《色移ろふは花とヒト》
[1-4]
世の中には信じられないことと言うのが往々にしてあるもので、例えば、小学生みたいな体躯をした女が実は年上であったりとか。
しかし、彼女に聞かされた昔話は、それよりも余程空想めいた話だったので、
「……やっぱ嘘だろ?」
そんな疑問が、いつまで経っても俺の中から消えることはなかった。
「嘘じゃありませんよ」
困ったように、彼女――香月センセは苦笑した。
「いやでもよ、俄には信じがたいぜ――あんたと優さんが、学生時代ライバルだった……なんて、さ」
優さんの病室で、一頻り昔話を聞かされた後、朱色の夕陽が照らす帰り道。俺と香月センセは肩を並べて歩いていた。
思い返されるのは、先ほどまで聞いていた昔話だ。
香月センセと優さんが知り合ったのは、丁度俺らくらいの年の頃。
香月センセは今に輪をかけた堅物で、一方の優さんは、今と変わらずとぼけた笑顔を皆に振りまいて、いつも皆の笑顔の中心に居るようなヒトだった。
勉強しか能の無かった香月センセは、どちらかというと集団から孤立しがちな女生徒だったが、優さんはその気安さと言う名の図々しさで、瞬く間に香月センセを自分のテリトリー――『緋蔭優時空』に取り込んでしまった。
それからと言うもの、二人はいつしか親友と呼べる関係になっていったわけだが――そこまではいい。そこまでなら、別に疑うべき要素はなかった。
信じられなかったのは、あの優さんが、あのとぼけた女が、この香月梗子女史がライバル視するほどの――才女であった、と言う事実。……いや、事実だとは到底思えないのだが。
「言っちゃ何だが、俺、あのヒトに知的な部分なんて感じたこと無いぜ?」
「酷い言いようですね」
苦笑しながら、センセは言う。
「彼女が才媛であったのは間違いありませんよ。だって、私、文系以外の教科であの子に勝ったことなんてないですし、総合ではいつも負けていました。それに、地味な一生徒でしかなかった私と違って、彼女は生徒会長なんて言う肩書きまで持っていましたからね」
「……まあ、人望はありそうだけどな」
それだけは分かる気がする。実際、病院でも彼女は人気者なのだし――俺自身、惹かれているのは否めない。
複雑そうに眉を寄せる俺が愉快だったのか、センセはふと、くすりと笑った。
「やっぱり敵いませんね、あの子には。私のできなかったことを、こんなにもあっさりとしてしまうのだから」
言って、眼鏡の奥の瞳を少しだけ寂しそうに揺らした。
「? どう言う意味?」
問うと、センセは改めるように優しく微笑んで、続けた。
「昔……私や優と同じ学校に、一人の男の子がいました。学校中から不良のレッテルを貼られて、でも他の悪い子達とも連むことなく、いつも孤立していた男の子。
私は彼に何かしてあげたくて……助けてあげたくて。でも、何もできなくて。
……結局彼は、私の手の届かないところに行ってしまった。
境守君を見ていると、彼のことを思い出します。よく、似ています。外見とかではなくて――ヤマアラシみたいなところ、とか。
だから、ついついキミに肩入れしてしまいます。世話を焼きたくなってしまいます。笑わせてあげたいと……優しい顔をさせてあげたいと、思ってしまいます――……教育者、失格ですけどね、こんな私情を挟んでは」
言って、センセは自嘲的に笑う。
「いや……そんなこた、ねえと思うけど……さ」
条件反射的に答えつつも――その実、俺は上の空だった。そんなことよりも、余程気になったことがあったから。
「……優には敵わないです、ほんと」
そう言って、寂しげに笑うセンセ。
俺は僅かに黙してから、尋ねた。
「……そいつのこと、好きだったの?」
我ながら、どうでもいいことを聞いたものだと思う。色恋沙汰なんて、俺に似合わないこと甚だしい。……それでも、尋ねずにはいられなかったわけだが。
センセは何も答えなかったが、夕陽に照らされた朱い顔が、一瞬、恋する少女のようにあどけなくはにかんだような気がした。
「……昔のことですから。……それでも、やっぱり肩入れしてしまいますけど」
しばらくして漏れたその呟きは、今までの話の続きのようであって、その実違うような気もした。僅かに潤んだ彼女の瞳に映るのが、俺ではないような気がした。
それはただの猜疑心だったのか――或いは、子供染みた嫉妬だったのか。
何にしろ、俺にはそれ以上、彼女にかける言葉が見つからなかった。
俺達は言葉もなく、肩を並べて歩く。堅物の女教師とひねくれ者の不良学生。変な組み合わせ。……だけど、居心地は不思議と悪くない。
そう言えば――と、一つ聞かなければならなかったことを思い出したが、しかし、俺は言葉を飲み込んだ。
俺達を空から照らす朱い夕陽も、今は黙っていろ、と。……そう、言っているような気がしたから。
【つづく】