水精姫と新たな糸口
秋の気配が色濃くなり、学園の敷地内を彩る木々が黄金色に染まり始めた頃。
マリエルがアランにあれこれとセリア攻略の最適解を教えてからしばらくが経ち、放課後の平民棟の廊下は、以前にも増して賑やかな空気に包まれるようになっていた。
「やあ、二人とも! 今日も可愛いね!」
爽やかで、少しだけキザな声が響く。
振り返ると、そこには特注の制服の第一ボタンを相変わらずだらしなく開け、赤茶色の髪を揺らす五天星の第二位『大地の申し子』アラン・フォーロッドが立っていた。
「あ、アランさん」
「アラン先輩、こんにちは!」
マリエルが軽く会釈をし、セリアはパッと顔を輝かせ、元気いっぱいに挨拶を返した。
そう、あの空き教室での秘密の作戦会議以降、アランはその日の授業が終わるごとに、足繁く平民棟の廊下――もといマリエルとセリアのいる教室の前へとやってくるようになったのだ。
五天星の特権とはいえ、高位の貴族生徒がわざわざ平民の領域に毎日顔を出すなど普通では考えられないことである。
だが彼の目的は明白だ。
五天星ではない平民のセリアは貴族棟に自由に出入りすることができないため、彼の方から距離を詰めるためには、当然こうして出向いてくるしかないのである。
「ルカ君も、いらっしゃい」
マリエルの視線の先には、アランの少し後ろを静かに歩いてくる銀糸の制服の少年がいた。
五天星第三位、ルカ・レグナス。
「……ああ」
ルカは短く返事をし、スッとマリエルの隣に並び立つ。
以前から彼は、闇魔法の研究の進捗を報告するためによくマリエルの元を訪れていた。
だが、最近の彼は変わらず訪れるものの、なぜか前よりもマリエルに近づくことが多くなり、物理的な距離感が妙に近いのだ。
本を開いていれば後ろから覗き込むように肩を寄せてきたり、歩く時も二人の腕が触れ合いそうな位置をキープしていたりと、明らかにパーソナルスペースの境界線が曖昧になっている。
(……なんでこんなに近いんだろう)
マリエルは不思議そうにルカを見る。
だが、そんなルカの不器用なアプローチよりもマリエルの目を引いてやまないのは、アランの劇的な変化の方だった。
アランは得意げな笑みを浮かべ、背中に隠していた可愛らしいラッピングの小箱をセリアの目の前にスッと差し出した。
「見てくれ、セリアちゃん。今日は自信作だよ」
「本当ですか! 見せて見せて!」
セリアが目を輝かせて箱を受け取り、慎重にリボンを解く。
「ジャーン! ウサギのクッキーです!」
アランが効果音付きで箱の中身を披露する。
そこにはバターの良い香りを漂わせる、少し不格好だが愛嬌のあるウサギの形をしたクッキーが、ぎっしりと敷き詰められていた。
「うっわあ~! 可愛くて美味しそう~!」
セリアは歓声を上げ、クッキーを一つ手に取って嬉しそうに見つめる。
そう、アランはあの日以来、まさかの「お菓子作り」にハマってしまったのだ。
確かにマリエルは空き教室で「セリアは甘いものが好き」「綺麗なものより可愛いものが好き」「高価な宝石を贈るより、心のこもった手作り品を好む」と懇切丁寧にアドバイスした。
だが、まさかその情報を全てストレートに組み合わせ、大貴族の御曹司である彼が粉まみれになってオーブンと格闘する『料理男子』にクラスチェンジするとは全く予想していなかった。
(アドバイスを組み合わせるとか、そんなことある? 普通、手作り品って言ったらミサンガとか、木彫りの小物とかじゃないの……?)
