鍛冶屋の看板娘と店主バーバラ
バーバラがその少女と出会ったのは、今からおよそ一ヶ月前のことだ。
その日、バーバラは仕入れの交渉を終え、モーリスの街外れにある人気のない路地を歩いていた。
夕陽が街を赤く染め上げ、長く伸びた建物の影が石畳を黒く塗りつぶしていく時間帯。
不法投棄されたガラクタや壊れた木箱が散乱する、お世辞にも治安が良いとは言えない薄暗い裏路地である。
「やれやれ、今日の鉄鉱石は随分と足元を見やがって……」
ドワーフ特有の太い腕を組み、ぶつぶつと愚痴をこぼしながら歩いていたバーバラの足が、ふと止まった。
崩れかけたレンガの壁際。
積み上げられたゴミの山の陰に、ポツンと小さな影がうずくまっている。
「……ん?」
バーバラは目を凝らした。
そこにいたのは一人の少女だった。
膝を抱えるようにして地面にしゃがみこみ、ピクリとも動かない。
まるで捨てられた人形のように周囲の景色から完全に浮き浮いている。
「ええっと……どこのお嬢さんだい?」
バーバラは警戒しつつも、ゆっくりと近づいて声をかけた。
少女は顔を上げない。
ただ、その焦点の合わない虚ろな瞳が地面の石ころをじっと見つめているだけだ。
文字通り「死んだような目」とはこのことだろう。
魂の抜け殻がそこにあるかのようだ。
バーバラは職人としての鋭い観察眼で、少女の身なりを素早く値踏みする。
(こりゃあ……訳ありの匂いがプンプンするねえ)
少女の衣服は土埃にまみれ、所々が破れてはいるものの、その生地の質は一目で極上品だとわかる。
滑らかな絹のような手触りを想像させる純白の布地、精緻な刺繍の跡。
辺境の街モーリスの町長の娘が着ている一張羅よりも遥かに上等で仕立てが良い。
加えて、手入れの行き届いた痕跡が残る淡い色の銀髪や、泥に汚れていても隠しきれない肌のきめ細かさ。
どう見ても、こんな薄汚れた裏路地にいるような身分ではない。
(どこぞの貴族のお嬢様が、家出か、それとも誘拐されて逃げ出してきたか……)
どちらにせよ、関われば面倒な事態に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。
商売人として、あるいはこの荒っぽい街で生き抜く者として、ここは見て見ぬふりをして立ち去るのが最も賢明な選択である。
頭ではそう理解していた。
だが、バーバラには致命的な欠点があった。
そんな賢明さを彼女は生憎持ち合わせていなかったのだ。
「……たく、こんな夕暮れ時に、こんなちっこいのを放っておけるかってんだ」
バーバラは頭をガシガシと掻きむしり、大きなため息を一つ吐き出す。
そして、うずくまる少女の前にしゃがみ込んだ。
「行くところがないんなら、おいで。黙ってここにいても何も解決しないし、何もしないならなおさらさ」
バーバラは少女の細い腕を掴み、半ば強引に立たせた。
少女は抵抗する素振りも見せず、まるで糸に引かれる操り人形のように、ふらふらと立ち上がる。
そのまま、バーバラは自分の鍛冶屋『スーパーアックスボンバー』へと少女を連れ帰った。
道中、少女は一言も話さなかった。
バーバラが何を尋ねても虚空を見つめたまま、ただ一度だけ、ひび割れたような声でポツリと自らの名前を呟いたのみだ。
「……マリエル」
それが、彼女が下界で発した最初の言葉だった。
◆◆◆◆
鍛冶屋の奥にある居住スペース。
バーバラはとりあえずマリエルを木の椅子に座らせ、腕を組んで思案した。
「マリエルちゃんだっけ? 腹減ってないか? 飯食うかい」
厨房からあり合わせのパンと干し肉、温かいスープを用意してテーブルに並べる。
だが、マリエルは目の前の食事に視線を落とすものの、手を伸ばそうとはしない。
お腹が空いていないのか、それとも食事をとる気力すらないのか。
「うーん……服はどうだい。ちょっと泥だらけだし、着替えるか? 私の古い服があるけど……って、よく見りゃあんたの着てるものの方が、泥だらけでも遥かに上等そうだねえ!」
自分の分厚い綿のシャツと、マリエルの着ているボロボロだが高級な布地を比べ、バーバラは自嘲気味に笑う。
どう接したものか。
相手の素性がわからない以上、下手に刺激するのもためらわれる。
「あー、そうだ! 風呂! 風呂入るかい! 鍛冶仕事だと毎日油と煤で汚れるから、うちには立派な風呂があるんだ!」
バーバラはポンと手を打ち、強引に話題を切り替える。
心身の疲れを取るには、やはり温かい湯に浸かるのが一番だ。
マリエルは相変わらず無言だったが、ゆっくりと、わずかに首を縦に振った。
「よしよし、そうと決まればお湯を沸かさないとね」
バーバラは甲斐甲斐しく立ち回り、裏手にある風呂場の準備を整える。
ずっと黙ったまま、されるがままのマリエルをなんとか風呂に押し込み、身体の汚れを洗い落とさせた。
しばらくして風呂から上がってきたマリエルは、バーバラのブカブカのシャツを着せられていた。
泥汚れが落ち、銀糸のような髪がしっとりと濡れている。
