編入生と同室の少女
王都の魔法学園における学生寮は男女で棟が分かれているのは当然として、さらに「貴族寮」と「平民寮」の二つに明確に区別されている。
表向き、この学園は身分の区別なく魔法の実力のみで評価される完全実力主義を謳っている。
しかし、私生活の領域にまでその建前を適用するには、どうしても無理が生じるのだ。
理由は単純。
身分差によって培われてきた「価値観」と「生活習慣」の決定的な違いである。
例えば毎日の食事風景。
学園側が栄養価を計算し、貴族の舌にも耐えうる豪華なメニューを平等に用意したとしよう。
だが、問題は食べ物そのものではなく「食べ方」にある。
幼い頃から厳格なテーブルマナーを叩き込まれ、音を立てずに美しく食事をすることに慣れた貴族の子息や令嬢たち。
彼らが生きるために食べることを優先して豪快に、時には粗野に食事をかき込む平民の姿を目の当たりにすれば間違いなく顔をしかめるだろう。
「品がない」「食欲が失せる」といった不満が噴出するのは火を見るより明らかだ。
かといって、魔法の研鑽を目的として集められた平民の生徒たちに対し「今日から貴族のテーブルマナーを完璧に学んで実践しろ」と強要するのも、おかしな話である。
彼らは魔法を学びにきたのであって、礼儀作法の訓練を受けに来たわけではない。
そういった、些細だが毎日の積み重ねとなる価値観の相違による無用なストレスやトラブルを未然に防ぐため、学園は貴族と平民の生活空間を明確に分割している。
食堂はもちろんのこと、平民用と貴族用それぞれが別棟に用意され、日常の教室も別々だ。
彼らが空間を共有するのは大講堂での特別授業や今回のような一斉の筆記テスト、あるいは合同で行われる実技訓練くらいのものである。
当然ながら住環境にも差はある。
貴族寮の方が調度品から建物の内装に至るまで圧倒的に豪華だ。
時折、その待遇の差に対して平民側の生徒から不満や苦情が漏れることもあるが、こればかりは学園側も「仕方ない」と割り切っている。
なぜなら、貴族寮の維持費や豪華な内装の資金は入学した生徒の実家である有力貴族たちからの多額の寄付金や支援金によって賄われているからだ。
親が子のためを思って拠出した金で、その子供たちが入る寮の環境を整える。
それは経済の論理として間違っていない。
むしろ「貴族からの支援金を使って、平民寮も同じように豪華にします」と学園側が言い出せば、支援した貴族たちから「我々の寄付をなんだと思っているのか」と猛反発を食らうだろう。
平等を履き違えてパトロンを怒らせては、学園の運営そのものが立ち行かなくなる。
そんな大人の事情が複雑に絡み合った結果。
マリエルは現在、貴族寮に比べれば見劣りはすれど、清潔で管理が行き届いている平民寮の一室で学園生活を送っていた。
◆◆◆◆
夕刻。
その日の厳しい授業と魔力訓練を終えたセリアが、自室の扉を開けるなり歓声を上げて、自分のベッドへとダイブした。
スプリングが弾む音と共に彼女の身体が柔らかいシーツに沈み込む。
「おお~。愛しの我が家よ~」
「我が家っていうか、ただの相部屋だけどね」
少し遅れて部屋に入ってきたマリエルが、呆れたように苦笑しながら扉を閉める。
「いーのいーの。マリエルが来るまで、ずっと私一人で使ってたんだから、実質我が家みたいなもんよ」
セリアはベッドの上でゴロゴロと転がりながら、へへっと笑う。
魔法学園の平民寮は、私生活においても他者とのコミュニケーション能力を養うという教育方針から原則として二人一組の相部屋制度が取られている。
だが、今年の入学者数は偶然にも奇数だった。
その結果、最後の一人としてあぶれてしまったセリアは入学以来二ヶ月ほどの間、この二人部屋を一人で悠々と使い続けていたのだ。
羨ましがられたそうだが、本人曰く結構寂しかったらしい。
そこに、季節外れの編入生としてマリエルがやってきたというわけだ。
「でも、マリエルが初めてこの部屋に来た時は、本当にびっくりしたよ。なんでこんなところに貴族の令嬢が? って本気で思っちゃったもん」
そう。
マリエルが案内されてこの部屋に足を踏み入れた時、セリアの口から飛び出した第一声は歓迎の言葉でも自己紹介でもなく『こ、ここは貴族寮じゃありませんよ……? 案内を間違えられてませんか?』という困惑の言葉だった。
「お世辞が上手いよね、セリアは。私みたいなちんちくりんが貴族に見えるわけないじゃない」
「お世辞じゃないんですけど? むしろ本気で言ってるのに伝わらないのが不思議なくらいなんだけど」
セリアが口を尖らせて抗議するが、マリエルは「はいはい、どうも」と軽く笑って受け流した。
マリエルの自己評価は客観的な事実から大きく乖離している。
その原因は、彼女が生まれ育った神界の特殊な美意識にあった。
