水精姫と闇属性魔法
貴族棟の第一図書館に、静かな会話の声が響く。
高くそびえる本棚に囲まれた閲覧席には、平民の制服を着たマリエルと、銀糸の刺繍が施された制服を着たルカが向かい合って座っていた。
「しかし、闇魔法の新たな可能性ですか……」
マリエルはテーブルの上に広げた羊皮紙を見つめながら、羽ペンをくるくると指先で回す。
「新たな解釈があれば、そこから逆算して術式を生み出すこともできなくはないと思うのだがな……」
ルカは真剣な眼差しでマリエルを見つめ、腕を組んで思案顔を浮かべた。
彼の言う通り、魔法とは「結果をイメージして事象を書き換える」技術だ。
明確なイメージと論理的な裏付けさえあれば、新しい魔法を生み出すことは不可能ではない。
マリエルは、ルカが現在使えるという闇魔法のリスト――影の刃、目くらまし、影による物理的拘束など――を羊皮紙に書き出しながら、ふと、あることに気づいて口を開いた。
「そういえば、ルカ君のリストには空間系の魔法が一つもありませんね。影を使った物理的な干渉や視覚操作ばかりだ」
「空間? あの希少属性の?」
ルカは少し驚いたように眉を上げる。
空間魔法。
それはこの下界において、極めて高度で習得困難な魔法とされている。
移動用の『転移』や荷物を収納する『マジックバッグ』など、高位の魔道具に付与されていることはあるが、それを個人で自在に扱える魔術師はごく一握りの天才だけだ。
「希少なんですか?」
マリエルは逆に不思議そうに首を傾げた。
神界の基準で言えば、空間操作は基礎教養の延長線上にある。
「闇属性をベースにしたら、空間魔法の習得は比較的容易だと思うんですが。属性の親和性が非常に高いですし」
「……すまない。闇と空間がどう関わってくるのか全く読めない。俺の知識不足で申し訳ないが一から説明を頼めないだろうか」
彼は自身の無知を恥じることなく、素直に教えを乞う。
その真摯な態度にマリエルは小さく頷いた。
「そうですね。そうしましょう」
マリエルは手元の羊皮紙に、簡単な図形を描き始める。
「まず、大前提として。光と闇という対極の属性には『外側と内側の原則』というものがありますよね?」
「すまない。そこからまず説明してほしい」
ルカが真顔で即答する。
彼ほど魔法理論を読み漁ってきた天才でさえ、初耳の単語だったらしい。
「あ、はい。光と闇の概念的なお話です。光は『外側』を象徴し、闇は『内側』の概念に属しているんですよ」
「……なぜだ?」
「へ? ほら、家をイメージしてほしいんですけど……」
マリエルは羊皮紙に四角い家の絵を描き、その上に太陽を描き足した。
「太陽の光が当たる部分は外壁ですよね。そして、光が無い内側は暗くなって、そこに闇ができるでしょう? 窓は無いものとして考えてください」
「ああ、うん。それは物理現象として理解できる」
「あと、物に光が当たれば、照らされている方が『外側』で、影ができるとその影の側を『内側』と無意識に認識するでしょう? その逆はあり得ませんよね?」
「まあ、そうだな。照らされている側を内側と認識はしない」
ルカは顎に手を当て、彼女の言葉を反芻する。
正直、理屈としては理解できるが、魔法の根源的な概念として結びつけるには、あまりにも斬新で聞いたことのない理論だ。
「なので光は『外側』、闇は『内側』に属するという法則が成り立ちます。これを『外側と内側の原則』と呼びます」
マリエルはペンを止め、ルカの目を見た。
「その法則に当てはめると光属性は『外側』への干渉に優れています。身体の傷を癒したり、光の刃で外部の対象を攻撃したりと、物理的な治癒と破壊に特化しているんです」
「それはわかる。第一位であるクリストフ殿下の光魔法も、まさにそんな感じだからな」
ルカは納得して頷く。
「対して闇属性は『内側』への干渉に特化しています。つまり、物理的な肉体ではなく内側にある『精神』への作用ですね。精神治療や精神の破壊、あるいは操作などです」
「しれっと新しい解釈が出てきたな」
ルカは小さく息を呑んだ。
しかし、同時に強烈な納得感が彼の脳内を駆け巡る。
かつて禁術とされ、歴史から抹消された闇魔法の数々。
それらは確かに人の心を操ったり、精神を蝕む呪術が大多数を占めていた。
なぜ闇魔法がそういった使われ方ばかり発展したのか。
それは内側である精神に干渉しやすいという、属性の根源的な性質に由来していたからなのだ。
(あれ……精神治療?)
ルカの思考がマリエルの一言に引っかかる。
精神を破壊するのではなく、治癒する。
トラウマの除去や、精神疾患の治療。
もし闇魔法でそれが可能だと証明できれば。
(これだけでも学会に論文として発表できるレベルの大発見では……?)