顔色はまだ蒼白だが、先ほどの裏路地にいた時よりは、いくらか生気を取り戻しているように見えた。
マリエルが暖炉の前の椅子にちょこんと座るのを見て、バーバラは温かいハーブティーを差し出しながら向かいの椅子に腰を下ろす。
「ふぅ……一息ついたね」
湯気を立てるカップを見つめるマリエルを観察しながら、バーバラは内心で首をひねる。
(さて、どうしたもんか。一応、素性くらいは聞かないと駄目かねえ。どっかの貴族の令嬢で捜索願でも出されてたら厄介なことになるし……うーん)
しかし無理に聞き出してパニックになられても困る。
何より、彼女のあの虚ろな目は尋常ではないショックを受けた者のそれだ。
「それにしても、喋ってくれないと結構困るな……」
バーバラが頭を掻きながら周囲を見渡した時、ふと、居住スペースの奥の扉越しに見える鍜治場が目に入った。
まだ炉には種火が残っており、鉄と炭の匂いが微かに漂ってくる。
「……ちょっと、鍛冶でもしながら考えるか」
ドワーフたるもの、迷った時や考えをまとめたい時は鉄を叩くのが一番だ。
炎の熱と鉄の響きに向き合っていれば、おのずと良い考えも浮かんでくるだろう。
バーバラは立ち上がり、マリエルに「ちょっと作業してくるから、休んでな」と声をかけ、鍜治場へと足を踏み入れた。
◆◆◆◆
鍜治場の中は心地よい熱気に包まれていた。
バーバラは革エプロンを締め直し、炉の火を強める。
手頃な鉄材を選び出し、炎の中へ。
赤く熱せられた鉄を金床に置き、ハンマーを振り下ろす。
カンッ! カンッ! カンッ!
規則正しいリズミカルな打撃音が鍜治場に響き渡る。
火の粉が舞い、鉄が徐々に形を変えていく。
この単純な作業の繰り返しがバーバラの心を落ち着かせてくれるのだ。
(さて、あの子をどうするかねえ。しばらくウチで預かるにしても、ギルドに報告くらいは入れとくべきか……)
思考を巡らせながら夢中で鉄を打つ。
ドワーフの職人魂が刺激され、無心でハンマーを振るっていた、その時だ。
ふと、背中にぞくりとするような視線を感じた。
気配は全くなかった。
バーバラが手を止め、何気なく後ろを振り返った瞬間。
「うおっ!?」
彼女は思わずハンマーを取り落としそうになり、飛び退いた。
そこにはブカブカのシャツを着たマリエルが、音もなく立っていたのだ。
ゆらりと揺れる濡れた髪、表情のない青白い顔。
薄暗い鍜治場の中で炎の照り返しを受けるその姿は、まるで恨みを残して現世を彷徨う幽鬼のようだった。
「び、びっくりした……。なんだマリエルちゃん、いるなら声をかけてくれよ」
つい幽霊かと思って心臓が跳ね上がった彼女は悪くない。
彼女は幽霊やアンデッドの類が少し苦手なのだ。
バーバラが冷や汗を拭っていると、マリエルはバーバラの顔ではなく金床の上に置かれたハンマーをじっと見つめていた。
そして出会ってから名前以外の言葉を、初めてその口から紡ぎ出した。
「……それ、やってみたい」
「え?」
バーバラは目を丸くした。
「それって、鍛冶のことかい? ハンマーを振りたいって?」
マリエルはゆっくりと頷く。
その瞳の奥に、ほんの微かな、しかし確かな炎が宿っているのを見逃さなかった。
(貴族のお嬢様に見える子が、鍛冶をやりたいだって? 妙な話だねえ……)
バーバラは訝しんだ。
華奢な少女が持つにはハンマーは重すぎるし、火の粉が飛べば火傷もする。
だが、ずっと心を閉ざしていた彼女が初めて自分から「やりたい」と意思を示したのだ。
ここで無碍に断るのも憚られる。
「……まあ、いいだろう。やっと言葉を口にしたんだし、試しに少しだけやらせてみるか」
バーバラは小さくため息をつき、マリエルを手招きした。
「こっちへ来な。火の粉が飛ぶから、この前掛けをしときな」
予備の革エプロンをマリエルに着せ、比較的軽めのハンマーを選んで手渡す。
マリエルはそれを受け取ると、しっかりと柄を握りしめた。
その構えは素人だが、不思議と力強さが感じられる。
「いいかい。鉄ってのはね、ただ力任せに叩けばいいってもんじゃないんだ」
バーバラは隣に立ち、炉から新しく熱した鉄の小片を金床の上に置いた。
作るのは簡単なナイフの刃の部分だ。
「こうやって鉄の温度を見極めて、形を整えるように打つ。そんで一番大事なのは……『気持ち』を込めて思いっきりハンマーを振るんだ」
ドワーフの鍛冶信仰における基本的な教えだ。
武器を使う者への祈り、鉄という素材への感謝、あるいは良きものができるようにという純粋な願い。
そういった前向きな『気持ち』を込めることで鉄は応えてくれる。
「気持ち……」
マリエルが呟く。
彼女はハンマーをじっと見つめ、そして金床の上の赤熱する鉄へと視線を移した。
「そうさ。さあ、やってみな!」
バーバラの合図と共に、マリエルは大きく息を吸い込んだ。
そして、華奢な身体のどこにそんな力が眠っていたのかと思うほど、思い切りハンマーを高く振りかぶったのだ。
そして叩きつける。
「許さない」
ガァァァンッ!!
