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《色移ろふは花とヒト》

[3-3]


 入学してまだ間もない頃、俺は当時の最上級生を殴り倒したことがある。白昼に、校内で。公衆の面前で、だ。

 と言っても、俺からいきなり襲いかかったわけじゃない。

 ……理由は、何であったか。因縁をつけられたのは間違いない。何か、とんでもなく鬱陶しい理由で絡まれたのだ。とんでもなく鬱陶しくて――許せない理由で。


――こいつらやったの、テメーか?


 確か、そんな台詞だった気がする。

 ……こいつら?

 ――そうだ。確かあの時、あの男以外に誰かがいた。……三人。三人だ。一つ上の上級生が三人。……三人? その人数には覚えがある気がする。


 とどのつまり、報復か。正直顔など覚えていなかったが、俺が、その三人を殴り倒したことがあったのだろう。

 だが、当時の俺には意味が分からなかったし、顔にも見覚えがなかったから、「知らねーよ」って、そう言ったんだ。

 そうしたら、奴はどうしたっけ。

 ……そうだ、確かこう言った。


――中庭で、こいつらやったんだろ?


 中庭で。……言われてみれば、覚えがないわけではなかった。

 俺は、ヒトと群れるのが好きではない。集団行動と言う名の一括管理を強いられる学校生活に於いては、できうる限り独りになれる時間、場所を模索して生きている。

 あの時も、入学したばかりで勝手の分からない校内を、独りになれる場所を求めて歩き回っていたのだ。

 その途上で、その場所に通りかかった。

 校舎の壁に囲まれた、小さな中庭。全くないわけではないが、それでも日当たりの少ない暗い場所。人影もほとんどなく、オブジェ的な何かが設置されているわけでもない。物寂しい、忘れられた場所だった。


 一見、俺が棲むに相応しくも見えたが、だめだ。無人と言う訳じゃない。それに、これではまだ明るすぎる。草木も生えない場所でなければ、俺には似合わない。

 そこに在る僅かな人影を一瞥して、俺は踵を返そうとした。

 ――だが。……何の気まぐれか、俺は足を止めてしまった。

 声が、聞こえたから。

 荒々しい声のやり取り。明らかな口論だ。こんな静かないい場所で何を。……いや、昔から、馬鹿共が悪さするのは、静かで人気のない場所と相場が決まっているか。

 呆れながらも、しかし、俺は立ち去ることができなかった。理由は――何だったか。


 中庭に足を踏み入れると、程なくして、口論の内容が耳に入ってきた。


――だからっ、ボール取るだけだって言ってんだろーがっ!


 不快な声だ。相手と理解し合う気など欠片ほども感じさせない、自分本位で身勝手な声。


――そんなことを言って、また私の花壇を踏みつける気なんだろう!


 気丈な声が、不快な声を迎え撃つ。

 ――そうだ。立ち去れなかったのは、その気丈な声のせいだ。


――はあ? 何言ってんだこの女、そんなん知らねーし。

――嘘をつくな! 花壇に残った靴跡を何度も見ているのだ、私はっ!


 口論は続く。俺には、どちらの言い分が正しいのかなんて分からなかったし、そもそも詳しい事情も分からなかった。

 ……だが。その不快な声が、余りにも耳障りだったから。

 気がついた時には、右手に鈍い痺れが走っていた。……ヒトを打倒した時の、胸の悪くなるじんじんとした鈍痛。

 何かを問うわけでもなく、誰かを想うわけでもなく、ふいに振るわれた暴力。それに、彼らはどんな感情を抱いたのだろう。大した抵抗も言葉もなく、怯えたように、奴らはその寂しくも優しい場所から立ち去った。


 ……何をやっているんだろうな、と自嘲的に思った。こんなことをしたって、誰が得するわけでもない。誰かが喜ぶわけでもない――無論、俺自身も。

 別に、何か思惑があったわけでもないし、誰かを喜ばせたかったわけでもないのだ。……だから、そいつの姿も、当時の俺の眼には映っていなかったのかも知れない。

 でも、意識していなかっただけで、そいつは、その時も、そこにいたのだ。

 ――小さな花壇を守る、小さな少女は。


「――そう言う……ことかよ……」

 悪態をつきながら、俺は寝床から身を起こした。全身が汗でびっしょりと濡れている。

 カーテンの隙間からは、熱を運ぶ真夏の朝日が差し込んでいた。

「っ……一年以上も前のこと……覚えてられるわけ……ねえだろが……」

 一年以上も前のこと。そんなの、夢でもなければ、思い出すことなんて出来やしなかった。

「……一年以上も」

 ――そう、一年以上も。

「俺の馬鹿げた気まぐれなんて……覚えてんなよ、馬鹿が……」

 ……ほんとに、馬鹿げてる。何の得もないことで拳を痛めた俺も――それをいつまでも覚えている、あいつも。

 だけど、悪態をつきながらも、俺は自らの顔を覆った両手を外せないでいた。だって、その顔は余りにも無様だったから。鏡を見なくたって分かる。けして世間様に晒せない顔をしているのだ、俺は。

 顔は晒せない。晒せるわけがなかった。


 こんな無様な――涙だけは。




【つづく】

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