編入生と魔法学園
活気に満ちた王都。
その中心から少し離れた小高い丘の上に、天を突くような複数の尖塔を持つ巨大な建築群がそびえ立っていた。
白亜の石壁に青いスレート屋根を戴くその威容は、遠目に見れば王城と見紛うほどの壮麗さを誇っている。
それが、王都の魔法学園。
魔力を持つ者が集う学び舎であり、国家の最高峰たる魔法の研究機関が併設された、知と力の殿堂である。
広大な敷地内には講義棟だけでなく、様々な環境を模した実技演習場や、国内最大の蔵書数を誇る図書館、さらには生徒たちが寝食を共にする豪奢な学生寮までが完備されている。
手入れの行き届いた中庭には季節の花々が咲き乱れ、石畳の通路を黒を基調とした洗練されたデザインの制服に身を包んだ生徒たちが行き交っていた。
だが、その美しい風景の裏には冷徹でシビアな国家の意図が隠されている。
王国の主導で設立されたこの学校は決して魔法の素晴らしさを説き、夢を育むためだけの場所ではない。
身分の差異に関わらず、一定以上の強い魔力を持って生まれた者は例外なくこの学園への入学を義務付けられている。
表向きの理由は国家を担う優秀な人材の発掘と育成。
しかし真の、そして最大の目的は「危険の排除」にあるのだ。
強大すぎる魔力は時に持ち主の意志を超えて世界に干渉する。
マリエル自身が辺境の鍛冶屋で無意識のうちに己の憎悪を金属の分子に叩き込み、触れる者すべてを死に至らしめる特級の『呪いの武器』を作り出してしまったように。
制御する術を持たない強い魔力は、歩く災害に等しい。
ゆえに国は、そうした才能を持つ者を一箇所に強制的に集め、徹底した管理と教育を施す。
その才能の性質と危険度を見極め、最も相応しい方向性を与え、より安全かつ効率的に国のために力を発揮できる部署へと割り振る。
それがこの魔法学園の理念だった。
その選別の過程において学園は決して甘い顔を見せない。
勉学に向いていなかったり素行に重大な問題があり、制御を身につける見込みがないと判断された者は、どうなるのか。
答えは「退学」である。
だが、それはただ学園の門をくぐって実家に帰されるという生易しいものではない。
卒業の見込みが付かなくなった者は、国が管理する地下の特殊な儀式の間へと連行され、その身に宿る魔力の全てを強制的に剥奪されたうえで野に解き放たれるのだ。
国家からすれば当然の措置である。
強力な魔法技術の知識だけを持ち、それを制御する術や倫理観を持たない半端な魔術師をそのまま世間に解き放てば、どのような悲劇が起こるか火を見るより明らかだからだ。
魔力を奪われ、学園を追放された退学者たちの末路は悲惨なものだという。
世間からは「危険人物の烙印を押された落ちこぼれ」として厳しい目に晒され、真っ当な職に就くことすら難しい。
そのような残酷な事情が背景に常に横たわっているため、この学園で遊び惚けるような愚か者は極めて稀だ。
廊下を歩く生徒たちの表情はどこか張り詰めており、図書室は夜遅くまで灯りが消えることはない。
貴族の令息であろうと、平民の出であろうと、大抵の学生は己の未来と人間としての尊厳を守るために血を吐くような思いで勤勉に学び、一人前の魔術師として卒業していく。
それゆえに、この学園は表向きは身分の区別がない実力主義の空間とされている。
貴族の権威を振りかざそうとも、魔力の制御力と知識量の前には何の意味も成さないからだ。
教師陣もまた、国が厳選した一流の魔術師や研究者たちで構成されており、魔法の教育水準は他国の追随を許さないほどに極めて高い。
そんな緊張感と向上心が常に存在する王都の魔法学園。
一学年の編入生としてこの場所に足を踏み入れて数週間が経過したマリエルは今、講義棟の一階にある広く静かな回廊に立ち、壁に貼り出された一枚の大きな紙を見上げて、ふう、と重いため息を吐いていた。
今日は定期的な筆記テストの結果が発表される日だ。
回廊に設けられた巨大な掲示板の前には、自分の結果に一喜一憂する大勢の生徒たちが群がっている。
ある者は自分の順位が上がったことに安堵の息を漏らし、ある者は順位が下がったことに頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
マリエルは人混みを避け、少し離れた柱の陰からその喧騒を眺めている。
彼女の視線は群がる生徒たちの頭越しに、掲示板の最も高い位置、一番左端にデカデカと書き出された名前を捉えていた。
――学年一位、マリエル。
インクの匂いも真新しい達筆な文字で記された自分の名。
それを見た彼女の胸中にあるのは一番に躍り出た達成感でも、他の生徒を見下す優越感でもなく「やってしまった」という強烈な後悔と徒労感であった。
「うっわあ。マリエルすごーい」
不意に背後から弾むような声が掛かった。
振り返ると、肩口で切り揃えた栗色の髪を揺らしながら一人の少女が駆け寄ってくる。
快活そうな笑顔を浮かべる彼女は、セリア。
マリエルがこの学園に編入してきてから、寮の同室になった縁で何かと気にかけてくれる気の良いクラスメイトだ。
「ありがと、セリア」
マリエルはセリアに柔らかく応じる。
「でも、こんなのまぐれだよ。たまたま私の知っているところが出ただけだから」