神界において「美しい」とされる絶対的な基準は、すらりとした長身で手足が長く、彫刻のように冷ややかで神秘的なスレンダー体型であること。
その基準に照らし合わせれば人間との混血であり、背が低くて親しみやすい容姿のマリエルは規格外の「不美人」だった。
幼い頃から周囲の神人たちに「チビ」だの「ちんちくりん」だの「洗練されていない」だのと見下され、否定的な言葉ばかりを浴びせられ続けてきた結果、彼女の中に「自分は美人ではない」という強固な呪縛が完成してしまっていたのだ。
だから、下界の人間であるセリアから見ればマリエルが貴族の令嬢にも見劣りしない――いや、下手な貴族よりも遥かに可憐で整った美少女であるという事実が、当のマリエル本人には全く認識できていない。
ちなみに、マリエルはセリアのことを「快活でとても可愛い同居人」と正しく認識している。
決して彼女の美的感覚全体が壊れているわけではなく、ただ「自分自身に対する評価」だけが神界の呪いによって極端に低く設定されているだけなのだ。
「うーん、手強い。この無自覚な自己評価の低さ、どうにかしてあげたいんだけどなあ」
セリアはベッドの上で腕を組み、うむむと唸る。
だが、こればかりは他人が何度口で言っても、本人が納得しなければどうにもならないと諦めるしかなかった。
ふと、セリアが心配そうに話題を変える。
「そういや、明日って実技のテストがあるんだよね。マリエル、大丈夫? 筆記は学年一位だけど実技はあんまり自信ないって言ってなかった?」
「うん、まあ……。自信はないけど、なんとか落第しない程度にはやってみるよ」
マリエルは苦笑いを浮かべ、右手の人差し指を軽く立てた。
意識を集中し、体内に眠る膨大な魔力の中からほんの僅かな針の先ほどの量だけを慎重に抽出し、指先へと誘導する。
そしてマリエルの手のひらの上に、ソフトボール大の澄んだ水球がふわりと浮かび上がった。
水系初級魔法『アクアボール』。
魔法学園に入学したばかりの生徒が、一番最初に習う基礎中の基礎魔法である。
セリアがその水球を見て、無邪気に応援の言葉をかける。
「マリエルは水系の魔法適性だったねー。明日のテスト、水属性が役立つような内容だといいね!」
「そうだね。そうだと助かるかな」
マリエルは水球を霧散させながら、内心で深い嘆息を漏らした。
――マリエルが神界から落とされた際に失ったものは、あまりにも大きい。
かつての彼女は人間でありながら勇者として神界に上った父の血を引いていたせいか、神人の中でも稀有な「全属性」を自在に操る才能を持っていた。
火、水、風、土、光、闇。あらゆる事象を組み合わせ、天候すら操る強大な魔法を呼吸をするように使役していたのだ。
だが、魔力の制御と外部への放出を司る器官である『天輪』と『光翼』を物理的に奪われた今。
彼女の体内にどれほど強大で規格外な魔力が眠っていようとも、それを「完全に制御した状態」で外の世界へ放出できる限界は、先ほどの初級魔法『アクアボール』程度がせいぜいなのだ。
中級魔法以上の複雑な術式を組もうとすれば、制御が効かずに暴発するか、あるいは霧散してしまう。
自分がこの学園で成すべき当面の目標は大教会の情報を探ることと並行して、この安全に制御できる出力の限界値を、地道な訓練によって少しずつ引き上げていくことだ。
ちなみに「完全に制御できる限界」がアクアボール程度というだけであり「制御を放棄して感情のままに放出する」ならば、その出力は計り知れない。
辺境の鍛冶屋で神界への憎悪に任せて無意識に漏れ出したあの真っ黒な魔力の奔流。
あれこそが彼女の真の出力の一端だが、あんなものを学園でぶっ放せば即座に退学からの魔力剥奪は免れない。
あれは完全に事故の産物であり、彼女自身も「二度とやらない」と固く誓っているため現在の戦力としてはカウント外である。
なお、マリエルが「全属性が使える」という事実を隠し、学園の登録書類に「水属性適性」とだけ自己申告しているのにも明確な理由があった。
地、水、火、風、光、闇。
基本となる六属性の中で「水」が最も少量でも使い勝手が良く、誤魔化しが効く属性だからだ。
火や風、雷などの攻撃的な魔法は、魔法の規模や出力の小ささがそのまま「威力の低さ」や「才能のなさ」に直結して評価されやすい。
小さな火の粉しか出せなければ、それは単なる弱い魔術師でしかない。
しかし水属性だけは違う。
出力が小さく、少量の水しか生み出せなくともその形を自在に変化させることで多様な応用が効く。
少量の水でも薄い膜状にして盾にしたり、水圧をかけてカッターのようにしたりと工夫次第で立ち回れる。
なにより護身用として非常に使い勝手が良いのだ。
(闇属性だけは私の奥底にある『恨みつらみ』に過剰に反応して、すぐに制御が効かなくなって呪いが漏れ出しそうになるから、絶対に採用できないんだけどね)
