1-2 やっぱり夢?
「早く食べて仕事に行きなさいよ!」
アンジェがこっちに大きな声をかけてくる。
「へいへい、今日は夢見が悪かったから調子が悪いんだよ。ちゃんと今から仕事には行くさ。」
「ぐうたらしてないで! 家賃が払えないなんて事になったらすぐに追い出すからね」
この赤髪の年下娘は朝から元気なのはいいが、別に朝食を取る時間が遅れて迷惑かけてるわけでもないんだしゆっくり食べさせて欲しいもんだ。
「そういやコーリンとヴェガは?」
「とっくにご飯食べて学校に向かったわよ。私もこれから学校に行くからあんたもしっかりね!!」
そういいながら背中をパンと叩いた後、小走りで自宅玄関へ向かう。
お前は俺のオフクロかよ?そう思ったが口には出さずにおいた。
そういや夢?の世界での一樹の時は「母さん」と呼んでたが俺には向かない呼び方だと思う。
赤髪でダークレッドの瞳を持つ彼女の名前はアンジェ・カートゥ。今15歳だっけ。
結婚は早いにしても年輪都市じゃそろそろ相手を見つけておく年頃だ。あの元気のいい性格も落ち着いてもいいと思うんだが食堂の看板娘だとあれぐらいの方がいいのかね。
男の側の好みも色々だしナ。
アンジェの自宅は1階を自宅と食堂、2階数部屋を下宿として貸し出している。屋号は赤髪亭。
食堂は昼と夜は営業しているが朝は昼の開店に向けての仕込みを行っているだけでなのでこの時間に食堂を利用するのはアンジェの家族と下宿してるやつらでご飯を頼むものだけだ。
家賃とは別に1食ごとに金はかかるが味は悪くないし、部屋では自炊することはできないことから一番手間がかからなくていい。遅く帰ってもアンジェが機嫌を損ねてなけりゃ賄いっぽいものなら作ってくれる。
そんなことを考えながら朝飯を食べてる間にアンジェは制服に着替えるために自室に戻ったようだ。
1年ちょっと前、学校を出て赤髪亭に下宿したばかりの頃、仕事が第8環路脇にある水路工事だった。同じ第8環区にあった学校の近くってことで仕事に向かう時に通学するアンジェと一緒に赤髪亭を出ていた。
店子と大家の関係は良い方がスムーズに行くと思ってそうしていたのだが、親しくなったらなったで食堂で使う食材の運搬だとか仕込みで食材を切るとかの手伝いまでさせようとするのは閉口した。
朝食を済ませてアンジェが詰めてれた弁当をバッグに入れる。
安い弁当に入っているものよりは柔らかめに焼いてあるパンとローストビーフを少し乾燥させたような干し肉、ピクルスのような野菜の漬物とポテトのマッシュ、都市内で飼育されている大型の鶏が生んだ直径10cm程度もある卵で作ったオムレツ(ちなみにこれはパプアニューギニアにいるツカツクリの卵のように黄身がほとんどで旨い)が入ってる。
大き目の水筒に食堂のやかんに入っているお茶を移し、弁当と一緒にバッグに入れて仕事の現場に向かう。
年輪都市でも外側に近い位置にある赤髪亭だが街の外壁に向かうには普通に徒歩では到底仕事に間に合わない。そりゃ数百万の人間で構成された街だからその広さも推して知るべし。
直径10万メイト(日本でいえば100km)ほどもあり、外壁の中には畑地区もあれば公園も繁華街もある。家に籠って暮らすだけなら遠くに行く必要はないのだが田畑地区への移動や仕事場が遠い場合、都市内の長距離移動には空間を曲げてつなげている「歪門」と呼ばれる門を通ることになる。
今の仕事の現場である街の外に出るために東-9-1-中と刻まれた門を通ってまずは年輪都市の中心部の大広場へ、ここは他の地域に向かう様々な歪門が設置されているハブだ。
そこから今の現場の城壁真南に出るための6番大門と書かれた大きめの門をくぐる。そうすればもう直径10万メイト近くもある年輪都市を取り囲む城壁の南の大門の横に作られた歪門を背して町の外に出ることになる。
中央部に向かう歪門へ歩いて向かいながらカイルはこの世界と夢?の世界である日本での生活を思い出す。
カイルにとっての年輪都市の常識、夢?の中の日本人:四方堂一樹の日本の常識、それらの2人分の記憶の中で暮らすそれぞれの常識、いや世界の違いを思い浮かべながら比べてみる。
こちらの世界には巨獣がいて恐れられている。
