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《色移ろふは花とヒト》

[3-2]


 雨は、その日の夕方にはもう上がっていた。翌日は、前日が嘘のような良い天気で、花壇の手入れをするには持って来いの陽気だった。

 そんな陽気とは裏腹に、俺のココロに掛かる雲は未だ晴れてはいなかったが、それでも、会えば何かが分かるだろう……と。優さんは、そう言った。今一番してはならないのは、彼女を避けることなのだ、と。俺は、彼女の側にいるべきなのだ――今は。

 ……だから、俺はまた、小さな花壇と小さな少女が待つ、この場所へとやってきた。


 ――だが、今日のその場所は、これまでと少しだけ様子が違っていた。

 花壇があり、逢花がいる。それは変わらない。けれど今日は、それ以外に数人の生徒の姿が見えた。

 男子生徒が三人。逢花と正面から対峙するように立っている。

 逢花はと言えば、その三人の前に立ちはだかるように仁王立ちだ。表情は、俺に見せるのとはまるで違う強張ったもので、まるで、眼の前の三人から背後の花壇を守ろうとしているかのように見えた。


 遠目で状況はよく分からなかったが、それでも、俺が遠慮する理由はなかった。むしろ、急いで逢花の元に駆けつけなければならないような焦燥を感じていた。

 焦燥に背を押され、俺は歩みを進める。近づくにつれ、彼らのやり取りが聞こえてきた。

「――からよ、どうせもうすぐ潰すんだろ」

「それがどうした! お前達に関係ないだろう!」

 予想通りと言うべきか。逢花の言葉は、会話と呼ぶには余りにも荒々しいものだった。

 ……?

 ――ふと。不思議な感覚が過ぎる。脳裏を掠めるふとした違和感。……これは何だ?

 だが、四人の口論は、俺の疑問の解決を待ってはくれなかった。。


「関係ねえ? んなわけねえだろ、俺達ゃ、一応野球部だ」

「そうそ。ここにゃ、俺達の輝かしい功績を称える記念碑が建つんだから」

「それとこれとは話が別だ! 工事までにはまだ日がある! それまでこの場所は、園芸部の――私の管理下だ! 勝手なことは許さない!」

「何が園芸部だ、テメー独りしかいねえくせに、いきがってんじゃねーよ」

「つーか、女のくせに生意気なんだよテメーは」

「もういいわ。オメーが何と言おうが関係ねーし。お前ら、こいつ抑えてろよ。こんなウゼー花壇、俺がぶっ潰してやっからよ」

 一人が合図すると、他の二人の男子生徒はニヤリと笑って、逢花の細い両腕を掴み上げた。

「――っ……! 何をするっ! 放せ! やめろっ!」

 苦痛に喘ぎながら、それでも気丈な言葉を発する逢花。

 だがそれを無視して、男子生徒は嫌な笑いを浮かべたまま逢花の花壇に近づいて行く。


 ――俺は。


「――ぐえっ!?」

 挽きつぶされた蛙のような声を出して、そいつは地面に転がった。他でもない。俺が、後ろからシャツの襟元に手を引っかけて、そのまま引き倒してやったから。二、三個、ボタンが良い音を立てて弾け飛んだのが見えた。


「なっ……!?」

「て、テメーは……!」

 口々に、意外性のない反応を返してくれる。俺はさして何の感情も抱かないまま、逢花の手を掴み上げる二人を暗い眼で見た。

「――放せ」

 俺の発したその言葉を、奴らは理解できなかったらしい。だから、繰り返した。

「……そいつから、その汚え手を放せって言ってんだ。そいつは、お前らみたいなド汚えクズが軽々しく触れていい女じゃねえんだよ」

 そこまで言うと、そいつらはようやく人語を理解したのか、怯えたように逢花を解放し、地面に尻餅を突いて咳き込んでいる仲間の元へと後退った。


 俺は敢えて何も言わなかったが、解放された逢花はすぐに俺の背後に身を隠すと、不安を誤魔化すように俺のシャツを握った。

「っ……げほっ……さ、境守っ……てめっ……!」

 痛む喉を押さえながら、それでも悪態をつく男子生徒。俺はそれを冷たい眼で見据えながら、吐き捨てた。

「何か文句があるのか?」

 すると、他の二人は耳打ちするように言った。

「おい、大会前にやばいって……!」

「それに境守は、あいつはやべーよ……!」

 そんな言葉に、尻餅を突く男子生徒も、渋々ながら文句を取り下げた。仲間に支えられながら立ち上がると、

「っ……境守っ! てめーあんま調子ん乗ってんじゃねーぞっ……!」

 そんな捨て台詞を遺して、仲間共々、慌ただしくその場を後にした。


 ……雑音が消え、俺達の中庭は、いつもの優しい静けさを取り戻す。

 逢花は、握った俺のシャツを放すこともなく、そっと額を俺の背に押しつけた。

「すまない境守……助かった――面倒ばかり……かけているな、私は……」

 その声が、まるで泣いているように聞こえたから。

「……何なんだ、あいつらは」

 自らの胸中に湧き起こる邪な欲求を誤魔化したくて、そんなつまらないことを尋ねていた。


 逢花は、疲れたような息をついて言った。

「……野球部の三年さ。と言っても、奴らは補欠だがな。……奴らも部活で登校していたのだろうが……ニアミスしてな。因縁をつけられた。その――……昔、ちと揉めたことがあったのでな、根に持っていたのだろう」

 揉めごとの理由など分からなかったし、問うても意味のないことだと思った。だから、

「……そうか」

 そう言ったきり、俺は口を噤んだ。言うべきことが、見つからなかった。


「……境守は」

 どれほど沈黙が続いた頃か。やがて、逢花は呟くように言った。

「境守は、優しくなったな。……いや、違うか。お前は元々優しい奴だ、それを覆い隠していたトゲが取れたと言うのか――荒々しさが、和らいだ気がする。……前のお前だったら、あの三人は今頃病院送りだったろう」

 そこまで言うと、逢花は少しだけ意地悪く、くくっと笑った。

 けれど、それも長くは続かず、すぐに声の調子を落として続けた。

「……行動だけじゃない。表情も、柔らかくなった。……希にだが、優しい顔で笑うようになった。そんなお前を遠目にでも見られて、私は嬉しかった。

 ……嬉しかった、けれど。……それ以上に、悔しかった。できるなら、お前に笑顔を取り戻させる役は……私が、負いたかったのだ。

 ――いや」

 ふと、俺のシャツを掴む逢花の手に、力が込められたような気がした。


「それは、高望みしすぎと言うものか。ずっと声もかけられずにいた、自分が悪いのだからな……自業自得だ。

 ……そうだな。私は、もうこれで満足するべきなんだ。今、この瞬間、境守が側にいてくれる。温もりを感じさせてくれる。

 ……それだけで。私は、もう、満足だ――……」

 逢花の言葉の意味が、俺にはよく分からなかった。ただ、ぽつりぽつりと雨の雫のように呟かれるその言葉は、俺のココロの中に少しずつ染み込んでいく。まるで、そこに小さな若葉を芽吹かせようとするかのように。

 けれど、若葉が芽吹くことはなく、芽吹いたのは、一つの疑問だけ。


 彼女は、俺が変わったと言った。それは今の俺と――いつの俺を比べてのことなのか。


 ――彼女は、いつから、俺を知っている?


 ……答えは見つからなかった。

 ――今は、まだ。




【つづく】

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