マリエルは内心で呆れ半分、感心半分でその光景を眺めていた。
貴族のプライドをかなぐり捨てて、愛する少女のために慣れないお菓子作りに奮闘する。
その不器用なまでの真っ直ぐさは一周回って非常に好感度が高い。
セリアがクッキーの箱を大切そうに抱えながら、弾んだ声で提案する。
「放課後は部室でお茶しましょう! このあいだ、甘いものに合いそうな特別な茶葉を用意したんです!」
「いいねえ! セリアちゃんのお茶と僕のクッキー、これはもう最強じゃないかな!?」
アランは嬉しそうに目尻を下げ、セリアの提案に全乗っかりする。
今のアランはマリエルのプロデュースと本人の血の滲むような努力により、見事にセリアの胃袋と心をしっかりと掴みつつあった。
つい先日、マリエルがさりげなくセリアに「アランさんのこと、どう思ってる?」と聞いてみたところセリアはこう答えたのだ。
『アラン先輩? すっごい良い人だよね! 最初はチャラい貴族だと思って警戒してたけど、お菓子作り上手いし、私みたいな平民にも全然偉ぶらないし! なにより、あのクッキー、すっごく美味しいんだよ!』
このまま彼が不誠実な真似をせず、お菓子作りの腕前を磨き続ければ二人の関係が発展するのは時間の問題だろう、とマリエルは確信している。
だが、ここで一つマリエルの心に引っかかる問題があった。
ルカの存在である。
「ルカ君は行かなくていいの?」
マリエルは隣で静かに二人のやり取りを見つめているルカに小声で尋ねた。
想い人であるセリアが他の男とあんなに仲良くしているのだ。
横恋慕するつもりなら、今すぐあの輪に飛び込んでお茶会に参加すべきではないのか。
「何故だ?」
ルカはマリエルの問いの意図が全く理解できないといった風に、心底不思議そうな顔をして首を傾げた。
マリエルはそんなルカを、さらに不思議そうに見つめ返す。
セリアがあんなに楽しそうにしているのに、本当にそれでいいのだろうか。
マリエルは内心で首を傾げているが、これ以上他人の色恋沙汰に首を突っ込んで、しつこく急かして嫌われるのも嫌だ。
(まあルカ君が良いのなら、それでいいんだろう)
マリエルは推察を途中で放棄し、深く追求するのをやめた。
神界での孤立した生活が長かった彼女は、複雑な感情の機微を読み解くのが致命的に苦手であった。
◆◆◆◆
講義棟から少し離れた場所にある木造の古い部室棟。
その一角の比較的小さな部屋が、マリエルたちが立ち上げたクラブ『魔王研究会』の部室として割り当てられていた。
室内は大教室のような豪華さはないが、数人程度が集まって議論を交わすには問題のない広さだ。
中央には使い込まれた長机とパイプ椅子が四脚置かれ、壁際の本棚には、設立に合わせて各所からかき集めた資料がちらほらと並べられている。
だが、その本棚のラインナップは控えめに言っても貧弱の一言に尽きた。
並んでいるのは王都の一般の書店で手に入るような子供向けの絵本や、過去の英雄譚を脚色してまとめたお伽噺集ばかり。
実用的な歴史書や魔王という存在の根源に迫るような専門的な書籍は、ほとんど置かれていない。
「お茶、入れるね~」
セリアが慣れた手つきで部室の片隅にある小さな魔道コンロでお湯を沸かし、ティーポットに茶葉をセットする。
「僕も手伝うよ」
二人の息の合った動きは、すっかり新婚夫婦のような和やかな空気を醸し出していた。
マリエルはその光景を微笑ましく眺めながら、改めて本棚の背表紙を目で追う。
「それにしても魔王研究会といっても、これだけ資料が無いとどうしようもないね」
彼女の最大の目的は魔王が書き残した『神界文字』の手記の謎を解き、神界へのアクセス方法を探ること。
だが、今手元にある資料ではその手掛かりすら掴めそうにない。
「まあ仕方ない。その辺の市井に出回っている物は後世の人間が面白おかしく脚色した作り話や演劇の台本くらいのものだからな……。本物の歴史の闇に触れるような記録は国や教会が厳重に情報統制しているはずだ」
ルカが椅子に腰を下ろし、腕を組みながら現実的な見解を述べる。
大教会の中枢資料室で厳重な結界に守られていたあの手記を見れば、それは明白だった。
世界の真理に関わるような危険な情報が、その辺の古本屋に転がっているわけがないのだ。
「何の話?」
お茶の準備を終えたアランが、クッキーの皿と湯気を立てるティーカップをテーブルに並べながら会話に加わった。
「えっとね、魔王についての研究資料が少なくて困ってるって話」
セリアがクッキーを一つ手に取り、サクッと音を立てて頬張る。
「んーっ! やっぱり先輩のクッキー、最高!」と目を細める彼女を見て、アランは嬉しそうに鼻の下を伸ばした。
「なるほどね、資料不足かあ。そりゃあ研究会としては致命的だ」
アランも席に座り、紅茶を一口啜る。
「ええ、どうにかなりませんかね。これじゃあ学園祭での発表も、ただのお伽噺の朗読会になっちゃいますよ」
マリエルが肩を落としてため息をつく。
「クリストフ殿下からも王家の書庫にあった資料をいくつか貰ってなかったっけ? あれじゃダメなのかい?」
アランが不思議そうに尋ねる。
先日のお茶会で約束した通り、第一位のクリストフからは王城の保管庫から見繕ったいくつかの文献が届けられていたのだ。
