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神界から追放されし少女は叫ぶ。絶対目にもの見せてやるからな!!  作者: 万年亀
第一章 辺境の街モーリス

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鍛冶屋の看板娘と貴族のバカ息子

 昼下がりの辺境都市モーリス。

 太陽が中天を過ぎ、大通りに落ちる建物の影が少しずつ長くなり始める時間帯。


 この街を包む喧騒は相変わらず土埃と活気に満ちているが、鍛冶屋『スーパーアックスボンバー』の店内には、一時的な凪のような静寂が訪れていた。


「ふう……」


 カウンターの奥で、マリエルは小さくため息を吐き出した。

 午前中から立て続けに来店した冒険者たちの相手をこなし、ようやく一息つける時間ができたのだ。


 彼女は手に持った柔らかい布で、陳列台に置かれた短剣の柄を丁寧に拭き上げている。

 刃に鈍く反射する光が、薄暗い店内に微かなきらめきを与えていた。


(神界にいた頃は、こんな風に手を動かして働くことなんてなかったな……)


 ふと、そんな場違いな感慨が脳裏をよぎる。

 神界での生活は全てが魔法と下位の使い魔たちによって自動化されていた。


 自らの手を汚し、汗をかいて労働するという概念自体、あの傲慢な神人たちの辞書には存在しないのだ。


 だが、今のマリエルはこの油と鉄の匂いが染み付いた空間を、決して不快とは思っていない。

 働いた分だけ対価が支払われ、自分の居場所が確立されていく感覚。

 それは、誰かに血筋だけで価値を決められる世界よりも、よほど健全で人間らしい営みに思える。


 そんなのどかな思考に浸っていた彼女の耳に、通りから近づいてくる異質な音が届いた。


 この埃っぽい辺境の街には不釣り合いなほどに軽快で、そして上品な馬の蹄の音。

 それに続いて、よく手入れされた車輪が石畳を滑らかに転がる音が聞こえてくる。


 その音が、自店の真ん前でピタリと止まった。


(……来たか)


 マリエルは布を置き、営業用の笑顔を顔に貼り付けながら再び小さく、疲労を含んだため息を吐いた。


「お待ちしておりましたと申し上げるべきでしょうかね」


 誰にも聞こえないほどの小声で毒づく。

 店の入り口を覆う日よけの布がバサリと翻り、外の眩しい光を背負って一人の男が足を踏み入れてきた。


「ふっ……こんにちは、マリエルくん」


 甘ったるい、そしてどこか鼻にかかったようなキザな声が店内に響き渡る。

 同時に、鍛冶屋の無骨な匂いを上書きするように、むせ返るような高級香水の香りが広がった。


 現れたのは、このモーリスの街を治める領主、ベイナード子爵家の息子――アルナックである。


 彼は細身の身体に無駄にフリルとレースがあしらわれた純白の絹のシャツを纏い、その上から仕立ての良い濃紺のジャケットを羽織っていた。


 金色の髪は油で撫でつけられ、一糸乱れぬ形を保っている。

 辺境の開拓街を歩くには、あまりにも場違いで華美すぎる装いだ。


「今日も君は美しいね。この薄暗い店内に咲く一輪の可憐な花のようだ」


 アルナックは気取った仕草で前髪をかき上げながら、カウンターにいるマリエルへと歩み寄ってくる。

 彼は自身の魅力に微塵の疑いも持っていない。

 どんな女性でも落とせるという確信があるようだ。


「どうも、ベイナード家子息様。いらっしゃいませ」


 マリエルは口角を綺麗な弧に保ったまま、業務用のトーンで淀みなく挨拶を返す。

 その目は全く笑っていないが、アルナックがそれに気づく様子はない。


「ふふっ……そんな他人行儀にしなくともいいんだよ。君と俺の仲じゃないか。もっと気安く、アルナックと呼んでくれて構わないさ」


「店員と客の関係のはずですが」


 彼はカウンターに肘をつき、顔を近づけて甘い視線を送ってくるが、マリエルは一歩後ずさることもなく冷水を浴びせるように告げる。


「ふっ……照れているのかい? 可愛いな。だが、いずれそうではなくなるさ……俺の腕の中に君が収まる日も近い」


 アルナックは自信たっぷりに微笑み、またしても前髪を払う仕草をする。


(どうでもいいけど、さっきからふっふ、ふっふとうるさいな……呼吸器系に異常でもあるのかしら)