激しい金属音が響いた。
と同時に、マリエルの口から漏れた言葉にバーバラは耳を疑った。
「え?」
マリエルは再びハンマーを振り上げる。
「許さない、許さない、許さない」
ガァンッ! ガァンッ! ガァンッ!!
「ちょ、マリエルちゃん?」
バーバラが慌てて止めに入ろうとするがマリエルの勢いは止まらない。
彼女の目は完全に据わっており、その瞳にはどす黒い憎悪の炎が燃え盛っていた。
「許さない……よくもォォォォ!!」
ガァァァァァァン!!!
鬼気迫る勢いでマリエルはナイフとなる鉄塊に激情を叩き込んでいく。
バーバラが教えた「気持ち」とは使う者への感謝や安全への祈りといった、温かく前向きなもののはずだ。
断じて世界を呪うような『呪詛』ではない。
「私の翼を……天輪を……! 返せェェェ!!」
狂乱するようにマリエルは叫びながらハンマーを振り下ろし続ける。
火の粉が周囲に撒き散らされ、彼女の身体から、ユラユラと黒い靄のようなオーラが立ち昇り始めた。
「ヒィッ……!?」
バーバラはドン引きして後ずさった。
それは比喩ではない。
明確な殺意と怨念が魔力の形をとって視覚化しているのだ。
なんだか知らんが、超ヤバイ。
バーバラは止めるタイミングを完全に見失い、ただ壁に張り付いて悪鬼の如く鉄を叩き続ける少女の姿を戦慄しながら見守るしかなかった。
――それから、どれほどの時間が経っただろうか。
カンッ、と。
最後の軽い打撃音が響き、マリエルはハンマーを下ろした。
金床の上には荒削りだが鋭い殺気を放つ、漆黒のナイフの刃が完成していた。
マリエルは荒い息を吐き出しながら、額の汗を手の甲で拭う。
そして、ゆっくりとバーバラの方を振り返った。
「……ありがとうございます。ちょっとスッキリしました」
そこにいたのは先ほどまでの悪魔のような形相が嘘のように、憑き物が落ちたようなスッキリとした笑顔を浮かべる可憐な美少女だった。
頬を少し赤らめ、照れくさそうに笑っている。
「あ、うん……それはよかったよ」
バーバラは引きつった顔で、どうにか声を引き絞る。
落差が激しすぎて感情の処理が追いつかない。
どうやら鉄に呪詛を叩き込む行為が、彼女にとって極上のストレス発散になったらしい。
「私は疲れが出たので申し訳ありませんが先に休ませてください。細かい事情説明は、明日しますので……」
「あ、ああ。そうだね。部屋はさっき教えたところを使っていいから」
「おやすみなさい、バーバラさん」
マリエルはペコリと頭を下げると革エプロンを外し、いそいそと自分に与えられた部屋へと向かっていった。
その後ろ姿は年相応の少女のそれだ。
鍜治場に一人残されたバーバラは金床の上に残されたナイフの刃を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
◆◆◆◆
翌日。
すっかり落ち着きを取り戻したマリエルはバーバラに自身の身の上を語った。
もちろん、自分が神界から追放された「元神人」であるという核心部分は隠し、下界の常識に合わせた形に脚色してだ。
「……というわけで私は無実の罪を着せられ、理不尽な裁判で未来を全て潰されて故郷を追放されたんです」
マリエルは紅茶のカップを両手で包み込みながら、悲しげに目を伏せる。
権力者の陰謀、同僚の裏切り、そして全てを奪われた絶望。
語られる内容は生々しく、その声には怒りと悲哀がこもっていた。
「なるほどねえ……。そりゃあ、あんなに怨念を込めてハンマーを振るいたくもなるわな」
バーバラは腕を組み、深く同情した。
彼女が貴族の令嬢ではなく何らかの組織から理不尽に追い出された身分だと知り、バーバラは少しだけ安堵していた。
貴族の揉め事となればお家騒動に巻き込まれかねないが、単なる追放者であれば、この辺境の街で匿うくらいはどうとでもなる。
