鍛冶屋の看板娘と鍛冶仕事
大陸の辺境に位置する開拓の街、モーリス。
険しい山脈の麓に広がるこの街は常に土埃と汗の匂い、そして荒々しい活気に満ち溢れている。
未開の地へ赴く冒険者や、日銭を稼ぐ傭兵たちがひしめき合い、彼らの命を預かる武具を扱う商店が大通りに軒を連ねていた。
荷馬車の車輪が轍を軋ませる音や、商人たちの威勢の良い掛け声が絶え間なく響く中、ひと際目立つ無骨な看板を掲げた鍛冶屋がある。
店の名は『スーパーアックスボンバー』。
分厚い黒鉄の板に、力任せに削り取られたかのような荒々しい字体で店名が彫り込まれている。
初めてこの店を訪れる者は、その看板を見ると決まって「スーパーは余計じゃない?」と、心の中で、あるいは直接口に出してツッコミを入れる。
そんな、街の名物店だ。
煤と油、そして熱された鉄の匂いが充満する薄暗い店内。
壁際や木樽の中には無数の剣や斧、槍が所狭しと並べられ、鈍い金属光沢を放っている。
その店内の中央に置かれた陳列台の前で、一組の男冒険者コンビが身を乗り出すようにして武器の品定めをしていた。
「よし、俺はこのダガーにしようかな」
革鎧を着込んだ若い男の冒険者が、手にした短剣の重さを確かめるように手首を返す。
刃渡り二十センチほどの鋼の刃は丁寧に研ぎ澄まされ、刃こぼれ一つない美しい波紋を描いている。
柄には滑り止めの硬い革が巻かれており、手に吸い付くような感触があった。
「決まったか? じゃあ会計は俺がやるから」
相棒であるもう一人の冒険者が、すかさず前にしゃしゃり出る。
その手には既に、革袋から取り出した数枚の銀貨が握られていた。
彼の視線はダガーではなく、店の奥にあるカウンターの方へと向けられている。
「は!? 俺のダガーなんだから、俺が会計するに決まってんだろ!」
ダガーを選んだ男が、相棒を押し退けるようにしてカウンターの前に陣取る。
彼もまた、視線を店の奥へと送っていた。
二人が武器の会計を巡って見苦しい争いを繰り広げている理由。
それは彼らの金払いが良いからでも、友情に厚いからでもない。
理由はただ一つ、この店の看板娘への下心である。
「わかったわかった、お前が払えよ。……すいません、会計いいかな! マリエルちゃん!」
「はぁい! ただ今!」
奥から、鈴を転がすような高く澄んだ声が響く。
パタパタと軽快な足音と共に奥から現れたのは、一人の少女だった。
「お待たせいたしました!」
ニコニコと、花が咲いたような満面の笑顔を浮かべてカウンターに立つ彼女の名はマリエル。
ここ一ヶ月ほど前から、この鍛冶屋に間借りして住み込みで働き始めた店員だ。
彼女の容姿は、この埃っぽい辺境の街には不釣り合いなほどに美しい。
淡く柔らかな色素を持つ銀髪は肩の辺りで切り揃えられ、動くたびにふわりと揺れる。
透き通るような白い肌と、大きな瞳。
背丈は小柄で、少しぶかぶかのエプロンを身に着けた姿は庇護欲をそそる愛らしさがある。
辺境では滅多に見ることのないレベルの可憐な美少女の存在は、男ばかりの冒険者たちの間で瞬く間に噂となり、今や近隣の街にまでその名は知れ渡っていた。
事実、彼女の笑顔をひと目見たいがために、武器を買う用事もないのに無意味に店を訪れる者も後を絶たなかった時期がある。
冷やかしの客が狭い店内に居座り、本来の顧客の邪魔になる事態が頻発したのだ。
だが、その事態は長くは続かなかった。
営業妨害に腹を立てた店主が、冷やかしの冒険者たちの顔面を愛用の大槌で物理的にぶん殴り、店の外へと文字通り叩き出したからだ。
「買う気がないなら帰れ!」という店主の咆哮と宙を舞う冒険者の姿を目撃して以来、不純な動機のみで来店する命知らずはすっかり姿を消している。
それでも、こうして武器を買うという真っ当な理由をつけて、少しでも彼女と会話を交わそうとする者は後を絶たない。
マリエルがカウンター越しに、愛想の良い笑顔を向ける。
「ダガーですね! 銀貨十枚になります!」
「あ、ああ。これでいいかな」
ダガーを買う男の冒険者が、デレデレに顔を緩ませながら銀貨を差し出す。
その銀貨をマリエルがさりげなく手と手が触れるように受け取ると、男の鼻の下がさらに伸びる。
「またのご来店を~♪」
男たちは完全に骨抜きにされた表情で、買ったばかりのダガーを腰に下げて店を出ていく。
その背中が見えなくなるまで、マリエルは手を振り続けていた。
男たちの姿が完全に通りの人混みに紛れたのを確認すると、マリエルは口角を上げたまま、ふう、と小さく息を吐き出した。
(神界にいた時より、少しは自然に表情が出るようになったな)
回収した銀貨を会計箱に落としながら、マリエルは内心でぽつりと呟く。