 神界で彼女を虐めていた高位神人たちの傲慢さとはまた違う、ただの自意識過剰な勘違い男の相手は、正直言って面倒くさい。


 そんな不毛なやり取りが繰り広げられていると、奥の鍜治場からドスドスという重い足音が響いてきた。

 馬車が到着した音と、アルナックの無駄に響く声に反応したのだろう。


「あーっと、ベイナードの御子息様。いらっしゃいませ」


 煤で汚れたエプロン姿のバーバラが、奥から姿を現した。

 その声には領主の息子に対する最低限の礼儀は含まれているものの、歓迎の色は薄い。

 彼女のような職人気質のドワーフにとって、冷やかし目的で店をうろつく貴族のぼんぼんなど、鉄くず以下の存在でしかないのだ。


 バーバラは太い腕を組み、アルナックをジロリと見下ろす。


「本日は何をお求めに? うちにはあんたのような貴族様が飾って喜ぶような、ひ弱な美術品は置いてないよ」


 その率直すぎる物言いに、アルナックの眉が微かにピクリと動く。

 彼はマリエルに向けていた甘い表情を一変させ、バーバラに対しては冷たく見下すような視線を向けた。


「ふん。何も求めてなどいないさ。こんな埃っぽい店にある粗悪な武器など我が家には不要だ。強いて言えば……そう、マリエルくんを求めてきたと言っておこうか」


 アルナックは薄く笑いながら、再びマリエルの方へと視線を流す。

 その言葉を聞いた瞬間、バーバラの額に青筋が浮かんだのが見えた。


 だが、バーバラが怒鳴り声を上げるよりも早く、マリエルがぴしゃりと言い放った。


「つまり、お客様ではないのですね?」


「……なに?」


 アルナックが怪訝そうにマリエルを見る。


「当店の武器をお求めでないということは、お客様ではないということです。当店は冷やかしをお断りしております。お引き取りください」


 マリエルは営業スマイルのまま、一切の感情を交えずに退店を促した。

 その声は鈴のように澄んでいるが、込められた拒絶の意志は鋼鉄よりも硬い。


「む……」


 アルナックは言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したような顔をする。


 流石の彼も、この『スーパーアックスボンバー』が客ではない者に対してどれほど厳しいか噂には聞いているのだ。

 マリエル目当てに店にたむろしていた冒険者たちが、激怒したバーバラの大槌によって物理的に店外へと射出されたという武勇伝は領主の館にまで届いている。


 いくら領主の息子とはいえ、正当な理由なく商売を妨害すれば、この荒くれ者の女ドワーフが何を仕出かすかわからない。

 そして辺境の街では貴族の権威よりも、その日の生活と腕っぷしの方が優先される場面が多々あることも彼は理解していた。


「……ふっ、冗談がきついな。俺がただの冷やかしでここに来るはずがなかろう」


 アルナックは誤魔化すように咳払いをすると、慌てて陳列台の方へと歩み寄り、そこにあった適当なナイフを手に取った。

 刃の具合を確かめることもなく、ただの棒切れでも扱うような雑な手つきだ。


 そして、店の入り口付近で静かに控えていた、黒服の初老の男を指を鳴らして呼び寄せる。


「おい。これを購入だ。いいな」


「はい、坊ちゃま」


 執事は表情一つ変えずに深々と一礼すると、カウンターのマリエルの前へと進み出た。


「こちらのナイフを頂戴いたします。おいくらでしょうか」


「……鋼のハンティングナイフですね。銀貨五枚になります」


 マリエルは内心でため息をつきながらも淡々と会計処理を進める。

 執事が懐から取り出した銀貨をトレイに乗せ、マリエルはそれを会計箱へと収めた。

 チャリン、という乾いた音が響く。


「ありがとうございました。お買い上げ、確かに承りました」


「さあ、これで俺は立派な『客』となったわけだ」


 アルナックが、勝利を確信したような得意げな笑みを浮かべて再びマリエルの前へと戻ってきた。

