水精姫と頼もしい仲間
もうもうと立ち込める土煙の向こうで、床を粉砕した巨大ゴーレムが無機質な動作で腕を引き抜こうと軋み音を立てている。
マリエルを横抱きにしたままルカはその殺戮兵器から視線を外すことなく、静かに、しかし咎めるように語りかけた。
「まったく……一人で駆け出すな」
至近距離から聞こえる心臓の鼓動と低い声。
マリエルはハッとして、自分を抱きかかえている少年の顔を見上げる。
端正な横顔には自分の身の危険を顧みずに飛び出していったマリエルへの呆れと、隠しきれない安堵が入り混じっていた。
その言葉は「自分たちをもっと頼れ」という不器用な彼なりの親愛と信頼だ。
「君は、一人でここにいるんじゃないんだぞ」
「あ、うん……ごめん」
マリエルは素直に謝罪の言葉を口にしながら、ルカの腕の中にすっぽりと収まっている自身の状態を改めて自覚した。
制服越しに伝わってくる、思っていたよりもずっと引き締まった胸板と力強い腕の筋肉。
細身に見えて日頃から魔法の鍛錬と共に相応の身体作りをしているようだ。
(なんか、ルカ君……凄い頼もしいな……)
神界から堕とされて以来ずっと一人で全てを背負い込み、誰かに助けを求めることなど忘れていた。
こうして誰かの腕の中で守られているという事実と年頃の少年の体温に、マリエルは不覚にも思わずドキドキと胸を高鳴らせてしまう。
先ほどの死の恐怖とは全く違う種類の心拍数の上昇に自分でも戸惑いを隠せない。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
『目標再設定……罪人、捕捉継続』
瓦礫の中から身を起こしたゴーレムの頭部の赤いスリットが、再びマリエルへとピタリと照準を合わせた。
魔力を帯びた重低音が響き、その巨体が再び沈み込む。
『死刑執行』
空気を震わせる宣告と共に、ゴーレムが再びマリエルに向かって殴りかかろうと迫ってきた。
「ッ! ルカ君!」
マリエルが反射的に身を固くする。
魔法無効化装甲を持つあの巨体に、今度はどう対処するのか。
「大丈夫だ」
ルカの短く、力強い言葉。
次の瞬間、マリエルの視界が再び真っ暗に染まった。
無音の世界、重力の喪失。
そして瞬きをする間もなく、二人の身体は先ほどの場所からさらに十メートル以上後方へと空間を跳躍するようにして移動していた。
二人が一瞬前までいた場所をゴーレムの鉄拳が容赦なく粉砕する。
マリエルが振り返ると自分たちが出てきた空間に、水面にインクを落としたようなドス黒い闇の魔力が渦巻いて、シュゥゥゥと音を立てて霧散していくところだった。
マリエルは自分を抱えたまま着地を決めたルカを見上げる。
「ルカ君、これ……」
「闇属性の空間移動魔法だ」
ルカはゴーレムの次の動きを警戒しながら、冷静に種明かしをする。
「一応、空間感知の術式も併用して転移先の安全を確認してから飛んでいる。……ただ」
ルカは少しだけ悔しそうに眉をひそめた。
「空間の把握範囲と座標指定の術式がまだ未完成でな。どちらも周囲が壁や天井で仕切られた屋内でしかまだ使えないんだ。屋外のような無限に広がる空間では魔力が拡散して座標を固定できない」
つまり、図書館でマリエルが教えた「光は外側、闇は内側」という概念を、彼はたった数ヶ月の短期間で自分なりに解釈し、実践レベルの『短距離転移魔法』として独自に構築してしまったのだ。
屋内限定という条件付きとはいえ、この下界において空間転移を個人レベルで成功させるなど間違いなく高レベルの偉業である。
「それでも、凄いよ……」
マリエルは本気で感嘆の声を漏らした。
自分が神界の知識として口にした理論を、まさかここまで早く、そして正確に形にするとは。
この少年の魔法に対する探求心と才能は本当に底知れない。
マリエルが感心しきっていた、まさにその時。
「マリエルに……」
廊下の奥、土煙の向こう側から、聞き慣れた少女の怒声が轟いた。
「なにさらしてくれとんじゃあああああッ!!」
バキンッ! と、床板が爆発的に弾け飛ぶ音がした。
制服姿のセリアが目にも止まらぬ速度で空中をすっ飛んできたのだ。
それは全身の筋肉を限界まで強化させた、弾丸のような飛び蹴り。
セリアの小さな足の裏が、ゴーレムの分厚い胸部装甲に直撃する。
信じられない光景だった。
魔法攻撃を一切受け付けず、マリエルの魔法ですら傷一つ付けられなかった巨大な鉄と石の塊が。
セリアの飛び蹴りの物理的な一撃をモロに受け、その巨体を宙に浮かせたのだ。
ゴーレムが不快な金属音を上げながら、廊下を数十メートルにわたって後ろ向きに吹き飛んでいく。
そして、そのまま研究所の頑丈な耐力壁に激突し、壁面を大きくひび割れさせて、めり込むようにして停止した。
「ええええええ!?」
マリエルはルカの腕の中で悲鳴を上げた。
いくら何でも質量比がおかしすぎる。
「物凄い馬鹿力……いや、失言だった。失礼」
ルカも思わず目を剥き、上品な貴族らしからぬ言葉を口走ってから咳払いをして訂正する。