チャリン、という硬貨の触れ合う音が心地よい。
かつて、遥か天空の『神界』にいた頃の自分を思い返す。
「混ざりもの」と蔑まれ、常に冷ややかな視線と嘲笑の的であったあの場所。
何を言われても無表情を貫き、感情を押し殺すことだけが、あの純血主義に凝り固まった狂った世界での唯一の防衛手段だった。
喜怒哀楽を表に出せば、それすらも嘲笑の種にされる。
だから彼女は常に鉄仮面のような顔で過ごしていた。
だが理不尽に翼と天輪を奪われ、この下界へと落とされてから。
皮肉なことに神の力を失い、ただの無力な人間になり下がったこの埃っぽい辺境の街での生活の方が、よほど人間らしい感情を取り戻させてくれている。
笑いたい時に笑い、客を適当におだてて相手をする。
あの息が詰まるような鬱屈とした神界の環境はマリエルが自分で思っていた以上に彼女の精神を深く疲弊させ、感情を摩耗させていたらしい。
今こうして、愛想笑いとはいえ自然に表情筋を動かせることに彼女はどこか清々しさすら覚えていた。
客が出ていき、開け放たれた入り口から差し込む陽の光が、赤みを帯びた茜色へと変わっていく。
通りの喧騒も少しずつ落ち着きを見せ始め、夕暮れを知らせる教会の鐘の音が、遠くから風に乗って響いてきた。
そろそろ、一日の商いを終える時間だ。
「マリエルちゃん、お疲れ。もう店閉めようか」
店の奥、熱気を帯びた鍜治場の方からドスドスという重い足音と共に声がかけられた。
煤で黒く汚れた分厚い革エプロンを身に着け、首に手ぬぐいを巻いた恰幅のいい女性が姿を現す。
彼女こそが、この『スーパーアックスボンバー』の店主であり、凄腕の鍛冶師であるドワーフの女性、バーバラだ。
ドワーフ特有のがっしりとした骨格と、丸太のように太い腕。
顔には火の粉が飛んだ小さな火傷の痕がいくつもあり、それが彼女の職人としての年季を物語っている。
豪快で気性が荒い反面、面倒見が良く情に厚い、この街の顔役の一人でもある。
「はい!」
マリエルは元気よく返事を返すと、即座に閉店作業に取り掛かる。
店先に並べていた木樽を奥へと引っ込め、陳列台の武器に丁寧に油布をかけて埃除けをする。
入り口の重い木製のシャッターをガラガラと引き下ろし、頑丈な閂を掛ける。
一連の作業を手際よくこなすマリエルを、バーバラは腕を組んで満足げに眺めていた。
拾った当初は右も左も分からない様子だったが、今ではすっかり店の貴重な戦力として馴染んでいる。
掃除を終え、手を洗ったマリエルが、エプロンの紐を締め直しながらバーバラの元へと駆け寄ってきた。
「ところで、バーバラさん」
マリエルは、少し声を落として尋ねた。
「鍜治場、使っても大丈夫ですか?」
その言葉を聞いた瞬間、豪胆なはずのバーバラの肩がびくりと大きく震えた。
「あ、ああ……。いいよ。火の始末だけは、しっかり頼むよ」
バーバラは努めて平静を装いながら、僅かに声を引きつらせて許可を出す。
「ふふふ、ありがとうございます」
マリエルの口元に妖艶な、あるいは不気味な笑みが浮かんだ。
その笑顔は、昼間に冒険者たちに見せていた可憐なものとは別種の温度を持っている。
マリエルはいそいそとした足取りで、まだ熱の残る鍜治場の中へと入っていく。
バーバラは、その小さな背中を見送りながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。
◆◆◆◆
鍜治場の中は、昼間の作業の余熱で、むっとするような熱気が満ちていた。
中央には煉瓦で組まれた大きな炉があり、その横には巨大な金床と、様々な大きさのハンマーが整然と並べられている。
マリエルは迷うことなく炉の前に立つと、ふいごを操作して空気を送り込み、種火に息を吹き返させる。
ボォォォッという低い音と共に炉の中の炎が赤々と燃え上がり、周囲の空気をさらに熱くしていく。
彼女は棚から手頃な鉄の塊を取り出し、長い火箸で掴んで炉の中へと放り込んだ。
鉄が炎に舐められ、徐々にオレンジ色から眩い赤熱へと変わっていくのを、じっと見つめる。
赤く染まる彼女の顔。
炎の照り返しを受けるその瞳から、昼間の愛らしさが完全に消失していく。
鉄が十分に熱されたのを確認するとマリエルは火箸でそれを引き摺り出し、金床の上へと置いた。
そして自身の細腕には不釣り合いなほどに重い、中型のハンマーをしっかりと握りしめる。
その瞬間。
マリエルの形相が、悪鬼羅刹の如く恐ろしいものへと変貌した。
「許さない」
地の底から這い出るような怨念に満ちた低い声。
マリエルはハンマーを高く振り上げ、赤熱する鉄の塊に向かって全力で叩き下ろした。
ガァァァァァンッ!!
