編入生と実技試験
王都の魔法学園、平民用の教室。
磨き上げられた木の床と、等間隔に並べられた頑丈な机。
窓からは穏やかな陽光が差し込んでいるが、室内に流れる空気はひどく張り詰めていた。
教壇に立つ初老の魔術教師が、鋭い眼光で生徒たちを見渡している。
「皆、静粛に。これより、本日の実技試験に関する内容を言い渡します」
教師の低くよく通る声が、静まり返った教室に響く。
生徒たちは一様に背筋を伸ばし、固唾を呑んで次の言葉を待った。
「今回の実技試験は、貴族クラスとの合同で行います」
「合同試験、ですか……?」
最前列に座る男子生徒が聞き返し、教室内を微かなざわめきが走った。
「はい。静まりなさい」
教師がパンパンと手を叩き、ざわめきを強制的に鎮める。
「魔法の力というものは、千差万別です。火、水、風、土……属性が違うだけでなく、放出の形態や魔力の波長も個々人によって大きく異なる。動かない的を相手にただ呪文を唱え、魔法を撃ち込むだけでは、その真の運用方法や臨機応変な判断力まで確認できないという結論に至りました。よって今回は対人戦闘を行うことになります」
「対人戦……!」
今度こそ、教室に隠しきれない動揺が広がった。
生徒たちの顔に、明確な恐怖と不安の色が浮かぶ。
「静粛にと言っているでしょう」
教師の声に冷ややかな魔力が乗り、軽度の威圧で生徒たちの口を塞ぐ。
「対人戦といっても命のやり取りをさせるわけではありません。結界を張った演習場を使用し、万が一に備えて学園でも最高峰の治癒術師を複数名待機させ、怪我をしても大丈夫な環境を整えています」
教師は淡々と言ってのける。
「皆さんは、これまで培ってきた日頃の努力を、実戦という形で存分に発揮してください。試験は昼休みを挟んだ後、午後の授業時間を使って行います。各々、心の準備と魔力の調整をしておくように。以上」
教師が背を向け、教室を出ていく。
その直後、張り詰めていた糸が切れたように、教室中から重い溜息と悲鳴のような声が一斉に漏れ出した。
「うへー、厳しそう……」
隣の席で、セリアが机に突っ伏して力なく呻いた。
その栗色の髪が机の上にだらりと広がる。
「私、魔法の適性が『身体能力強化』だからさあ。対人戦ってことは、相手を直接殴るか蹴るかするワケ? うわー、きっつー……」
彼女の言う通りだ。
炎や氷を遠距離から飛ばす一般的な魔術師と違い、強化魔法の使い手は自身の肉体を弾丸のようにして敵に肉薄しなければならない。
だが、マリエルは机の上のノートを整理しながら事実を告げる。
「でも、以前中庭の演習場で見た実技試験みたく、何十メートルも離れた動かない的に向かって攻撃魔法を当てろっていう試験よりは、ずっとマシじゃない?」
「え?」
「あの試験形式だと、セリアの強化魔法じゃ何もできないよ? まさか、的のところまで走っていって拳で叩き割るわけにもいかないし、そんなことをしても『魔力の遠隔放出能力』の評価にはならないからね。対人戦で動き回る相手の懐に潜り込んで制圧する方がセリアの魔法の特性を正当に評価してもらえるはずだよ」
マリエルの指摘にセリアはパチクリと目を瞬かせ、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……あ。それは、そうだねえ……」
確かに、的に魔法を当てるだけの試験では強化魔法は圧倒的に不利だ。
対人戦という流動的な環境においてこそ、身体能力強化の真価は発揮される。
筋力、敏捷性、反応速度。
それらを魔力で底上げし、相手の魔法を掻いくぐって一撃を入れる。
それこそが彼女の戦い方なのだ。
「流石マリエル、頭いい! なんかちょっとやる気出てきたかも!」
単純なセリアは拳を握りしめて復活する。
その様子を見て、マリエルは内心でホッと息を吐いた。
可愛い同居人が開始前から心を折られていては寝ざめが悪い。
「そういや、マリエルは大丈夫?」
復活したセリアが、今度はマリエルの方を心配そうに覗き込んでくる。
「まだこの学園に編入してきてから日も経ってないでしょう? しかもマリエルの魔法って水属性だよね。水って威力を出すのが難しいって先生も言ってたし……対人戦の経験とか、あるの?」
恐らくセリアは、マリエルが筆記試験で学年一位を取ったとはいえ、実技は別物だと思っているのだろう。
「うーん……一応、護身用に対人での運用方法は考えてたから、大丈夫だと思う」
マリエルは曖昧な笑みを浮かべて答えた。
嘘ではない。
魔力を用いた自衛手段はある程度想定済みだ。