舞い上がる土煙の中、華麗に着地を決めたセリアが息を弾ませながら二人の方へと振り返った。
「マリエル! 大丈夫!?」
「ああ、うん、大丈夫だけど……凄いパワーだね?」
マリエルは、めり込んだまま静止しているゴーレムとセリアを交互に見比べながら引きつった笑いを浮かべた。
身体能力強化の上がり幅が以前とは段違いだ。
「えへへ、でしょ!」
セリアは自慢げに鼻の頭を擦る。
「マリエルに言われた通り、普段から人体の筋肉配列とか骨格の構造をみっちり勉強してね。魔力配分も今までみたいに腕とか脚とかに大雑把に流すんじゃなくて、強化したい筋繊維の一本一本に直接高密度の魔力を通すように意識してるからね。出力が全然違うんだよ!」
「俺は身体能力強化について詳しくないが……魔法の効率化に筋肉配列の医学的な勉強までするものだったのか……?」
ルカが自身の魔法知識とのギャップに困惑するように呟く。
もちろん、それはマリエルの神界知識によるアドバイスの賜物である。
通常、下界の身体能力強化魔法は「腕を強くする」「脚を速くする」といった大雑把な部位指定のイメージで行われる。
だが、人体構造を解剖学レベルで正確に把握し、具体的に「どの筋肉を収縮させ」「どの骨格で支えるか」をイメージした上で筋繊維に直接高密度の魔力を通した方が魔力のロスが減り、格段に強化幅と精度が跳ね上がるのだ。
無論、言われてすぐにできるような難易度ではない。
騎士団の厳しい実戦鍛錬を乗り越え、騎士の訓練方法を身に付け、人体構造を死に物狂いで把握し、毎日血を吐くような反復練習を繰り返し続けた結果である。
アランは彼女を「ガッツがある」と称して惚れ込んでいたが、実にその通りだ。
いくら素質や魔力があろうと地味で泥臭く、執念深い努力を続けられるガッツが無ければ成せない所業である。
壁にめり込んでいたゴーレムが、周囲の瓦礫を払い落としながら再びゆっくりと立ち上がり始めた。
胸部の装甲が僅かにひしゃげているが、機能に致命的な損傷はないらしい。
それを見たセリアが大げさにため息を吐く。
「うはー、まだ動くんだ。今の蹴り、分厚い壁くらいなら軽く蹴り壊せる威力で撃ち込んだんだけどなあ」
「古代の遺物だけあって、相当頑丈な造りをしているらしいな。俺も影を使って攻撃するか?」
ルカが加勢を提案する。
だが、マリエルはルカの服の袖をキュッと掴んで首を横に振った。
「いや、無駄だよ。あいつの装甲、魔法攻撃は無効化するみたい。だからダメージを与えるならセリアみたいな物理打撃くらいしかないと思う。でも……この狭い廊下じゃ、セリアが全力を出して暴れられるような十分なスペースがない」
マリエルが周囲を見回す。
先ほどの飛び蹴りでも天井や壁の崩落の危険があった。
ここで全力を出せば研究所ごと生き埋めになりかねない。
「どこか、もっと広くて頑丈な場所はないかな……」
「……この廊下の先に大規模実験場があるそうだ」
ルカが、研究所の構造を思い出すように答える。
「あいつのような巨大な遺物の起動実験をしたり、大規模な破壊魔法のテストをしたりする場所で天井も高く、防壁も極めて頑丈にできているらしいぞ」
「そこに誘導しよう!」
マリエルが即座に決断を下す。
「あいつのターゲットは私に設定されてるみたい。だから、私がその実験場に逃げ込めば、あいつも確実に追ってくるはずだよ」
「……君が、狙われているだと?」
その言葉にルカの顔色が変わった。
彼は何か、その理由について深く聞きたそうな疑念と心配が入り混じった顔をする。
マリエルが魔王の遺物に異常な執着を示し、そして古代の処刑兵器からただ一人狙われる理由。
彼女の抱える秘密の核心に触れようとしている。
だが、ルカはそれを振り払うように前を向いた。
「……了解した。ではマリエル嬢は俺が抱えていく」
「おっけー。マリエルを頼むね、ルカ君!」
セリアが両拳を打ち合わせ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
「え、いや、自分で走れば……」
マリエルが慌てて抗議するがルカは一切耳を貸さない。
「俺の空間移動で行った方が早く安全に実験場へ辿り着ける。長距離転移はまだ空間座標指定の術式ができていなくて無理だが、視界に入る範囲での短距離転移を連続で繰り返していこう」
「じゃ、私は爆速で走って後を追っていくんで、よろしく!」
「よし行くぞマリエル嬢! 舌を噛まないように、しっかり掴まっていろ!」
ルカが力強く宣言し、マリエルを抱きしめる腕にさらに力を込める。
「ひゃああああ!!」
マリエルの情けない悲鳴と共に二人の周囲の空間が再び漆黒の闇に染まる。
連続する空間転移の浮遊感と密着するルカの体温。
そして自分が招いてしまったこの大惨事への申し訳なさ。
それらが複雑に絡み合い、マリエルはルカの胸の中で恐怖なのか恥ずかしさなのかわからない謎の感情で顔を真っ赤にしながら、決戦の舞台となる実験場へと強制的に運ばれていくのであった――。
お姫様抱っこ。