「当時の時代背景に関する資料や魔王がもたらした被害の規模、討伐に向かった勇者の進軍ルートといった記録がメインですね。歴史研究としてはこれはこれで非常に貴重な資料なんですが……」
マリエルの望む資料とは決定的に方向性が違った。
彼女が欲しいのは被害の大きさや人間の行軍に関する記録ではない。
魔王そのものの『正体』にその魔力の性質、そして何より彼らが神界の文字を扱えた理由に迫るための、存在の根源に関する資料なのだ。
「王家っていうのは基本的には国を統治し、被害を補填し、民を守る側の組織だからね。どうしても被害報告や軍事的な記録が多くなるんだと思うよ」
アランが貴族の視点から冷静に分析する。
「もし、魔王そのものの生態や魔力の根源、あるいは遺物についての資料が欲しいのなら、たぶん王家じゃなくて教会預かりになってるんじゃないかな。ほら、教会って元々は勇者や魔王の記録を宗教的・神秘的な観点から後世に伝えるための組織だしね」
「ですよね……」
マリエルはさらに深く項垂れた。
アランの言う通りだ。
あの大教会の地下で見た手記がまさにその証拠である。
だが、その大教会からは「教皇の許可がなければ見せられない」と事実上の門前払いを食らっているのだ。
権力が衰えたとはいえ、一国の王に匹敵する宗教的権威を持つ教皇に、ただの学生が直接面会を求めるコネクションなど今のマリエルたちには存在しない。
手詰まり感と閉塞感が小さな部室を重く覆い始めた。
これ以上、どう動けばいいのか。
マリエルが眉間を揉みながら思考の海に沈みかけた、その時。
アランがクッキーを齧りながら、ごく当たり前のように突拍子もない提案を口にした。
「だからさ、教会から直接資料を借りて研究してる魔法研究所の研究部門に行けば良いんじゃない?」
「……え?」
マリエルは弾かれたように顔を上げた。
ルカも紅茶を飲むのをやめ、アランを凝視する。
部室に一瞬の空白のような沈黙が落ちた。
あまりにも静かな反応に、アランはキョトンとした表情をする。
「あれ、僕なんか変なこと言った?」
「すまない、アラン。その『研究部門』とは一体何の話だ?」
ルカが身を乗り出して問い詰める。
「え? だって普通、歴史的な遺物や危険な文献って、保管して管理する『管理部門』と、それを実際に解析して魔法理論に応用する『研究部門』は別組織に分かれてるでしょ?」
アランは、まるで当たり前の事実を説明するように淡々と語る。
「大教会という組織で原本や危険な呪物の管理が厳重にされてて、そこから国の最高研究機関である、魔法学園併設の魔法研究所の専門部門に複製や一部の資料が貸与されて、安全な環境下で研究・解析が行われてるって……国の組織構造としては、ごく普通のことじゃないかい?」
「…………」
マリエルとルカは息を呑んだ。
「僕、この間のサロンの顔合わせの時に魔法研究所に外部見学に行ってるって言っただろ? その時に施設の案内をしてくれた研究員から、教会の主導で過去の魔王の魔力や遺物を研究してる『特別部門』があるって話を聞いたことがある」
アランは紅茶を一口飲み、事もなげに結論を告げた。
「だから、教会に直接資料を借りるのが無理なら、その魔法研究所の研究部門に行けばいいんじゃないかな? あそこなら五天星の肩書きと、王家のクリストフ殿下の口利きがあれば見学や資料の閲覧くらい、融通を利かせてくれると思うよ」
「……それだあああああ!!」
マリエルは椅子をガタッと鳴らして立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出してアランの両手をガシッと力強く掴んだ。
「えっ、うわっ!?」
「ありがとうございます、アランさん!! 完璧です! 一気に光明が開けました!!」
神界への扉が再び目の前に大きく開かれた瞬間だった。
直接教会の中枢をこじ開けるのが無理なら、教会と繋がっている国の研究機関という「裏口」から攻めればいい。
なぜ、そんな簡単なことに気づかなかったのか。
「お? おお、そう? 役に立ったなら良かった」
アランは突然マリエルに手を握られて目を白黒させながらも、照れくさそうに笑う。
「アラン先輩、最高です! 本当にありがとうございます! これで研究会も本格的に動けますね!」
セリアも立ち上がり、バンザイのポーズをして歓喜の声を上げる。
好ましく思っている先輩が親友の悩みを一瞬で解決してくれたことが、彼女にとってもたまらなく嬉しいらしい。
アランに対するセリアポイントが上昇したようだ。
「え、そう? いやあ、参っちゃうな! 困った時はいつでも僕に頼ってくれていいから!」
アランはセリアの賞賛に鼻の下を伸ばし、デレデレとしている。
だが、その和やかで感動的な空気の隣で。
一人だけ極めて不機嫌そうな冷気を放つ少年がいた。
「……いいから、そろそろその手を放せ、アラン」
ルカがマリエルに握られているアランの両手を、鋭い視線で睨みつけながら低くドスの利いた声で言い放った。
「手を握られてるの僕の方なんだが!?」
そんな、恋と野望と勘違いが複雑に絡み合う小さな部室の中で。
『魔王研究会』の面々はマリエルの真の目的を果たすため、そして学園祭での研究発表という名目のもと、次なる目的地――国家の最高機密が眠る『魔法研究所』へと、その歩みを進めることになるのであった――。
なんで料理男子になってんだお前。