 そしてカウンター越しに身を乗り出し、商品を渡そうと差し出していたマリエルの右手をガシッと両手で握りしめたのだ。


「うっ……!」


 マリエルの喉の奥から、無意識の小さな悲鳴が漏れる。

 いきなり手を掴まれて思わず出た恐怖の声だ。


「もう少し話そうじゃないか、マリエルくん……。俺と君の、輝かしい未来について……」


 アルナックはマリエルの手を握ったまま、うっとりとした表情で語りかけてくる。

 彼の手のひらは妙に汗ばんでおり、そこから伝わってくる粘着質な熱と香水の匂いがマリエルの全身に強烈な悪寒を走らせた。


 鳥肌が立つ。

 胃の奥から、冷たくて気持ちの悪いものが込み上げてくる感覚。


「……お金を払ったら、商品を受け取って出て行くのが筋だと思うのですが」


 マリエルは手を引き抜こうと力を込めるが、アルナックは意外なほど強い力で握って離さない。

 彼女の心のガードは鉄壁であり、この男の口説き文句など全く心に響いてはいない。

 ただただ、触れられていることが不快で仕方がなかった。


 そして、その単語が放たれた。


「そう冷たく言わないでくれ、マリエルくん。俺の天使よ」


「……は?」


 ピタリ、と。

 店内の空気が、文字通り凍り付いた。


 マリエルの声のトーンが急降下する。

 顔に貼り付いていた営業スマイルは跡形もなく消え去り、そこには一切の感情を廃した能面のような無表情。


「えっ……?」


 アルナックは突然の温度変化に戸惑い、一瞬だけ動きを止める。

 目の前の少女から、先ほどまでの可憐な気配が消失し、代わりに得体の知れない圧迫感が放たれ始めていることに気づいたのだ。


 だが、彼は自分の言葉が原因だとは夢にも思わず、むしろ照れ隠しだと勘違いして言葉を重ねてしまった。


「ふ、ふふっ……何を驚いているんだい? 君は本当に天から舞い降りた天使のように可憐で汚れを知らない美しい存在だ。その無垢な瞳が俺の心を……」


「やめてください」


「え?」


 アルナックは呆然としてマリエルを見つめる。


「私を『天使のようだ』などと形容しないでください」


 マリエルの瞳の奥で、どす黒い憎悪の炎がボワリと燃え上がった。


 彼女の背後から、目には見えないが確実に肌で感じ取れるほどのドス黒く禍々しいオーラがゆらゆらと立ち上り始めている。

 なにあれ怖い。


「ひっ……!?」


 アルナックはマリエルの本気の嫌悪と怒気に当てられ、思わず握っていた手を離して後ずさった。

 背筋に冷たい汗が流れ落ちる。


 普通、年頃の女性が「天使のようだ」と容姿を褒められて、ここまで本気で殺意すら覚えるほどに激怒することなどあり得ない。

 だが、目の前の少女は明らかに本気で怒っている。

 なんで?


「ふ、ふふっ……。ど、どうやら、少しからかい過ぎて怒らせてしまったらしいな。ご婦人の機嫌を損ねるのは紳士の恥……。こ、ここは大人しく退散するとしよう!」


 アルナックは引きつった顔で強がりの言葉を吐き捨てると、逃げるようにして踵を返した。

 執事を怒鳴りつけながら、転がるようにして店を飛び出していく。


 バタバタという慌ただしい足音と、すぐに走り去る馬車の車輪の音が遠ざかっていった。


 店内に再び静寂が戻る。


「…………」


 マリエルは俯いたまま、アルナックに握られていた右手を、左手でゴシゴシと力強く擦っていた。

 まるで、こびりついた汚物を必死に洗い落とそうとするかのように。


 その異様な雰囲気に、成り行きを見守っていたバーバラが恐る恐る近づいてくる。


「えーっと……マリエルちゃん」


 バーバラは怒りで肩を震わせている少女に、慎重に言葉を選ぶようにして尋ねた。


「あのバカ貴族が気持ち悪かったのはわかるけどさあ……今の、何がそんなに気に入らなかったのか、おばさんに教えてくれるかい……?」


 マリエルは手を擦るのを止め、ゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には、まだ黒い炎の残滓が燻っていた。


