《色移ろふは花とヒト》
[2-4]
別に、さほど肩入れしているつもりはなかったんだ。
元々、横暴な教師に無理矢理呼び出されてのことだ。花壇にも、園芸部にも、何の思い入れもなかった。
――逢花にだって。
出会っていなれば、何も知らなければ、俺は今頃呑気に惰眠を貪って、望み通りの日々を送っていただろう。
……だけど、もうだめだ。だって俺は知ってしまった。小さくとも美しい花壇の存在を。出会ってしまった。小さくとも、何より美しい花を。
肩入れなどしていない、と。……そう嘯いたところで、俺は今、こんなところにいる。
「――境守?」
少し驚いたような声が、背後から聞こえた。
俺はささやかな花壇を眺めるのを止めて、振り返る。
そこには、予想通りの少女の姿。
「……よう、逢花。遅かったな」
言ってやると、逢花は慌てたようにぱたぱたと駆け寄って来て、二日の間にすっかり慣れてしまった距離で、俺の顔を見上げた。
「何が遅いものか! まだ八時前だぞ! 授業もないのに、お前が来る時間ではないだろ――とゆーか、まさか今日も来てくれるなんて思わなかった。だからこそ、気まぐれでこんな早い時間に来たと言うのに……。もし私が遅く来ていたら、それまで待つつもりだったのか?」
「ああ。……どうせ暇だからな」
すでに二時間待っていたとは言えなかった。
逢花は、どこか複雑そうに苦笑して、
「……呆れた奴だ。そんな熱心に通い詰めても、良いことなど何もないぞ。精々、みすぼらしい花壇と可愛げのない女が見られるくらいだ」
嘆息混じりのそんな言葉。
「何だ、やっぱり俺なんかが来ても嬉しくないのか」
少しばかり拗ねたように言ってみると、
「ばか、そんなの――嬉しいに、決まってるだろっ」
赤い顔を背けるようにして、逢花はそう言った。
逢花のそんな素振りは微笑ましくて、思わず笑ってしまいそうだった。……むしろ、そうするべきだったのかも知れない。
けれど、聞かなければならなかった。それが、今日ここに来た理由だったから。
「――花壇……なくなるって、本当か?」
花の世話を始めた小さな背中に、そう尋ねた。
ぴくり、と、僅かに背中が強張ったような気がした。
「……ばれてしまったか。いやさ、知らぬ方がおかしいか。何事に於いてもパッとしないウチの学校にとって、期待の星だからな、今年の野球部は」
どこか諦観したような笑みを含んだ言葉。
「本当なのか」
改めて問うた。部活動どころか、学校生活そのものに興味のない俺にとって、野球部の功績など何の現実感もなかったから。
「本当も本当さ。もう一週間もしないうちに、この場所は更地になる。もう来月の頭には、立派な記念碑が設置されるらしい。夏の大会前に、景気づけと言うかな、背中を押しておきたいんだろうな、学校も」
ははは、と逢花は笑う。そこにどんな感情があるのかなんて分からなかった。
だから、問うた。問うても、意味のないことなのは分かっていたのに。
「……いいのかよ、それで」
「……どうにも、なるまいよ」
逢花は、小さく嘆息した。
「学校が決めたことだ。私一人が騒いだところで何にもならん」
「一人って……香月センセとか、他の部員とかもいるだろ」
今更と言えば今更な質問を――何故、してしまったのか。
「香月先生はしっかり者だが、まだ若いからな。校内での発言権はそう大きくないのだよ。それに……他の部員などいない。園芸部は、私独りだけだ」
その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「一人だけ……?」
「そうだ。今時の学生が、わざわざクラブ活動で花を育てたり土いじりをしたりなどするものか。来年、私が卒業した後には、廃部も決まっている。……だから、丁度良いのだよ」
その淡々とした呟きは、余りにも寂しかった。
だから。
「……納得いかねえよ、俺は」
そんな、ガキみたいなことを呟いていた。
それがおかしかったのか、逢花はくすりと笑った。
「お前は我が儘だな、境守。我が儘で――……凄く、優しい男だな」
そう言ったきり、逢花は何も言わなかった。
だから、俺も黙っていた。
「……私はな、境守」
と。やがて根負けしたように口を開いたのは、逢花だった。
「私は……小学校に入学したその日、皆の笑い物になったのだ。理由は簡単だ。母上が見立てた晴れ着だったからな。それも半端無く気合いが入っていた。笑われて当然だ。
……当然だったんだ。けどな、私は、それまで母上の趣味がおかしいなどと思ったことはなかったし――正直に言ってしまえばな、私自身、それを愛していたのだ。……それは、今も変わらない。
ずっと、偽ってきた。私が愛するものは、尊いと思うものは、おかしいのだと。異質なモノなのだと。価値観の共有など望むべきものではないのだと」
そこまで言うと、逢花はふいに立ち上がって、俺を正面から見た。……その瞳が、何かを訴えかけるように潤んでいた。
「お前は、違った」
背筋を伸ばして、逢花は言った。
「お前は、私を可愛いと言ってくれた。私の夢を、笑わないでくれた。私の小さな花壇を、惜しんでくれた。……だから、もういい。もういいんだ……」
――そうして。
まだ言い終わりもしないうちに、逢花は俺の胸に顔を押しつけた。背中に回された腕は、まるで宝物を抱える子供のように、きつく、きつく、俺の体を、心を、締め付けていた。
「……お前に、私の花壇を見せることができて……良かった」
くぐもった声が、俺の胸板と彼女の間から漏れる。
俺は、彼女の真意も、自身の心も、何も分からないまま――ただ、震える小さな身体を抱いていることしかできなかった。
【つづく】




