水精姫と里帰り
第五章は比較的のんびりエピソードです。
夕闇が外の景色を濃紺に染め上げる中、木造の部室には魔力灯の暖かな光が灯っていた。
使い込まれた長机の上には帰りがけに買い込んだショートケーキや色彩豊かなタルト、そして屋台の香ばしい匂いを漂わせる数本の串焼きが所狭しと並べられている。
そんな食べ物の香りに混じって、机の中心には不釣り合いなほど厳重な防護ケースに収められたアーティファクト――『天声の雫』が鎮座していた。
「と、いうわけで……神界と通信するための道具が、これになります」
マリエルは自分の過去と目的、そして神界の理不尽な裁判から教皇との対話に至るまでの全ての事情を話し終え、二人の反応を静かに窺う。
重い沈黙が部室を包む。
神界の存在、そこから追放された元神人という事実、そして歴史上の災厄である魔王の正体。
どれもこれも、下界の常識で生きる人間からすれば荒唐無稽で信じがたいスケールの話だ。
マリエルは自分の膝の上で両手をきゅっと握りしめる。
もし「頭がおかしくなったのか」と笑われたらどうしよう。あるいは「魔王の予備軍」として警戒されたら。
そんな不安が胸の奥をチクチクと刺す。
だが、二人の反応はマリエルの予想とは少し違っていた。
彼らは怯えたり疑ったりする様子を見せることなく、ただ真剣な顔で情報を反芻するように考え込んでいたのだ。
「なるほどー。マリエルのあのデタラメな優秀さは、そこから来てたんだねえ」
沈黙を破ったのは、口の周りに串焼きのタレを少しつけたセリアだった。
彼女はポンと手を打ち、深く納得したように頷く。
「筆記テストの満点も水球一つで五天星を圧倒するのも、元々人間とは違う高い次元の魔力や知識を持ってたからなんだね。私、ずっと『平民なのにマリエル凄すぎる!』って尊敬してたけど、そりゃあ凄いのも当然だね!」
セリアはカラカラと笑いながら、マリエルの秘密をあっさりと受け入れた。
「というか、俺が君から教わったあの空間魔法の概念や魔法理論は下界の未知の文献などではなく、文字通り『天上』の理論だったのか……。道理で、どれだけ教本を漁っても知らない理論なわけだ」
ルカもまた腕を組んで天を仰ぎながら深く納得の声を漏らした。
彼にとって、長年の魔法研究の壁をあっさりとぶち壊してくれたマリエルの圧倒的な知識の出所が判明し、むしろスッキリとした顔をしている。
「黙っててごめんね、二人とも」
マリエルは申し訳なさそうに視線を落とす。
「良いんだよマリエル! たとえ種族が違っても、秘密があったとしても、私たちは友達だぜー!」
セリアは椅子から立ち上がり、マリエルの小さな身体を背後からギュッと抱きしめた。
その腕の温かさと迷いのない言葉に、マリエルの胸の奥で張り詰めていた緊張の糸がふっと解けていく。
「まあ、言わない理由も理解できるしな……」
ルカも同意するように深く頷いた。
「もし入学早々『私は天から堕ちた神人で、神界に復讐しようと思っています』などと触れ回っていたら、付き合いが浅い人間からすれば頭がおかしいと判断されても仕方のない内容だ。それに魔王の正体が神人であるという教会の機密まで絡んでいるとなれば、軽々しく口にできることではない」
ルカは冷静に状況を分析し、マリエルの判断の正当性を肯定してくれる。
(というか神人というのは聞いた感じ寿命が人間より長いようだが。……ひょっとしてマリエル嬢の方が俺よりも実年齢は年上なのか? 姐さん女房……いやいや、今はそんなことを考えている場合ではない)
ルカは内心で湧き上がった不埒な想像を慌てて咳払いで打ち消し、机の上のケースへと視線を向けた。
「それでマリエル嬢。今の君の目的は神界への復讐ではなく、この通信機を直して昔お世話になったという神人長……フーラースという上司の方に連絡を取りたい、ということなんだな?」
「うん。私が追放処分を喰らう前に回廊で一回会ったきりだし……あの昔の手記の最後に、どうして彼の名前があったのか、それがどうしても気になってね」
マリエルは『天声の雫』のひび割れたリングを見つめながら、強い意志を込めて答える。
神界の連中をどうにかしてやりたいという怒りは消えていないが、それよりも今は自分を唯一気遣ってくれた恩人の安否と、歴史の真実を知ることの方が先決だ。
「そうか。事情は全て理解した。ともあれ何にしても、まずはこの通信機の修復が必要だな」
ルカはケースに手を伸ばし、ガラス越しに中の遺物を観察する。
「物理的な破損は錬金術師でどうにかなるが、問題は内側の微細な術式部分だ。君の神界の知識と魔力操作をもってしても精密な修復には設備と協力者が必要だろう。明日、学園で腕の立つ細工師や術式構築に長けた人間を当たってみるしかないな」
「そうだね。五天星の権限を使えば、優秀な生徒や先生に協力を頼めるかもしれないし」
マリエルも少し希望が見えてきて、表情を明るくする。
「よーし、そうと決まれば明日に向けて英気を養わないとね! ケーキ食べようケーキ!」
セリアが元気よくタルトの箱を開け、部室の空気は一気に甘い香りと和やかな笑い声に包まれた。