耳をつんざくような激しい金属音が、鍜治場の中に反響する。
火の粉が弾け飛び、マリエルの顔を赤く照らし出した。
「恨めしい……恨めしい……!」
ガァンッ! ガァンッ! ガァンッ!!
ハンマーが振り下ろされるたびに鉄が悲鳴を上げ、形を変えていく。
マリエルの腕の筋肉が躍動し、小柄な身体のどこにこれほどの力が眠っているのかと疑うほどに、重く鋭い打撃が連続する。
「絶対に許さない……許すものかァァァ……!」
彼女の脳裏に浮かぶのは、あの日の『裁定の間』の光景。
嘲笑する高位神人ユーバフの顔。
被害者を気取って歪んだ笑みを浮かべるアミアンの顔。
見て見ぬふりをした、全ての神人たちの冷たい視線。
そして引き剥がされた、母の思い出の色である朝焼け色の天輪。
背中を切り裂かれ、強引にもぎ取られた光翼の焼けつくような激痛。
「許さない!! よくもォ!」
ハンマーの一撃が、さらに威力を増す。
飛び散る火の粉が彼女のエプロンを焦がすが、マリエルは全く気にする様子もない。
「よくもよくもよくもォォォォ!!」
振り上げ、叩きつける。
振り上げ、叩きつける。
それはもはや、鉄を鍛えるという生産的な行為ではない。
純粋な破壊衝動と、憎悪を形にするための儀式だ。
金床の上の鉄がマリエルの怒りを受けるたびにひしゃげ、圧縮され、強度を増していく。
渾身の力が込められた一撃が振り下ろされた瞬間、マリエルの身体から、ボワァッ、と何かが噴き出した。
それは比喩表現ではない。
視覚的に明確に認識できる、どす黒く禍々しい「オーラ」のようなものだった。
神界で理不尽に剥奪されたのは、天輪と光翼という形態を持つ魔力器官のみ。
彼女の中に眠る魔力そのものは変わらずにそこにある。。
行き場を失い、復讐心という強力な感情を触媒にして変質したその魔力は、漆黒の靄となってマリエルの全身を包み込んでいる。
黒いオーラが炎の熱気と共に鍜治場の中で渦を巻く。
空間そのものが歪み、空気が重くのしかかってくるような圧倒的なプレッシャー。
「殺してやる……絶対に、這い上がって……引きずり降ろして……ミンチにしてやるゥゥゥゥ!!」
ガァンッ!! ガァンッ!! ガァンッ!!
憎悪の言葉を吐き出しながら、黒いオーラを纏った悪鬼が狂ったようにハンマーを振るい続ける。
「ヒィッ……」
少し開いた扉の隙間から、その光景をこっそりと覗き見ていたバーバラは思わず短い悲鳴を漏らして口を両手で塞いだ。
なにあれ超怖い。
歴戦のドワーフであり、魔獣の群れに一人で突っ込んでいくような胆力を持つバーバラでさえ、今のマリエルから発せられる怨念の深さには背筋が凍る思いだった。
狂気に満ちた打撃音と、呪詛の言葉が響き続ける。
バーバラは壁に背中を預け、冷や汗を拭いながら、遠い目をして虚空を見つめた。
あんな可愛らしい顔をした少女が、なぜこれほどのどす黒い怒りを抱えているのか。
なぜ、狂ったように鉄を叩き続けるのか。
バーバラの脳裏にマリエルと初めて出会った日の記憶が鮮明に蘇ってくる。
それは、およそ一ヶ月前。
彼女をモーリスの街外れで拾った時のことだ――。