「天使と呼ばれるのが死ぬほど嫌なんです」


 吐き捨てるように言ったその一言には、尋常ではない重みが込められている。


「……天使? なんでまた。普通、女の子なら喜ぶ誉め言葉だと思うんだけどねえ。変なとこに地雷があるね、あんた」


 バーバラは頭を掻きながら不思議そうに首を傾げる。


 彼女からすれば、人間の貴族が使うような歯の浮くようなお世辞など戯言でしかない。

 だが、マリエルにとってその言葉は決して触れてはならない逆鱗だったのだ。


(天使……神の使い。清らかで、美しく、尊い存在……)


 マリエルは内心で、その言葉の持つ意味を反芻し、そして激しい吐き気を覚えた。


 神界から理不尽な冤罪を着せられ、羽を毟り取られて堕とされてから、マリエルは『神人』を想起させるあらゆる概念が心底嫌悪の対象となっていた。

 下界の人間たちが思い描く「天使」という存在は、あの神界にふんぞり返っている純血主義の傲慢な神人たちの姿そのものだ。


 天輪を掲げ、光翼を広げ、自分たちを下等生物だと見下して嘲笑っていた連中。

 あのユーバフやアミアンと同じような存在に自分が例えられること。

 それらと自分を同一視されるということが、マリエルにとっては耐え難いほどの屈辱であり、最大の侮辱なのだ。


「……あんな連中と、一緒にされたくない」


 ギリッ、と奥歯を噛み締める。

 脳裏に奪われたオレンジ色の光翼と、あの日の絶望がフラッシュバックする。

 腹の底から抑えきれない呪詛が再びグツグツと沸き上がり始めていた。


「はー……」


 マリエルは大きく息を吐き出し、無理やり感情の波を抑え込もうとする。

 だが、一度火がついた苛立ちはそう簡単には収まってくれそうにない。


「バーバラさん。ちょっと席外して鍛冶を軽くやってきますね」


 マリエルは事務的に、しかしどこか切羽詰まった声で告げた。

 エプロンの紐を強く結び直し、迷いのない足取りで店の奥へと向かう。


「あー、うん。……いってらっしゃい」


 バーバラは引き止めることもできず、ただ見送ることしかできなかった。


 マリエルが鍜治場の中へと姿を消す。

 すぐに、ふいごが激しく動かされる音が聞こえ、炉の炎がゴォォォッと勢いよく燃え上がる気配が伝わってきた。


 そして。


「よくも私を天使などと……天使などとォォォッ!!」


 ガァンッ!! ガァンッ!!


 鍜治場の中から、先日よりもさらに激しく怨念に満ちた呪詛の叫びと、鉄を粉砕せんばかりのハンマーの音が鳴り響き始めた。


 扉の隙間からは、あの禍々しい黒いオーラが、まるで生き物のようにうねりながら漏れ出している。

 その濃密な負のエネルギーは、先日の比ではない。


「あーあ……」


 バーバラはカウンターに肘をつき、両手で頭を抱えた。


 あの様子では、またとんでもない代物が出来上がってしまうだろう。

 普通の魔武器どころか、かすり傷一つで対象を地獄へ送るような、特級の呪物が生み出されているに違いない。


「また、裏の在庫が増えるのか……」


 このままでは、鍛冶屋の地下が呪いの武器庫になってしまう。

 売り物にならない、しかし捨てることもできない危険物の山。


 バーバラは狂気の打撃音が響き渡る鍜治場の扉を見つめながら、今日一番の重い嘆息を夕闇の迫る店内に漏らすのであった――。


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