性もあるんだが。一応あれでも14だぞ。」
「………。」
リアンが沈黙するところを見ると、それについては考えていなかったらしい。リアンはしばらくそうしていると突然目を伏せ、他人事のようにこう言った。
「……青春よね。」
「…まぁ、本人達が良ければいいんだがな。」
ディレンはまるで二人の父親のようにそう言うと、うんうん、と頷いているリアンに視線を戻し、誰にも聞こえないように静かにため息をついた。
「で、何があった?」
「え?」
「とぼけるな。また面倒事持ってきたんだろう?」
「あら、やっぱバレてたのね。」
リアンは後頭部を掻きながらディレンの顔を伺うような笑顔を浮かべた。ディレンは、当然だ、といわんばかりのすまし顔をしている。
「お前が俺の所へ来る時はいつもそうだろう。」
「そうだったかしら? 最近物覚えが悪くって。」
「はは……で、何の用だ。」
リアンのボケに苦笑を浮かべつつディレンは話を進める。その反応に一瞬冷たい視線を向けるリアンだったが、すぐさま本題を話し始めた。
「実はね、お母さんとはぐれたっていう女の子がいるの。探してあげてくれないかな?」
「…悪いが、俺はここを離れられない。」
「そんなことわかってるわよ。お母さんは私が探すわ。だから、その間女の子を預かってて欲しいの。」
お願い、と手を合わせるリアンに何か違和感を感じながらもディレンは、それぐらいならいいか、と思い、肯定の意味で頷いた。
それを見たリアンの顔は、一瞬にしてパッと華やいだ。
「ありがとうディレン! じゃあ早速女の子を連れて来るわね!」
「おい、ちょっと待……。」
ディレンが了承したことに気を良くしたのか、リアンはまだ何か言いたげなディレンを無視し、あっという間に人混みの中へと紛れて行った。
「………。」
ぽつんと一人取り残されたディレンは、まぁいいか、と呟いた。そして通り過ぎる人並を見ながら本当にこれで良かったのかと思考する。すると、あることに気がついた。
「……本当に探す気があるんだろうか。」
普通、本当に探す気があるなら自分で女の子を連れて探しにいくのではないだろうか。いや、一緒に探して欲しいと言われるならわかる。だが、何故その手掛かりとも言える女の子を誰かに預ける必要がある。これではまるで―――。
ディレンは思考の末、ある結論に辿り着いた。
「…お守りか。」
ディレンはこれからやって来るであろう災害を思い、今日一番のため息を盛大に吐くのだった。