マリエルは鍛冶屋での黒歴史を思い出して密かに身震いした。
あれは本当に、他属性とは全く別の理由での不採用である。
「さてと! 明日のテストに備えて、寝る前にしっかり筋トレしないとね!」
セリアがベッドから勢いよく飛び起き、床にトレーニング用の敷物を広げ始めた。
「熱心だね、セリアは。毎日欠かさずやってるよね」
マリエルが感心したように声をかけると、セリアは腕立て伏せの姿勢をとりながら、フンスッと鼻息を荒くした。
「そりゃあそうだよ! 私の魔法は身体能力に直結するんだから!」
「いーち、にーい……」と掛け声をかけながら、セリアが規則正しいペースで腕立て伏せを始める。
セリアの得意とする魔法は『身体能力強化』の術式だ。
魔力を肉体に巡らせることで筋力、敏捷性、耐久力などを一時的に爆発的に引き上げる。
派手な炎を上げたり、氷を飛ばしたりする魔法に比べると見た目は地味だが、極めれば極めるほど恐ろしい威力を発揮する極めて実戦的で強力な魔法である。
そして、この強化系の魔法には一つの法則がある。
それは魔法による強化が「足し算」ではなく「掛け算」で行われるということだ。
元の肉体が貧弱であれば、いくら魔力で強化しても知れている。
しかし、元の肉体が鍛え上げられて強靭であればあるほど、魔力を掛け合わせた時の上がり幅は跳ね上がる。
だからこそ、強化魔法使いにとって基礎体力の向上は魔力制御の訓練と同じか、それ以上に重要な日課なのだ。
セリアは平民の出身だが決して魔力量が低いわけではない。
むしろ、学園の基準に照らし合わせても十分に高いポテンシャルを秘めている。
ただ、これまでは専門的な教育を受ける機会がなく、正しい魔力の練り方や効率的な肉体の鍛え方を知らなかっただけだ。
単なる技量不足と知識不足。
そこさえ補ってやれば、彼女は間違いなく学園でも上位に食い込む強力な術師になるだろう。
(うん。セリアの技量や理論面での不足は、私がしっかりカバーしてあげればいいかな)
マリエルは汗を流してスクワットに移行したセリアの横顔を見つめながら、内心でそう決意する。
せっかくこの下界の学園で出会い、同室になった縁だ。
彼女のお節介で明るい性格にはマリエル自身も少なからず救われている部分がある。
ならば、自分の持つ神界の高度な魔法理論を下界のレベルに合わせて噛み砕いて教えることで、彼女の役に立ちたい。
積極的にサポートをして彼女との絆を深めていきたい。
そしてマリエルは今密かに、しかし確かな熱量を持って一つの壮大な野望を胸に抱いていた。
(このまま私がセリアの勉強や訓練を完璧にサポートして頼れる存在になって、もっともっと仲を深めて……。そして、いつか必ず……)
マリエルはベッドの上で両手をギュッと握りしめ、鼻息を荒くする。
(セリアに認めてもらって、セリアと『友達』になる……!)
――そう。
マリエルは神界において親しい友人など一人もいなかった。
純血主義の神人たちからは「混ざりもの」として忌み嫌われ、常に遠巻きにされ、陰口を叩かれるだけの孤独な日々。
彼女にとって「友達」という存在は、聞いた話の中にしか出てこない未知で輝かしい概念だったのだ。
そんな生粋の「ぼっち」であった彼女は、この下界で生まれて初めて自分を偏見なく受け入れてくれる同年代の少女と出会った。
これは人生初の友人ができる千載一遇のチャンス。
絶対に逃すわけにはいかない。
そのためには順序が大事だ。
まずは勉強を教えて信頼を獲得し、有用性をアピールし、好感度を規定値まで上げる。
そして、機が熟したところで誠心誠意の真心を込めて「私と友達になってください」と申し込むのだ。
きっとそれが正しい「友達の作り方」のプロセスに違いない。
何しろ神界では申請というものが重視されていたのだ。
高位神人になるための申請はもちろん、計画の参加や技能習得の申請、魔力相性の良い異性に対しても「優秀な子を成すために自分と伴侶になりませんか」という伴侶申請もあったのだ。
地上でもそう変わりは無いはずだ。
神界の高度な数式は一瞬で解けても、人間関係の数式は全く解けないマリエルは、一人で勝手に計画を練り、一人で勝手に興奮していた。
だが、彼女は気付いていなかった。
セリアの中ではテスト勉強を一緒に教え合い、くだらない冗談で笑い合い、こうして同じ部屋で寝起きしている時点で、マリエルはもう「すっかり気の置けない親友」枠に収まっていたのだ。
マリエルが一人で「いつか友人申請をして許可をもらうんだ」などと斜め上の計画を練っていることなど露知らず。
高度な魔法理論よりも遥かに難解な「友情」という名の概念に振り回され、盛大に空回りを続ける元神人の少女を乗せて。
魔法学園の静かな夜は、ゆっくりと更けていくのであった――。
人間関係ポンコツ娘。