「いやあ、中途編入でこれは素直に凄いと思うけどなあ……」
セリアは掲示板の頂点に輝くマリエルの名前を眩しそうに見上げ、それから視線を下げてマリエルより遥か下のほうにある自分の順位を探すように目を細めた。
「私なんてダメダメだよ~。筆記試験の時、魔力構造理論が書けなくてさあ……」
「そんなことないよ。セリアだって、ちゃんと中堅はキープしてるじゃん」
「マリエルが勉強教えてくれたからだよ!」
セリアは嬉しそうに、マリエルの手を取ってブンブンと上下に振る。
「マリエルの教え方、先生の難しい講義よりずっと分かりやすいんだもん! 魔法文字の基本法則なんて、マリエルに教えてもらった通りにやったらスラスラ解けちゃったし! おかげで順位ここまで上がったんだから! 本当に感謝してる!」
「ふふ、お役に立てたなら良かった」
セリアの純粋な称賛にマリエルは微笑む。
その時、ふと鋭い視線が突き刺さるのを感じて、マリエルは掲示板の最前列へと目を向けた。
人だかりの中心で、周囲の生徒たちが畏怖と気遣いから少しだけ距離を置いている一角がある。
そこに立っていたのは、一人の少年。
彫りの深い整った顔立ちに黒髪、銀糸の刺繍が施された特注の制服を隙なく着こなしている。
彼の名はルカ・レグナス。
名門貴族の出であり、その圧倒的な魔力量と洗練された知識で、マリエルが編入してくるまで学年一位の座を誰にも譲らなかった天才肌の生徒だ。
ルカは掲示板の一番上に書かれた「マリエル」の文字と、そのすぐ下、二位の位置に転落した自分の名前を信じられないような目で見ていた。
悔しさに唇を噛むような屈辱の表情。
彼が気付いたかのようにこちらを振り返り、マリエルと視線が交差する。
ルカは何も言わずに踵を返し、彼は足早にその場を立ち去っていく。
その後ろ姿からは「次は絶対に負けない。必ずその座から引きずり下ろしてやる」という声なき宣戦布告が聞こえてくるようだった。
「あーあ、ルカ君、すっごい怖い顔してたね……」
セリアが少し怯えたように肩をすくめて呟く。
「ずっと一位だったのに、いきなり来た編入生に抜かされちゃったんだもん。そりゃあ悔しいよね。でも、マリエルは気にしなくていいよ! ここは身分関係なしの実力の世界なんだから堂々としてればいいんだよ!」
「……うん、そうだね」
マリエルは曖昧に頷きながら内心で再び、今度はより深く鉛のように重いため息を吐いた。
(目立ちたくなかったのになあ……)
ベイナード子爵の推薦という強力な後ろ盾を得て編入してきた以上、ある程度の成績を収めなければ彼に顔向けができない。
だから退学ラインを安全に上回る程度の、目立たない「中の中」あるいは「中の上」を狙うつもりだったのだ。
しかし、結果はこれだ。
手加減を間違えた。
いや、正確に言えば手加減のしようがなかったのだ。
マリエルにとって、この王都の最高峰とされる魔法学園で教えられる授業内容は、あまりにも簡単すぎたのである。
そう、日常的に使われる魔法理論が下界のそれとは比較にならないほど高度であり、複雑怪奇な多次元数式と、魔法そのものを書き換えるような魔術式が当たり前のように飛び交う神界。
そこで高位神人になるべく血を吐くような努力で世界法則の深淵を勉強していたマリエルにとって、下界の魔法学園での勉強は取るに足らないものであったのだ。
例えば先日の魔法力学の授業。
老齢の教授が誇らしげに『二重属性魔法の合成における魔力抵抗の減衰式』という最新の魔法理論を長文で板書していた。
生徒たちが必死にノートに書き写す中、マリエルはただ呆然とそれを見ていた。
なぜなら、その計算式は神界の理論を用いて魔力を螺旋状に流すという、たったそれだけの方程式で解決してしまう、随分昔に廃れた古い考え方の焼き直しに過ぎなかったからだ。
今回の筆記テストの問題用紙を見た時も、マリエルは思わず天を仰ぎそうになった。
『こんな問題を、どうやって手加減して間違えればいいのか』と。
わざと計算ミスをするにしても、どの程度間違えれば教師に怪しまれない「自然な凡ミス」になるのか、その加減が全く分からなかった。
術式は極めて正確に記載しておいて、基礎中の基礎である魔法陣の描画問題でわざと線を歪ませるのも馬鹿らしい。
結果として、あまり深く考えずに無難に解答欄を埋めただけで満点に近い点数を叩き出してしまったのだ。
(ルカ・レグナス、だっけ。なんか悪いことしたな)
トップになってしまった以上、教師からの期待と注目も、他の生徒からの嫉妬や好奇の目も集まるだろう。
ひっそりと目立たずに大教会の情報を集めるという当初の計画には、大幅な狂いが生じてしまった。
「はぁ……」
マリエルは、セリアに気づかれないように視線を落とす。
失われた朝焼け色の天輪と光翼。
あの高位神人たちに奪われた、私の誇り。
絶対に這い上がって天へと戻り、奴らを地獄の底へ引きずり落として復讐を果たしてやる。
その暗く燃える決意は微塵も揺らいではいない。
だが、その道程は自分が思っていたよりもずっと面倒な障害に満ちているらしい。
マリエルは再び、誰にも聞こえないほどの小さなため息を、学園の回廊の冷たい空気の中へと溶かすのだった――。