人を襲って食べる野生動物の存在に関しては日本だって時折野生のツキノワグマに襲われたり、イノシシが出没して負傷させられたニュースも聞くことがある。
そもそも大型犬に襲われたら普通の人じゃ敵わないだろう。
武器を持たない人間は生物では強者側の部類でないことは日本でも同じだし、年輪都市でも巨獣が恐ろしい存在とされているのは理解できる。それにこちらの巨獣は日本の世界よりも大きく、人間を遠巻きにするのではなく、好んで襲ってくるのだから。
大きく違うことはいくつもあるのだがその一つは異法と科学の違いだ。
カイルが夢の中で一樹として16年ちょと過ごしてきた記憶では世界の理を科学で解明しようとし、それらを応用した数々の便利なものがあった。それらのものの原理は自分が知らないだけで理路整然と説明できるものだ。
ところがこの世界にある異法ってものは一樹の記憶からすると魔法みたいなもんだ。
カイルが過ごすこの世界にある人がその五感や身の筋力以外に行使できる力。一樹として向こうの学校で学んでいた物理学でいう質量保存の法則なんて全く無視してるように思える。
そんな力を使えるものの存在が稀ではなく、呪文などその力を使うために特別な行動は必要としない。
それらを使える者は異法士と呼ばれている。
技術であるゆえに修練は必要とするが、人々はその力を当たり前のものと享受している。詳しい理屈は知らないまま、発現する事象を経験としてわかってるようだ。
(少なくともこの世界で17年ちょっと暮らしてきた俺はそう思ってる。)
土を操ったり、大気中から水分を集めたり、風を操ったりと一体その物理的な力はどこから来ているのかとこの世界に神様がいるなら小一時間問い詰めたいと思うが、一樹の知識を探っても日本で使う携帯電話やTVがどうやって話せ、視聴できるのかの仕組みは知らない。
科学知識がないミトラ世界側のカイルからするとそっちの方がよほど魔法のように思える。
日本の科学、ミトラ世界の異法は互いに「わけがわからないもの」だ。
そこまで考えながらいつの間にか町の外に続く歪門をくぐっていた。
「よぉカイル、おはよう。あともうちょっとしたら現場に向かうから、もうちょっと待っててくれ。」
都市防災課の外壁部門南部支部から来た現場監督のロットが声を掛けてきた。
門の外側には俺が作業してるところとは別の場所の城壁修復の仕事をしてる連中や狩人チームが大森林へ向かうために集合しており、結構な人出となっているのだが現場監督は歪門の近くに立って自分が連れていく人夫に声を掛けて集めていた。
声を掛けてくるってことは既に自分の監督下の人間の顔も名前も覚えてるってことだ。若いけど1人で現場を任されてるだけあって優秀だ、彼はデキる人だね。
ここ数週間の予定で入れている仕事は都市防災課からのもので風雨により崩れたらしい城壁場所の修復だ。城壁が傷み易い場所は出入りする人を狙う巨獣が体当たりすることが原因で門の近くが多い。門から離れたところは頻繁に人が訪れないため、城壁上からの確認では気付かないうちにヒビが入り雨水などが入って崩れている場合がある。今回の仕事はそういった門から離れた場所の修復現場だ。
「全員集まったようだし行きましょうか。弁当は各自忘れないように持って行って下さいね。門から離れた現場ですから昼休憩の時間だと歪門を通っても町へ食べに帰ることはできませんので。」
ロットを含めて30人の男たちは外壁に沿って5000メイトほど先へ歩いて向かう。作業現場で現地集合でなく、まとめて移動するのは巨獣が襲ってた場合のためだ。
30人は現場で修復作業をする人間だけでなく、巨獣と戦える訓練をした異法士も参加している。移動中だけでなく作業中にも彼らは周りの警戒に当たることになる。
現場についた俺たちは修復材料、用具を内側に入れておくために臨時で開けられた小さな入口に各々の荷物を置いて仕事にかかる。
俺の仕事は崩れた城壁の石などを一度出してから積み直すこと、そしてその間にある砂などを集めること、足りない場合その辺に転がってる石や埋まっている石を掘り返してくることもある。