制御と放出器官である『天輪』と『光翼』がない今、彼女が完全に制御できるのは初級魔法である『アクアボール』程度の水量だ。
だが、水という物質は使い方次第でいかようにも化ける。
神界の高度な魔力操作技術と、容赦のない合理性。
それらを組み合わせれば、下級の水魔法一つで相手を制圧することなど造作もないのだ。
「流石はマリエル。準備万端だねえ」
セリアは安心したように微笑み、自分の制服の袖をまくり上げる。
「よーし、お互い怪我しないように頑張ろうね!」
「うん。頑張ろう」
マリエルは頷きながら、午後の試験に向けて己の中にある魔力の残量と、安全に制御できる出力の限界値を静かに計算し始めていた。
◆◆◆◆
午後。
王都の魔法学園が誇る演習場。
学園内にある演習場はむき出しの土が広がる場所だ。
中央の広場には強力な透明の魔力防護結界が幾重にも張り巡らされており、内部でどれほど大規模な魔法が暴発しようとも、外には一切の影響が及ばないように設計されている。
広場の一角には、マリエルやセリアを含む平民クラスの生徒たちが、指定された標準の黒い訓練着に身を包んで固まっている。
そして広場を挟んで反対側には、貴族クラスの生徒たちが陣取っていた。
マリエルは目を細めて両陣営の様子を観察する。
「……貴族の方が多いんだね」
「うん。まあね」
ぽつりと漏れたマリエルの声に、隣で屈伸運動をしていたセリアが頷いた。
マリエルのいる平民クラスの生徒が十数人。
対して貴族クラスの生徒は二十人以上いる。
全体的な人数比で言えば、貴族の方が倍近く多いのだ。
「平民で学園に入学する基準を満たすほどの魔力が発現する人って、実はすっごく少ないんだよ」
セリアが周囲に聞こえないように声を潜めて解説する。
「魔力って血統に依存する部分が大きいからさ。貴族たちは代々、強い魔力を持つ貴族同士で結婚して血を濃くしていくでしょ? それに、もし平民の間に強い魔力を持つ子供が生まれたら貴族がすぐに目を付けて養子にしたり、使用人として家に迎え入れたりして自分たちの勢力に取り込んじゃうことも多いから」
「なるほどね……」
マリエルは納得した。
能力のある者を積極的に取り込み、一族の力を強大化させていく。
どこの世界でも権力者たちが考えることは同じだ。
貴族クラスの彼らの態度は余裕に満ちており、平民たちを見下すような冷笑を隠そうともしていなかった。
「それでは、実技試験を開始します」
中央に立った数名の教師のうち、主審を務める恰幅の良い男が拡声の魔道具を使って広場全体に声を響かせた。
「今回は対人戦闘の能力を評価します。組み合わせは基本として貴族クラスの生徒と平民クラスの生徒が1対1で戦うように振り分けていきます」
その宣言を聞いて、マリエルはふと疑問に思い、小さく首を傾げた。
「何故でしょうか」
相手の実力や魔法の相性を見るのであれば、無作為に抽選するか、あるいは同じクラスの実力が近い者同士をぶつける方が、より正確なデータが取れるのではないか。
わざわざ貴族と平民という様々な環境が異なる者同士を固定で組み合わせる意図がわからなかった。
だが、その疑問に答えたのは教師ではなく、思わぬ方向からの声だった。
「ハッ、そんなことも知らねえのか?」
横柄で耳障りな声。
マリエルが視線を向けると貴族陣営の最前列に立つ一人の男が、こちらを鼻で笑って見ていた。
燃えるような真紅の髪を後ろで無造作に束ね、吊り上がった三白眼が特徴的な大柄な男子生徒だ。
「俺ら貴族クラスの連中は、普段から互いの屋敷や専用の訓練場で勝負して腕を磨き合ってるんだぜ? お互いの魔法の特性や手の内なんてとっくに割れてる。そんな顔見知り同士で戦っても新しい発見なんてありゃしねえ」
男は自身の持っている紅蓮の魔石が嵌まった杖を肩に担ぎ、マリエルの小柄な体躯を、値踏みするように上から下まで舐め回す。
「だから、お前らみたいな『底辺』をサンドバッグ代わりに使うんだよ。予想外の動きをするかもしれない得体の知れない平民を相手にした方が実践に近いデータが取れる。そういう余計なノイズを省くための学園側の粋な配慮ってやつさ」
男は口角を歪め、悪意に満ちた笑みを深めた。
「わかったかァ? チビ女」
チビ女。
その単語が耳に届いた瞬間、マリエルの脳裏に神界での忌まわしい記憶がフラッシュバックする。
『チビでちんちくりん』『混ざりもの』と嘲笑していた、あの神人たちの顔。
マリエルの瞳の奥でカッと冷たい怒りの炎が灯りかける。
内なる魔力が呪詛の色を帯びそうになるのを彼女は深呼吸を一つして、強引に理性の奥底へと押さえ込んだ。