「行く当てがないなら、しばらくウチで働きな。店の手伝いと鍜治場の掃除くらいならできるだろう? 賄い付きで雇ってやるよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
マリエルはパァッと顔を明るくし、何度も頭を下げた。
こうして、マリエルは『スーパーアックスボンバー』の店員として働き始めることになったのだ。
容姿の良さと愛想笑いの巧みさで、彼女はすぐに店の看板娘としての地位を確立していく。
だがバーバラの本当の悩みは、マリエルの素性や店の手伝いのことではなかった。
あの夜、マリエルが狂乱しながら打ち上げたナイフ。
バーバラは後日、それに柄を取り付けて完成品とし、詳しく検分してみて驚愕したのだ。
バーバラは店の奥の厳重に鍵のかかった木箱を開ける。
そこには、あの漆黒のナイフが何重にも布に巻かれて封印されていた。
「こいつは……とんでもない代物だよ」
布を少しだけめくると、ゾワリとした冷気が指先を伝ってくる。
そのナイフは『魔武器』になっていたのだ。
通常、この世界で魔法の力を宿す武器――『魔武器』というのは、優れた鍛冶師が打った武具に専門の付与術師が魔法の「術式」を刻み込んで完成させるものだ。
いわば、武器という器に、魔法という回路を搭載するようなものである。
あらかじめ決められた機能、例えば「炎を纏う」や「風の刃を飛ばす」といった効果が魔力を流すことで発動する。
それが一般的な『魔武器』の常識だ。
だが、目の前にあるこのナイフはどうだ。
術式など一切刻まれていない。
それなのに、武器そのものの材質、鉄の分子レベルにまで、どす黒い魔力がみっちりと染み込んでいる。
しかも、その魔力の性質が最悪だった。
怨念、憎悪、呪詛。
マリエルがハンマーを振るいながら叫んでいた「許さない」という負の感情が、そのまま闇の力となって刃に定着している。
(こんなもん、ちょっとでも掠って刺さったら、全身に呪詛が回って一瞬で死に絶えるじゃないか……!)
バーバラは冷や汗を流しながら、ナイフを再び厳重に布で包み込んだ。
触れただけで命を吸い取られそうな悪寒がする。
相手を呪い殺すことに特化した「呪いの装備」だ。
「どうしよう……」
バーバラは頭を抱えた。
こんな危険すぎる代物、間違っても店頭に並べて売り物にすることなどできない。
もし街の冒険者が買って使えば、うっかり刺さっただけでも死を撒き散らすような大惨事になるだろう。
かといって、捨てることもできない。
誰かに拾われれば同じことだ。
そして何より、あの細腕で全くの無自覚に、こんなヤバい魔武器を創り出してしまう少女。
マリエルをこのまま野に放ち、誰の目も届かない場所でこんな呪いの武具を量産されでもしたら、世界にどれほどの被害が出るかわかったものではない。
「放逐するわけには、いかないねえ……」
バーバラは深いため息をつく。
ドワーフの職人としての責任感とお人好しな性格が、彼女にマリエルを抱え込むことを決意させていた。
――そして、現在。
カンッ、カンッ、カンッ!
「絶対に引きずり降ろしてやる……! あのクソユーバフめ……!」
ガァァァァンッ!!
「アミアンもだ! その澄ました顔を泥水に沈めてやるゥゥゥ!!」
鍜治場の中から今日も今日とて、マリエルの恐ろしい呪詛の言葉と重いハンマーの音が響いてくる。
扉の隙間からは、あの禍々しい黒いオーラがゆらゆらと漏れ出していた。
(また、とんでもない呪いの武器が完成しそうだよ……)
バーバラは壁に背中を預けたまま、天井を仰いだ。
昼間は愛想の良い美少女店員。
夜は憎悪を鉄に叩き込む、呪いの鍛冶師。
「スーパーアックスボンバー」の裏の在庫である絶対に売れない呪いの武器は、今日もまた一つ増えようとしているのであった――。
「凄い武器だから」と安易に売り捌かない良心がある。