ルカが一瞬考え込んでしまったが、マリエルの講義は止まらない。
「で、ここからが本題です。内側が存在するということは、そこには必ず『仕切られた空間』が可視化されているということですよね? 家の壁のように」
マリエルは先ほど描いた家の絵の内側をペンでトントンと叩く。
「つまり『内側であること』と『空間』という概念は、表裏一体なんです」
「……学会を揺るがす発見が連続で出てきたぞ」
ルカは思わず頭を抱えそうになる。
「ええ? このくらいは、ちょっと考えれば誰でも思いつくだろうし、学会は揺らがないと思いますけど……まあ、それはともかく」
マリエルは首を傾げつつ、サラサラと羊皮紙に黒く塗りつぶした四角形を描く。
「この概念を利用して、闇属性の魔力の中に『収納空間』を作ることができます」
「収納空間」
「はい。タンスの中とか引き出しの中って閉めれば暗いですよね? なので、『暗い内部である闇』と『収納する場所』という概念を結び付けて、闇魔法で再現することができるんです。自分の影や作り出した闇の中に異次元の空間を作る感じで」
学会を揺るがす大発見が三度現れた。
しかも一部の高位魔道具にしか備わっていない超希少技術『マジックバッグ』の機能を、個人の魔法で再現できるというのだ。
「つまり闇と空間という二つの属性は極めて距離が近く、親和性が高い。だから闇魔法の応用で空間を操作することができるんです」
マリエルはペンを置き、ルカに向かってにっこりと微笑んだ。
どうだ、とばかりの顔である。
「……具体的に、どういうことができると思う?」
ルカは喉の渇きを覚えながら尋ねた。
聞くのがちょっと怖くなってきたが、ここまできたら根掘り葉掘り聞いてしまいたいという探求者としての本能が勝る。
「そうですね。戦闘や探索に役立つものだと『空間知覚』とか良いですよね」
「空間知覚とは」
「これも基本中の基本なんですけど、魔法で何かを操作するのに最低限、対象の構造や状態を精査できてしかるべきですよね?」
「ああ。アランが土魔法を使う前に、地質や地盤の強度を調べたりするな」
「それと同じです。その応用で闇魔法の使い手……というか空間を扱うのなら、空間知覚は必須技能です。空間魔法って何もないところに空間を生み出すのではなく基本的に『既にそこにある既存の空間』を操作・編集するものなので」
「ああ、うん」
「空間知覚は自分が魔力を及ぼせる範囲の空間内にある、全ての事象を知覚する魔法です。目や耳といった感覚器官に頼るのではなく頭の中に、その空間の立体図と内部の物質情報を全部直接入れる感じで」
「全部」
ルカはオウム返しに呟く。
「……そんな膨大な情報量の処理が、人間の脳でできるものなのか?」
「普通にやったら脳が焼き切れるんで、無理ですね。だから意識的にフィルターをかけて情報を絞るんですよ」
マリエルは事もなげに言う。
「例えば騒がしい街中にいても、自分に関係のないうるさい音は意識から外して目の前の人の声だけを聞き取ったりできますよね? そんな感じで必要な情報……例えば『敵の配置』とか『罠の有無』だけを抽出するように、術式に設定を組み込むんです」
「なるほど……。情報の取捨選択を術式に組み込むのか」
ルカは深く息を吐き出す。
理論は完璧だ。
あとは、それを実現するための術式を組み上げるだけだ。
「あとは、そうですね……。外側から見るより内部の容積を拡張させる『空間拡張』や、結界のように特定の空間内の物理法則を書き換える『空間法則編集』など概念を応用すれば色々できると思いますよ」
マリエルは「とりあえずこんなところでしょうか」といった様子で、話を締めくくった。
「あれ、途中から闇魔法じゃなくて空間魔法の話になっちゃいましたけど、大丈夫ですか?」
「……」
ルカは沈黙した。
そして深く、とても深く、今日何度目かわからないため息を吐いた。
「……今の話だけで、この国の闇魔法の発展が100年は進んだと思う」
「ははは、いやそんなまさか……え、本当に?」
マリエルが冗談だと思って笑うが、ルカの目は大真面目だ。
「ああ。俺はこれまで学園の図書館や実家の書庫にある闇魔法の文献を片っ端から漁ってきたが、そんな理論は一度も聞いたことがない。だが、君の話は言われてみれば全てができそうな理屈ばかりで、ストンと腑に落ちる」
ルカは立ち上がり、マリエルに向かって深々と、そして丁寧にお辞儀をした。
「感謝する。マリエル嬢。君から聞いた今の話を参考に、まずは精神治療と収納空間、空間知覚の術式構築から試行錯誤してみる」
「え、あ、はい。お役に立てたなら良かったです」
マリエルも慌てて立ち上がり、軽く会釈を返す。
「本当に世話になった。だが……」
ルカが顔を上げ、その端正な顔に初めて見せるような挑戦的な、しかし清々しい笑みを浮かべた。
「筆記試験は話が別だ。次回のテストでは一位の座は必ず取り戻す勢いで挑むので、そのつもりで頼む」
「は、はい。私も……手を抜くつもりはありませんから」
マリエルは少し戸惑いながらも頷く。
彼のような真摯な相手に手を抜くことは、逆に失礼にあたるだろう。
「絶対に負けないからな。……では失礼する。本当に実りある話だった。今日は本当にありがとう」
ルカはそう言い残すと、来た時とは打って変わって、どこかウキウキとした機嫌の良さそうな足取りで図書館を出て行った。
新たな魔法の可能性を前に彼の探求心が刺激されているのが背中からも伝わってくる。
静寂が戻った図書館でマリエルは一人、ポツンと取り残された。
「…………」
彼女は自分が羊皮紙に書き殴った、神界の魔法理論の基礎概念を見つめる。
「ひょっとして、私……また、やらかした……?」
ぽつりと呟いた言葉は誰に聞かれることもなく、静かな空間に吸い込まれていった。
目立たず平穏に、という彼女のささやかな目標はまたしても自らの行動によって遠のいてしまったらしい。
こうして。
復讐に燃える元神人の少女が、ついうっかり一般教養として神界の高度な知識を漏らしまくったため。
後の時代において、この国の闇魔法の概念が根底から覆り、空間魔法と融合して飛躍的な発展を遂げることになるのだが。
それはまだ、誰も知らない未来のお話である――。
他所のファンタジー作品でもよく見かける魔法に、あえて理屈をつけるとこうかな?と思いながら書いています。
そう間違った理屈ではないと思ってます。