ここで活躍しているのは土の異法士だ。俺たちが積み直した場所に異法を掛けて石や土の異法で作った砂のブロックを接着材で固めたように強く固定した上に隙間に砂を操って固定していく。
砂を操って固定できるなら砂を大量に用意して固定化して壁にすればいいじゃねえかと思うが城壁の外は町が拡張されるまでは巨獣が闊歩していた大森林があったところ。つまり土だ。
土は固定しても中に植物の種が入っていたりすると崩れやすくなるし砂を固定すれば砂の粒子の隙間から水は抜けるが土は保水していずれ崩れてしまうので早くダメになってしまう。だから砂を固定したブロックを積み上げるか石を積むんだとさ。
土の異法士は俺たちがやってる作業も異法で出来るわけだがなんでも異法士にやらせると仕事がなくなってしまうため早急の修復や非常事態時などは異法を持たないものと仕事を分けている。
まあ異法を使えば源力が無くなるわけだし、なんでもかんでもできるわけでもないわな。それにたとえ異法が使えても力が弱くて仕事に生かせないやつもいるし、俺たちみたいな異法が使えない奴にもちゃんと仕事を作ってくれる都市の仕組みには感謝だ。
その作業の間、警戒、戦闘担当の異法士は何をしてるのかというと雑談をしながら視線を城壁外500mほど外にある大森林に向けている。都市はその拡張で大森林を切り開いてきたが城壁のすぐ外まで大森林を残すと害獣の接近を許しやすいため、城壁の周りは木を切り倒して見通しを確保し索敵しやすくしている。
こっちが肉体労働している間に雑談しやがってと思うこともあるが彼らは巨獣が襲ってきた場合、体を張って戦うためにいる。襲ってこないなら楽な仕事だが襲ってきたらどうなるか?そもそも彼らが必ず勝てる巨獣が襲ってくるとは限らないのだ。それでも俺たちを護るために雇われているので命を張ることとなり、その命を落とすことだってある。その危険があっても城壁での労働者の護衛だと城壁内に避難できる確率も高いため仕事料は高くはない。
もっと稼ぎたい、そしてそれが可能なほどの戦闘力を持った異法士なら狩人をやってるだろう。
今日も単純作業で午前が終わり、3歳上のロットと飯を食いながら嫁さんのことで惚気られ、昼からの仕事を終えた。その場でカードを物質化させてロットから日払い料金をチャージされてから、日本時間でいう4時ごろ全員で歪門へ向けて帰る。
肉体労働はいつものことだし、作業中は特に考えないで済むのでそれほど身体の疲れはしないのだが、気にしないことにした朝から続く夢?の記憶だか別の人生の記憶だかが原因で気疲れを生じさせていたようですぐに眠りたい。
赤髪亭に一旦帰ってから着替えを持って銭湯に向かい、馴染みの獣人族のおっさんと世間話をしながら隣り合って体を洗う。
獣人族は混血具合でも異なるが頭部から肩、背中にかけても体毛があるので体を洗う時に石鹸で泡立てるとモコモコになってる。
銭湯から帰って身体のほてりも収まったら一階に下りて、夕方の営業をしている赤髪亭の食堂で飯を喰う。
「今日は結構繁盛してるな。卵定食を頼む。」
厨房と客の間を行き来しているアンジェに注文する。
「ほいきた! で、忙しいし手伝ってくれたら夕飯代まけとくけど手伝ってくれる?」
食堂赤髪亭は厨房にお袋さん、厨房と給仕がアンジェの2人だから夕食時はかなり忙しい。とはいえアンジェが帰ってきてることは学校も終わってるし、コーリンもヴェガも給仕を手伝ってるようだ。
「悪いな。今日は疲れてるんで早めに休みたいんで手伝いはなしで。」
「今日は暑かったから疲れが出たんじゃないの?あたしが作った卵定食食べたらさっさと寝るべし。」
「べし」ってなんだよ……
しばらくして運ばれてきたのは食べ応えを考えてか少し固めのパンと大皿に豚に似た触感の肉のソテー2枚とウズラのような大きさの茹で卵が2個、にんにくの匂いがする玉ねぎっといった感じの野菜を刻んで炒めた物が入ったオレンジ色のオムレツが乗ったもの。
17歳の肉体労働従事者には物足りない気もするが実はオムレツが見た目よりもかなり厚いものなのでこれでいい。普通の客に出す卵定食のオムレツよりも卵が多い気がするのは多分サービスだろう。アンジェに感謝!