――だが、その時の三人は知らなかった。
次の日の朝、学園に登校した彼らを待ち受けている想定外の事態を。
◆◆◆◆
翌朝。
いつも通りの喧騒に包まれているはずの魔法学園の構内は、どこか浮足立った奇妙な静けさに支配されていた。
生徒たちは不安げにヒソヒソとささやき合い、教師たちは慌ただしく廊下を行き交っている。
マリエル、ルカ、セリアの三人は職員室へと足を運んでいた。
担任の初老の教師が疲労の色を濃く浮かべた顔で三人の前に立つ。
「え、臨時休校、ですか?」
マリエルが聞き返す声に、驚きが隠せない。
教師はこめかみを揉みながら、重々しく告げた。
「そうなりますね。なんでも昨日、学園に併設されている魔法研究所で保管されていた古代のゴーレムが突如として暴走する事件があったとかで」
「へ、へえ~、そうなんですかぁ~」
セリアが露骨に視線を泳がせながら白々しい声で相槌を打つ。
マリエルもルカも、不自然にならないように必死に表情筋を制御して「それは大変ですね」といった顔を作っている。
自分たちがその暴走ゴーレムのトリガーであり、さらにそれをスクラップにして内部をドロドロに溶かした張本人たちである。
教皇が研究所側にどう言い訳してくれたのかは不明だが、少なくとも彼ら三人が犯人として手配されている様子はないようだ。
「幸い、人的被害はなかったようですが……施設の一部が破壊され、研究所側は大混乱に陥っております。そのため、一度研究所だけでなく学園全体の倉庫に保管されている遺物や危険物を徹底的に再チェックすることになりましてね。我々学園の教師も全員その調査と安全確認に駆り出されることになりました」
教師はため息交じりに書類の束を机にトントンと揃える。
「緊急性も高い事案ですので生徒の皆さんの安全確保を最優先し、本日から一週間の臨時休校が決定いたしました。学園祭の準備も近いというのに本当にすいませんね。各クラブの発表準備は各自で進めておくように」
「……いえ。先生方も急な対応でご苦労様です。お忙しいところ、ありがとうございました。失礼します」
ルカが代表して丁寧に頭を下げ、三人はそそくさと職員室を後にした。
廊下に出て人気のない角を曲がったところで、セリアとルカは同時にマリエルを見つめた。
「……ごめんなさい」
マリエルは居たたまれなくなってペコリと頭を下げる。
研究所の破壊や突然の休校は、根本的な原因は彼女が研究所へ足を踏み入れたことにあるのだから。
「まあマリエルが意図して動かしたわけじゃないし、マリエルのせいかっていうとそれも違うけどね……。不可抗力ってやつだよ」
セリアが苦笑いしながらフォローを入れる。
「だが困ったな。学園が休校となっては先生方に通信機の修復の協力を頼むこともできない。生徒たちもこの機会に実家へ帰ったり、出かけたりする者が多いだろうしな。学園の伝手を当たるのは難しくなった」
ルカが腕を組み、深刻な顔で問題点を指摘する。
修復の当てが外れ、一週間の空白期間ができてしまった。
寮に残って自力で術式の修復を進めようにも、それだけでは行き詰まる可能性が高い。
「思わぬ長期休暇かあ。どうする? このまま寮でゴロゴロするのも退屈だし、どっか行く?」
セリアが提案する。
「うーむ。図書館が開いているなら引き続き魔王研究の資料をまとめるか、それとも俺個人の魔術研究に時間を割くか……」
ルカがスケジュールの再構築を思案し始めた、その時。
「あ、じゃあ、ちょっといいかな」
マリエルが控えめに手を上げた。
「せっかくの長期休暇なら、私、一つだけ行きたいところがあるんだ」
「行きたいところ?」
マリエルの言葉に、二人は興味深そうに耳を傾ける。
◆◆◆◆
そして。
王都から北へ向かって延びる街道を、一台の乗合馬車が土埃を上げながら進んでいた。
車内に揺られているのは少しだけラフな平服に着替えたマリエル、セリア、そしてルカの三人組だ。
窓から吹き込む風は少し肌寒いが、空は抜けるように青く澄み渡っている。
やがて馬車が切り立った山脈の麓へと差し掛かり、進行方向に一つの街の輪郭が見えてきた。
木材と石を無骨に組み合わせた防壁。
複数の煙突から立ち昇る、黒い煤を含んだ煙。
「おー、あれが!」
セリアが窓から身を乗り出し、初めて見る辺境の景色に目を輝かせる。
王都の洗練された街並みとは違う、荒々しくも生命力に満ちた開拓街の風景だ。
「着いたか。随分と活気のある街だな」
ルカもまた、窓の外の景色を興味深そうに観察している。
「そうだよ。ここが」
近づいてくる街の門を見つめながら、マリエルは懐かしさと共に自然と笑みを浮かべていた。
神界から追放され、絶望のどん底で泥にまみれていた自分を拾い上げ、人間として生きる術を教えてくれた場所。
「私が初めて来た下界の街、モーリスだ!」
マリエルの弾むような声と共に馬車は街の門をくぐる。
通信機修復の手掛かりを求め、そして少しばかりの郷愁を胸に。
三人の若き魔術師たちは、埃っぽくも活気溢れる辺境の街モーリスを訪れるのであった――。