「……どうも。ご親切に解説いただき、ありがとうございます」
抑揚のない、まるで壁に向かって話しかけているかのような冷徹な返答。
反発もせず、怯えもせず、ただ事実だけを受け取るその態度に男は拍子抜けしたように眉をひそめる。
「なんだテメェ、そのふざけた態度は……!」
男が苛立ちを露わにし、杖を握り直そうとした時だ。
「おい、よせローランド。あまり向こうに喧嘩を売るな」
静かな声が粗暴な男――ローランドの背後から掛けられた。
声の主は貴族の集団の中からゆっくりと歩み出てきた、一人の少年。
銀糸の刺繍が施された制服。
黒髪で彫りの深い、端正で冷ややかな顔立ち。
先日の掲示板の前でマリエルの名前を睨みつけていた現学年二位の天才、ルカ・レグナスである。
「実技試験の前に無用な諍いを起こせば評価に傷がつく。それに……」
ルカの視線が再びマリエルへとチラリと向けられる。
その視線は以前見せた怒りとは違う、油断なく相手を分析するような目だ。
「相手は、あの筆記試験で満点近い点数を叩き出した編入生だ。口先だけで勝てるほど底の浅い相手ではないだろう」
「チッ……わかってんよ、ルカ。ちょっとからかってやっただけだ」
ローランドは不満げに舌打ちをしながらもルカの言葉には逆らわず、杖を下ろす。
どうやら、この粗暴な男もルカの実力と権威には一目置いているらしい。
そのやり取りを見ていたセリアがマリエルの袖をキュッと引っ張り、血の気の引いた顔で耳打ちしてきた。
「ねえ、マリエル……。あの赤い髪の人、ローランドって呼ばれてたよね……。まさか、あの『五天星』のローランド・ベルディア……?」
「なにその『五天星』って」
マリエルは眉をひそめる。
初めて聞く単語だ。
「知らないの!? そっか、編入したばかりだもんね……」
セリアは周囲を気にしながら、さらに声を潜める。
「『五天星』っていうのはね、この魔法学園の全学年の中から選抜された、トップクラスの実技成績を持つ五人の生徒に与えられる称号のことだよ。学年や年齢は関係ない、完全な実力主義構造の頂点。そこに選ばれることは学生にとって最大の名誉なんだ」
「ふ、ふーん……」
マリエルは相槌を打ちながら、内心で激しいツッコミを入れていた。
(五天星って……。空に輝く五つの星? なにその仰々しい名前。自分で名乗る時、恥ずかしくないのかな。ていうか教師も真面目な顔でその名前呼んでるの?)
セリアはマリエルの冷めた内心など知る由もなく、興奮と恐怖が入り交じった声で解説を続ける。
「ただの称号じゃないんだよ。五天星に所属した人間は卒業と同時に、この国の魔術師の憧れである『宮廷魔術師』入りが内定しているって言われてるんだから! それくらい彼らは規格外の化け物揃いなの!」
「なるほどね」
マリエルは頷く。
つまり将来の国家の最高戦力を育成するための、特別強化指定選手のようなものか。
(じゃあ、就職活動の時に『私は魔法学園で五天星でした!』とか面接官にアピールするのかな……。やっぱりちょっと恥ずかしそうだな、それ)
マリエルは真面目な顔をした面接官の前で、胸を張って『五天星』を名乗る学生の姿を想像し、危うく吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「でね」
セリアがゴクリと唾を飲み込む。
「あの赤い髪のローランド・ベルディアって人は炎魔法の使い手で五天星の『第五位』。そして……」
セリアの視線が、ローランドの隣に立つ、銀色の刺繍の制服を着た少年に向けられる。
「あっちのルカ・レグナスは五天星の『第三位』だね。一学年に五天星が二人もいるって凄いことなんだよ」
「ルカって人も、そうだったんだ……」
マリエルは静かにルカの姿を見つめる。
筆記試験で自分に敗れ、学年二位に転落したあの少年が、実技においては学園全体でトップ3に入る実力者。
彼が掲示板の前で見せたあの対抗心も、これで納得がいく。
プライドの塊のような彼にとって、突如現れた編入生に座を奪われることはかなりの屈辱だったのだろう。
「よし、組み合わせを発表する! 呼ばれた者は順次演習場の所定の位置につけ!」
教師の張りのある声が演習場に響き渡った。
次々と名前が呼ばれ、生徒たちが緊張した面持ちで広場の中央へと向かっていく。
マリエルは遠く離れた位置で腕を組み、観察するような視線を送ってくるルカと粗暴な笑みを浮かべるローランドの二人の姿を、自身の視界の端にしっかりと収めるのであった――。