セルフサービスでないので皿を下げる必要はないが同じ下宿人達に伝言があったので厨房にまで皿を持って行きアンジェに声を掛ける。
「皿は置いとくぜ。今日は早めに寝たいからコーリンとヴェガにあんまり騒がないように伝言頼む」
「わかったわ 仕事しないデカイのが出入口にいると邪魔だからさっさと出る!」
「じゃ 早いがおやすみ」
「いくらなんでも寝るには早い気がするけど…… でも疲れを取るには休息が一番ね。おやすみ。」
体は疲れてないんだがね。
とりあえずは明日は四方堂一樹って記憶が無くなってることを期待して早めに休むことにしていつもの堅めのベッドに寝転がる。
だが肉体労働の代わり映えしない毎日に変化があったのは嬉しかったな。
日が沈んで涼しくなってきたな。そう思いながら早くも意識は沈んだ。
-ピピピピピピピ-
いつもは目覚ましがなる前には起きるのだが今日は熟睡していたようだ。
あれ?ここは……
またも混乱
しかし昨日?も同じことを経験したはずだ。冷静になってまずは落ち付け。
そう思ってベッドに寝たままで目にうつる部屋をみる。
友人から借りた読みかけのラノベ(ちなみに異世界冒険のハーレムものだ。)がベッドの下に落ちており、壁には明日から着る学校ブレザー。
机の上にはここ2週間使ってなかったかばんが置いてあり、ベットの枕元には携帯が転がっている。
とりあえず携帯で日付を確認しようとする手を見て夢のカイルのように日に焼けていない自分の手だと実感とともに安堵する。不自然なまでに現実感というよりもあまりに自然に現実と思えた夢のせいでカイルのまま日本に来たのかと思ってしまったのだ。
しかし日付はカイルとして過ごした一日を見る前の土曜日の次の日、日曜日のものだった。
やっぱアレは夢だったのか。
夢の中で現実のことを明晰夢かもって思ったけど同じことを今思うなんてな。これも既視感っていうのか?
身を起こし夢の中の自分:カイルがそうしたように混乱が残るまま歯を磨く。
しゃこしゃこしゃこ
あっちで使う粉の歯磨き粉でなく、チューブに入ったミント系の歯磨き粉の強い清涼感を感じながら鏡を鏡を見る。
坊主頭に寝起きの割には肌つや良好、カイルのように筋肉がない上にちょっと華奢な感じの肩や腕。鏡に写る自分を睨んでみるがあんまり迫力はない。
磨き終わってから口を濯ぐ。僕は先に歯磨き、あとから洗顔派だ。石鹸を良く泡立ててから顔に付けて洗う。以前は手で擦りつけるように洗っていたが、母さんが正しい洗顔法ってのをTVで見たらしく僕に教えてきた。
僕の年頃は親をウザがる同級生も多いが子供のころから母子家庭で家にいないことを謝られていたので母さんをウザがったりするようなことはするつもりもない。
子供のころは母さんが居ない間は図書館に置いていかれることが多かったせいで雑学も増えたしね。おかげで外見で特徴もない(フツメンだと思いたい)僕に薀蓄語りの特徴ができたし。
母さんが作った卵とベーコンを焼いたものをトースターで焼いた食パンに挟んで食べながら共用のノートパソコンを開く。
さっそく明晰夢と打ち込んで調べてみたのだが 少なくとも僕が昨日見た夢は明晰夢とは違うようだ。
そもそも明晰夢とは何かってことだが「夢であると自覚していながら夢」とある。それにその夢の中では自分の思い通りに行動できることがあるとも。
年輪都市にいたカイルが明晰夢で見た自分というなら夢であると自覚?も思い通りに行動していることもあてはまるが、それじゃ夢の中の自分の過去の記憶なんてものまで夢で見るんだろうか?
今までカラーの夢は見たことはあるけどあんなにリアルな一日を夢で見たのは初めてだ。特に夢日記なんてものも付けたことはないんだけど。
向こうの自分のカイルは実害は無いといって特に気にせずに過ごしていたから僕もそうするべきなんだろうな。でも心の病気かもと思うとそうそう気楽に放置する気にはなれない。僕の心が病んだら母さんに迷惑がかかるし。
そういえば年輪都市ではカイルは母親とはあまりうまくいかないまま死別していたな。
カイルはすでに両親はいないが僕には片親だけだけど母がいる。カイルみたいな重い事情はここじゃ起きないんだから家族は大事にしたい。
朝ご飯を終えて母さんを送り出し、バイトがない今日は友人から借りたラノベを読みすすめるつもりだったけど気晴らしに出かけることにした。
まだ店が開く時間じゃないし特に買いたいものがあるわけじゃないが三宮に向かうことにして家を出た。
こんな設定説明なんてものを主人公に説明させてるようじゃダメですな。登場人物の掛け合いで明らかにしてかないといけませんが私にはそこまで書けません。
1メイト=1メートル
登場人物
アンジェ・カートゥ(15) 食堂『赤髪亭』の一人娘 赤い髪 ダークレッドの瞳