《色移ろふは花とヒト》
[1-2]
恐らくは、150センチあるかないかだと思われる。何せ、俺の視界に入らなかったのだ。けして背が高い方ではない、ひなたや神山とて、そんなことはない。明らかに、平均を大きく下回る上背である。
おまけに、薄手の夏服ですらほとんど押し上げることのない、残念な胸元。これまた、けして恵まれているとは言えない前述の二人よりも、さらにしょんぼりである。
控えめに言って、ちんちくりんの幼児体型だと言えよう。
――正直にそう言ったら、眉間に手刀を叩き込まれたわけだが。
――誰がマニア受けのツルペタ幼女かっ!
いやそんなことは言っていないのだが、なんて俺の言葉も聞かず、そいつは特徴的な八重歯を覗かせながら、しつけの悪い犬っころみたいに『がるるる』なんて唸っていた。
彼女の名は、大杉 逢花と言った。
信じられない話だが、その制服に付いたリボンの色を見るに、上級生だった。小学生だと言われても疑わないのだが、年上なのである。嘘のようなホントの話だ。
ともかく、その逢花とやらが件の園芸部員であると言う以上、俺はそいつを手伝ってやらねばならなかったわけだが――……さて。俺の助けなんぞ本当に必要だったのかどうか、甚だ疑わしかった。
顔を合わせてからおよそ小一時間。俺のしたことと言えば、近くの水飲み場から散水用のホースを引っ張ってきたことくらいで、後はずっと少し離れた木陰で、花の世話をする麦わら帽姿の小さな少女を眺めていただけだ。
……今も、それは変わらない。俺は変わらず木陰でぼーっと逢花を眺め、逢花は額に汗しながら、せかせかと花の世話をしている。
外野からただ眺めるだけの俺と、花の世話に一人没頭する逢花。
俺達の時間は、大きな隔たりの中にあって、けして交わることはない。
……俺とあいつの間には、実際の距離よりも広く、そして深い溝があるように感じられた。
当然だ。あんなに一生懸命になって花の世話をするような女が、俺なんかと関わって良いはずがないんだ。……俺は、境守起陽は、命を育むなんてスウコウな行いとは、対極に位置する存在なのだから。
――だが。
そろそろ、午後1時を30分は過ぎようかと言う頃だ。
ふと何かを思い出したように立ち上がった逢花は、近くの陽影に置いてあった手荷物の中から大きなレジャーシートを取り出して、その上に何やら荷物を広げ始めた。
俺は怪訝な思いでそれを眺めていたが、間もなく彼女は満面の笑みで振り返って、俺を手招きして見せた。
「? ……何だ?」
無意識に呟きを漏らしつつも、俺の足は彼女の元へ向かっていた。……けして、何かを期待していたわけではなかったのだが。
逢花の元に辿り着くと、眼の前には不思議な光景が広がっていた。
「……昼飯、か?」
思わず、間抜けな言葉が漏れた。
だが、逢花は特に何も思わなかったのか、至極当然と頷いて、
「うむっ、お昼ご飯だ! わたしのお手製だぞ、喜ぶが良いっ!」
そう言って、口の端に八重歯を覗かせながら、子供のように屈託なく笑った。
眼の前には、小さくとも色取り取りの花が咲く花畑と、そしてそのすぐ側に、これまたファンシーな花柄が目立つランチセット。
……何なんだ、このむず痒いような感覚は。
「……言葉遣いのわりに、少女趣味なんだな」
「んなっ……!?」
ぽつりと漏らした俺の呟きに、逢花は瞬間、顔を真っ赤にした。
「ちちちちちっ、違うぞっ! こっ、これはあくまで母上の趣味であってだなっ、本来ならわたし自身わ忌避すべきモノなのだっ! なのだがっ! 今日はちょっと致し方なくというかだなっ! 二人分のお弁当など詰めたことなどないわけでっ、当然ぴったりのお弁当箱など持っているわけもなくっ! 母上に相談したらこんなことに、だなっ……!」
上擦った早口で捲し立てる言葉は、ほとんどよく分からなかったが、
「あ? 二人分?」
それだけが耳に残った。
「二人って……誰と誰よ?」
問うと、逢花は耳まで真っ赤にして叫んだ。
「~~~~っ! ――ええいっ! 皆まで言わせるな意地の悪い奴めっ! ぐだぐだ言っとらんでとっとと座れっ! 座らんかっ!」
剣幕に押されてレジャーシートに腰を下ろすと、逢花はようやく落ち着いて、言った。
「……まったくっ……この状況で二人と言ったら、わたしとお前しかいないだろうがっ……」
――つまり、眼の前のこれは、俺のために用意されたものだと言うことだった。
……正直、自分の身に何が起きているのかよく分からない。
突然、横暴な女教師からの電話で叩き起こされたかと思ったら、園芸部の手伝いをやらされることになった――と思ったら、大した作業もしていないのに、そこそこ手の込んだ手製弁当など、ご馳走になっている。
香月センセは、いったい何がしたかったのか。何をさせたかったのか。
逢花は、何をさせたかったのか。……俺なんかと、何がしたかったのか。
……分からないことばかり。
結局、この日俺に分かったのは、小さな花壇に咲いた花々の美しさと――それを眺めながら頂く、逢花の手製弁当の旨さだけ。
――それだけだった。
【つづく】